59話 「ガンプドルフと少年と 前編」


「領主殿! ご無事か!」


「おお、貴殿か! 助かったぞ!!」


「よかった。無事であられたか! この警報は…」



 ガンプドルフが領主を視界に入れた次の瞬間、アンシュラオンと視線が―――交錯。


 空気が一気に緊迫感を増した。



(この気配は…波動円の…!)



 強者同士が出会った瞬間にだけ起こる、妙な圧迫感。


 他の情報が消え、世界に二人しかいないような錯覚に陥る、この感覚。



(なんということだ。やはり最悪の事態なのか!)



 ガンプドルフは最低の気分だった。予期しうる中で最悪の状況下である。


 周囲を見回せば騎士が何人も倒れており、一目置いていたファテロナでさえ、無残な裸になってうずくまっている。


 裸になったのは彼女自身の問題でもあるが、今来たガンプドルフに事情がわかるはずもない。


 何よりこの男は真面目である。少なくとも、この場にいる誰よりも真面目な神経構造を持っているので、まさか自分から服を脱いで戦う人間がいるとは夢にも思わないに違いない。



(しかもこの殺気、領主に害をなそうとしていたのか?)



 アンシュラオンの殺気に気がついたガンプドルフは、仕方なく領主の前に立つ。


 彼はまだ失うわけにはいかない人材である。身を賭して守らねばならない。


 それでも解決の糸口がないかと探る。戦えば死ぬ可能性が極めて高いことがわかるからだ。



「領主殿、これはどのような状況なのですか?」


「見ての通り、賊が入っただけだ」


「…それに対応できていないように見受けられますが」


「そうだな。ファテロナでも止められない化け物のようだ。だが、貴殿ならば話は違かろう? かの有名な剣豪なのだから」



(やはりそうきたか…。当然だな。そのために我々の存在価値があるのだから)



 これまた予想通りの展開である。


 領主がファテロナがやられてもまだ余裕があったのは、ガンプドルフがいることを知っていたからだ。


 むしろ、このようなことが起きた際に使える【道具】として、領主はガンプドルフたちを受け入れている。


 それによって板ばさみ。


 領主を守るということは、目の前の少年と戦うことを意味する。かといって少年と戦うことは、相当な犠牲を払うことも意味している。


 そのことを領主は知らない。


 ガンプドルフなら倒せると思っているに違いない。だからこその安易な発言だ。


 しかし、それを責めることはできない。ガンプドルフの実力の一端を知っている者ならば、彼が負けると思うはずはないのだ。


 これは明らかに異常事態である。冷静に対処しなければ、すべてが終わる。



(このままではまずい。最悪の状況を脱する必要がある)



 ガンプドルフは、周囲の緊張を緩和させるように深呼吸をする。


 ゆっくり、とてもゆっくり。


 その呼吸を少年が見つめている。白い仮面の下から、じっと見ている。その視線に晒されながらの深呼吸は、とても心臓に悪い。


 だが、まずは敵意がないことを示す必要がある。


 まるで機嫌の悪い獰猛で凶悪な魔獣と出会ったときのように、相手を刺激しないように尽力する。


 そして、呼吸は成功。


 無防備な姿を晒しても、少年に動く気配はなかった。それに胸を撫で下ろす。



「少年…でいいな。君の目的は何だ? 領主殿の命か?」



 この答えによっては戦いは必至のものとなる。


 決死の覚悟で訊いた言葉だったのだが、目の前の少年はつまらなそうに答えた。



「奪われたものを取り戻しにきただけだよ」


「奪われたもの? その少女か?」


「頭が良くて助かるよ」



(最悪の状況ではないようだが…一つ訊ねるだけでも寿命が縮む思いだ。しかし、どういう状況だ?)



 話が通じたことに、さらに安堵する。少なくとも領主の命が目的ではないようだ。これは極めて重要な事実である。



「事情を訊いてもいいかな?」


「オレが予約していたものを、こいつらが横取りしたんだ。だから取り戻しにきた。代金も払ったよ。一億だ」


「一億…」



 少年の視線を追って、クイナが持っているケースを見る。閉じられているので中身は見えないが、それが金なのだろう。



(ここにいる少女といえば、領主の娘が集めているというスレイブだけだ。ならば、あの子もスレイブ。売買上のトラブルということか?)



 突然現れた、一億円を持つ仮面の少年。


 そのミステリアスな存在に興味は湧くが、それよりも武人の本能が危険を告げる。


 少年から感じる暴力的な波動が気になる。たかがスレイブ一人に対して見せる異様な執着心もそうだ。


 そして一番恐ろしいのは、そのためならば相手を害してもかまわないという雰囲気。実際、かなり重傷の騎士も見受けられる。明らかに少年の仕業だろう。


 ガンプドルフは軍人なので、よほどのことがなければ民間人に手を出すことはしないが、この少年ならば平然と手を出すような気がしてならない。そういった少年特有の危うさを感じるのだ。


 だからこそ、静かに、極めて平静に話を続ける。



「目的は、そのスレイブ。それ以外はないと?」


「最初からそう言っているんだけどね。信じてくれないなら、べつにいいけど」


「我々に危害を加えるつもりは?」


「邪魔をしなければ、ね。そこに倒れているやつらも、邪魔をしたから潰しただけだよ」


「そうか。では、何もしなければ帰ってくれるのかな?」


「…そうだね。馬鹿な連中と付き合うのも飽きてきたから、それもいいかな。もう馬鹿はうんざりなんだよ。こいつらは頭が悪くて困る」



(危なかった。ギリギリ間に合ったようだな。帰ってくれるのならば、それが一番だ)



 まだ手遅れでない事態であることを悟り、ガンプドルフは安堵する。


 たかがスレイブである。わざわざ戦うメリットなどない。このまま帰ってくれるのならば万々歳だ。



 だが、それを理解しない者もいる。



「ガンプドルフ殿、さっさとそいつを捕らえてくれ。このまま帰すわけにはいかんぞ」



(何を馬鹿なことを!!)



 と、思わず叫びたくなった。


 この瞬間、ガンプドルフは少年が言っていた「馬鹿」の意味を、誰よりも深く理解した。


 目の前の少年は自分が来たことで、意識を完全にこちらに向けていた。より正確に述べれば、自分と実力が近しい相手に出会い、領主という【小さな存在】を忘れていたのだ。


 それをあえて思い出させてしまった。


 それはまさに馬鹿な行為。何も知らない人間の無思慮な行動である。


 領主はまだ、目の前の少年の本性に気がついていないのだ。


 目の前の美しい声をした少年が、この場では誰よりも強く、なおかつ獰猛な存在であることを。



「そうだ。あんたには代償を払ってもらうんだった。忘れるところだった」



 いることを忘れていた蚊が、ふと目の前を通り過ぎるような、あの不快な感覚が蘇る。



「待て! 領主殿には手を出さないでくれ!」


「どうして庇うの? おっさん、西側の人間でしょ?」


「なぜ、そう思う?」


「外の状況とか、衛士から聞いた話とかを総合してね。ファテロナってお姉さんが一番強いはずなのに、それ以上に強い人間がいるってこと自体がおかしい話だ。となれば、外部から来た人間なのはすぐに推測できるよ」


「西側の人間とは限らないだろう?」


「それもそうだね。まあ、おっさんなんかどうでもいいや。それより面白いことを思いついたよ」



 そう言って、ニヤリと笑う。



 次の瞬間―――少年はイタ嬢の背後に立っていた。



 そして、頭を鷲掴み。



「動くなよ。死にたくないだろう?」


「えっ!? ええ!? いたいたいた!! 絞まる、絞まる!!」


「ベルっ!!」



 その光景に領主が青ざめる。


 この事態は想定していなかったのだろう。だが、それこそ甘い認識である。



「おっと、動くなよ。動いたらイタ嬢が死ぬよ」



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