81話 「サナと契約 後編『サナを守る愛の光となって』」


 ただ泣くのではない。泣きじゃくって慟哭している。嘆いている。


 手を大地に叩きつけて叫んでいる。


 刀を投げ捨て、喚いている。こんなものが何の役に立つのかと。


 希望は失われた。消えてしまった。


 すべては終わったのだと泣いている。



(泣いて…いる? サナが?)



 今のアンシュラオンには、まったく想像できない状況だ。


 あの無表情のサナが、こんなにも感情豊かに叫び、泣いているなどイメージの範疇を超えている。まるで他人を見ているかのような印象である。


 しかし、サナなのは間違いない。



 なぜならば胸には―――ペンダントがあるから。



 特徴的な銀色のペンダントの中に青く輝くジュエルが見えた。それは紛れもなく、今目の前にあるもの。


 ジュエルに大きなヒビが入っており、明滅も弱々しいが、ペンダントは一緒に買ったものだ。見間違えるはずがない。


 ならば、あれはサナなのだ。間違いなくサナなのだ。


 サナ・パムと呼ばれた少女であり、これからアンシュラオンの妹になる女性なのだ。


 そのサナが泣いている。心の奥底から泣いている。その光景は、見る者の心を激しく打ちつけるものであった。




 アンシュラオンも思わず―――涙を流す。




 サナの気持ちが伝わってきたから。こんなにも克明に伝わってきたから。


 失ってしまったものの大切さに気がついて、心が張り裂けんばかりに痛むから。


 そう、それこそが哀しみ。



(サナ、どうした? 哀しいのか? そう、そうだ。それが哀しみだぞ。人はな、哀しい時に泣くんだ。自分の存在すべてを吐き出して泣くんだ。今まで必死でやってきたことがあるから泣くんだ。幸せだったから泣くんだ)



 哀しみを知らない人間は強くはなれない。


 どんな力を持っていても本物にはなれない。



 失ったから―――それが幸せだったと気がつく。



 何気ない日常の大切さを思い知る。だからこそ日々を懸命に生きるようになる。激しく強く、それでいて優しく、世の無常さえも達観できる人生を送れるようになる。


 アンシュラオンもまた、過去の人生で多くの哀しみを体験し、そのたびに強くなってきた。


 初めてペットが死んだ日、親が死んだ日、誰かが死んだ日、寂しくて泣いた。失ったのだと泣いた。


 哀しみは等しく痛いもの。痛いからこそ魂が目覚める。


 哀しみのない人生は人生とは呼べない。痛みを生み出した神は偉大である。痛みこそが人を人間にするのだから。


 だが、サナにとっては初めての哀しみなのだろう。激しい痛みにのた打ち回る。嗚咽を漏らして苦しむ。


 助けてくれた女性を罵倒してまで、残ると言い出す。


 その女性もまた哀しそうな顔をしていた。泣いていた。涙は涙を呼び、世界に波紋を生み出す。




 その日、世界は―――泣いていたのだ。




 誰かを強く愛すれば、反動も大きくなる。


 それが美しい世界であったからこそ、失った痛みも激しいものとなる。


 サナにとって、そこは幸せの世界だったのだろう。だから失ったことが哀しいのだ。痛いのだ。


 だが、アンシュラオンは嬉しかった。



(ああ、サナ。お前はいつか本当の哀しみを知るまでになるんだな。オレは…それが嬉しいよ)



 それは約束を果たすことになるから。サナに感情を与えてあげたことになるから。


 アンシュラオンの中に温かいものが満ちていく。



 それは―――愛。



 サナに対する愛情、サナを守るための力、使い方を間違えればただの暴力になるものであるが、愛にもなる力。


 愛が、愛が溢れて、愛がこぼれて、光となる。


 光はサナを包み、抱きしめる。


 愛が、抱きしめる。その傷ついた背中を、折れた翼を癒すように。




 サナが―――振り向いた。




 美しい顔を驚きに変えて、こちらを見ている。


 もう失くしたと思っていたものが存在すると気がついて、さらなる衝撃を受けている。



(サナ、オレはいつだってお前と一緒だ。それをここで約束しよう。いや、【契約】しよう。オレとサナはすべてを分かち合い、すべてを共有し、愛し合う存在になるのだと誓おう。サナ、お前はそれでいいか?)



 サナは叫ぶ。



「―――に!! ―――から!!!! ―――を――す―から!!」



 何かを叫ぶ。


 途切れ途切れで何を言っているのかはわからない。ただ、それが愛の言葉であることはわかる。


 愛は、愛を引き寄せる。


 愛が、愛を守る。サナを守る。



 光に包まれたサナは、再び立ち上がって歩き出す。逆に女性を引っ張って進み出す。



 哀しみの中に―――決意を秘めて。



 砕け散った世界の中で、それは唯一の輝き。アンシュラオンとサナの愛が、世界の希望となっていくのがわかった。


 倒れた人々が、その光に向かって歩いていく。集まっていく。それがさらに大きな光になって、激動の大地を生み出していく。



 まるで―――サーガ〈叙事譚〉



 一つの歴史であり、一つの神話を描いた物語のように、燃え上がり、語られ、広がっていく。


 サナはその中心にいるのだ。



(ああ、サナ。オレのサナ。立派になって…オレは、オレは…)



 そのことに満足すると―――






 光が―――収束。






 媒介である緑のジュエルが砕け、液体の中にあった青いジュエルが激しく輝く。


 発光を続けるごとに少しずつ液体が減っていく。


 そして液体が空になった時、青いジュエルがころんと転がった。



 それと同時に映像も消える。



 まるですべてが夢幻だったかのように、周囲の光景が戻っていく。あの壮絶な世界から、いつもの日常がある世界へと変質していく。



「サナ…!?」


「…?」



 アンシュラオンが、隣にいるサナを見る。


 まだ幼いサナは、あどけない目で自分を見つめている。愛らしく可愛いサナのままだ。


 その姿が、さきほど見た美しい少女と重なる。やはり両者ともサナである。



(あの映像は何だ? 明らかに普通ではなかった…。だが、サナであることは間違いない。あの美しい黒髪とエメラルドの瞳は間違えようもない。ペンダントも同じだった。あの様子から察するに、まだ何年も先の姿だろうが…)



 映像のサナは、どう若く見ても十代中ごろから後半であった。


 今が十歳程度なので、最低でも六年か七年以上は先の姿であると思われる。



(それにあの姿、何かと戦っていたのか? …駄目だ。記憶が曖昧でよく覚えていない)



 徐々にその映像も記憶から消えうせていく。唯一覚えているのは、サナの泣き顔だけである。


 しかし、その顔には強い決意が宿っていた。そうまでして求めるものがサナに出来たということだ。



 だから、決めた。



「サナ、何があってもお兄ちゃんが守ってあげるからな。ずっとずっと一緒だ」


「…こくり」


「はは、サナは可愛いな。お前はこれからもっともっと美人になるぞ。それは保証できる。そして、大切なものもできる。笑うこともできるし、泣くこともできる。友達だってできるだろう。その環境をお兄ちゃんが作ってやる。そのうち戦い方も教えてやるからな。大切なものを守れるように強くしてあげるぞ」


「…こくり」


「よし、決まりだ! 一緒に歩もう!」



 サナを抱きしめる。その温もりを忘れないように、ぎゅっとする。


 この少女に【人生】を与えてあげようと思った。


 人が生きると書いて、人生と読む。


 一緒に歩いて、一緒に生きる。彼女とともに人生を歩みたいと願った。



(オレのすべてをサナにあげよう。オレが経験してきたことも、オレの力も、すべてサナを守るために使おう)



 それは初めてアンシュラオンが抱いた【本物の自己犠牲】の心だったのかもしれない。


 親が子供に感じる無償の愛。自分を犠牲にしても守りたいと願う純粋な霊の光である。



 世界は今、輝きを得たのだ。



 アンシュラオンとサナという、二つの輝きを生み出した。


 その光が、この大地を大きく変えていくことをまだ誰も知らない。当人たちでさえも。


 今はそれでいい。今はアンシュラオンが一方的に与える関係でいいのだ。その欠片が少しずつ積もって、本当の愛の結晶になっていくのだから。




 それから青いジュエルを拾う。



「これで完成か?」


「そうっす。ただ…、こんなの初めて見たっす」


「お前も見たのか?」


「そりゃ当然、見たっす。普通はちょっと減るくらいっすが…全部なくなったっす。これ、高いっすよ」


「何の話をしている?」


「へ? だから、その液体のことっす」


「液体がどうした?」


「いやだから、普通はちょっと減るだけっすが、なぜか全部なくなったっす」


「そんなことはどうでもいいだろう。それより映像を見たのか?」


「映像? 何のことっすか?」


「術式を展開すると映像を見る仕組みなのか?」


「?? そんな仕組みはないっすが…どういうことっすか?」


「それはこっちが訊きたいが…」



(モヒカンは見ていない? では、オレだけが見たのか…。ただの幻かオレの妄想が飛躍したか、どちらにせよ普通ではないようだな。まあ、すでにオレ自身が規格外のようだから、そういったことも起こるのかもしれん)



 細かいことを考えていてもしょうがない。


 見えたものは見えたのであり、モヒカンは見えなかった。それだけだ。


 しかし、感動に打ち震えていた自分とモヒカンの対比が酷い。一方は愛に感動しているのに、この男は金の心配をしているとは。



 それよりジュエルである。


 青いジュエルの中には、まるで放電が起こったかのような太く黄色い螺旋の筋が何本も入り、それが重厚な高級感を醸し出している。


 見るからに力のありそうなジュエルが完成していた。



「ルチルクォーツみたいだな。なかなか美しい」


「ペンダントにはめるっす。すでに接着専用の術式は発動しているっすから、押し込むだけでいいっす」



 アンシュラオンがジュエルをペンダントに押し込むと、まるでジュエルに意思があるかのように融合を始め、結合していく。



「これは便利だな。だが、まだこれでは弱い。強化しておこう」



 このままだと耐久性に問題があるので、二枚の符を取り出した。術具屋で買った核剛金と原常環の符である。


 符を起動。ペンダントが輝き、いくつもの術式記号が展開される。


 術式とは数式のようなもので、事象を制御する情報である。それを書き換えたり追加したりすることで実際の現象として顕現させるのだ。


 二つの強化術式によって、ペンダントは相当な強度を得ることになった。普通に使っていれば、まず破壊されることはないだろう。


 アンシュラオンが全力で攻撃すればわからないが、それに匹敵する事態はまず起こらないはずだ。



(術か…あまり興味がなかったけど術士の因子もあるんだよな。そのうち真面目に覚えてみようかな)



「ほら、サナ。お兄ちゃんからのプレゼントだ」



 出来上がったペンダントを、サナにかけてあげる。


 首にかけた瞬間、一回だけ青いジュエルが強く輝いた。まるでアンシュラオンの願いを聞き入れたかのように、サナを守る結界の如く雷が走ったのだ。


 モヒカンは驚いたが、アンシュラオンは驚かない。願いを託したジュエルなのだ。それくらいでないと困る。



「気に入ったかい?」


「…こくり。さわさわ。じー」



 サナは頷き、何度も触って、それから青いジュエルを凝視する。


 言葉は発しないが、そこには強い興味と興奮が感じられる。


 自分の愛を受け取ってくれたような気持ちになって、アンシュラオンも歓喜。



「これでよし! 正式にオレのものだ! うおおおぉおおお! やったぞぉおおおおおお!!!」



 この瞬間を待ちわびたのだ。感動ものである。


 本当に苦労した。がんばった。それゆえの達成感がある。



「それで、具体的にどんな契約にしたっすか?」


「べつに普通だ。兄と妹の正しい関係だよ」


「そうっすか。てっきり、もっとえぐいやつになるかと思ったっす」


「えぐいって具体的に何だ?」


「そりゃ、あんなことやこんなこと…」


「なんだ、それは?」


「もっとエロいことかと…」


「お前が何を考えているかは知らないが、オレは健全な関係を望んでいるぞ」


「そうっすか…案外まともっすね」



 と思ったモヒカンは、まだ甘い。


 この直後、このアンシュラオンという存在が、どれだけ歪んでいるかを知ることになる。



 サナを抱き上げ、愛しそうに言う。





「サナ、お兄ちゃんと結婚して―――子供を作ろうな!!」





「ぶっ!?」


「なんだ、汚いやつめ。サナにかかったらどうする」


「おかしいっす! 今、健全な関係って言ったっす!」


「健全だろうが。これが普通の兄と妹の関係だ。無知なやつめ」


「え? そうっす…か?」


「そうだよねー、サナちゃん」


「…こくり」


「そっかー、サナちゃんも嬉しいかー。でも、もう少し大きくなってからだねぇー。楽しみだねー。それまでいっぱいお世話するからねー」



 アンシュラオンにとって姉は恋愛の対象である。よって妹も同じ。


 もし姉が普通の性格だったならば幸せな家庭を築いていただろうから、今度は妹と同じことをするのは当然の運びである。



(恐ろしい人っす。完全に壊れてるっす。いろいろな意味で敵に回しちゃいけない人っす)



 モヒカンは改めて恐怖を感じる。


 ここまで歪んだ人間は滅多にいない。正直、イタ嬢のやっていたことが可愛く思えるほどだ。




 そしてこの後、アンシュラオンは非常に怠惰な一ヶ月を過ごすことになる。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます