93話 「闇の中の子犬」


 労働者であるシャイナは、上級街の宿で寝泊りをしている。


 南西の商業街と北西の工業街の中間のスペースに労働者専用の安宿があり、一日数百円という格安の値段で泊まれるのだ。


 労働者はいつ辞めるかわからないので、宿代は日払いかつ、部屋自体もあまり質が良いものとはいえない安っぽい造りのワンルームだ。


 それでも何人かで共同生活する宿よりはましで、個人のプライバシーが確保できるだけ御の字といったところだろうか。



 一度宿に戻ったシャイナは、隠してあった金庫を確かめる。



 安宿なので空き巣が入る危険性もあるため、これを確認する時は心臓がドキドキするものだ。



 金庫は―――あった。



 とりあえず今日も無事だったことを喜ぶだけである。


 その中には今まで貯めたお金、主にホワイト診察所で働いて貯めた賃金が入っている。



 額は―――およそ百万円。



 下級市民でもない労働者が持つには高額な貯金である。


 仮にこの金を都市に寄付すれば、それだけで下級市民の資格がもらえるくらいの額だ。


 市民権はポイント制とは謳っているが、モヒカンのように金で買うこともできるのだ。個人都市なんて、そんなものである。



(先生には感謝しないと…。こんなお金、普通に働いていたら絶対に貯まらない)



 普通に生活していてもこれだけ貯まるのだから、いかにホワイトが太っ腹なのかがわかる。


 もしシャイナが違う場所で働くとすれば、やはり一ヶ月で四万くらいが関の山だろう。ホワイトが通っている酒場のホステスのように、多少身体を張ればもう少しいくだろうが、それは精神的に無理である。


 たかだかあの程度の仕事量でこれだけの金をくれるホワイトは、それだけ見れば仏のような人物である。


 それだけを見れば、だが。



(あのセクハラと強欲な性格さえなければだけど…)



 セクハラと性格の悪さをなくすと、それはもうアンシュラオンではないので仕方がない。


 いつの時代も英雄とは、横暴で自分勝手なものである。彼の目標が三国志で魏の上に立っていた感じの人なので、横暴なのはむしろ良いことなのだ。



「…行こう」



 シャイナはその金を手に取ると。ポシェットの中に入れ、さらにシャツで覆って隠す。


 これから行く場所のことを考えると心もとないが、強盗に遭えばどのみち抵抗できないので同じことだ。



 シャイナは安宿の扉を開けて、何度か周囲を見回して警戒をしながら、そっと闇の中に消えていった。


 現在、時間は夜の十時過ぎ。


 いくら城塞都市かつ比較的安全な上級街とはいえ、水商売以外の女性が軽々と外に出てよい時間帯ではない。


 そんな中、あえて出かけるのだから、それなりの理由があってしかるべきである。




 そして、そんな彼女に目を付けた野獣がいた。


 ギラギラと光る赤い瞳を闇に忍ばせ、舐めるように観察している。


 特に胸を凝視しているので、きっと「舐め回してやりたい」とでも思っているのだろう。まさに変態である。



 その獣は思った。



(シャイナのやつ、あんな薄着で出おって。胸を触ってくれと誘っているようなものじゃないか。けしからんやつだ! ついに本性を現したな! 色女め!)



 申し訳ないが、誰もがこの男とは同じ思考はしていない。


 薄着だからといってそんな解釈をされたら、世の女性たちは水着にもなれない。非常に迷惑な思考である。


 当然、こんな馬鹿なことを考えるのはこの男、ホワイトことアンシュラオンしかいない。


 その隣にはサナもいる。二人とも仮面はしたままだ。



「サナ、ごめんな。眠いだろうが、もう少し付き合ってくれ」


「…こくり」


「だが、オレたちの未来のためだ。それにこれも一つのイベントだと思えば面白い。ホテルと医者だけの暮らしも退屈だしな」



 平穏な日々を求めているが、そこはアンシュラオンも男である。ある程度刺激のあるイベントを求めている。



 そこで白羽の矢が立ったのが―――シャイナ。



 べつに彼女を尾行して楽しんでいるわけではない。それだったら本物の変態かつ犯罪者である。


 これには、れっきとした理由があるのだ。



「シャイナは怪しい。サナもそう思うだろう?」


「…こくり。ぎゅっ」


「そうだろう、そうだろう。怪しいよな」



 サナが拳まで握って頷く。相当怪しい証拠だ。


 サナにまで疑われていると知ったら彼女もショックを受けるだろうが、怪しいものは仕方がない。



 彼女を疑う理由はいくつかある。


 まず、得体の知れない仮面の医者に近づいたこと。今まで雇ってほしいと直談判に来たのは彼女だけである。


 そう、彼女を雇ったのはアンシュラオンからではない。相手からやってきたのだから疑わないほうがおかしいだろう。


 もう一つは金を使わないこと。若い女があれだけ稼げば、誘惑に負けてもっと遊んでもいいはずだ。


 単に将来の夢のために貯めている可能性もあるが、それならばはっきりと言ってもいいはずだ。言い淀む理由はない。そこに後ろめたい何かがあるのだろう。



 もう一つは―――【目】。



 彼女の視線である。



(あの目…。あいつの目が気に入らん。オレを見る時の目がな)



 シャイナはアンシュラオンを見るときに、さまざまな感情が入り混じった視線を向ける。


 それが彼女自身がいつも言っている軽蔑の感情ならまだいいが、含まれているのはそれだけではない。悔しさや嫉妬、羨望、それ以上の何か暗いものが隠れている。


 見た目や振る舞いが明るいから常人にはわかりにくいが、闇をよく知っているアンシュラオンにはわかるのだ。



 あの女はただの表側の人間ではない、と。



 そんな素性の知れない人間が近づいてきたのだ。サナの安全のためにも、そのまま黙って見過ごすわけにはいかない。


 よって、尾行の開始である。シャイナの正体を突き止めるのだ。



 今日を選んだことにも理由はある。


 シャイナは時々、様子がおかしい日がある。勤勉な彼女は仕事が好きなので、働く時はいつだって楽しそうにしている。


 それが、妙に疲れているような、ヒステリックな時がある。今日もそうだ。あんなに突っかかってくるのは異常である。


 アンシュラオンはそれが何かを知っていた。



(人間は、自分に不安があると他人に八つ当たりするものだ。なんやかんや言いがかりをつけて、自分の不安を他人のせいにするんだ。まったくもって迷惑だが、不安の裏返しというやつだな。わかりやすいやつめ。所詮凡人だな)



 人間の心理を学べば、さして難しい推測ではない。人間は余裕がなくなると自分のことで精一杯になるので、そうした防衛行動に出てしまうのだ。


 本当はそれを知っていれば「まあ、彼女も大変だな」程度で済ますのが大人の対応だが、この男は人間が出来ていない。


 徹底的にシャイナの弱味を握り、そこを追及してやろうかとも考えていた。うるさい時に黙らせたり、セクハラをする口実にするためだ。


 最低の上司であるが、毎度あの調子ではこちらもいい気分ではないのも事実である。


 あんなにわかりやすい態度に出たのだ。今日は何かがあると確信していた。ここはぜひとも調べておくべきだろう。






 シャイナはさらに工業街のほうに移動していく。


 人目につかないように顔を隠しながら歩くので、なんとなく商売女のようにさえ見えてくる。こんな夜道を一人で歩いていたら勘違いされそうだ。


 上級街の北西にあるこの工業街は、都市の中心部でもある。都市で流通する自前の生産品は、すべてここで作られているからだ。


 下級街あたりに工場を作ったほうが利便性は高く、実際に下町にも工場はあるものの、仮に西門が閉じられた場合に篭城できるように、食品類の生産はすべてここで行われている。


 六割以上を輸入でまかなっているが、上級街だけに限定すれば、ここでの生産量だけで数ヶ月は楽々生きながらえることができるだろう。



 その工業街の灯りは、すでに落とされている。



 ジュエル文明も電気と同じく、節約できるところはしなくてはならないので、明るい昼間に行動したほうが灯りのジュエルを消耗しないで済む。


 あえて夜に働く必要性はないため、工場の稼働時間は主に昼間である。この時間に輝くのは歓楽街のほうだ。



(ひと気がないところに進んでいるな。危ないやつめ)



 シャイナは武人ではないので戦闘力は皆無である。患者が暴れても武器がないと対応できないくらい弱い。


 そんな彼女が歩くには、ここはあまりに危険な場所だろう。いきなり痴漢が飛び出しても不思議ではないほどの暗闇である。


 それはそれで楽しいのでちょっと期待するも、結局出なかった。残念である。



(おっ、きょろきょろしているぞ。丸見えだが…あれで警戒しているつもりか? 酷いな。動物園の猿みたいだ)



 アンシュラオンからすれば、完全ド素人の警戒ぶりだが、あれでも一応がんばっているようだ。



 すると、シャイナに異変があった。



 周囲に人がいないことを確認すると、するっと「とある工場」の裏側に入っていき、そのまま裏口から中に入っていった。



(工場に入ったな。…何の工場だ?)



 みんな似たような外観をしているので、何の工場かまではわからない。


 目を強化して周囲を探っていくと、建物の一部に貼られた看板を見つけた。



(『ソイド商会管理工場。関係者以外立ち入り禁止』…か。商会が所有する工場ってことか? 商会…商会…。そういえば、モヒカンも商会とか言っていたな)



 単純に企業・会社のことを、ここでは商会と呼ぶにすぎない。


 モヒカンの八百人もスレイブ商会の一部であるので、立派な商会である。商会になると銃を持てると言っていたのを思い出す。



(スレイブ商会なんて思いきり真っ黒だけど、ああやって表通りに店を構えている。このソイド商会だって、まともな商会とは限らないな。どうする? 中に入るか? うーん、サナもいるし面倒だな。波動円で調べるか)



 侵入しようかとも思ったが、そこまでは面倒に感じたので波動円で済ませる。


 中の状況がわからないとサナに危険が及ぶ可能性があるからだ。


 波動円はガンプドルフに看破されてから少し控えていたが、それほどの武人がいるのならば、それこそ真っ黒に違いない。逆に知っておくべきだろう。



 波動円を展開。



 工場全域を覆っていくにつれて、少しずつ中の状況がわかってくる。



 最初に言うと、工場は生きていた。



 こんな真夜中にもかかわらず、一部が稼働中である。その段階で怪しさ満載だ。



(中で何人か作業を行っているな。おっ、シャイナの気配を発見したぞ。…緊張しているのか? 呼吸が不安定だな。…誰かと接触している。相手は…男!! あいつめ、まさか男と密会か? まったく、とんだ売女だぜ!!)



 と罵っているが、中ではそういった類のことは行われていない。勝手な妄想である。


 シャイナは男と会って何かを渡し、同じように何かを受け取った。その様子が3D画像のように脳内に鮮明に投影される。


 触覚で受け取った情報を、脳内で実際の映像として変換しているのだ。



(あの形状と感覚からして…紙のようなもの。渡したのは間違いなく【金】だな。そして、受け取ったのは…ケースか? 中身は何だ? いくつかに分かれた丸いもの…? なんだこれ? おっ、出てくるぞ。って、何を被ってんだ?)



 シャイナが工場裏から、こそこそ出てきたのはいい。最初からこそこそしていたので、そこに何ら問題はない。


 が、なにやらマスクのようなものを被っている。


 いわゆる覆面というやつであり、銀行強盗が使いそうなものだ。その覆面の上から帽子を被っているので、さらに怪しい人である。



(あいつ! 人のことを怪しげに見ていたわりに、お前のほうがよほど怪しいじゃねえか! くそっ、写真を撮っておきたいくらいだ。あとで笑いものにしてやるのに!)



 仮面を被っているアンシュラオンを訝しげに見ていたくせに、今のシャイナのほうが百倍怪しいやつだ。


 いや、そこまではいかない。やっぱりアンシュラオンも怪しいので、お互い様だ。





 それからさらに尾行を継続。


 シャイナは今度は歓楽街のほうに向かう。表通りではなく裏道を通って、より人通りの少ない道を選んで移動していく。



 そして、高級酒場が居並ぶ裏路地で止まった。



(ん? 眉毛じいさんの店があるエリアだな。止まったのは違う店だが…)



 その間もシャイナは挙動不審な様子で周囲をちらちら見ている。



 すると、何人かの男が彼女に接触してきた。



 一分か二分話し込み、会話が終わる。



 男は金を渡し、代わりにシャイナが―――【白い粉】を渡す。



 ケースの中に入っていたパックに詰まった白い粉を男に渡し、また何やら話したあとに別れる。


 その間、シャイナの心拍数は相当上がっており、激しく緊張していたことがうかがえた。


 個人的には、あんな怪しいシャイナと出会う相手のほうが心拍数が上がりそうだと思うが、相手はあまり気にしていなかったようである。慣れているようだ。



 しかしながらこれは―――あまりに危ない。



(おいおい、完全にヤバイシーンじゃないか。映画とか警察特番とかでよく見るやつだよ、これ。シャイナのやつ…ヤバイ仕事に手を付けてやがる。いつも人のことを最低とか言いながら、あいつこそ最低じゃないか)



 もしあれが【例のブツ】ならば、最低と名高いアンシュラオンより最低であることを証明してしまうだろう。


 それからしばらく見ていると、見覚えのある男女がやってきた。


 さきほどの男と同じように、シャイナに接触して白い粉をもらっている。



(あいつは昼間来た麻薬中毒のやつじゃないか。隣の女は付き添いのやつだ。…やっぱりあれは麻薬か。落ちぶれたやつは落ちぶれたまま…か。厳しい現実だな。だが、あんなやつらよりシャイナのほうが問題だ。あいつめ…落ちるところまで落ちたな。これなら中毒者になっていたほうがまだましだったよ)



 少しだけ残念である。


 自分が最低なのはよいが、シャイナには手を汚してほしくなかったという思いもあるからだ。


 それこそ彼女がアンシュラオンに求めるのと同じく、まさに自分勝手な意見や感情なのだが、シャイナの笑顔も知っている自分としては、やはり残念と言うしかない。



(さて、これはどうしたものかな。さっぱり状況が掴めんな。シャイナのこともあるし、あっちの件もある。二つはつながっているのか? だとしたら、そろそろこっちも動くべきかな)



 麻薬を売り続けるシャイナを少し寂しそうな目で見ながら、アンシュラオンとサナは闇に消えていった。


 そろそろ動く時が来たのかもしれないと感じながら。


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