第83話 この中に一つ現実がある。
美しさを表す比率という物がある。
ごく一部の人には当てはまらないのかもしれないが、基本的には万人に「美しい」と思わせることの出来る形を表す数学的な表現で、黄金比率と言うらしい。
図形や表に用いられるそれらの言葉は、概して人間の容姿を表現することにも用いられ、美人と呼ばれる人の顔は大体がその比率で証明可能なのだという。
この話で考えれば、世界各国の美人は基本的に皆同じ分立の顔をしており、目の大きさや鼻の形などを除いてみれば全部が同じ顔に見えると言うことになるのだろうか。
いや、除いた部分の重要性を考慮に入れないという暴挙は犯すべきではないのか。
この話を聞いたときに俺が最初に考えたのは、では、その比率を崩してしまえばその人は美人と呼ばれなくなるのか、という逆説的な事実だった。
顔を崩すというのがどのような行為なのかと言えば、暴力で顔面をぐちゃぐちゃにしてみるとか、整形手術で目の位置を少し上にするとか、硫酸をかけて原型を無くしてみるとか、やり用はいくらでもある。
美人を美人でなくす方法を態々考える必要など無いだろう。
美しいものを壊す野蛮人になりたいわけではない。
だからそう。
これは一つの可能性の話だ。
美しいものを壊す方法は簡単に思いつく。
では、平凡なものを、美しく見せる方法は、どれほどの数あるのだろうか。
容姿なら運動や食事である程度作り替えることが出来るし、顔なら化粧や整形で整えることは可能だ。精神面だって、心がけ次第でいくらでも美しいものにすることが出来る。
しかし、そのどれもが鍛錬や修練、努力や根気無くしては成立しないものでもあるわけで。
それでも、一瞬で美しいものになりたいと、一時の間だけでもただ美しくしておきたいと、そう思ったとき、出来ることは何だろうか。
ある人は、美しくあるために男を囲ったという。ある人は美しくなるために美しいものを食したという。ある人は美しさを永遠のものとするために死を選んだという。
なにが正解で、間違いを指摘することも出来ないようなこの問いに、ただ一つ、俺に言えることがあるとすれば、
「俺、美人過ぎる人ってちょっと引いちゃうんだよね」
位のことしかない。
とにもかくにも、どう考えても分不相応な俺の立ち位置は、そろそろ修正しなければならないだろう。
やったことの無いことを、出来ると確信する傲慢さもきっと美しくないのだから。
そして、今回の依頼は病気の早期解決。
解決とは。
完治を指す言葉ではない。
解決とは。
美しさの再構築では、ない。
俺が白一色のこの場所に来るのは、数えて四日ぶりになる。
由利亜先輩と廊下で徹夜して、徹夜明けのままに資料室で検査結果を漁っていたのが三日前。弓削さんの家で古書を読みふけっていたのが二日前と言うことになって、昨日はなにをしていたのかと言えば、爆睡していた。
それはもう見事に豪睡である。いや、こんな言葉は存在しない。
なんだかんだと根を詰めすぎていたようで、水守神社からアパートに帰り由利亜先輩の作ってくれた夕飯を食べたそのままに眠りについて、起きたのは次の日の夕方だった。
だから昨日はそのまま家でだらだらと過ごして終え、四日目の今日再度見舞いに来たという次第だ。
そんなこんなしているうちに、九月は最終盤に差し掛かっていた。
日差しの入らないここからでは知るよしもないだろうが、日の出は遅くなり日の入りはかなり早くなっている。時間の感覚という奴が、崩れていく時期で、そろそろ冬用に調整が必要だ。
ここに来る前に町で見た人たちの出で立ちも、長袖長ズボンと、夏の装いではなかった。
四季に合わせてコーディネイト出来る日本の気候は、おしゃれな方々には嬉しいようだが、正直、厚着したら良いのか薄着したら良いのか解らない季節のある日本の気候を、俺はそこまで好きではない。
「ねえ太一君。人の入院している病室に来て、考えることがそれって言うのは後輩として、ううん、人としてどうなの?」
「後輩としてどうかと聞かれれば、酷い後輩だし、人としてどうかと聞かれれば、真っ当な人間であると言えると思いますよ」
ベッドの上で体を起こして俺のことを睨み付けてくる先輩に、ありふれた解答をする。
正直、この先輩が倒れたときは本当に情けない所ばかりを由利亜先輩に見せてしまっていて、申し訳なさで一杯になるものだが、それがこうやってけろっとした顔で会話をしてしまっていると情けなかった自分に怒りしか湧いてこない。
「私の入院がこれで二回目だからって、軽く見てるんじゃないの? 入院するほどの病気なんだよ?」
「自分がどう言う病気にかかっているのかも解っていないのに、よくもそんなことが言えましたね」
「どう言う病気かなんて関係ないよ。病気は病気。入院は入院なんだから」
腕を組み偉そうに、そんな風に嘯いている先輩の顔色はあまり良くない。
実際体調はよくないのだろう。
起き上がる動きもだるそうで、寝ていて良いといったのに無理に起き上がり今に至っている。
会話をするにも一言喋るだけで息が上がっているように見えるので、俺はなるべく気付かれないように会話の間を長く取って呼吸の時間を設けるように相槌を打った。
「でもですね、後輩としては確かにもう少し先輩を心配すべきなんでしょうけれど、人としてと聞かれると、多分大抵の人間がお見舞いに来る時なんて暇なときか気が向いたときくらいで、そういう人だったらもっとこう、明日の天気とか考えてたりすると思いますよ?」
「後輩としてもっと私を労れ。そして人としてもっと私を労うが良い」
傲慢不遜ここに極まれりと言ったところか。
「どっちも同じ漢字だからって、言葉尻だけじゃ伝わらないですからね。そんなんで笑う人いませんよ?」
若干の呆れを隠さずに言う。
「笑いを狙って会話する奴なんていません。面白さを狙ってると思ったんならそれは太一君の感性が今の言葉を笑いだと受け取ったってことだね」
まあこの先輩にらしい返答をさせてしまったと言うことらしいのだが、こういう人の裏ばっかり見るしゃべり方をしている時の先輩のドヤ顔は、一度写真に撮って本人に見せてやりたい。
「そろそろ本題に入っても良いですか?」
俺は、そのドヤ顔をカメラに残したい気持ちを押し込めて、そう口火を切った。
切ったのだが。
コンコンと小気味良いノック音がして、「長谷川さん、お食事の時間です」と声かけがあった。
先輩が「どうぞ」というと真っ黒なサングラスを掛けた男性の看護師が入ってきてベッド用の机を出して入院食を並べ始めた。
先輩は今マスクをしているがサングラスはしていない。
この男は、サングラスを自分がすることによって先輩の美しさを軽減させているのだろう。その証拠に、看護師はさっきから先輩の方を直視しない。
賢明な判断だ。
目が引き寄せられる程の輝きを放つ先輩に、目線を向けないでいる自制心もまた、正直賞賛モノだが。
その自制心が認められて、この門外不出の隔離病棟の看護師に選ばれているのかもしれない。
「それじゃあ四十分後に取りに来ますね」
言うと、最後まで先輩に視線を向けることなく出て行った。
俺が、何故濃い色のサングラスを掛けている人間の視線が解るのかというとてもくだらない疑問には、日頃濃いめのサングラスを付けた人間と生活しているからと言う、つまらない理由を答えとして提示しよう。
「またシュウマイだよ。今日で三日連続……」
「良いじゃないですか、シュウマイ」
思ったままに言う。
「君は、鷲崎ちゃんのおいっしいいい料理を毎日食べている同士だ。きっとこのシュウマイのまずさを理解できるだろう」
「は?」
なにを言ってるんですか? と聞こうとした次の瞬間。
口にシュウマイがねじ込まれた。
「なにふんでふか!」
「いいから食べて」
もはや仕方なし。言われるままに租借してみる。
何というか、具はパサパサ。それでいて皮はびしょびしょでぬっとりとした舌触り。
はっきり言って、激マズ。こんなもの、人間の食べるものじゃない。きっとどこかの学校の残飯を流用しているのだ、そうに違いない。
「どう、まずいでしょ」
「超、不味い……」
飲み込むことが嫌になるくらいのまずさに、思わず先輩の食事のトレーに乗せられていた紙コップを取り口に流し込む。
ぬるい、何かの味がほのかにするが基本水。
どう考えても、不味い。
「私は入院しているはずなのに、拷問を受けている気分だよ?」
ため息を漏らす先輩に、俺の掛けられる言葉は一つ。
「退院したら、由利亜先輩に先輩の好きな物リクエストしときます」
「ホント!? マジ!? やったあ!!」
喜び狂う先輩の様を見ると、三日間の病院食で相当のトラウマを抱えたと見える。
退院したら。
それはつまり、今回の依頼を完遂したらと言うことになる。
もう退院はさせないと医者に言われてしまっているのだ。入院していようがどこにいようが、先輩の体を治すことなどきっと出来ない。
だがまあ、医者が言うなら仕方ない。
先輩は箸を持ち直すと食事を始めた。
まあ、話は食事の後で良いか。
俺は、血色の悪い顔を更に青く染めながら食事をする先輩の姿を眺めながら、由利亜先輩の得意料理は何なんだろうと考えていた。
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