65話 「王気、それは妹に贈る想花 前編」


「お待ちなさい!!!」



 イタ嬢が立ち上がって、アンシュラオンを睨む。


 最初はいきなりのことにショックだったようだが、少しずつ場に慣れて状況を把握したようである。


 その目には、まだ輝きが残っている。



「まったく、まだそんな元気があったとはな。話はついた。おとなしく倒れていろ」


「いいえ、まだです!」


「お嬢様、お願いですからこれ以上、事を荒立てないでください。もう終わったのです」



 ガンプドルフも説得を開始。


 この戦闘自体がガンプドルフには無駄なものである。そのすべての元凶は領主側にあるのだ。


 当然、アンシュラオンという予期できない相手がいたことは不運だが、事を荒立てたのは間違いなく領主であり、この少女である。


 これ以上の面倒は御免。それが本音であった。



「…終わった? これで終わりだなんて、わたくしは納得いたしません! 結局、あの子を渡すことになるのではありませんか!」


「どうしてそこまでこだわるのです。ただのスレイブではありませんか」


「あの子はスレイブではありません! わたくしの友達、大切な『ト・モ・ダ・チ』です! だから見捨てないのです!」



 彼女にとってスレイブは友達であり、連れ去ろうとしているのはアンシュラオンのほうである。


 それを見過ごすことは、結局見捨てることと同義なのだ。



「立派なお考えですが、それでも終わったのです。周りを見てください。状況はおわかりですか?」



 周囲の木々は、戦闘によってかなり破壊されている。いかに両者の戦いが激しかったかを物語っているようだ。


 イタ嬢であっても、これが何を意味するかは理解できる。ガンプドルフが自分を守ってくれたということも。



「友達を見捨てろというの?」


「そうは申しませんが、お父上も心配なさっておられます。まずはお戻りになられるのが得策かと思われます」


「たしかにそうね。お父様には心配をかけてしまった…」


「そうでしょうとも。彼は、あなたのことをとても大切にしています。ですから何よりも、あなたが無事であることが重要なのです。あなたとて今回のことでおわかりでしょう。一番大切なものは命なのです。まずはご自身の身を案ずるべきです」


「…それは理解しているわ」



 イタ嬢が頭をさすりながら呟く。


 死をリアルに感じるのは、これが生まれて初めてのことだ。領主の娘である自分に、誰も危害を加えることはないと思っていた。



 だが、違った。



 目の前には領主という地位、その娘という立場すら気にしない者がいる。


 その存在は、ただ暴力を頼りにすべてを解決しようとしている。残念ながら、自分にはそれにあらがう物理的な力はない。


 されど、これで終わりにはできない。ここで諦めてしまっては、今まで自分がやってきたことが無駄になるからだ。



(イタ嬢のおもりまでするとは、あいつも大変だな)



 アンシュラオンは、言葉巧みに何とか終わらせようとするガンプドルフに、昔の自分を見て同情の念を覚える。


 この世で一番面倒なことは、他人のおもりである。それが可愛い子供ならまだしも、場合によっては自分よりも立場や年齢が上の人間でも対応しなくてはならない。



(ああいうのってストレス溜まるから、あいつはいつかハゲるな。その前に胃がやられるかもしれないけど。…とと、イタ嬢のやつがめっちゃ睨んでいるな。どんだけ不満があるんだよ。生き延びただけでも十分とは思えないのかね)



 ガンプドルフの心配をしていると、イタ嬢の視線がこちらに突き刺さる。


 あまり関わりたくないが、そう言って聞くような相手でもない。



「しつこいね。まだ用事があるのか?」


「当然です。あの子は渡しませんわ!」


「前提が違うな。最初からお前のものではない。何度言ったら理解するんだ。そこを認めない限りはずっと平行線だぞ」


「…いいでしょう。認めましょう。あなたが予約していたものを私が横取りしました」


「いまさらという感じだが…まあいい。それで、謝罪でもしてくれるのか?」


「いいえ、謝罪はいたしませんわ」


「お嬢様!」



 ガンプドルフが慌てて諌めようとするが、アンシュラオンが手で制する。


 そこには殺意はなかった。


 すでに闘争本能が満たされていることと、彼女たちがそういう存在であることを知っているからだ。



「まあ、そうだろうな。お前たちに期待することは何もない。このおっさんに免じて見逃してやるから、さっさと消えろ」


「ずいぶんと上から目線ですのね。それを嫌ってわたくしをさらった人だとは思えません」


「実際に上だからな。上ではないやつが使うから上から目線なんだ。確実に上の人間が使うことは正しいことだ。こんなふうにな」


「―――うっ!」



 身体を締め付けるような強い圧力がイタ嬢を襲う。


 これは何かをしているわけではない。殺気を出しているわけでもない。ただ少し強めの眼力でイタ嬢を見ただけだ。


 それだけでイタ嬢は硬直。



(なんて目をしているの!? これが同じ人間だというのですか!? 力では絶対に敵わない。まるで魔獣ですわ)



 生物としての力が違いすぎる。


 たとえばデアンカ・ギースのような魔獣に見られただけで、気持ちの弱い人間ならば卒倒してしまうだろう。


 それと同じく、そもそもの存在が違うのだ。


 生まれもって最高の資質をもった人間以上の何か。魔人の系譜に連なる少年は、眼力からして普通の人間とは違う。



 これこそ真なる上から目線。



 アンシュラオンは、いつでも彼女を殺せる。領主城ですら破壊できる上位者が、自分よりも遥かに下のつまらない生き物を見る時の目である。



(でも、まだ終われない。わたくしとてディングラスの娘。ここで簡単に引き下がったらお父様に迷惑がかかりますわ。そして、友達は絶対に見捨てない。最後の最後までわたくしは闘います!)



 何度も心を叱咤しながら、イタ嬢は少しずつ自分を取り戻す。


 アンシュラオンの冷たい視線に晒されながら、いまだこうして自我を保っていられるのは、当人の意思が強いのか鈍感だからか。


 だからこそ、アンシュラオンもじっと待つ。



 そして、およそ十秒の時を経て言葉が紡がれる。



「まだ…です。まだ……真意を訊いていない」


「真意? お前に語ることは何もないぞ」


「違いますわ。あなたにではありません」


「ん? では、誰だ?」


「それは―――」



 そのアンシュラオンの疑問に対し、イタ嬢は思いがけない相手を指差す。



 まだ地面にじっと座ったままの―――




「あの子です!」




 黒き髪が、周囲の闇に溶け込んでしまいそうなほど美しい少女。


 首に緑のスレイブ・ギアス〈主従の鎖〉をかけ、自分の意思があるかもわからない『意思無き少女』。


 そんな彼女にイタ嬢が求めたのは、何よりも大切な【当人の意思】であった。



「わたくしたちは、まだ当人の意思を確認しておりません。あの子がどちらの場所にいたいのか、実際に訊いてみるべきでしょう」


「はぁ? お前な、精神制御をしている子に意見を訊いてどうする。どう訊いたって、お前の都合の悪いことは言わないに決まっているだろうが」


「そうかもしれません。ですが、当人の意思こそ一番大切です」


「お前がそれを言うか? 冗談にしても、さすがに呆れるぞ」


「冗談で申しているのではありません。わたくしは友達として、あの子が不幸になるのを見過ごすわけにはまいりません」


「オレが手に入れることが不幸か?」


「その可能性もあります。だって、あなたは変態ですもの。この子に何をするかわかったものではありませんわ。顔を舐めたことが証拠です!」


「オレがどうしようが自由だ。それが白スレイブだろう。お前だって、同じように好き勝手やっている。友達とそうでないかの違いだ」


「ですがあなたは、わたくしのようにあの子を人形にはしないと言いました。なら、どうするのですか? 何にするのですか? その返答いかんによっては、彼女が不幸になることも大いにありえますわ!」




 その様子をガンプドルフは緊張感をもって眺めていた。



(この状況でまだ食ってかかるとは…見ているだけでも心臓に悪いな。頼むから騒動にならないでくれよ)



 次に戦闘になれば、もはや血みどろの戦いになるは必至。どうなるにせよ自分は死ぬだろう。


 イタ嬢がそれを理解しているのかといえば、当然していないに決まっている。そんなことを考えているわけもない。


 ただし、ガンプドルフが心配するようなことは起こらない。


 なぜならば、その言葉はアンシュラオンにとっても【面白い】ものだったから。




(何にする…か)



 改めて問われると、サナ・パムという少女をどうするかは決めていない。


 行為や処遇ではなく、その【存在】をどうするか、である。


 そんなことは手に入れてから考えようと思っていたので、邪魔されたおかげですっかりと忘れてしまっていた。



(オレはスレイブを欲している。自分の思い通りになる存在だからだ。今にして思えば、それも姉ちゃんの反動なんだろうな。オレは姉ちゃんの代わりに心を埋める何かを探しているんだ)



 イタ嬢を見て、それを強く思う。


 ガンプドルフも言ったが、人は環境によって性格が変わってしまうことがある。その体験、圧力が大きなストレスとなって、いつしか爆発するように反対のものを求めるようになる。



 それこそが進化。



 人間の進化とは、そのようにして行われるものだ。


 大きなうねりと圧力の中に晒され、人の霊は自分に足りないものを常に探していく。アンシュラオンにとってそれは姉であり、姉を失った今、違うものに移っていく。


 それがスレイブ。



 では、スレイブをどう位置づけるか。



 イタ嬢は、スレイブを人形にした。思い通りになる友達という名の人形に。心の穴を埋める存在として利用した。


 それはアンシュラオンとて同じ。少女がスレイブであることは間違いない。


 しかし、本当にそうなのか、という疑問も存在していた。



(オレにとっちゃスレイブも人間も変わらない。イタ嬢だって、売り飛ばせばスレイブだったんだ。ならば、スレイブと人間の区別なんてたいしたことはない。何よりもこの子は、スレイブという単純な枠組みでは収まらない。そう、この子はオレの中でもっと大きなものになったんだ。今ならばそれが実感できる)



 こうして奪われた結果、彼女に対する愛着はさらに強まっていった。


 ただの愛玩動物ではなく、それ以上の、もっともっと自分の中でも重要な存在になっていることがわかる。


 それを思えば、こうした苦難があったことは歓迎すべきことである。


 アンシュラオンが、【それ】に気がつくきっかけになったのだから。



「オレの答えを聞いたら納得するのか?」


「納得するかどうかは、あなたの返答次第ですわ」


「お前が納得するかどうかは、オレにとってまったく関係ないが…まあいいだろう。教えてやろう」



 イタ嬢が、ごくりと唾を飲み込んだ。


 もしここで卑猥な発言が出たらどうしよう、などとも思いながら、自分なりに覚悟を決める。


 彼女にとって、スレイブとは友達のことである。あるいはファテロナのようなメイドや護衛の騎士くらい。


 それ以外の用途はまったく思いつかない。だからこそ緊張する。



 ならば、アンシュラオンはスレイブをどうするのか。



 あの少女をどうするのか。



「それはな」


「それは…?」


「そう、この子は―――」




 そこで、前から考えていたことを口にする。


 それは単なる思い付きでありながら、彼がずっと心の中に抱えていたものの一つ。




 言葉を―――放つ




 初めて彼女を見た時から感じていたこと。



 自分が求めていた何かを埋める存在の名を。







「オレの【妹】だ!!」







 はっきりと力強く、それでいて柔らかい響きをもった言葉。



 それは―――妹。



(そう、そうだ。この子は、オレの妹だ。べつに姉が駄目だったから妹ってわけじゃない。それじゃあまりにも節操がないからな。ただ、オレは子供も嫌いじゃない。妹も大好きなんだ)



 まったく関係ない話だが、アンシュラオンは姉の次に妹物が好きである。地球で好きだったエロゲーなども、姉を堪能したら次は妹で癒されていたものだ。


 姉と妹というダブル属性を同時に押し込んでくるゲームも、当然ながらまったく問題ない。すべてよし! である。



 アンシュラオンが欲しているものは友達ではなく、自分の心の奥底に絡み付いてくる、もっともっと濃密なもの。


 それは、サナの愛らしい小さな姿も相まって、やはり【妹】と呼ぶに相応しいだろう。


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