96話 「剥がされた仮面 中編」


 冷たい視線に抵抗するように心を強く持ち、シャイナが必死に声を出す。


 その声は―――震えていた。



「酷い? どういう意味だ?」


「だって、女性やお金がある人は助けるけど、そうでない人は…」


「見捨てる、か?」


「………」


「それがどうかしたのか?」


「それがって…! 不公平でしょう!」


「なぜだ?」


「なぜって…助かる人とそうでない人がいて…それは…やっぱりその……」


「だから不公平か? ははは、思った以上に馬鹿だな、お前は」


「ば、馬鹿って…どうして!」



 アンシュラオンの声は、冗談ではなく本当に馬鹿と接するような声。


 つまりは、相手を馬鹿にした口調である。


 その声質に、シャイナの心がぎゅっと縮まったのがわかった。上位者からの圧力は、それだけで本当に心臓が縮む思いだ。


 それでも目の前の美形の少年が髪の毛をかき上げる仕草に、ついつい見惚れてしまう。


 魔性という言葉を男性に使うのは妙な感じだが、そう表現するのが適切なほど異性を惹きつける。



(先生相手に、そんなことを考えたこともないのに…。こ、これは間違い。何かの間違いよ! 美形だからって、美形だからって…性格が悪ければ……でも、なんて綺麗…)



 ドキドキする心を抑えるので必死だ。だが、心臓はさらに高鳴っていく。



 そんなシャイナの気持ちをまったく無視するように、アンシュラオンは話を続ける。



「この世界に不公平なんて存在しない。極めて正当な原因と結果の法則だけがある。もしオレが治療しないことで死んだやつがいたとしても、それはそいつの行動に原因があったんだ。一方、オレが治療しても死ぬやつはいる。それだけのことだろう」



 前にシャイナに語ったように、すべては自業自得の因果の中にある。


 最初の原因を生み出したのは、患者自身なのである。その責任は彼らにあろう。



「でも、助けることもできました!! 少なくとも、その瞬間だけは…」


「自分の身を削って、か。たいそうな犠牲的精神だ。じゃあ、お前がやるんだな。助けてやればいい」


「それは…私には……できないから…」


「自分の能力を伸ばそうとしていないだけだろう。それで他人に文句を言うのは筋違いだな。お前にはそれなりの看護の才能がある。それを伸ばせばいい」


「私には…無理です」


「偉人は言ったぞ。諦めたらそこで試合終了だってな」



 アンシュラオンとは違う、本物の先生の言葉は偉大だ。


 自分で自分を見放したら、そこで本当に終わってしまう。



「先生のあれは…術なんですか?」


「いや、あれは【技】だ。術士の素養がなくてもできる」


「私にもできますか?」


「わからん。少なくとも天性の資質はないようだ。後天的に水の属性に目覚めれば可能性はあるが…」



 今のところシャイナに属性は表示されていない。


 命気は、最低でも水の属性を得た人間でないと得られないものだ。


 しかも伝説的な最上位属性を得られる人間など、この世で一握りの者たちだけである。シャイナに覚えられるかは完全に未知数だ。



「そうですか…。やっぱり…駄目ですね。私には何も救えないんです…」


「比べれば比べるほど自分が惨めになるだけだぞ。今のお前は惨めだな。ずぶ濡れで真っ黒になっている。だが、誰も同情はしない。してくれない。そうしてくれるやつがいたら、逆に疑え。必ず下心を持っているからな」



 安易に同情する人間には気をつけねばならない。


 その人間は同情する「ふり」を修得した人間である。技術で弱った相手を支配できる者たちだ。


 それが善人ならばいいが、大半は正反対の者たちである。弱味を見せれば、そこに付け込む偽善者だ。


 何も知らないずぶ濡れの子犬は、あっという間に餌食になってしまうだろう。




(さて、こんな話をするために連れてきたわけではない。そろそろ核心に踏み込むか)



 こんな会話など、いつもしていることだ。



 だから、さらに―――踏み込む。



 自分とシャイナという存在を構成する根幹の部分へ。


 それはきっと痛みが伴うものだろう。だが、病気と同じく、その根源から逃げていては何も解決しない。


 ガン細胞を治療しても、それが生み出される生活そのものを変えねば意味がないのだ。



「オレがどうして、お前をここに連れてきたかわかるか?」


「…いえ」


「オレも気になっていたんだよ。お前がオレを見る時の目、あの【怒りの目】がな」


「っ―――!」



 シャイナは目を見開いて驚く。


 だが正直、あんなにあからさまに睨まれて気づかないほうがおかしい。


 仮面を被っているからわからないとでも思ったのだろうか。それも含めて困った女である。



「オレがお前を雇った理由を教えてやろう。最初の日、お前が診察所にやってきた時、オレを見た時の目が気に入らなかったからだ。放っておけば害悪になると思ったからだ。だからオレは、お前を近くにおいて監視していたんだ」



 それからシャイナの目を見て、はっきりと言う。



「オレは、お前のことを信用していない。今まで一度たりとも…な」


「そ、そんな……最初から……」



 さすがに正面切って言われると、それが誰であろうともショックを受けるものである。


 それがたとえ嫌いな相手でも、複雑な感情を抱いた人間からでも、誰かに敵対を宣言されることはつらいものだ。


 思わずシャイナの目にうっすらと涙が浮かぶ。


 これも弱い人間の特徴だ。やはり彼女は、麻薬の売人をやるような人間ではないのだろう。他人を不幸にして喜ぶようなゴロツキではない。


 だが、これは必然。



「仮面を被るような慎重なやつが、いきなり来た女を雇うと思うか? こっちから集めたならばともかく、相手からやってきたのならば他意があると思うのは自然だ。しかも敵意を持つようなやつだぞ。信用はできない」



 アンシュラオンが言った「信用されるようなことをお前はしてきたのか」という問いの意味が、ここに込められている。



 最初からシャイナを信用していない。



 その理由がないからだ。シャイナ自身が、そういう態度を取っていないからだ。



「忙しかったのは本当だ。雇ってよかったと思ったよ。それに、油断させれば少しは尻尾を出すと思っていた。まあ、お前は最初から最後まで変わらなかったがな。最初から最後まで、オレを観察していた。不満げな顔で」


「私、そんな顔…してました…か?」


「していたな。少なくとも尊敬の眼差しではない。お前を殺すことはいつでもできた。だが、それでは意味がない。その背後を洗わないとな。さあ、吐いてもらおうか。お前の目的は何だ? どうしてオレに近づいた」


「目的なんて…。ただ、お金が欲しかっただけです」


「嘘を言うもんじゃないな。そんな理由だけで怪しい医者に近づくわけがない。もう一度言うぞ。何が目的だ?」


「本当です。目的なんてない。看護術を学んでいたから勉強になると思って…。でも、あんなの知らないから、まったく参考にならなかったですけど…」



 シャイナは本当のことを言おうとしない。


 そもそも軽々しく他人に言えるものではないだろうから、それも仕方がない。


 むしろ、「私、売人やってまーす。超イケてる!」とか言われたら、アンシュラオンのほうが唖然としてしまう。


 まあ、そんなふざけた態度を取った場合は服をひん剥いて、楽しいお仕置きタイムが発動するわけだが。



「ふむ、強情だな。さて、どうしてくれようか―――と、先に先客か」


「え? 誰…ですか?」


「安心しろ。お前の【お仲間】だ」



 アンシュラオンが廊下を歩いてくる【二人の足音】に気がつく。


 波動円を使って常時周囲を監視しているから、領域内に入った存在は虫一匹たりとて見逃さない。


 一人は当然ながらホロロ。この最上階を担当するメイドなのだから、歩いていて不自然ではない。


 だが、もう一つの足音は、ここではまず聴くことができないものだ。


 二つの足音は並んで廊下を歩いており、八号室の前で止まった。それからノックの音が聴こえる。



「ホワイト様、ワインをお持ちいたしました」


「ああ、入っていいよ」


「失礼いたします」



 ホロロが、ワインとツマミ類が置かれたワゴンと一緒に入ってきた。



「あなたも入りなさい」



 続いてホロロに促されて、おどおどした様子で入ってきた者がいた。





 それは―――ミチル。





 前に出会ったホテルの新米従業員である。


 なぜ自分がこの場にいるのかが理解できず、周囲をきょろきょろ見回しながら警戒しているのがわかる。


 彼女が来た理由はとても簡単。アンシュラオンが呼んだからだ。



「ホロロさん、ご苦労様。ワゴンはそこに置いておいて」


「かしこまりました」


「それからミチルさん」


「は、はい! あっ!!!」


「どうしたの? 緊張しているみたいだけど」


「え、ええ!? そ、その…いえ、なんでもありません!」



 ミチルが驚いたのは、いつも仮面を被っているホワイトが素顔でいるからだろう。


 それが普通であるかのように平然と素顔を晒している。


 ホテルの自室内なのだから当たり前だが、普段最上階に来ない従業員にとっては逆に異様なのだろう。



「あの…私、どうして呼ばれたのでしょう?」



 ちらちらとアンシュラオンを見ていたミチルが、これまた当然の疑問を発する。


 彼女にしてみれば、それこそが一番大切な問題だろう。


 自分はホテルの新米従業員。ホロロのように信頼されている人間ではない。


 彼女自身が思いつく理由は一つしかない。



「す、すみません! 何かお気に障るようなことをしたならば謝ります! ごめんなさい!」


「謝る必要はないよ。君は何も悪いことはしていないからね」


「…ほっ、よかったです」



 ミチルは胸を撫で下ろす。


 もし彼の機嫌を損ねてしまったら一大事だ。この最上階を借り切るほどの金持ちを逃したとあれば、間違いなく自分はクビだろうから。



 しかし、次の言葉でミチルは凍りつく。






「君は悪いことをしていない。悪いのは―――君の【雇い主】だからね」





「っ―――!?」





 ミチルが何かを言う前に、その身体が地面に叩き伏せられた。


 いつの間にかアンシュラオンが、うつ伏せになったミチルの首根っこを押さえている。



「せ、先生! 何をするんですか! その人は女の人ですよ!!」



 思わずシャイナが叫ぶ。


 いつもは女性に優しいアンシュラオンが、まさか女性相手にこんな手荒な真似をするとは思わなかったのだろう。


 意外を通り越して驚愕の表情を浮かべている。


 だが、アンシュラオンの顔色はまったく変わらない。依然として冷たい目のままだ。



「たしかにオレは女性には優しいつもりだ。女性を大切にできない社会は間違っていると思うからな。しかしそれはあくまで、オレに逆らわない女性に限られる。敵対行動をするやつに情けは必要ない」


「て、敵対行動…? その人は何も…」


「お前はこの女を知らないのか?」


「え…?」


「知らないようだな。まあいい」



 間抜けな顔でぼけっとしている。これは知らない顔である。


 シャイナに嘘発見器はいらない。その顔を見ればすぐにわかるからだ。



 ならば、こう言えばわかるだろう。



「こいつは【偽名】を使って近寄るようなやつだ。信用はできない」


「っ!」


「ぎ、偽名? その人が?」



 ミチルの身体が明らかに強張った。こちらも案外わかりやすい。



「ミチルという名前は偽名だな?」


「そ、そんな…わ、わたし…は……そんなこと…」


「ほぉ? 違うのか? なら、どんな言い訳を聞かせてくれるんだ?」


「言い訳じゃ…。わたしは……ミチル…です……うっ!」



 アンシュラオンが力を入れると、首がさらに圧迫される。


 ただ首を押さえられているだけなのに、それだけでまったく動けない。



「つまらないなぁ。もっと面白い言い訳をしてくれないと、こっちも興醒めだ」


「はっ、はっ、はっ! わ、わたし…わたしは…!」



 ミチルは緊張からか、明らかに過呼吸気味である。


 押し付けられているので、肺が圧迫されて苦しいのかもしれない。胸自体はあまり大きくないが。


 だが、それを緩めるつもりはない。さらに少しずつ強く押し付けて、相手に強い圧力をかけていく。


 この段階でミチルは悟ったはずだ。



 相手は自分よりも遥かに遥かに強いと。そして、迸る殺気は本物であると。



 さらに恐ろしいことに、自分を押し付けている人物は、ひどく嗜虐しぎゃく心に満ちている。相手を傷つけて楽しめる人間であることもわかるのだ。



 それが―――怖い。



「そんなに緊張するなよ。ああ、そうだ。ワインを飲めば少しはリラックスできるかな。ホロロさん、ワインをもらえるかな。コルクはそのままでいいよ」


「かしこまりました」



 ホロロがワインボトルを持ってくる。血の色をした赤いワインだ。


 これはブドウで作られているものではなく、このあたりでよく採れる「カフサベリー」と呼ばれる木の実から作られている。


 味としては酸味よりも、イチジクのような強い甘みを感じるタイプの酒である。


 そのボトルの先を指で弾くと、空手の瓶切りのようにスパッと切れた。ただ、わざと粗く切ったので、尖端は多少トゲトゲになっている。



 それを―――ミチルの口に突っ込む。



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