第40話 小さなお花見
こうして手洗いのために離脱した雨妹(ユイメイ)だったが、それから結構歩く羽目になり。
「なんで厠所(トイレ)が近くにないのさ、全く」
それほど差し迫った状況ではなかったとはいえ、我慢しながら歩かされた雨妹はプリプリと怒っていた。
厠所がどこにあるのかわからず、無駄にウロウロしたというのも敗因である。
今度から厠所の場所をちゃんと確かめておこうと心に決めたのだった。
そして結構時間をくったので、元の場所へ戻るのに最短距離で行こうと、とある小道を通った時。
「きゃははは!」
聞き覚えのある子どもの笑い声が耳に飛び込んできた。
声がするのは、人気のない場所からだ。
――この声、もしかして……。
雨妹は声の方をそっと覗いてみる。
「これ、温かいね!」
「はい、台所番の宮女が温め直してくれましたからね」
すると視線の先には、若い娘とそんな会話をする友仁(ユレン)皇子がいた。
茂みに囲まれた場所の芝生に敷物を敷いてあり、いくつか料理の盛られた皿が並べられている。
二人だけで花見をしているのか、これでは宴というよりまるで野遊びをしているようだ。
娘はあの件の後に新たに付けられた世話役なのだろう、料理を小皿に取ったり友仁皇子の口元の汚れを拭ったりと、懸命に世話を焼いている。
――よかった、元気そうにしてる。
彼女に一生懸命に話をしている友仁皇子の表情は明るく、怯えた様子も見られない。
あの皇子付きの女官の文君(ウェンジュン)が出て行ってから、生活が改善されたのだろう。
雨妹が二人の様子をなんとなく眺めていると、偶然こちらを向いた友仁皇子とパチリと目が合う。
「あ!」
途端に表情をぱあっと明るくした友仁皇子が皿から饅頭を一つ取ると、敷物から立ち上がりこちらへ駆け寄って来る。
「殿下、どうなされたのですか!?」
突然の行動に驚いた娘も慌てて立ち上がり付いて来る。
彼女を置いてけぼりにした友仁皇子は、雨妹の前で止まると元気に挨拶をした。
「こんにちは!」
ニコニコ笑顔の友仁皇子に声をかけられ、そっとこの場を去る選択肢が消えた雨妹は、深々と頭を下げる。
「こんにちは友仁皇子殿下、お元気そうでなによりでございます」
雨妹がそう声をかけると、友仁皇子はさらに表情を輝かせた。
「やっぱりその声、あの時の助手の人ですよね!」
「……よくお分かりになりましたね?」
嬉しそうに言ってくる友仁皇子に、雨妹は首を傾げる。
あの時の雨妹は頭巾と布マスク姿で顔を晒していなかったはず。
それなのに何故自分だとわかったのか。
その答えを、友仁皇子は語ってくれた。
「僕、どうしてもお礼をしたくて。
兄上に伺ったら青っぽい髪をした人だと教えてもらったので、きっとそうだと思ったのです」
どうやら情報元は太子らしい。
雨妹にこの青い髪を隠すように言ってきたのは、太子が遣わした立彬(リビン)だ。
あの時は「目立つな」というようなことを言われたのだったか。
この忠告は立彬を介した太子のものだろうと思っている。
目立つ行動をしてしまったのだから、これ以上目立つのを避けろと言いたかったのだろう。
なのに太子本人が友仁皇子に教えてしまうとはどういうことか。
皇子と知り合いになるのは、目立つ行為そのものだろうに。
もしや太子も友仁皇子に教えてほしいと相当強請られ、困ってペロッと喋ったのかもしれない。
――でも、教えちゃった詫びに蒸しパンくらい強請ってもいいかも。
目立たずに後宮ウォッチングをするのが目的の雨妹にとって、身バレは決して喜ばしいことではないのだから。
雨妹の太子に対する苦情なんて知るはずのない友仁皇子が、笑顔で話を続ける。
「おかげであれから僕、とっても元気です!」
そう言う友仁皇子はまだ痩せているものの、健康的な範囲であろう。
しっかり食事がとれているようだ。
――顔が少しふっくらしたかな? 血色もいいようだし。
雨妹が目視で友仁皇子の健康を確認していると。
「あの、このお饅頭は美味しいんですよ!」
友仁皇子が饅頭を差し出しながら告げた。
それを見て、雨妹は目を瞬かせる。
「もしや、これを私にくださるのですか?」
「はい、お饅頭が好きだって兄上に聞きましたから!」
――なにを言ってくれてるんですか、太子殿下!
饅頭好きだと言われると、まるで食いしん坊みたいではないか。
それに雨妹が特別食い意地が張っているのではない。
この国では一日二食が基本だとしても、労働者にはどうしてもその間にもう一食必要となる。
なのでおやつは大事な昼食代わりなのだ。
それに雨妹は饅頭に特別執着しているわけでなく、蒸しパンや麻花(マーホア)だって貰うと嬉しい。
中でも腹にたまるのが饅頭なので、それでより好むだけで。
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