第90話 巻き戻し。目に見えるものが全て。
一度部室に顔を出した由利亜先輩は、お祖母さんが心配だと言ってそっち方面の女友達と連れ立って楽しそうに帰って行った。
風がやんだのは、授業中止の放送が流れてから約一時間半後の十時を少し過ぎたころだった。
弓削さんはどうやら俺に下着を見られた遠因である三好さんに若干ご立腹なようだった。今回の見捨てるような行為の原因はそこにあるのだろうが、実際に用事はあるらしく、大きなカバンを持ってタクシーを拾ろうと罪悪感のない純粋な笑顔でさっさとどこかへ行ってしまった。
残されたのは、俺と三好さんだけ。
どうやら今日は、この女子高生とお泊り確定らしい。
風は止んでも雨の量は尋常なものにはならなかった。
人間の日頃の行いを咎めるかのような冗談みたいな雨量は、傘をさすだけで外を出歩くのは無謀にしか見えない。
結局、学校から一歩も出ることのできないまま、弓削さんの見送りを済ませ濡れて部室に帰ってきた俺と三好さんはカラーボックスに入っていたなに用かはわからないけれどとりあえずきれいなハンドタオルで頭や服を拭くと、沸かしなおしたお湯でお茶を淹れた。
バケツをひっくり返しただけなら、こんなに水は落ちてこないだろうというくらいの降水量は、きっと土砂崩れや川の増水、住居などに浸水などの被害をもたらすだろうと、教室にあったテレビで天気予報士が言っていた。
そんな、正直電車が動こうと動くまいと帰れそうにない現状、雨に濡れたくないとか、そもそも電車がないとか、そういう理由ではなく、俺は部室でゆったりと過ぎる時間に身を預けていた。
一時間もしないうちに風は元よりも強いくらいの勢いになり、はっきり言って、もう外には出られそうにない。風で折れた木の枝やら、店先に置いてあった看板やら、そういういろいろな物がきっと散乱したり飛び回ったりしているだろうから、普通に危険だ。
「次、風が止んだら帰ろうかな」
十二時を少し過ぎた頃、外の様子を眺めながらそんな言葉が口から漏れた。
なにやら勉強にいそしんでいた三好さんは、顔を上げると頷いた。
「そろそろ帰らないと先生に無理矢理外に追い出されるかもだし」
流石にそれはないだろうと思う反面、体育の教員にそんなことをやりそうな人を思い出して苦笑いを返した。
「そういえば、さ」
ノートに視線を戻した三好さんが、こちらを見ずにそう切り出した。
「山野君は、長谷川先輩と鷲崎先輩と一緒に暮らしてるんだよね?」
「まあ、なし崩し的にね」
目線を外に戻して、何とはなしに答える。
「どうしてそうなったのか、聞いても良い?」
何故そんなことを聞いてくるのか少し疑問にも思ったが、別段隠すようなことでもないと思い、話せることを頭の中で纏めてみる。
最初は由利亜先輩が突然尋ねてきた。部活に入るなと言われて、由利亜先輩の抱える不和を知って、放って置けなくなっただけ。
それから、帰りに一緒にいるのが見つかって、先輩も付いてきた。
元々一人暮らしだった先輩は、どこでくらそうと変わらなかったから、今の現状に落ち着いている。
由利亜先輩の料理のおいしさに、惑わされていると言うのが正確かもしれないが。
ここまで思い浮かべて、自分のとんでもない流され具合に少し驚いた。
俺が泊めようと思わなければ、あの二人が内に居着くことはなかっただろうか?
答えは否だろう。俺がなにを言ったところで由利亜先輩は居着いただろうし、由利亜先輩が居着くと言うことは先輩も付属してくることになるだろう。と言うことは、現状に俺の意思はない。
「な、なんでだろうね、不思議だなあ」
話せる内容がないどころか、自分の主体性のなさを晒してしまうところだった。
恥ずかしいにも程がある。流されるままに女子の先輩を二人家に居着かせているのが、下心すら介入しない時の流れと他人の意思による物だというのだから。
「隠さなくても良いじゃんか~」
なにやらペンを走らせる三好さんの動きに目をやり、円周率の刻まれるのを見るに、背筋がぞわっとした。
「か、隠してないよ? 本当に。理由とか思い出せなくてさ。なんでだったっけなあって感じ」
俺のその嘘八百の言葉に、ふーんそうと相槌ると、教科書とノートを閉じた。
こちらを見る三好さんの目は、既に次のことを考えている物だ。
「山野君さ、床のしたのこと知ってる?」
人差し指で机を指し示す三好さん。
その言葉に少しドキリとする。
「床?」
なにも解っていない振りをして、首を傾げた。
そもそも、三好さんが言ってることが秘密基地のこととは限らないから。
「うん。さっき掃除したって言ったでしょ?」
頷いて先を促す。
「そのとき一カ所だけ汚れてないところがあって、気になって色々してみたら床がとれてね、綾音が入って見てきたんだけど、凄い広い空間になってるらしいの」
完全に秘密基地のことだったので、「へ、へえ、そなんだ~」と、完全に嘘感丸出しの返事をしてしまった。
「やっぱ、山野君は知ってるよね」
それで三好さんにも当然嘘がバレた。仕方なく、鼻から大きく息を吐くと、何でも聞いてどうぞと目の前の同級生を見据えた。
こうしてしっかり見るのは初めてかもしれないと思いながら、肩に掛かる内巻きのセミロングの赤みがかった黒髪が揺れるのを見た。
「綾音がね、里奈ちゃんが入らなくて良かったって言ってたの。どう言う意味か聞いてもはぐらかされちゃって。だから山野君にお願いがあるんだけど、一緒に入ってくれないかな?」
少し、考えた。
俺が入ったときにはなにもなかったあの空間に、弓削さんが見ない方が良いと思うほどの物があったと言うことだろうか?
弓削さんが、と言う点が引っかかった。
つい先日まで、俺の現実的に見れば妄想のような調べ物に付き合ってくれていた、言うなれば裏の世界の住人が、言うなれば表の世界の住人であるところの三好さんに、見せられないと思った物とは、一体何だろうと。
しかも、あそこには先輩しか出入りしていないはずだ。
考えすぎかもしれないが、気になった。
思い過ごしならそれでいいが、思い過ごしでなく、何か、理由わけがあるのなら、それは知っておいた方が良いのではないか。
先輩の、今の状況を打破するのに役立つのではないか。
そこまで考えて、
「わかった。行ってみよう」
そう答えた。
もちろん、体操着に着替え忘れる俺ではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます