第11話 日常の、ほのぼのさを感じられる方が異常
「やってくれると思ってましたよ。まさか訓練だってことを知らされてないなんて」
「でもそれは私の所為じゃないよ?」
教室横の廊下。
誰もいない校舎内。
先輩が入って来た途端、静まり返った教室の中で、やはり俺だけはすんなりと動くことが出来たのだが、それは予感していたからだった。さすがに無防備だったらば、五秒はフリーズしただろう。
先輩を教室から押し出し、「何してんすか」と問いかけたときには、担任が復活し、生徒を並べると先輩を一瞥し去っていった。ついぞ俺には目を向けなかった。
そして今の状況である。
外ではもごもごと聞き取れない言葉がスピーカーから響き渡っている。
「まあ、それはそうですね。まあ兎にも角にも外に行きましょうか」
「もういいんじゃない?」
「何がです?」
「これから行っても、もう遅いし」
この人は一体何を言いたいのだろうと思考するがろくでもないことを言い出すんだろうなという事だけは予想できた。
そして案の定というか予想通りに先輩は、
「このまま部室に行ってお茶でもしようよ!」
「馬鹿なんですか。先輩は怒られなくても俺は反省文書かされるかもしれないんですよ、今の時点で…」
「どうせ書かされるならもういっそたくさん書くためにさ!!」
「絶対却下です」
「むー…」
会話を打ち切り昇降口へ向かう。
生徒の集まっているのは校庭で、校庭に出るには昇降口を通るのが手っ取り早い。
「先輩は行っちゃだめなんですもんね?」
「そうだね~、私が行くと混乱するし…」
悲しげな顔をする先輩だが、何故か部室には向かわず俺の後をついてくる。
「戻らないんですか」
「こうしてれば君が根負けして部室に来てくれるんじゃないかと思ったんだけど…」
「流石にそれはないですね」
「だよね」
てへっ、と口で言って渡り廊下のほうへ方向転換した先輩は、「放課後、絶対に来るんだぞ!」とだけ言って、返事も待たずに去っていった。(廊下は走っちゃダメ、絶対)
ため息を漏らしつつ、階段を下りた先にある昇降口から一歩出ると、強い日差しに焼かれる。
「まぶしっ…」
手をかざし顔にかかる日差しを遮りながらそれだけ言うと、教員の集まるほうへと歩いていき、担任にひと声かける。
「すみません。えっと、先輩が迷惑かけました」
なんだこの挨拶はと思ったが、事実なのでそういうしかない。断じて俺は悪くない。
「いいんだ、長谷川に情報伝達されていなかったのはこちらのミスだ」
なんとも素直に許してくれた担任に会釈して、クラスの列の最後尾にならんで立つ。
どういうわけか隣に鷲崎先輩がいて「ああ、今日はなんて不幸な日なんだろう」と、自分の不運を呪うとともに、出来るだけ絡まれないように、素早くこの場を離れることを心に決める。
「た~いっちくん!」
「あああぁぁ……」
決心むなしく、訓練の終了が告げられると同時に捕縛され、右腕をホールドされて、逃げることは不可能となった。
と同時に俺の口からは絶望を吐き出すとこんな感じ、というくらいのため息と訳の分からない声が漏れ出る。
話が終わるまでの十分、この人はずっと俺のほうを見ながら舌なめずりをしていたのだろう。怖くてそちらを向くこともできなかった俺は、予想通りに捕食者によって絡めとられ、今、全校生徒の衆目にさらされている。
「ちょっ、離してもらっていいですか?」
「だめです~ 逃げないように捕まえてるのに離すわけありません」
「何故に俺は捕まっているのでしょうか」
上目遣いに俺を見る鷲崎先輩は、小さな唇を舌でちろっとなめ、潤してから、
「今日も君の家行ってもいい?」
「………」
おい、これどうすんだよ、この状況、クラスメイトの俺を見る目がだんだん黒くなっていくんだが!?
「ねえねえ」
「ちょっと、場所かえませんか?」
「だめ」
んー…、ん?
「ところで、なんで鷲崎先輩こんなに後ろにいらっしゃるんです、身長順ならもっと前でしょう?」
「失礼ね。私のクラスは名簿順なのよ」
ああ、なるほど…。
「それで、行って良いの? 駄目なの? どっちなのよ」
じろじろ見てくる連中に、「どこか行けよ」、「なんでこっち見てんだよ」、「見世物じゃねーぞこんちくしょう!!」
心の中では言えても、実際に口にできないから俺は俺のことをチキンだと思う。
そして、衆目に晒される羞恥プレイに耐えられなくなった俺は、意を決して、というかされるがままに、
「この間も言いましたけど、いつでも来てもらって構いません。家が嫌だというのなら、住んでもらうのもやぶさかでは有りませんが、親御さんとは話をつけてきてください。それが条件です」
俺は何を言ってるんだ…。
見ている連中は口々にひそひそ話しているが、正直もうどうでもいい。今は自分の言った頭のおかしい発言のほうが、恥ずかしい!!!!
「お、親に、わ、わかった…。じゃ、じゃあ、取りあえず、今日も、き、昨日と一緒ね!」
俺が自分で悶えているうちに、鷲崎先輩は一人で勝手に納得し、赤面して、一方的に約束を取り付けると校舎のほうへ走っていった。
呆然と立ち尽くす俺を、ピエロでも見るよな目で嘲笑し、歩き去っていく学友たちがいなくなった頃、
「おい、山野、少し話を聞かせてもらおう」
担任と生活指導の教員は、どうやら不純異性交遊を見逃す気はないらしい。
根掘り葉掘り関係について聞かれるうちに、自分ですらなんであの二人と交流があるのか分からなくなってきた。
とりあえず、事実だけを伝え、あることしか喋らず解放されると昼休みは終わっていた。
「部室、行くかな…」
教室に行ってまたあの目で見られると思うと、何となく面倒くさい。
だったら部室に食べ物でも買って行って食べようか、などと思考するが、あんまりいい案のようには思えない。明らかに何かまずい地雷を踏みしめる気がする。
「いや、教室で寝るか…」
結局、奇異の目で見られながら四五六と授業を過ごし終え、ホームルームが終わるとともにため息をつきつつ部室を目指した。
「やっぱ遠いよな」
ぼやきながら扉を開けると、先輩が優雅にお茶を飲んでいた。
湯飲みからずずとすする音を発しながら、俺の登場に気付いた先輩は、
「…こん、ごぼっ…! ごはっげほっげほっ…」
「ああ、はいはいこんにちは、熱そうですね」
雑に挨拶を返し、席についてハンカチを手渡した。
「い、いつもはちゃんと持ってるんだよ…」
「じゃあ、毎日持ち歩いてください」
受け取ったハンカチで口元を拭き、
「洗って返すね」
「そうですか、じゃあお願いします」
机を拭いて、終了。
「今日は何かすることはないんですか?」
向かい合って座る形になって、先輩の注いでくれたお茶を飲みながら質問する。
「そうだね、毎日何かがあるわけじゃないんだよ」
「まあ、そりゃそうですよね、秘密基地創ってただけですもんね」
「だけとは失礼な!! ちゃんと作り切ったんだから誉めてもらいたいくらいだよ!」
「学校の床に穴あけてるんですから、誉められるどころか怒られると思いますよ」
身を乗り出して主張してくる先輩の顔が、息がかかるくらいまじかにあって、少し体をのけぞらせながら反論する。
そこかから漂う甘い香りで心臓は全力で脈うつが、鼓動の速度に反比例して思考速度は落ちていく。
「あ…、ごめん…」
俺の反応がおかしかったのか、何かに気付いた先輩は体をひっこめる。すると俺の心臓も落ち着き、思考も元に戻っていく。
「何赤くなってんですか」
「なってないもん」
耳まで赤くした先輩は、恥じらいながらも否定して、そっぽを向く。
俺は、クスっと笑って、一口お茶を飲む。
こういう、落ち着いてるのが一番いいよなあ~。
自分の状況の変化についていけないでいる俺の、唯一の安息の時間。
落ち着いて、まどろんで、疲れを取り除く。こういう時間は、とても大切だ。
そんな風にうとうと考えているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
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