73話 「サナと買い物 前編」


 ハローワークを出て南側に進むと、大きな通りが見えてくる。


 いわゆる商店街であり、アンシュラオンも何度か通ったことがある道だ。


 しかし、その際はスレイブのことしか頭になかったので、周りを見る余裕などはまったくなかった。


 こうして心を落ち着けて見ると、思った以上にいろいろな店が並んでいるようだ。



「ゆっくり見て回ろうな」


「…こくり」



 急ぐことはないので一つ一つの店を見て回る。高価な店は中に出入りするタイプが多いが、安いものは露店形式のものも多い。


 ここは一般街なので名前の通りに、ごくごくありふれた一般的な必需品を取り扱っている。それでもアンシュラオンには初めて見るものばかりで新鮮だ。



(生活雑貨はロリコンの店で見たからだいたい知っていたつもりだが、やはり都市になると扱っているものも多少違うな)



 ロリコン夫妻は馬車での移動なので、あくまで持ち運びに適したものを主に扱っていたが、ここではその心配はないので大きなものも売っている。


 大人の身長以上もある大きな水瓶があったり、建築用の木材が売っていたり、薬の材料なども売っており、それらを求めて午前中にもかかわらず人がそこそこいる。


 唯一、食料品店だけはスカスカで、在庫が乏しい状況になっているようだ。その理由は、アンシュラオンがばら撒いた金なのだろう。



(食糧事情に影響が出なければいいけどな…。たかが一億円だと思っていたが、閉鎖された都市ではけっこうなダメージだったのかもしれないな)


 某漫画で一晩で五十億くらい使った話があったので、それくらいならと思っての安易な行動だったが、やはり流通が整っている国と普通の城壁都市では事情が違うらしい。


 ただその分だけ経済が潤ったのは事実で、他の集落やハピ・クジュネからの輸入も増えるかもしれない。




 アンシュラオンはサナを連れていろいろな場所を見て回る。



「サナ、何か気になるものはあるか? 何でも買ってあげるぞ」


「………」



 サナは相変わらずの無表情で周囲をきょろきょろしている。



(おっ、物珍しそうにしているな。少しずつサナの感情がわかってきたかもしれないぞ)



 サナの表情はあまり変化しないが、多少ながら仕草に違いがあることに気がつく。


 今も初めて見る光景に少しだけそわそわしているのがわかる。本当にわずかな反応だが、それでも最初に会った時よりはましであろう。



(イタ嬢ともカードゲームができるくらいだ。ちゃんと周囲のことを理解しているのかもしれないな。ただ、それを出力する能力がないのかな? さっきの飴の件にしても、コミュニケーションの経験が少ないんだろうな)



 理由はわからないが『相手に飴をあげよう』という意思を発したことは大いなる進歩だ。


 ただし、その手法がわからないので、いきなり投げつけるという行動に出たのだろう。発する意思の強さと身体的活動の強さが見合っていない状況だ。


 自閉症という可能性があるものの、教えれば理解して実践できるので、やはり極端なコミュニケーション不足による限定的な発達障害なのかもしれない。



(なら、いろいろな人と会わせて刺激と経験を与えるのが一番かな。その意味じゃオレと一緒だな。オレもまだこの世界のことをよく知らないし、一緒に楽しめばいいんだ。なんだ、簡単じゃないか)


 ということで、たまたま目の前にあった生活雑貨系の露店を出しているおっちゃんに話しかけてみる。



「おっちゃん、これ何?」



 アンシュラオンが、銀色の箱を指差す。



「これか? 聞いて驚くな。魔獣が踏んでも壊れない弁当箱だ」



 どこかで聞いたことのあるフレーズで、弁当箱をアピールしてきた。



「本当に壊れないの?」


「もちろんだ。嘘だと思うなら乗ってみな」


「サナ、乗ってごらん」


「………」



 サナをひょいっと乗せるが、たしかに弁当箱は壊れない。



「蹴ってごらん」


「…こくり」



 ガスガスガスッ


 それでも弁当箱は壊れない。



「荒い、荒い!? 扱いが荒い!」


「壊れないって言ったじゃん」


「そりゃまあ、お嬢ちゃんみたいな子の蹴りじゃビクともしないけどな! どうだ、すごいだろう!」


「これって金属?」


「魔獣の素材で作ったんだ。鎧にも使われる貴重なものだぞ。一個千円だ。どうだ、買うか?」


「壊れない弁当箱って需要があるの?」


「もちろんだ! うっかり魔獣に体当たりされても妻の作った愛妻弁当を守れるんだぞ! 肋骨は折っても弁当は折っちゃいけねえ。後が怖いからな。二度と作ってくれないどころか、他の面で大きな軋轢が生まれる。それが原因で離婚にもなるしな」


「夫婦生活は厳しいんだね。離婚者が絶えない理由がわかったよ」


「夫婦仲まで守る弁当。それがこれだ。単純に身を守る道具にもなるしな」



 弁当箱で身を守る時代が到来。斬新な世界である。



「うーん、本当に壊れないのかな?」


「疑り深いやつだな。ハンマーで叩いても壊れないんだ。こんな頑丈な弁当箱はよそにないぞ」


「本当? 試していい?」


「おう、もちろんだ!!」


「じゃあ、遠慮なく」


「まったく、最近の若いやつらは疑り深くてしょうがねえ。ハンマーでも斧でも持ってきやがれ! 傷一つつかないぜ!」



 この時店主は、大工で使う小型の木槌などを想定していたと思われる。


 だが、アンシュラオンの脳裏に浮かんだものは、たった一つ。


 革袋からハンマーを取り出す。




 鉄で出来た―――大きなハンマーを。




「え? え? なにそれ?」


「うん、ハンマー」


「ハンマー? ハンマーなの? それが?」



 どう見てもハンマー。


 紛れもなくハンマー。


 これはハンマーである。



「よーし。じゃあ、いくよー」


「え? ちょっ!? 待って!!」


「壊れないんだよね?」


「そ、そりゃ壊れないって謳っているが、物事には限度ってもんが…」


「壊れないんでしょ?」


「こ、壊れない……はずだ」



 だんだん弱気になる。


 だが、強気だろうが弱気だろうが、この男に遠慮という言葉は存在しない。



「せえのっ―――」


「いやーーー! やっぱり待ってぇえーーー!」





 ブゥウウンッ ドッゴーーーーーンッ!!





 ハンマーが弁当箱に直撃。アンシュラオンの圧倒的なパワーも加わって地面にめり込む。


 ブスブスと大地が熱を帯びるほどの高温を発し、周囲が煙に包まれた。


 ハンマーを戻し、地面にぴったりと接着している弁当箱を見る。



「ほんとだ、壊れていないね」


「どこが!? すごくぺったんこだけど!? ねえ、すごく平べったいけど!!」



 とても薄い弁当箱がある。壊れてはいない。ぺったんこになっただけだ。


 現在の深さは数ミリ程度なので、うっすーい煎餅くらいならば入れることができるだろう。



「いやー、いいものを見せてもらったよ。じゃあね」


「買わないの!? ここまでしたのに!? ひかやしなの!?」


「ここまでって何のこと? オレには立派な弁当箱の姿にしか見えないな。うん、立派だ。投げれば楽しいかもしれないし、これは売れるよ! それじゃまたね!」



 サナと一緒にすたすた店を離れる。


 店主の嗚咽が後ろから聴こえるが、アンシュラオンは悪いことはしてない。言葉通りハンマーで試しただけだ。


 ただそれが少し大きく、たまたま鉄であったにすぎない。言葉とは怖いものである。



「いいか、サナ。何事も買う前にちゃんと調べないといけないぞ。相手は常に騙そうとするからな。言葉には気をつけるんだよ」


「…こくり」







「さぁーさぁー、お立会い! ここにあるのはどんな傷でも治す傷薬! ほら、お兄さんお姉さん見てってよ! この何でも切れる包丁で、ずばっずばっとね。見なよ、野菜だって綺麗に切れたこの包丁。これで今度はあっしの腕をずばっと。おっと、いてぇ! でも安心!! この傷薬があればあっという間に傷が治るって寸法さ! ちょいちょいっとね! ほら、傷が消えた! 見たかい、この効能! 最高だね!」



 男が軟膏を傷口に塗ると、あっという間に赤い線が消えていく。


 その光景に集まった観客は声を上げる。



「おお、傷口が消えたぞ」


「ほんと、すごいわね!」



(なんだ今の? 傷が消えたのか?)



「サナ、面白そうだから見ていこうか」


「…こくり」



 なんだか賑わっているのでアンシュラオンも参加することにする。


 さっそく傷薬を売っているお兄さんに話しかけた。



「ねえ、それってどんな傷でも治せるの?」


「おう、その通りだ! どんな切り傷でも大丈夫! 塗ればあっという間に治るのさ!」


「試していい?」


「おう、この包丁であっしの腕を切ってくれ! 下の刃を軽く押し当てる感じでな!」


「へー、本当なんだね。じゃあ遠慮なく」



(へっへっへ、その包丁に刃はないんだ。塗ってある食紅で赤い線がつくだけさ)



 ガマの油売りでよくあるやり方である。


 尖端は切れるが下の部分に刃はないので、そこに塗料を塗って切れたように見せる。


 それから軟膏を塗ってかき消してしまえば、さも傷が消えたように見えるというわけだ。


 そのカラクリがあるので、男はアンシュラオンの行動を余裕を持って見ている。



 そして、アンシュラオンが包丁を押し当て―――



「いっせのーせっ!」



 ざくっ、ぐしゃっ、ブシャーーーー!




「ギャッーーーーーー!!」




 アンシュラオンが包丁を押し込むと、男の腕の中にまでめり込み、裂けた。大量の血が噴き出す。


 刃があってもなくても関係ない。ただの馬鹿力で押し込めばこうなる。



「軽く!? 軽くって言っただろう!?」


「軽く押したよ?」


「いや、そんな場合じゃない! い、医者!! 医者を!!!」


「この薬で治るんでしょ? はい、塗り塗り」


「いたたたたた!!! イタイイタイ!! 薬が体内に侵入してる!!」


「そういうものだからね。でも、まだ血が出てるな。量が足りないのかな?」



 ごそっと手にこんもり乗るほど大量に取って、どばっと塗り込む。


 アンシュラオンの握力でぐいぐいと体内に押し入れると、血が止まった。


 怪我が治ったというより、血が出るスペースがなくなった、といったほうが正確だろうが。



「おお! すごいぞ! あんな傷まで治った!! 買うぞ!」


「本当ね! すごい薬だわ! 私も買うわ!」


「いて、いてて! まいどあり!! いてて! この傷薬があれば、どんな怪我でも大丈夫!! いてて!! 大丈夫!!」



 その光景に周囲の観客も大騒ぎで買い注文が殺到している。


 男も腕を押さえながら笑顔を繕っていた。



「サナ、面白かったな」


「…こくり」


「また来ような」


「もう来ないでくれよ!!」



 最後に店主の心の叫びが聴こえた気がするが、やはり気のせいだろう。



 その後、アンシュラオンが通る場所では必ず店主の叫び声が響くことで有名になり、彼が通るたびに店じまいを始める露店も多かったという。


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