第62話 秋の寒さ、寂しさの初め。


「太一くん、今日君は一人で出かけてたんじゃなかったのかな? なんで長谷川さんと抱き合ってたのかな? 二人のデートの帰りに私を呼ぶとは良い度胸だね? 何か弁解はありますか?」


「…………いえ…返す言葉もございません…」


 いや、実際の所はデートなんかじゃなくて、研究所で流れるデータを干渉していただけなのだが、完全にヒスっていらっしゃる由利亜先輩には多分何を言っても届かないだろう。そう思い、丸投げした。未来の自分に。




 日付変わらず夜の九時。


 昼間の暑さはどこへやら、かなり涼しい風が俺の肩を過ぎていく。アパートの外、階段に腰掛け一人ぽつねんと空を見上げている俺は何気なく吐いた息が少し白いことに気付く。


「もう、冬が近いのかな…」


 午前中はあんなに暑かったし、さっきまでの怒号はあんなに熱かったのに、今はもう肌寒い。


 ……いや、寒い。肌寒いとかじゃなく、めっちゃ寒い。なんか急に気温が下がったからかな、体感的に極寒だわ…ハックション!!


 長袖のTシャツと、クタクタになったGパンで普通の秋の装いなのだが、残念ながら季候は冬の装いのようだ。


 許されるなら、ジャンパーが欲しい…


 タクシーで迎えに来てくれた由利亜先輩に大激怒を喰らい、来月からの小遣い減給と、これから一回の嘘をつくごとに婚姻届に一画ずつ名前を書くことを条件に赦しをもらったはずなのだが、反省のためにと外に放り出されて早三十分。


 中ではなにやら女同士の話し合いが行われているようで、話し声が聞こえてくる。だから怖いから入れないのだ、いや鍵かけられてて開けられないだけなんだけどさ。


 コンビニにでも行こうかとも思ったが財布は部屋の中で、加えて居ない間に戸が開かれて俺がいないことに気付いた由利亜先輩が、俺の財布から今月分の小遣いまで抜くかもしれないという恐怖から、そんな行動にも移れないでいる。


 なんというか、こんな言い方をしていると由利亜先輩がめっちゃくちゃ面倒くさい女になってきてるみたいだから言って置くけど、今に始まったことではない。……じゃなくて、心配してくれているかららしい。先輩曰くだけれど。


 俺が何かをしているとき、それは基本的に兄の依頼を受けたときだ。それがこの半年で先輩達二人が共通して気付いたこと。そして、その依頼を終えて帰ってきたとき、決まって俺は疲れた顔をしているらしい。まあ仕事して帰ってきているのだから、知らない間に疲れた顔をしている事はあるかもしれないが、先輩達はそれ以上の何かを感じているらしい。それが何なのかを教えてくれる気はないようだが。


 つまり、まあ俺のせいで由利亜先輩は面倒くさい彼女化しているわけだ。いや、小遣い減らすとかって、彼女というよりお母さんに近いのか?


 そういえば、今日はお父さんに会いに行くといっていた。お祖母さんとも関係は良好のようだし、由利亜先輩の身の回りはかなり安定してきている気がする。母親の事はあまり口には出さないが、たまに話題になればエピソードも話してくれるので、それなりに吹っ切れているのかもしれない。多分俺だけが、由利亜先輩の安定を崩すものだ。


 折角保たれているバランスを、崩す要因になりかねないアンバランスが、人間関係を拒んできた自分だと気付いて愕然とした。


 気付いたところで俺にはどうすることも出来ない。その事実が押し寄せてきて、俺は自壊を余儀なくされる。幾度となく壊れてきた自分という虚像。何のことはなく、今回もまた、その虚像を作り直して貼り付けて、よしよしこれで出来上がりだ。


 今はそんなことを気にしている場合ではない。


 なんて、意味深なことを言ってはみたが、ただ寒いだけだったりする。


 いやあ…寒いっ……








 それから一時間後。俺はようやく入室を許され、温かいお茶を飲みながら毛布にくるまっている。寒いとかではなく、まどろみが訪れそのまま俺を連れて行こうとしたとき、丁度名前を呼ばれ自分が置かれていた状況を思い出した。


「だからごめんってば。忘れてたわけじゃなくて、この人の問い詰めがしつこかったんだよ。文句なら鷲崎さんに言ってね」


 俺と同じようにお茶を飲みながら、げんなりした様子の先輩は誰かに聞こえるようにわざとらしくそう言った。俺を見て罪悪感がわいたというのもあるのだろうが、それ以上に文句を言いたい相手が居たようだった。


「文句なんてないよね、太一くん?」


 キッチンの方でなにやらしている由利亜先輩は、しっかりと聞いた上で俺に問いかける。そんな優しそうな顔しないでください。怖いです。


「でも、先輩がいることは本当に知らなかったんですよ。兄さんが呼んだらしいですけど、何も言われてなかったですし」


「それが抱き合ってた言い訳か?」


 俺の言い分は端から聞く気のない由利亜先輩は、聞いたこともない低い声とともに睨んでくる。


 そんなドスのきいた声も出せたんですね、役幅広いなあ……


「抱き合ってたっていうか寄りかかられてたっていうか…… 何にしても全部誤解ですから…」


 相手は彼女でも何でもない先輩であるにもかかわらず、こんなどこまでも這いつくばっているような態度でしか居られないとか、自分の情けなさが悲しい。情けなさ過ぎて悲しいとかどうなってんだ俺の感情、もう感情だけは死んじゃってるのかな?


「………イ」


 キッチンでのなにがしかをし終えた由利亜先輩が、テーブルの方に来てぽつりと言った。


 とても残念なことに、俺の耳では「イ」しか聞き取れなかったが、ここで「聞こえなかったんでもう一回言ってもらっても良いですか?」と言ったとき、今現在ご立腹でありゲキオコホニャララである由利亜先輩がどんな返答をするかは想像に難くない。「何でもない…」である。


 しかしそれは非常にまずい。


 なぜなら今の俺は怒りの的なのだ。ここで間違えば、もう一度外に放置なんて事にもなりかねない。だから俺は考える。


 今さっき、俺はなんと言った? 語尾にイが着く単語、それは!!


「そうなんです、誤解なんですよ。だからそろそろ機嫌直してください」


 これでどうだ!!


「誤解なんて言ってない。学校祭って言ったの」


 誤爆した~


 しかもさっきの俺の台詞。浮気現場を彼女に見られたときの彼氏の言い訳その物じゃないかあ………


 絶望している俺を先輩は、私は無関係ですと言わんばかりの顔をしてお茶を飲みながら横目で見ている。否、俺の言い訳に加勢しろや、おまさんの所為でもあんのやぞと、思いはするが、声に出す気力も、この状況でそんなことを言う度胸もないのである。


「ねえ太一くん」


「…はい。何でしょうか……」


 エプロン姿のまま椅子に座ると、頬杖をついて楽しそうな笑顔で由利亜先輩は俺を呼ぶ。もう放って置いて欲しい俺を無視して俺を呼ぶ。


「学校祭」


「学校祭が、どうかしたんですか…?」


「私ね、部活もはいってないしクラスの出し物にも不参加だから暇なの」


 言ってる間もニッコニコな由利亜先輩の心中は、残念ながら俺には推し量ることも出来ず、聞くしかなかった。


「そう、何ですか? じゃあ由利亜先輩は学校祭で何やるんですか?」


 そして、この質問で由利亜先輩の笑顔の仮面に少し罅が入ったのは、流石の俺にも解った。


「だから、暇なんだってば」


 解ったのはそれだけで、なにがそうさせたのかは全く解らない。加えて結局この人は何が言いたいのかも解らない。


 …え、これ、どうしたら良いの……?


 動転する俺の思考を察してくれたのか、先輩が横でなにやら口パクしている。


 えーと、なになに、「暇を自慢している。褒めろ。君は忙しいんだろ」か? なんだ、俺が忙しくしているのを聞いて、自分は暇なことを自慢してるって事なのか? じゃあ、


「へ、へえそうなんですか? 時間があって良いですねえ、俺なんて結構仕事抱えちゃって、忙しい…って、どうしたんですか、由利亜…先ぱ…?!!」


 最後まで言う前に平手を喰らい、「もう寝る!!!」と、由利亜先輩は部屋に引っ込んでしまった。


 ……何事…???


「君は本当に馬鹿だなあ」


 と爆笑する先輩に、だまされたことを悟るのはかなり遅かったようだった。






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