第107話 お宅訪問

「もし、もぅし!」


立勇リーヨンが戸口で声を張り上げる。

 ただし表口ではなく、裏口であった。

 ミンのこのようなぐてんぐてんに酔っ払った姿を表口で晒すのは忍びないという、立勇の気遣いからこちらとなっている。


「はい、どちら様で?」


するとやがて戸が微かに開き、そう言いながら一人の老女が顔を出した。


「おや、旦那様」


そして立勇に背負われている明を見て、目を丸くする。


「上司を送り届けにきたのだが、中に入ってもよろしいか?」


立勇が尋ねると老女は返答代わりに戸を大きく開き、「こちらへ」と招き入れた。


「では、失礼して」


「お邪魔します」


そこに、雨妹も立勇と続いて入っていきつつ、ひそりと尋ねる。


「あの方、ご家族ですかね?」


「いや、使用人だろう。

 明様は独り身のはず」


 ――なるほど、独り身の飲んだくれか。拗らせがちなヤツだな。


 もちろん独り身でも自己管理ができる者もいるのだが、家で待つ者がいない寂しさから酒に逃げるというのが多いのも事実である。

 二人してそれ以降は黙って歩き、その老女についていって屋敷の奥へと向かい、やがて寝所らしき部屋へ案内された。


「旦那様はこちらへ」


「ああ、わかった」


老女に促され、立勇が背中でいびきをかいている明をショウへと降ろす。

 ようやく背中から漂う酒臭さから逃れられ、大きく深呼吸をしているところへ、老女が深々と頭を下げた。


「旦那様の部下の方々、送り届けていただき、感謝しかありません。

 旦那様におかれましては、やはりきちんと床について寝ていただいた方が、身体にもよろしいでしょうに」


老女が礼を述べつつも、そうボヤく。

 雨妹まで明の部下だと思われたようだが、近衛の仕事場にも宮女がいるのだろうか?

 お世話する係はいるだろうし、下っ端のお仕着せなんてどれも似たような意匠なので、それと思われるのも無理もないが。

 それにしても、気になることを聞いた。


「もしや明様は、自宅で寝ないのですか?」


雨妹が尋ねると、老女がため息を漏らす。


「はい、いつも朝方に酒の臭いをさせて戻って参りますので。

 もし夜に戻られた場合を考えて起きて待つ、家人のことも考慮してほしいものです」


老女はよほど苦情を溜めこんでいたのか、雨妹たちに向かって愚痴を漏らす。


「それからまた、ちょっと休んでまた飲みに出るのですか?」


「その通りです」


雨妹の問いに、老女が頷く。


 ――そりゃあ健康に悪いわ。


 酔っ払って寝落ちして、起きたらまた酒を飲んでとは、もう廃人の生活ぶりだろう。


「明様はお酒がお好きなのですか?」


雨妹の口にした疑問に、立勇が首を捻る。


「私が知っているのは、既に酒を手放さない姿だな」


「じゃあ、昔からかぁ」


雨妹がそう納得しようとしたところへ、「いいえ」と老女が口を挟む。


「旦那様は、若い頃には酒なんぞ一滴も飲みませんでしたよ。

 それにどちらかといえば酒には弱いお方でして、安酒でも悪酔いするのです」


老女の妙に詳しい口ぶりに、驚いた雨妹は立勇と顔を見合わせる。


「あなたは、明様との付き合いが長いのですか?」


雨妹が尋ねると、老女が大きく頷いた。


「ええ、昔におしめだって洗ってやったものです」


なるほど、道理で先程から口に遠慮がないわけだ。


「それがいつの頃やら、仕事でしくじりをしたのか嫌な事があったのか、そのあたりはわかりませんがね。

 飲めもしない酒を毎夜飲むようになって、今ではこういう有様でして。

 全く、情けない……」


口が止まらなくなった老女に、立勇の方が引き気味で少し後ろに下がっている。

 この男、母親である秀玲シォウリンにも弱いようであったし、実は女に弱いというか、強く出られない質なのかもしれない。


「ふぅむ……」


雨妹はというと、今の老女の話について考える。


 ――お酒に弱いのに、酔っ払っているのか。


 それがどういった理由なのかはまた別の話として。

 要するに、明は酒の代謝が悪い体質なのだ。


「少々確認したいことがあるのですが、明様に触らせてもらってよろしいですか?」


「いいけど、お前さんのような若い女子おなごが、酔っ払いなんぞ触りたいものじゃあないだろうに」


雨妹が許可を願うと、老女は奇特なものを見るような目を寄越しつつ、頷いた。

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