94話 「人を救う、それは血の雨が降るということ」


「ふー、世間ってのは世知辛いもんだな。じいさんよ」


「なんじゃ、いきなり」


「いや、いろいろと思うことがあってね…。世の中に綺麗なものは少ないなって思っていたんだよ。真っ黒ばかりだ」


「ふむ、お前さんでもそんなことを思うのじゃな」


「真っ白なオレから見れば、世の中が汚いのは当然だけどな。ほんと、誰もがオレみたいになれば世の中はよくなるのにな…」


「誰もがお前さんみたいになったら、わしの店は三日ももたんよ」



 アンシュラオンの周りには、すでに酒の空ボトルがいくつも置かれている。


 酒に溺れているわけではない。毎回十本から二十本のボトルを空けるのだ。


 酔わないから味だけを楽しむので、なおさら消費が激しい。ほぼジュースである。


 だが、やはり気分を味わうために酒を飲むので、普通のジュースでは満足できないというワガママっぷりである。


 連日来られた日には、あっという間に酒が底をつく。少しは遠慮してもらいたいものだ。




「世の中は汚い。だからオレは純粋なものを求めるのかもしれないな。…この子みたいにね。ああ、可愛いなぁ。綺麗だなぁ。黒いけど真っ白だよ。ナデナデ。あいつとは大違いだ」



 隣にいるサナは、相変わらず静かに周囲を観察している。


 その純粋な彼女の目に、世界はどう映っているのだろうか。せめて真っ黒でないことを祈るしかない。



 ここはパックンドックン。眉毛じいさんの店である。


 ここ最近は頻繁に入り浸っている酒場なので、もう完全に顔馴染みになってしまった。



 シャイナは、あれからも普通に診察所に通っている。



 笑顔を見せたり、時々不機嫌になったり、アンシュラオンのことを最低呼ばわりする態度も変わらない。


 だが、すでに実態を知ってしまった自分にとっては、それが痛々しく見える。



(あいつが中毒者に反応していたのは、自分がその片棒を担いでいるからだろう。だが、一方でオレに対しては治せと迫ってくる。あの様子だと本気でそう言っているっぽいな。ならば、かなりの罪悪感を抱いているんだろう。馬鹿なやつだ。だったらやめればいいものを。オレの言うことをまったく理解していないな)



 常々『やらない』という選択肢を見せ付けているのに、シャイナはまったく理解しない。


 嫌々薬の売人をやって、苦しんで、やめたいけどやめられない。まさに中毒者と同じ状況である。


 彼女のあの反応は、自分自身を重ねて見ていたのかもしれない。



―――「そんな力があるなら、助けてくれてもいいじゃないですか! 助けて! 私も助けてくださいよ!」



 と言っているようにさえ聴こえる。


 どう考えても自分勝手な都合のよい言葉だが、それが弱者の限界なのかもしれない。


 誰もがアンシュラオンのように強いわけではない。腕力ではなく、その精神力が、だ。



 一説によれば、武人は心の強い人間がなるという。武人になるから心が強くなるわけではないのだ。


 武人に相応しい精神力を持つ魂が、自分に必要な肉体因子を求めて両親を選ぶ。自分の精神に相応しい肉体を得るのだ。


 シャイナは普通の人間である。そうであるのは心が弱いせいなのかもしれない。


 そう考えると、たしかに哀れだ。



(シャイナ…か。べつに何とも思っていなかったけどな。怪しいと思っていたから立ち入らないようにしていたし、相手も中途半端な距離だったし。そのうち尻尾を見せたら問い詰めるくらいはしただろうけど、それだけの関係だった。だが…こうもショックを受けるとは【犬】に情が移ったかな)



 アンシュラオンにとって、シャイナは犬のような存在である。


 笑ったり怒ったり、跳ねたり転んだり、見ているこっちが呆れるようなことをしでかす女だ。見ていると楽しいが、当然ながらそこに深い感情はなかった。


 アンシュラオンがスレイブにしようと思っているのは、従順な女である。


 ギアスで縛ることもできるが、基本的には従順であったほうがよい。ホロロのような人材ならば文句なしだ。


 だからこそシャイナのことは気にもかけていなかったが、一緒に働けば犬にも情が移るらしい。



 何よりも―――【似合わない】。



 シャイナのあの姿が、どうしても似合わないと思ってしまう。生来持っている美しさがまったく表現されない生き方である。


 金色の髪、青い瞳、太陽の下でこそもっとも輝くものが、暗くて深い闇の中に埋没していく勿体なさを感じる。


 素材はよいのに、世間の荒波に呑まれて消えていくアイドルと同じである。


 環境さえ整えてあげれば輝くのに。そう思えてならない。



(しょうがない。助けるか。あいつは素直じゃないから、助けてやっても文句を言いそうだけどな。だが、あいつは『人を救う』って意味を理解していない。そいつを救う代わりに、それだけ犠牲になるやつがいるってことをな)



 サナとて簡単に手に入れたわけではない。この子一人を救うために、どれだけの犠牲が出たか。


 下手をすれば、今頃は領主城自体が消えてなくなっていた可能性もある。たった一人のために、それだけの犠牲が出る可能性があるのだ。


 しかも今回の相手は麻薬絡み。どう考えても裏の組織が相手となる。犠牲は相当なものになるだろう。



(あいつはそれを背負うだけの覚悟があるかな? いや、一度救うと決めたら責任を負うのはオレだな。やるならば、サナに危険が及ばないためにも…【皆殺し】だ)



 情報によっては柔軟に対応するが、基本路線は皆殺し。裏組織を相手取る時の基本である。


 禍根を残すと後で痛い目に遭う。ならば、一人残らず抹殺する。それが一番安全である。



 覚悟を―――決める。




「じいさん、このあたりの麻薬は誰が仕切っている?」


「いきなりとんでもない話題を振ってきたの」


「長くここで商売をやっているんだ。知っているだろう?」


「うむ…知っているが、あまり大声では言えんな」


「なら、小声で言いなよ。治療してやった恩を忘れたのか?」


「それは会員権で返したはずじゃがな」


「これからもケアして長生きさせてやる。店の女の子の性病も無料で治療してやるから、早く教えてくれ」


「だからそういう店ではないと言っておるじゃろうに…。しかしまあ、お前さんにしては大盤振る舞いじゃな。何があった?」


「うちの子犬が処分される前に助けようと思ってさ。余計なおせっかいかもしれないけど、見捨てるのも気分が悪い。一度拾った以上、面倒はみないとな」


「…そうか。なるほどな」



 眉毛じいさんは、それだけで事情を悟ったようだ。伊達に長生きはしていないようだ。


 そして、じいさんも覚悟を決める。


 どのみち目の前の少年がいなければ死ぬはずだったのだ。このふしだらな男が、自分から人助けをするというのならば、多少の手助けくらいはしてもいいだろう。



「このあたりの麻薬を取り扱っているのは、【ソイドファミリー】という連中じゃ」


「ソイド…。もしかして、ソイド商会ってところ?」


「なんじゃ、知っておるのか」


「夜に工場が動いているから変だと思っただけだよ。詳しくは知らない」


「そのソイド商会ってのが、ソイドファミリーが隠れ蓑にしておる商会じゃ。ただし、中身はマフィアのようなもんじゃがな」


「そいつらが麻薬を流しているのか。いつからやっている?」


「麻薬そのものは昔からあるよ。ここいらじゃ、普通の薬と同じように扱われていたものじゃ。医者自体が少ないからの。どうしても頼るしかない」



 アンシュラオンが想像していたように、グラス・ギースに限らず、このあたりでは痛み止めとして利用されることが多いようだ。


 どうせ死ぬなら痛みが少ないほうがいい。そう思うのは自然なことだろう。



「しかし、最近は流通が減っておるようじゃ」


「そうなの? どうして?」


「…お前さんがそれを言うのか? 身に覚えくらいあるじゃろう」



 そこでアンシュラオンは、はっと重大な事実に気がつく。



「もしかして…オレのせい? オレが治してるから?」


「その通りじゃ。かくいうわしも、一時期は麻薬を少し使っておったよ。じゃが、それでは意味がないと思っての。すぐにやめたわ。今にして思えば大正解じゃ。治せる医者が出てきたのじゃからな」



(当然だが、元気になれば麻薬はいらない。そうなれば売り上げは下がるか。実に簡単な理屈だな)



 アンシュラオンにその気はまったくないが、多くの末期患者を治したせいで、結果的に麻薬の販売量が落ちているとのことだ。


 そうなればソイドファミリーにとっては大きな痛手となる。むしろ最悪だろう。


 だからこそ一つ、納得できたこともある。



「オレの周りを嗅ぎ回っているやつらがいるのは、そのせいか」


「そうじゃろうな。商売敵じゃからな。それ以前に良い腕の医者ならば、単純にどの時代でも狙われるものじゃよ。抱え込めば大きな利益になる。脅しても…な」


「じいさんも気がついていたか」


「わしの店で暴れるような輩は、あまりおらん。こう見えても昔は、ブイブイ言わせておったからの」


「ブイブイって…また古い表現をするな」



 眉毛じいさんも昔は、若い衆を引き連れるような『やんちゃ者』だったようだ。



「最近は、歯止めが利かなくなっておるようじゃな。この都市も荒れてきたもんじゃ」


「じゃあ、潰してもいいんだ」


「もしそうなるのならば、それもまた時代の流れ。古きものは崩れ、新しいものが生まれるだけじゃな」


「そうか…。だが、子犬とのつながりがわからない。どうなっているんだ?」


「いい女にはいろいろと事情があるってのは、昔からの相場じゃよ」


「あいつがいい女になるには、まだ十年はかかるよ」


「ほっほっほ、手厳しいの。今でも十分いい女じゃがな」


「じいさんは年食っているくせに、ギャルが好きだからな。微妙に趣味が合わないよ」


「むしろ被っていたほうが面倒くさかろうて。…そういえばニャンプルが、ソイドファミリーの幹部と知り合いだった気がするぞ?」


「本当か?」


「たまに店に遊びに来て、あの子を指名するだけじゃよ。店がどうこうではなく、あの子が気に入っているようじゃ」


「どんなやつ?」


「わしも店にずっといるわけではないが…痩せた男じゃな。何度か見たことがある」



(これは面白い情報だな。利用する価値はありそうだ。…今の状況はあまりよくないからな)



 今はなかなか複雑な状況になっている。


 これでシャイナ(犬)がいなければ少しはすっきりするが、あれのせいで問題がややこしくなっているのだ。



(一度あいつを問い詰めないといけないな。事情を知らないと動きようがない。しかし、その間に相手が動かないとも限らない。手遅れになったら困る。それを防ぎつつ、まずは相手を油断させる必要がある)



 今の状況は危うい。特にシャイナは自分の危なさを理解していない。


 知っているのかもしれないが、本当の意味で理解はできていないだろう。


 ならば、まずは相手に餌をぶら下げる必要がある。



 自分が被っている仮面―――【ホワイト医師】という名の餌を。



「じいさん、ニャンプルちゃんにやつらとの仲介を頼めるかな?」


「ううむ…それは…。わしから言っておいてなんじゃが、大丈夫か?」


「危ない真似はさせないよ。ただ、相手側に伝えてもらうだけでいい。こっちに争う意思はないってね」



 こうすれば相手は必ず食いつく。それによって動きが制限できる。


 しかし、それはこちらも同じことだ。



「相手は必ず医療行為に制限を設けようとしてくるぞ。よいのか?」


「いいんじゃない? 医者に未練があるわけじゃないしね。じいさんの面倒は今後もみるから安心しなよ」


「ふむ、惜しいの。お前さんなら本当の意味で、世の中を救えるかもしれんのにな…」


「それはオレがやるんじゃないよ。各人が自分の責任をまっとうする中で生まれるんだ。自分で自分を救うのさ」


「まったくもってその通りじゃな。反論もできんわい」




 その夜は、じいさんと一緒に飲み明かした。


 じいさんはすぐに潰れてしまったが、アンシュラオンは寝ているサナを優しく撫でながら、一人酒を飲む。



(まったく、手のかかる犬だ。あのワンコロには、ちゃんとツケを支払わせてやるからな。それとソイドファミリーにも代償を支払わせてやろう。オレたちにちょっかいを出したんだ。覚悟しておけ。全部むしり取ってやる。くくく)



 白い魔人が動き出せば、そこには血の雨が降る。静かな夜は、しばらくお預けである。


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