第186話 徐のこれから

このような雨妹ユイメイ立彬リビンを横目で見ていた男が、シュへ歩み寄った。


「こちらの妙に年寄臭い宮女はともかくとして。

 他人の罪と己の罪を混同してはならんぞ。

 他者の人生を己が変えられるなどという考えは、大いなる驕りだ」


そして紡がれた男の言葉に、徐がハッとした顔になる。


「己を変えることができるのは、所詮己だけよ。

 他人の意見に聞く耳を持てなかったことも、本人がそうすると決めたこと。

 つまり全て本人の責任だ。

 第一、相手とてものの道理がまだわからぬ幼子でもあるまいに」


「……そうかもしれないね」


男が述べたことに、彼女は力なくうなだれた。

 さすが日々罪人と向き合っている刑部の役人の言うことは、言葉の重みが違う。

 なにはともあれ、教坊内で起きていた出来事についてはおおよそわかった。


「徐よ、その見慣れない商人とやらを見れば、今でもわかるか?」


「……たぶん、わかるんじゃないかね?」


男の問いかけに、徐はそう答えた。

 刑部の捜査に協力をするのなら、今回のことで傷がついた形となった徐の立場も回復するだろう。

 となると雨妹の役目は、徐の願いを叶えてやるだけだ。

 というわけで、雨妹は徐の今後について男に質問する。


「まずは徐さんをお医者様に診せたいのですが、徐さんはまだ刑部にいるんですか?」


これに男は「そうだ」と頷く。


徐子シュ・ジはしばらく刑部預かりになるだろう。

貴重な情報提供者からだからな、消されないように保護しておかなければならない」


「へぇ……」


 ――今、なんか怖いことを聞いた気がするんだけど。


 雨妹は相槌を打ちながら、頬を引きつらせる。


「消されないように」とはなんだ、立場を失うのか、はたまた命を失う的なことなのか?

 雨妹は想像すると怖いので、そこはあえて考えないようにする。


「じゃあ刑部へ往診していただけるか、医局のお医者様に聞いてみます。

 とりあえず徐さんはしっかり夜に寝て、食事をちゃんと食べて過ごしてください。

 この病には規則正しい生活が、一番の良薬です」


「食事ね、わかったよ……」


雨妹の言葉に、徐の渋々といった調子で了承した顔が非常に嫌そうだった。


 ――もしかして、ご飯が美味しくないのかな?


 元は大店の娘で、宮妓になっても宴席料理が常だったであろう徐は、口がご馳走に慣れてしまっているのだろう。

 前世での入院した際の病院食が美味しくないと嘆く患者と同じだ。

 それだって、普段自宅の料理を薄味で食べていた患者だと、病院食もそれほど不満が出なかったりするものであった。

 つまり今回も、徐にご馳走ではない食事に慣れてもらうしかない。


「食事なら、これまでは罪人用の食事が回されていたが、これで罪人ではなくなったし、これから部屋も移動して、献立も刑部の役人が食べるものと同じものに変わるぞ」


すると男がそのようなことを述べた。


「本当かい⁉」


これを聞いた徐が、本当に嬉しそうな顔をした。

 罪人用の食事ならば必要最低限の栄養補給だっただろうし、ご馳走口な徐には余計に辛かっただろう。

 けれど逆に、そのおかげで薄味の料理も美味しく感じられるかもしれない。

 何事も無駄なことはないのである。

 それから雨妹は他にも日々の過ごし方を徐に伝えて、立彬と共に刑部を後にした。



その翌日、雨妹は早速医局へチェンを訪ねた。


「陳先生、いますか~?」


雨妹が声をかけながら医局の建物へ入っていくと、陳はちょうどお茶を飲んで休憩しているところであった。


「おう雨妹、どうした」


気軽に手招きしてくる陳に、雨妹はいそいそと卓を挟んだ陳の正面に座る。


「お話の前に、まずはこれをどうぞ!」


雨妹は本題に入る前に、持参した手土産を差し出す。

 中身はおやつの胡麻団子である。

 どうやら美娜メイナの中で今胡麻団子が流行っているようで、色々と工夫をしているのだ。

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