第80話 神仏習合には、賛同しかねる系男子。



 週末である。


 日曜の今日は何事もないかのようにやってきて、いつも通りに時間が過ぎていっている。


 普段なら、家で由利亜先輩の入れてくれるお茶でも飲みながらだらだらしている時間帯の十時半過ぎ。


 現在地は水守神社境内裏の蔵。


 俺はそこで、一人の患者を眼前に据えて、板張りの床に腰を下ろしていた。


 風を通すための空気窓を上開きしているだけのこの場所で、実際には輝いているわけではないのになぜか光って見えるその患者の体をまじまじと観察しながら神社の資料を紐解きながら。


 この病気を発症した神主。女性宮司のいる神社の資料を弓削さんに協力して貰い素早く手に入れる所までは良かったのだが、どの神社のものにもそれらしい記述は一つとして存在しなかった。


 それらしいと言うのがなんなのかと言えば、一番分かり易いのは、この症状と同じ病などが記述されていることだ。


 だが、まあ大方の予想通りまったくと言って良いほど何もなく、次に探したのは神社の歴史にまつわるもの。


 その昔この神社で急に輝きだした人がいただとか、神様の再来と言われる人が現れただとか、そういう記述を探したが、まあ、ない。


 なんだかんだで、そういう怪談や街談巷説なんかはこういう公式な資料には載りにくい傾向にあるらしい。


 弓削さんの持ってきてくれた資料には、神様の真名や巫女の所作、神主の仕事やらの作法が絵付きで書かれているものが多かった。ていうか、神主って意外とやること多いんだな。


 適当な感想と若干の徒労感を感じながら、それでも未だに資料を捲る手は止めず、細筆で書かれたのであろう現代人には読みづらい草書体を目で追いながら、ため息が口から漏れた。


 カラカラという引き戸を開ける音が聞こえ、階下を見ると弓削さんがお茶道具を持って立っていた。


「少し休憩しない?」


 制服と巫女装束は見たが、今日はそのどちらでもなく私服姿だ。


 秋めいてきた季候に合わせたボーダーのロングTシャツにジーンズというラフな装いは、無防備さが目に見えて感じられて同級生としては少し接し方に困る。


 こんな風に人の服装に文句を付けているが、俺の服装はGパンにロングTシャツにグレーのパーカーという、まあ何というか、普通の格好だ。


 文句の付けようもないだろう。


 持っていた紐で綴じられた本を丁寧に置くと、日焼けしないように布を掛け、付けていた手袋を外す。


 それなりに重要な書物なので配慮はしている。個人的に。


「お茶をくれるの?」


 顔を出して尋ねると、弓削さんは呆れたように首を振った。


「山野君はもう少し人の行動を信用した方が良いと思う」


「それは巫女としての意見? 一人の人間としての意見?」


「一人の人間としての意見。だって山野君、私の持ってるもの解るでしょ?」


 当然解るので頷いた。


 しかし、弓削さんがそう尋ねる程度には、弓削さんの持っているお茶道具は一般的なものではなかった。


 急須と茶筒と湯飲みとポット。


 日頃俺の飲むお茶ならこれで揃うのだが、今弓削さんの持っているのは、お茶はお茶でも、茶道の方のお茶なのだ。


「自分で点てたお茶を、自分一人で飲む趣味は私にはないもん」


「じゃあ、いただこうかな」








 そんなわけで茶室である。


 ここ水守神社にも、利休考案のあの狭い茶室が存在した。


 静かな空気の中。


 ただ弓削さんの所作によって起きる微かな音しかない空間。


 世界と隔離されたような静寂を心身に浴びながら心を研ぎ澄ませている俺は、慣れない正座で足を痺れさせていた。


 痺れるような空気の中で痺れる足は、崩すこともままならないほど痺れていて、顔は引きつりなんとなく姿勢も傾き始めていた。


「山野君?」


 プルプルと震える俺を不思議そうに見る弓削さんは、俺よりも数段綺麗に正座をこなしながら小首を傾げてみせる。


「な、なにかな?」


 強がるとかそう言うのではなく、もう本当にこれしか言葉が出なくて聞き返した。


「脚、痺れたなら座りやすい風に治して良いよ?」


「おおおかまいなく……」


 座り直せていたら苦労していない。その思いを込めての返答だった。


 しかし、俺の気持ちは届かなかったようで。


「でもほら、なんとなく右に傾いてるよ?」


「い、今はそっちに寄りたい気分なの」


「……」


 点てたお茶を差し出さず、俺のことをしげしげと見つめる弓削さんは、何か面白いことでも見つけたのかハッと顔を輝かせた。


 そして俺は思い出していた。


 この弓削綾音という女の子が、意外にも嗜虐的な趣向を好むと言うことを。


「動かせないくらい痺れてるんだ?」


 うわ、何この子、すっごい嬉しそうなんですけど。


 やだやだ、こんな子に捕まったら終わりだ。


 どうにか、どうにかこの窮地を切り抜けなくては!


「そんなことないよ? ホントに。いやマジで動かせるから。だから今はやめよう? ちょっと? よってこないでくれるかな?


「すこーーしだけ、ね?」


「ちょっと、弓削さん? ね、ちょっ、まっ! ああああっ……!!!!」


 ちょんちょんと指で痺れた脚を刺激され、くすぐったいような痒いような不思議な感覚が全身に走る。逃げようにも脚が動かないし、笑っちゃいそうで、涙が出てくる痺れを堪えること、三分ほど。その間、いつもの優しげな弓削さんからは見られないような強烈な笑顔をした弓削さんを見て、ひたすらに恐怖していた俺。


 なんと弱い生き物なんだ、俺。


 正座一つでこんなに弄られることになろうとは。日頃の椅子生活が祟ったか? いや、でも由利亜先輩は弓削さんに負けないくらい正座綺麗だしな。


 ……まあ、俺が弱いと言うことだけは解ったな。


 なんだこの悲しい結論は。


「ははは。ごめんね、つい楽しくなっちゃって」


「そんなに笑顔で謝られても、謝られた気がしないんですが……」


「別に許して欲しくて謝ってないもん~」


 そしてこの感じである。


 俺だったら真似できない剛胆さ。これが旧家の生まれという奴だろうか?


「今凄い失礼なこと考えたでしょ」


「巫女さんに神通力があるって言うのは本当なんですか」


「はあ…」


 また呆れられたようだった。






「それで、何か分かったのか聞いても良いのかな?」


「もちろん。聞きたいなら聞いてくれてもいいよ?」


 弓削さんの出してくれた抹茶の芳醇な味を余韻で感じながら、弓削さんからの質問に答えにならない返答を意識しながらする。


 別に意地が悪いからそうしているわけではなく、ただ単純に答えられることがないから前置きを長くしようとしているだけなのだが、弓削さんは俺がなにかをもったいぶっているのだと勘違いしたらしく、詰め寄ってくる。


「お母さんの病気の治し方分かったの!!?」


「あ、そうか。その話しもまだしてなかったんだっけ」


 うっかり、しなければいけない話しをしていない。


 クエスチョンマークを頭に浮かべた弓削さんに、今のところ病気と言う診断を下す検査結果が現れていないこと、それに付随して、この病状の患者が似たような状況下の人間であることを話した。


「だから、神社の歴史なんて調べてたの?」


「そういうこと。今のところ出来ることはそれくらいだからさ」


 理解の早い女性である弓削さんは、もうかなり俺の話についてきている。


 スピリチュアルに仕えると、多少の理不尽は気にならないのかもしれない。


「それならそうと早く言ってくれないと、さっき出したやつじゃ全然関係ない内容のものばっかりじゃん」


「へ?」


「神社には、他人に見せて言い書物とダメな書物があるの。ダメな方は公式なものとして認められないけど、実は歴史的な資料としてはそっちの方が事実が書かれてるんだよ」


「ほうほう」


 俺は理解が遅いフレンズなので(流行も遅い)弓削さんの言ってることが半分も分かっていない。


 それを察したのだろう、弓削さんははっきりと教えてくれた。


「だからね? そういう怪奇現象の記述とかは、関係者以外に見せちゃいけないの。山野君が見たのは表に出せるやつで、そっちにはなにも載ってないの」


 ここまで聞けば、流石の俺にも言わんとすることが分かった。


「つまり、その裏書物にはーーー」


「見てないから分からないけど、多分」


 平穏な休日。俺は何ともしれない何かと、こんな感じで対峙しようとしていた。






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