91話 「シャイナ、吠える 前編」


 それからまた一週間ほどの時間が過ぎた。


 その間、特に変わったことはなく、アンシュラオンもホテル暮らしと医者の生活を続けているだけである。



 極めて平和。



 それが今の状況を示す、もっとも適切な言葉であろう。


 妹になったサナと一緒に静かに暮らす。それこそアンシュラオンが望んでいたことでもある。


 付け加えれば、さらに大勢の「従順な」女性スレイブを手にすることも目的だが、サナという極上の逸品を手にしたのだから、今はまだお腹が一杯という感じである。


 アンシュラオンは一度気に入ったものは、どんなことがあっても愛でる主義だ。けっして見放すこともしないし、最後まで面倒をみる。


 大雑把で飽きやすい性格も、それはあくまで「どうでもいいもの」限定だ。サナは一目惚れで手に入れたので、今後何があっても飽きることはないだろう。


 その大切なサナを立派に育てるという目標もできたため、慌ててスレイブを集めることもない。このまましばらく静かに暮らすことも悪くない。


 なにせ今は、どんな病気でも治せるホワイト医師として、上級街のみならずグラス・ギース全域にも噂が広がりつつある有名な人物なのだ。


 黙っていても患者はやってくる。


 当人が面倒だと思っていても、金のためには働くしかないのだ。



「次の方、どうぞー」



 今日もシャイナが次の患者を呼び入れる。



「面倒くさいな…」



 ついつい本音が漏れてしまう。


 目的が金だけなので、仕事に対してまったく愛着がない。せいぜい女性にセクハラするくらいが楽しみで、それ以外は嫌々やっているのだ。


 普通、仕事は楽しくやるものである。金だけに囚われたら毎日がつまらないに決まっているが、本当に金だけが目的なので仕方ないことだ。



(おっと、いかん。口うるさいやつがいるからな…迂闊なことは言えん)



 こんなことを言ったら、絶対にシャイナの小言が炸裂するに違いないのだ。


 「最低」だの「人でなし」だの好き放題罵ってくるからたちが悪い。




 それに備え、身構えるが―――来ない。




 まるで肩透かしをくらったかのように、何も起こらない。



(ん? 来ないぞ…? 何かあったか?)



 いつもの小言が来ないので、アンシュラオンが怪訝そうにシャイナを観察する。



 見ると、彼女は外を見て動きを止めていた。



 何もしないで、ぼけっと突っ立っている。いつもキビキビ動く彼女にしては、あまりに珍しい光景である。



「どうした、シャイナ。生理か?」



 日本なら確実にアウトの台詞である。即刻セクハラとして訴えられるだろう。


 日本だけにとどまらず、シャイナならば必ず「セクハラですよ!」と怒るに違いない。それがわかっていてあえて言うのだから、アンシュラオンは性格が悪い。


 されど、そんな軽口にも反応しない。



「おい、どうした? 反応がないぞ? …むっ、これはチャンスだ。下も触っておこう」



 動かないシャイナをいいことに、アンシュラオンが股間に手を伸ばす。


 ぐいっと遠慮なく手を突き入れた瞬間―――



「って、何してんですかーーーーー!!」



 バコンッ!


 覗き撃退用のバットで殴られた。酷い。


 しかも改良済みの木製釘バットになっているので威力が増大している。一般人だったら大怪我だ。



「怪我をしたらどうする」


「そんな仮面を被っているんです。しないですよ」


「その言葉は何だ! オレは雇い主だぞ! つまりはお前の股間を触る権利があるということだ!!」


「全然関係ないじゃないですか! それだったら私にも自分を守る権利がありますよ!」


「そんなものはない!」


「ありますって!!!」


「ちっ、しぶとい。騙されなかったか」


「当たり前です! どういう理屈ですか!」



 基本的にアンシュラオンの理屈に理由はないので、それはもう理屈ではない。単なる欲望である。



「それで、どうした? また覗きか?」


「…い、いえ。違います」


「じゃあ、どうして突っ立っている?」


「な、何でもありません!」


「ん? まあいい。さっさと次のやつを入れてくれ。面倒くさいから早く終わらせたいんだ」


「…わかりました。次の方、どうぞ」



(面倒くさいって言っても反応しなかったな。珍しいこともあるもんだ。やっぱり生理だな)



 そんなことを思いつつ患者を待つと、女性に連れられて一人の男が入ってきた。


 それだけならばいつもと同じだが、その男は頬骨が浮き出るくらいに痩せこけており、明らかに普通ではない様子が見て取れる。


 そのぎょろっとした目でアンシュラオンを見て―――



「餅はよくて、どうしてコンニャクゼリーは駄目なんだ!!!」


「…は?」


「俺は言いたい! 美談を求めるクソどもの料理に、思いきりハチミツをぶっかけてやると!! 甘くしてやると!!」


「…え?」


「ファンタスティック! サンタはいる!!! たまに交通事故に遭う!!」




 この瞬間、アンシュラオン思った。




(これは危ないやつだ)



 時々街で大声で叫ぶやつがいるが、完全に危ない人の兆候である。


 さすがのアンシュラオンも、そういうタイプには近寄りたくないので距離を取っている。


 この横暴な人間でさえ近寄らないというのは、ある意味において最強の自衛力を有しているともいえるが。



「じゃあ、お帰りください」


「ま、待ってください! 違うんです!」



 男の代わりに随伴した四十代くらいの女性が口を開く。



「違くないです。もう駄目です。終了のゴングが聴こえました」


「先生、患者さんですよ! おかしいのは当然です!」


「その言い方もどうかと思うけどな」



 シャイナの発言もどうかと思うが、ここは診察所なので病気の人間がやってくる場所だ。


 たしかにおかしいのがスタンダードである。それはそれで嫌だが。


 仕方なく、本当に仕方なく対応することにする。



「この人をどうか助けてやってください!」


「明らかに異常な状態ですね。どうしました?」


「それはその…いろいろとありすぎて…何から言えばいいか…」


「その人、薬物中毒ですね」


「っ…」



 その言葉を出すと、女性は一瞬ビクっと身体を震わせた。どうやら当たりのようだ。



「大丈夫ですよ。うちはブラックなんでね。余計な詮索はしません」


「そ、そうですか。ありがとうございます!」


「しかし、けっこう末期ですね。挙動不審ってのは、まさにこのことですよ。完全な薬物中毒の症状ですね」



 この世界では薬物中毒になると、なぜかこうして叫ぶようになるらしい。普段不満に思っていることや気になっていることを遠慮なく言ってしまうのだ。


 いつもなら他者とのコミュニケーションを取るために自制心が働くのだが、それが薬で失われることによって、そうした言動になるのだと思われる。


 見ている分には面白いので見世物にはちょうどいいのだが、さすがに関係者の女性の前でそんな態度は取れない。自重することにした。



「実は…安い麻薬をやりすぎてしまって…今ではもう手が付けられないんです」


「ほぉ、安い麻薬…【コッコシ】ですか?」


「は、はい。ご存知でしたか…」


「最近、多いですからね。コッコシ粉、コーシン粉、このあたりの中毒者が増えています。もう見慣れました」



 アンシュラオンが珍しがらないのは、すでに何人も中毒患者を見てきたからだ。


 ここ一週間で八人くらいは治療しただろうか。すでに見慣れてしまった毎日の光景の一つにすぎない。


 麻薬の一つに、コッコシ粉というものがある。いわゆる普通の覚せい剤に近いものなのだが、いかんせん質が悪いので劣等麻薬として認定されている。


 非常に安く手に入り快楽成分も多く含まれているので、手軽に楽しめると評判だ。ただ、それだけ依存性も高く、一度はまると抜けられなくなる。


 その一つ上にランク付けされる三等麻薬の「コーシン粉」も、同じく中毒者が増えている薬物である。



(どこの世界にも麻薬なんてものはあるんだよな。まあ、医療環境が整っていないんだからしょうがないか)



 地球でも、満足な治療を受けられない地域に住んでいる者たちは、麻薬を医療薬代わりに使うことが多い。


 それがちゃんと調整して打つ医療麻薬ならば問題ないが、普通の麻薬だと中毒になって依存症になる。極めて当たり前のことだ。


 だが、彼らだけを責めることはできない。環境が悪すぎるのだ。


 このグラス・ギースにおいても麻薬は存在し、あまり問題視されてはいないが、確実に社会を蝕んできている。閉鎖された空間では、どうしてもこうした問題が発生してしまうのだろう。



 ちなみにアンシュラオンに普通の麻薬は効果がない。酒と同じく、代謝によって一瞬で正常化されてしまうからだ。


 武人ならば肉体の統御と精神操作で痛みを消すことができるので、鎮静剤そのものが必要ではない。


 ただ、まったく効かないというわけではなく、「アルビオン」という武人用に調合された麻薬、覚せい剤も存在する。


 しかしそれは、戦闘に使うものだ。


 意識を失いそうになるのを防ぐために使用するので、気付け薬としての意味合いが強く、痛みを消したり快楽を得るためのものではない。


 もともと武人にとっては戦闘こそが快楽なので、その必要もないわけだ。快楽が欲しいなら、そこらの生物、魔獣あたりを殺せばいいのだから。



「せ、先生! 治りますでしょうか!?」


「治りますよ」


「ほ、本当ですか!?」


「ただし、私が治せるのは身体的なものだけです。この人の精神までは治せません。身体がすっきりしても、またやったら同じです。それは理解できますね?」


「…は、はい。わかっています」


「それに加えて、中毒症状を治す場合はすべての細胞を洗浄しますから、値段も高くなります」


「お、おいくらほどですか?」


「まっ、五十万円といったところでしょうか」


「そ、それは……」


「高いですか?」


「………」



 はっきり言えば毒の治療と同じであるが、ここまで汚染されていると全身を洗い流す必要がある。


 それを行うには【命気水槽】という技が必要だ。前にサナが倒れた時にやった完全洗浄である。


 これをやればいかなる怪我も病気も、中毒さえも治すことができる。



 が、面倒くさい。



(命気水槽は面倒なんだよな。時間かかるし疲れるし、あまりやりたくないな)



 好みの女性なら喜んでやったところだが、患者は男である。やる気が相当減退しているので正規料金の五十万を請求する。


 五倍で計算すれば、日本円では約二百五十万円。


 ブラックな医者に頼むのであれば安いほうだろうが、一般人が軽々出せるものではない。


 目の前の男女も裕福そうではないので、五十万は相当な大金に違いない。



「お金以外でもいいですけど…他に対価になりそうなものはお持ちですか? 家でも土地でもジュエルでも、相当するものならば何でもいいですよ」


「…申し訳ありません。たぶん、無理です」


「そうですか。金がないならしょうがないですね。金もない、物もない、麻薬に抵抗する精神力もない。どうしようもない男です。見捨てるのが一番でしょう。では診察は終わりです」


「せ、先生…どうか…どうか……」


「諦めてください。そのほうが楽になりますよ」



 アンシュラオンは診察を終える。自分にできることは何もないと判断したからだ。



(麻薬に溺れるとは…愚かなことだ。ここにはそんな知識もないのか? あんな領主が統治しているようじゃ危ういな。そのうち中毒者で溢れかえりそうだ。まあ、儲かるからいいか)



 中毒者が増えたところで、アンシュラオンにはあまり関係がない。この都市が荒んでいくが、そもそも領主が嫌いなのでどうなろうと知ったことではないのだ。


 自分とサナに関係がなければ極力関わりを持たない。それもまたアンシュラオンの判断である。



 女性はうな垂れて、外に出て行こうとする。


 アンシュラオンからすれば、さっさと見捨てればいいと思うのだが、それもまた相手の自由である。



 が、それを―――シャイナが止めた。




「先生、それはないんじゃないですか!?」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます