第90話 男たちの帰還

立勇が海賊退治に同行して、時間がだいぶ経った。

 この頃になると雨妹は、いつもいる人間がいなくなると妙に居心地が悪くなるものなのだな、と実感していた。

 なにせ百花宮にいる時と違って、ここでは立勇と一緒にいる時間が長い。

 それまでの雨妹は基本、個人行動で好きにやっていた。

 これが一転して立勇がまるでお目付け役のごとく一緒なのを、ちょっと鬱陶しくも思っていたのだが。

 その鬱陶しい存在が無くなると、解放感よりもむしろ喪失感があるとは、人とは不思議なものである。

 そしてその喪失感の元である立勇の乗った船が、港に戻って来たと屋敷に連絡が入った。


 ――立勇様、無事かな?


 雨妹とて薄情ではないので、それなりに心配もする。

 しかしその心労で眠れない日々が続いたかというと、そうでもなく。

 雨妹はいつでもどこでもどんな状況でも、枕が変わっても爆睡できるのが自慢だったりする。

 そんなうっすらとした心配でも、いよいよとなれば早く無事な姿を見て安心したくなる。

 けれど雨妹は立勇自身から、「自分が戻るまで、決して屋敷の外へ出るな」ときつく言い含められており。

 ゆえに立勇を出迎えに港へ行くことはしないでおいて、屋敷で帰りを待つことにした。

 そんな雨妹の一方で、ずっとソワソワしているのが潘公主である。

 夜もよく眠れないようで、目元に薄い隈ができている。

 しかしこの潘公主も安全面への配慮で、港への出迎えはできない。

 船が港へ着いたと聞いた時からずっと、玄関前をぐるぐると歩き回って待っている潘公主は、まるで日本の動物園の熊みたいだ。

 雨妹もそんな潘公主へ付き合って、玄関前での待機である。

 そんな若干の温度差のある二人が待つこと、しばし。

 道の向こうに、こちらに向かって歩いて来る一団がようやく見えた。


 ――お、帰って来たかな?


 先頭の方に利民の姿が確かに見えるが、その中に立勇がいるかどうかまで見てとれない。

 これまではなんともなかった雨妹だったが、急に不安に襲われた。


 ――もし、大怪我をしていたらどうしよう?


 そうであった場合、あらかじめ用意してある雨妹お手製救急箱を持ってきて、治療現場に突撃だ。

 屋敷から出ることになるだろうが、そこは目をつぶってもらうことにして。

 万が一、死亡していた場合……きちんと弔いをしてもらい、太子に遺髪を持って帰ろう。

 雨妹はそんな予測を脳内で想定していると。


「お帰りなさいませ、利民様!」


潘公主の声が響いて、利民が屋敷の門をくぐったのが見えた。

 利民をざっと見たところ、一応着替えたらしく返り血などは見られないけれど、血の匂いが仄かに臭っている。

 船の上では体を洗うための水があまり使えなかったのだろう。

 それでも屋敷に戻る前に街で整えてもよさそうなものを、帰るのを優先させたのか。


「只今戻りました、成果は上々で……あーくそ、面倒クセぇ!」


利民は丁寧な言葉遣いで挨拶をしようとしたが、興奮のせいか、上手く言葉が出てこなかったらしい。


「喜べ公主さんよ、俺らの勝ちだ!」


地の言葉でそう告げた利民が、潘公主の両脇に手を差し込んで高く上げた。

 この乱暴な挨拶の仕方に、潘公主は一瞬驚いたものの。


「それはようございました。

 これから佳の民も安心して過ごせますわね」


にこりと笑みを浮かべてそう応じた。


「……おう」


地の自分に反発が無かったことに、利民は戸惑いつつも嬉しそうだ。


 ――この夫婦、大丈夫そうかな?


 雨妹が微笑ましい気持ちで、二人を眺めていると。


「雨妹よ、お前さっきから見ていると年寄り臭いぞ」


そんな声がいて、横を見ると立勇がいた。


「あ、生きてた」


雨妹の口から思わず零れ出た言葉に、立勇がギロリと睨んでくる。


「なんだ、死んでいてほしかったか?」


「いえいえ、様々な可能性について考察をしていただけですので」


雨妹はそう応じながら、立勇をざっと観察する。


 ――見たところ、怪我をしていそうではなし。


「立勇様、ちょっとあのあたりまで歩いてください」


雨妹の唐突なお願いに、立勇は眉をひそめる。


「何故だ?」


「私が満足するためです」


雨妹が引かないことを感じ取ったのか、立勇は黙って言われた所まで歩いて、また戻って来た。

 歩く姿に違和感も感じられず、骨折などもないようで、まずは一安心する。


「どうやら健康体のようですね。

 では改めて、お帰りなさいませ立勇様」


「なるほど、分かりにくいな、お前は」


雨妹がニコリと笑顔でそう告げると、立勇がため息を吐いた。


 ――分かりにくいとは何事か!


 無事を喜ぶ前に、本当に無事なのかを確かめるのは常識ではないか。

 けれどそれはともかくとして。


「立勇様、妙に綺麗ですね?」


そう、立勇は多少汗臭くはあるものの、鎧に傷や返り血のようなものが見られない。


 ――後方支援の係だったとか?


 戦いに実際に参加せずとも、やることは色々あるかと思っていると。


「あの程度の相手で血を浴びるなど、新兵ではあるまいに」


立勇がちょっとしかめ面でそう言う。どうやら雨妹の指摘は、立勇的には嫌味ともとれる意見だったようだ。


「それは、失礼しました」


雨妹は素直に謝る。

 それにしても、切ったはったをやってこれだけ身綺麗となると、この男はひょっとして、かなり強い部類の武人なのではなかろうか?


 ――手術でも、腕のいい医師は出血が少ないものだしね。


 太子は、そんなエラい人間を雨妹と残してしまって、本当によかったのだろうか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る