第60話 太子の目論見
「雨妹(ユイメイ)をかい? 彼女は私の大事な付き人なのだが」
当然ながら驚く太子に、潘(パン)公主が食い下がる。
「あの、決して彼女を召し上げようということではないのですわ。
ほんのしばらくでいいですから、どうかわたくしの傍に置かせて欲しいのです!」
必死の形相の潘公主に、太子は「何故?」という疑問を口にできないようだ。
ただ、潘公主としての一大事であるということは察せられたらしい。
太子がその後ろに控える雨妹に、視線を向けて来る。
「雨妹は、それでいいのかい?」
これに、雨妹は大きく頷く。
「はい、太子殿下。
よろしければ私はしばらくここに留まりたく思います」
この答えに、太子が「やれやれ」と零す。
「他ならぬ玉(ユウ)のためだ、しばらく雨妹を貸そうじゃないか」
「……! 殿下、ありがとうございます!」
太子から許可が出たことに、潘公主が跪いて頭を垂れる。
それに合わせて、雨妹も慌てて跪くと。
「では雨妹、立勇(リーヨン)と共にここへ残り、玉の憂いを晴らしてくれ」
――え、立勇様も一緒なの?
思わず顔を上げる雨妹に、太子が意味ありげな微笑みを浮かべていた。
***
明賢(メイシェン)が利民(リミン)の屋敷へ到着した日の夕刻、屋敷の広間では歓迎の宴が催された。
しかし玉は昼間のやり取りで疲れたということで、欠席である。
そしてそれ故に別献立となる玉の夕食指導を、雨妹が厨房に細かく伝えていたりする。
「奥方様に料理の味がわからなかったなんて。
もっと早く仰ってくだされば、料理を工夫しましたのに」
そう嘆いた料理人の男が、雨妹と玉のためになる料理について話し合っていたと、その場に立ち会った利民から聞かされた。
「あの雨妹という娘、実に博識ですね。
佳(カイ)の港の漁師達以外で、あんなに海の食材を知っているなんて」
感心しきりの利民であったが、生まれも育ちも辺境であるはずの雨妹が、海の食材に詳しいとは不思議である。
――それにここまでの道中も、雨妹は海に感激した風であっても、驚いた様子はなかったな。
海を見たことがない者は、どこまでも続く水溜まりに驚くものなのだが。
実際、昔の明賢がそうだったように。
この疑問を、試しに雨妹にぶつけてみたのだが。
「……昔、旅の者に聞いたのです」
雨妹はそう言い張った。
目が泳いで怪しいことこの上なかったが、ここで追及するのはやめておく。
海の食材について知っているからといって、なにか悪事に繋がっているわけではないのだから。
案外食い意地の張っている雨妹のことだから、いつか海に行って食べたいものを調べていた可能性もある。
その雨妹はというと、自分はここで座っているので美味しいものを食べておいでと勧めたところ、料理が並ぶ卓へと弾丸のように跳んで行った。
どうやら海鮮料理を楽しみにしていたらしい。
そんな雨妹の様子を微笑ましく観察していると、背後から声がした。
「殿下、自分がここへ残ってよろしいのですか?」
振り返ると、護衛として控えている立勇が眉をひそめていた。
もちろん、一緒に宮へ戻ってくれたら心強いとは思う。
けれど今回は、雨妹についてやって欲しいのだ。
「本当は私も残れたらいいのだけれど、宮を長く離れるのは危険だからね」
明賢はそう言って肩を竦めて見せると、声量を落として続ける。
「海の支配者たる黄家の勢力は、父上も一目置かれている。
当然、皇太后であっても無視できない。
だからこそ、雨妹の味方になってくれれば、心強いだろう?」
今は楊(ヤン)が上手い具合に雨妹の存在を隠しているが、その内必ず表舞台で注目されるはず。
その時、雨妹が孤立しないようにしておきたいのだ。
なにせ、雨妹本人は一応目立たないように行動しているようだが、困っている者を見つけると、途端にそのあたりの理性が吹き飛ぶ傾向がある。
それにあの医術に対する知識の豊富さ。
陳(チェン)医師ですらうっすら聞いたことのある程度の異国の医術についてを、雨妹は詳しく語るのだという。
『ありゃあ一体、どんなお人に育てられたんでしょうかね?』
この国にあんなに医術に詳しい者が、都の外にいるものだろうかと、陳医師も首を傾げていた。
当然、雨妹を育てたであろう尼達が、それほどに医術に詳しいとは考えられない。
もしそれほどの知識を持つならば、辺境の尼などにならずとも、それなりに大きな場所で身を立てられるからだ。
――案外、雨妹の旅人に聞いたという話は正しいのかもな。
異国で国の支配者の不興を買って追放された医者が、辺境に流れてきて戯れに雨妹に知識を授けた。
物語のような話だが、あり得なくもないことだ。
そんな不可思議で謎の部分の多い雨妹だけれど、明賢にとっては思いがけず再会した生き別れの妹なのだ。
このまま何事もなく、健やかに過ごしてほしい。
「頼むよ、立勇。あの娘を守っておくれ」
明賢の心からの願いに、立勇が「仕方ない」といった顔になる。
「……承知しました、全力を尽くさせていただきます」
そしてそう言って頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます