第16話 雨妹の噂

玉秀(ユウシォウ)のお見舞いの翌日。

 ――よし、今日からまた仕事だ。

 気合を入れた雨妹(ユイメイ)は、朝から食堂でモリモリご飯を食べて食欲旺盛だ。

 そしてなんと、未だにインフルエンザを発症せずにいる。

 インフルエンザの潜伏期間は一、二日と短いので、感染しているならとっくに発症しているはずだ。

 ――我ながら、免疫力がんばったわ。

 思えば前世でも、同僚がバタバタとインフルエンザに倒れて職場から消えていく中、一人だけ罹らずに職場で奮闘していた気がする。

 インフルエンザが逃げて行く体質は、前世から持ち越したものらしい。

 けれど油断はできない。

 冬から春になる間のこの季節が、インフルエンザは一番猛威を振るうのだ。

 だから雨妹は医局の医師に言われたという前置きで、昨日医局から戻った後、予防の大切さを周囲に説いて回った。

 けれど、その成果は芳しくない。

 というのも、これは病気ではなく呪いだと信じている者が、雨妹が話をした中でも半数以上いるのだ。

 ――うーん、意外に呪い説は根深いんだなぁ。

 やはり皇太后が支持したというのが大きいのだろう。


 そしてもう一つ問題が発覚した。

「ちょっと、あの娘じゃない?」

「寄ると呪われるっていう……」

食堂にいる他の宮女が、雨妹を見てひそひそとなにか言っている。

 ――聞こえているっつーの。

 雨妹は内心でツッコみながらも、極力表情を変えないようにする。

 ひそひそしているけれど微かに聞こえるという、絶妙な声量で話すのがまた嫌らしい。

 「雨妹が呪いの根源」説もまた、まことしやかに広まっているらしいのだ。

 あの時玉秀に施した心肺蘇生が奇異に思われたらしく、現場で野次馬をしていた者たちから流れたようだ。

 これを特に積極的に噂しているのが宦官だ。

 役立たずだったくせに、こういう仕事だけは素早い。

 ――私を悪者にして、自分たちのヘタレっぷりを消したいんだろうな。

 噂の全体像によると、呪いを恐れず玉秀を助けようとした宦官たちを、雨妹が突き飛ばした邪魔をして、さらなる呪いを振りまいた、という内容だ。

 どれだけあの役立たず宦官に都合のいい噂なのだか。

 だがこの噂だけならば良かった。

 この話と相まって混乱させているのが、同僚からの嫉妬だ。


 雨妹が看病したのが太子のお気に入りの妃嬪(ヒヒン)だったことで、出世狙いの嫌らしい女だという話が広まっているのだ。

 噂が広まったのは雨妹が爆睡している間である。

 こうした話は本当にあっという間に広まるものらしい。

 女の嫉妬は海よりも深い。

 前世でも女の多い職場にいたので重々知っていたつもりだが、少々後宮を舐めていた。

 雨妹はただでさえ後宮入り初日から忙しくて、人間関係の構築が遅れ気味だ。

 宮女の間で少々浮いているのは本人も自覚しており、その中でのこの事態である。

 おかげで誰も雨妹と一緒に行動をしたがらず、仕事でも食事の席でも一人である。寂しい事この上ない。

 そんなひとりぼっちな雨妹を唯一構ってくれるのが、美娜(メイナ)である。


「ここ、座るよ」

雨妹が座っている卓に、美娜が自分の食事を持ってドカリと座った。

 今日は休みらしく、宮女のお仕着せではなく気楽な恰好をしている。

「美娜さん、おはようございます。

 昨日の蒸しパン、江(ジャン)貴妃がとても喜んでましたよ」

昨日は蒸しパンを貰った後、美娜が忙しそうだったので話せていなかったので、早速報告をする。

「そうかい!? いやぁ嬉しいねぇ」

玉秀の食事は、初日からずっと宮女の宿舎で用意されているらしい。

 こちらの方が医局に近いというのもあるのだろう。

 だが子良が言うには太子がこちらを指定したらしいので、太子宮の台所番を信頼できないのかもしれない。

 太子は太子宮の台所より、宮女の宿舎の台所の方が危険が少ないと判断したのだろう。

 ――江貴妃がいない間に、太子が頑張って太子宮改革をしてくれるといいけど。

 そんなことを考えながら、雨妹が朝食をかき込んでいると。


「……およ」

食堂に三人の宮女が群れて入って来るのが見え、その中に梅(メイ)の姿があった。

 雨妹の世話役なのに、初日以来顔を見るのはこれが初めてだったりする。

「おうおう、お仲間引き連れちゃってまぁ」

梅は数人の宮女を引き連れているが、彼女たちも都出身の宮女だということだ。

 梅たちは宮女のお仕着せ以外にも簪や襟巻などでお洒落に着飾り、綺麗に化粧をしている。

 田舎者のひがみ目線で見れば、「都生まれ」という主張を全身でしている格好だ。

 彼女たちは全員が、実家からの仕送りが期待できるくらいに、裕福な家出身なのだろう。

「阿妹(アメイ)が出世狙いのズルい女だと言いふらしているのは、あの連中だよ」

美娜が雨妹に囁く。

 ――まあ、そうじゃないかと思ってたけどさ。

 悪い噂というものを広めるのは、なんの関係も持たない第三者だろうが、生み出すには積極的な悪意を持つ個人が必要となる。

 無関心な相手は空気と同じで、噂になり得ないのだから。

 それで言うと、人間関係が薄い雨妹に直接関係していて、後宮に来た初日から悪意を飛ばしてきたのは梅くらいだろう。


 宮女には借金を背負って後宮入りした娘もいる中で、梅も他の娘らも恐らく皇帝か太子に見初められるのを期待されて、送り込まれた女たちだ。

 あのように華やかさを演出しているが、妃嬪になれなければなんの意味もない。

 そして年々歳を重ねていき、若さは衰える。

 ある意味崖っ縁にいる連中とも言えた。

 そんながけっぷちの女たちからすると、新人のくせに太子のお気に入りの妃嬪とあっさりお近付きになれた雨妹が、妬ましくて仕方ないだろう。

「阿妹がきっちり仕事をして上に気に入られているのが、癪に障るんだろうさ」

だったら自分もサボらず仕事すればいいのにと、美娜が苦笑するが。

 ――最初から、働くつもりがなかったんだろうなぁ。

 妃嬪になることが目的ならば、彼女たちの家はそこそこの身分なのだろう。

 そこの娘となれば、使用人に全てを任せるような生活だったと想像できる。

 そこでちやほやされて育っていれば、後宮入りすればすぐに皇帝なり太子なりの目に留まるとでも言われ、本人もそのつもりだったのではなかろうか。


 つまり梅らは、掃除も洗濯も台所も、自分のような女がすることではない、と内心で考えているのだろう。

 だから働かず、結果女官に出世できていない。

 梅は長く後宮にいるので上級宮女にはなれているようだが、そこから女官になるには試験があり、当然上司からの推薦も必要だ。

 働かない宮女を推薦する上司は普通いないだろう。

 なんのことはない、自分で自分の首を絞めているだけである。

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