69話 「そうだ、小百合さんの家に行こう! 後編」


 中級街の大通りでは、まだ多くの人間がお祭り騒ぎをしていた。


 下級街よりも上等な居酒屋やバーも多いので、この地域は少し落ち着いた雰囲気なのが特徴である。


 飲んでいる客も少し裕福そうで、服もそれなりに見られるものを着ている。ただ、そんな彼らでさえ、突如降ってきた金には等しく酔いしれるもの。


 アンシュラオンが撒いた金、言い換えればタダ酒をたっぷり頂戴して、街全体が酔っているような雰囲気を醸し出していた。


 もっとシンプルに言えば、酒臭い。


 そこに下級街から流れてきた駄目人間っぽい輩も加わって騒いでいるので、グラス・ギース内部は相当なカオス状態になっていた。


 そんな中をアンシュラオンは全力で駆け抜ける。あまりに速いので周囲の人間はまったく気がつかない。


 が、通り過ぎたあとに発生する衝撃波によって、水商売のお姉さんのスカートが舞い上がり、おっさんのカツラがふっ飛び、ついでに調子に乗って屋根から飛び降りた若者が、マットからずれて足を折り、それが余興として大爆笑となっていることなど、今のアンシュラオンにとってはどうでもいいのだ。



(サナ、サナ! 今助けるからな!! お兄ちゃんが守ってやるからな!)






 サナを大切に抱えて、中級街の住宅が居並ぶエリアにまで到着。


 そこに並ぶ住宅も下級街とは違い、いわゆる普通の一般住宅が並んでいる。ボロ屋は一軒もない。


 ここに住める段階で、小百合が街の中でもそれなりの地位にいることがわかる。


 地図を見ながら、いくつか家の表札を確認していくと、五軒目に「ミナミノ」を発見。


 小百合の家は一軒家で、庭付きの綺麗な家である。建築様式的には、ハローワークに似た石と木の造りであり、見ているだけで心が和む良い家だ。


 周囲の家々も同じような造りなので、もしかしたら社宅なのかもしれない。


 アンシュラオンは、さっそくチャイムを連打。


 ピンポーン ピンポーン ピンポーン

 ピンポーン ピンポーン ピンポーン

 ピンポーン ピンポーン ピンポーン



「小百合さん、小百合さん、小百合さーーーん!」



 小学生の頃以来である、外から呼ぶという荒業も繰り出しながら、必死に小百合の名前を呼ぶ。


 時計がないので時間はわからないが、現時刻はすでに夜の十二時に迫るものだと思われる。こんな時間に迷惑だと思うが、今は彼女しか頼れる人がいない。


 アンシュラオンの声が届いたのか、ガチャッと扉が開いて小百合が出てくる。



「はーい、どちら様……」


「小百合さん、オレだよ! アンシュラオンだよ!」


「ええ!? アンシュラオン様!!! や、やだ! こんな格好でどうしましょう! まだ心の準備が…! いえ、逆にこれは好都合!! ここで既成事実を作って結婚に…」



 その姿は―――バスローブ。


 就寝前の風呂にでも入っていたのだろう。濡れた髪は艶やかで、少し火照った身体も非常に色っぽい。


 だが、それにかまっている余裕はない。とても残念であるが。うん、とても残念だが。



「小百合さん、そんな場合じゃないんだよ! 大変なんだ!」


「そんな場合って、大切なことですよーー! これ以上婚期が延びたらどうするんですかー! 今すぐ結婚してださい!!」


「それはそうだけど…い、今はそっちじゃなくて、その、大変なんだよ! こ、この子が、この子が動かなくなって…!!」


「アンシュラオン様の【この子】が動かない!? それは一大事です!! 家族計画にも多大なる影響が出ます!! 子供は二人は欲しいです!」


「ちょっ!? そっちのこの子じゃなくて、本当にこの子のことなんだ!! ちなみにオレの息子は元気だよ!!」


「あ、あらやだ! 違うのですか!?」


「この黒髪の子だから!」



 パニックになったのは、アンシュラオンを見た小百合も同様だったらしい。


 そして、ようやくサナに気がつく。



「あ、あああ!! その子はどうされたのですか!?」


「いきなり動かなくなったんだ! 原因がわからないんだよ!」


「大変です! は、早く中へ!!」


「う、うん! ありがとう!!」



 急いで家に入り、リビングにまで駆け込む。


 そこのソファーにサナを下ろすと、小百合のバスローブを引っ張りながら懇願する。



「小百合さん、サナを助けて!」


「さ、サナ様ですね! わかりました! こう見えて多少の救命措置の心得があります。ハローワークの職員たるもの、いかなる事態にも対応しなければなりません。お任せください!」


「あ、ありがとう! 本当にありがとう!!」



(さすが小百合さんだ!! ここに来てよかった!!)



 精神的に落ち着いたのを感じて、少しだけほっとする。


 いくらアンシュラオンが強かろうと、他人のことまではどうにもできない。特にサナは女の子であり、自分とはまた違う側面も多い。



(子供ってのは怖いな。小さなうちはよく病気になるけど、その時の親の気持ちがわかるもんだ。経験がないと半端じゃなく動揺する。…これからはもっと落ち着かないと)



 水疱瘡みずぼうそうやおたふく風邪など、子供の頃はいろいろな病気になったものである。


 その際には親に世話になったと、今になってしみじみ思う。


 今アンシュラオンが感じているものも、昔味わえなかったもの。つまりは新しい体験である。


 ヒヤヒヤしたが、それがまた彼を一つ成長させるのだろう。



「では、失礼します」



 小百合がサナを調べる。


 瞳孔を調べたり脈を取ったり、口の中を開けたりいろいろとやっている。ハローワークで研修でも受けたのだろう。キビキビと的確に診察していく。


 ハローワークに限らず大きな組織では、こうした研修を課していることが多く、特に東大陸のような未発達文化圏に赴く職員は、必ずこうした知識を身につけている。


 さすがに医者には敵わないが、異常があるかどうかくらいはわかる。



「こ、これはまさか…!」



 その小百合の目が驚愕で見開く。信じられないものを見た、という目である。


 それにアンシュラオンも慌てる。



「何かわかったの!? もしかして病気!? お金ならいくらでも用意するから助けて!!」


「あ、アンシュラオン様、よく聞いてくださいね」


「う、うん」


「いいですか。とても大切なことを言いますよ」


「ごくり」



 居ても立ってもいられないという様相で、若干目が泳いでいるアンシュラオンに対して、小百合が重要な事実を告げる。



「サナ様は…」


「サナは…?」



「実はサナ様は……」





 ゆっくりと呼吸を正し、アンシュラオンの顔を見据え―――










「―――寝ています」










「へ? …今、なんて?」


「寝ています」


「ネテ…イル? 新しい病気の名前?」


「落ち着いてください。寝ている、です」


「寝て…る?」


「はい。寝ておられます。ぐっすりと」


「寝てるの? サナが? 寝てる…?」



 アンシュラオンが目をぱちくりさせて何度も反芻する。


 聞き間違いでなければ、【寝ている】と聴こえた気がする。


 それを追認するように小百合が改めて事実を述べた。



「はい、寝ています。しかも爆睡です。ここまで深い眠りに入るなんて普通はないですね。見てください。揺すっても起きませんし、お鼻を触っても反応しません。こんなに熟睡する子なんて、そうざらにはいませんよ」


「病気じゃないの? だって、こんなにぐっすり寝るなんて異常だよ?」


「たしかに危険な場合や病気の兆候の可能性はありますが、特に【医療ハンド】に反応がないので大きな病気ではありません」



 小百合は、ハローワークで支給されている医療ハンドというアイテムをはめている。


 よく医者が手術で使うゴム手袋のような見た目で、手首のあたりにジュエルが付いているものだ。


 これは病気があるとジュエルが光って教えてくれるもので、大きな病気にしか反応しないという弱点はあるが、ハローワークが健康診断代わりに各員に支給しているA級アイテムであるので、信頼性はとても高い。


 これが反応しないということは、あまり心配するような事態ではないということ。




 つまり、サナは―――寝ていた。




 冷静に考えれば、とても当たり前のことである。夜も更けてきたので子供はとっくに寝る時間なのだ。


 今日はたまたまイタ嬢がサナを手に入れてハイテンションだったため、いつもより寝る時間が遅かっただけで、普段ならばベッドの中である。


 そうした強い眠気と巻き込まれた疲労もあり、ついに限界に達したサナは突如、睡眠モードに入ったのである。



「サナは…寝方も普通じゃなかったのか…」



 その寝方も普通ではない。


 立ったまま寝るというツワモノであった。


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