第4話 日の沈まぬうちに
レイモンドはふと目を覚ました。
天井を見てここが自身の屋敷でないことに気づくと、辺りに視線を向ける。横を向けば驚いたことに心配気な表情でジェイクがこちらを見ていた。
「…ここは…ドリーの屋敷…?」
口を開くと思ったように声が出せない。そしてその原因に思い至ったところで全ての記憶がよみがえった。レイモンドは何とか体を起こすと、ジェイクが気づかわし気に手を伸ばしたがそれを制止する。
「…ドリーは無事なのかい?」
何を尋ねればいいのかわからず、とりあえずそんな言葉を口にする。ジェイクは水差しからグラスに水を注いで手渡してきた。レイモンドがそれを飲み干したところでジェイクが答える。
「無事ですよ。お二人で馬車でお戻りになったのです。あなた様は気を失っておられました。」
この様子だとブロムトン卿とドリーの間に何があったのか、ジェイクはまだ知らないのだろう。
レイモンドは今朝のことを思い出していた。早朝に森の出口でドルイドと別れると、支度のために一度自分の屋敷を戻り、それからすぐに彼女の屋敷を訪ねたが、その頃にはもう彼女は屋敷を発った後だった。
メアリーとジェイクに話を聞いたところ、彼女は取るものも取らずロンドンに行くと言ってすぐに風見鴉屋敷を出だのだという。
レイモンドは彼女の意図を察して急いで後を追いかけた。やっとのことで彼女を見つけたが、結局のところ彼女を助けるどころかあの様だ。
レイモンドは自分の浅はかさと無力さを思い知って頭を抱えた。そんなレイモンドにジェイクは優しく声をかける。
「今はとにかく横になって体を休めて下さい。お嬢様の見立てですと、回復に時間がかかるようです。」
レイモンドは困惑の表情を浮かべる。
「時間がかかる…?」
確かに喉の回復が遅い。ブロムトン卿に首を絞められてから、ここに来るまで結構な時間があったはずだがレイモンドの喉は治っていなかった。吸血鬼の回復力をもってすればそんなことは無いはずだがどうもおかしい。
「どうやら村の気配がおかしいようなのです。」
そう言われてレイモンドもそのことに気がついた。確かに空気がおかしい。レイモンドの周りに纏わりついてくる気配が彼を苦しめる。それはつまり清浄すぎる空気だった。
「なぜこんなことに…。」
「ドルイド様もまだ原因がわからないようで…。こちらにお戻りになってそうおっしゃっていました。ですがあなた様の容態が気になるので、この屋敷にお運びになられたのです。ただ…」
そう言ってジェイクが言葉を切って、扉をちらりと見る。レイモンドが不思議そうにジェイクを見やると彼は困ったように言葉を足した。
「屋敷には、エレクトラお嬢様もいらっしゃいますので、この部屋は鍵がかけられています。」
鍵と言っているのは、ジェイクが言葉を選んだからだろう。つまりレイモンドはこの部屋に魔力で閉じ込められているのだ。しかしそれも致し方ないことだった。
「ジェイクは出られるのかな?」
「どういう仕組みかはわかりませんが、私は出入り自由なのだそうです。」
「なるほどね。」
そう言ってレイモンドは再びベッドに倒れこんだ。
「彼女がこの部屋を訪ねてくるまで、私は待つしかないようだ。」
「はい、ですのでどうかお体を休めて下さい。」
その言葉を最後にしばらくの沈黙が部屋を満たしたが、ジェイクは何かをするでもなく座椅子に腰を下ろしているので不思議に思って目をやると、ジェイクがこちらをじっと見ていたことに気づいた。
そして視線が合ったところで彼は改まったように口を開いた。
「…レイ、どうかお嬢様のそばにいてあげて下さい。」
ジェイクのただならぬ雰囲気にレイモンドは再び体を起こす。彼がレイと呼んでくれていたのは昔のことだ。いつもと違う彼の様子に不安を掻き立てられる。
「急にどうしたんだい?」
ジェイクはいつも優しくはあるが毅然としていて衰えなど感じさせないが、今は歳相応に弱っているように見える。また何かしらの病気に罹っていないかと不安になった。
「体の具合が悪いのかい?
なら私に診せてくれ。」
「いいえ、どこも悪くありませんよ。
しかし冬の一件以降いろいろ考えることがありましてね。あなたとこうしてゆっくり話す時間ができてよかった。
まずは命の恩人であるあなたにお礼を言いたい。私の薬を作るためにあなたが危険な目にあったと聞きました。」
「お礼ならすでに聞いたよ。」
レイモンドは苦笑を浮かべる。
「いいえ、あの時は森での件を知らなかったのです。お嬢様方が私の回復を待って教えてくれました。私はその話を聞いて言葉では言い表せないくらいの感謝の気持ちでいっぱいになりました。」
レイモンドは首を横に振る。
「大袈裟だよ、ジェイク。私はドリーと君に大恩がある。私はあなたを父のように思っているんだよ。だからこれは当然のことをしたまでだ。これからもあなたにはずっと元気でいてほしいんだ。」
ジェイクはここでふと悲しげな表情になる。
「私もそう願っていますが、私はもう歳です。ずっと皆様のそばにいることはできません。」
「ジェイク…」
ジェイクは顔を上げ、レイモンドの目を捉えた。その瞳に何か差し迫ったものを感じる。
「レイ…先程も言いましたが、あなたにはお嬢様のそばにいて欲しいのです。」
レイモンドは一瞬言葉に詰まったが、躊躇いがちに答える。
「…私は彼女の足手纏いにしかならない。」
「それを言うなら私など何の役にも立っておりません。ですがお嬢様にはそばでお支えする人が必要なのです。」
「彼女はもう十分自立している。昔はたしかに支えが必要だったのかもしれないが、今は誰の助けも必要としていないように見える。」
「私はそうは思えません。」
その力強い言葉にレイモンドは何かを感じとり目をみはる。ジェイクは言葉を続けた。
「レイ、よく聞いて下さい。
あなたがこの屋敷に初めて来た時、お嬢様はよく体調を崩して部屋に篭っていたのを覚えておられますか?」
レイモンドは古い記憶を呼び覚ました。
「ああ…そうだったかもしれない。体調が優れないと言ってよく寝込んでいたな。」
レイモンドがこの村に来たのは7年前だった。確かに思い出してみれば、どうして忘れていられたのかと思うほど当時の彼女は儚げだった。今でこそ一般よりは細身と言えど健康そのもので当時を考えると驚くほどの変化だと言える。
「お嬢様はずっとお体が弱くて…ここでの生活は困難を極めるものでした。私は身の周りのことであれば、できることは何でもしていました。」
レイモンドは当時の記憶を呼び起こそうと頭を巡らしたが、思い出せば思い出すほど苦い笑いしか込み上げてこない。それを見ていたジェイクが思わず尋ねる。
「どうされましたか?」
「いや…あの頃の自分がどれだけ何も見ていなかったのかと思ってね。
私はドリーに助けられた時、天使に出会ったと思っていたからね。」
彼女がそのような問題を抱えていたことを今の今まで忘れていた自分が恥ずかしかった。だがレイモンドにとってドリーは本当にそのような存在だった。当時彼女は18歳で自分は13歳。彼女は大人の女性に見えて、とても魅力的だった。いつも静かな湖面のように落ち着いていて、だが彼女の瞳にはいつも大きな力が秘められていた。その所作は美しく、指先からも慈愛を感じるほどで、一挙一動に目が離せなかった。
「確かにレイ坊はお嬢様の後ろをずっと着いて回っておられましたね。」
レイモンドは珍しく動揺し、顔を赤らめる。
「その呼び方は止めてくれ。
……私は本当にそんな風だったか?」
ジェイクは好々爺の笑みを浮かべる。
「ええ、かわいらしかったですよ。
ついてまわっていない時は、目で追いかけていました。」
レイモンドは頭を抱える。
「頼むから、ドリーとそんな話はしないでおくれよ。」
「ドルイドお嬢様は当時から笑っておられましたよ。」
「ドリーが?」
「と言っても当時からお嬢様はあまり笑う方では無かったので、笑みを浮かべる程度でしたが。」
レイモンドは説明できない胸の疼きを感じ、さらに顔を赤らめた。レイモンドは咳払いをして話を戻した。
「それで、ドリーの体調がどうしたんだい?」
ジェイクは忍び笑いも抑えて、話を続けた。
「その様子では覚えておられないかもしれませんが、お嬢様の体調はあなたがこの屋敷を出ていく少し前から回復していたんです。」
レイモンドは話の方向が見えずに怪訝な表情を浮かべる。だがジェイクは気にせず続けた。
「その頃からです。お嬢様が私に何かを隠すようになったのは。」
ジェイクは悲し気に目を伏せる。
「私はあの頃からずっと嫌な予感がしていました。確かに私の手助けが要らぬほどまでに回復したことは喜ばしいことでしたが、何と言いますか…お嬢様は影を背負うようになってしまった。うまく説明できませんが…まるで健康のために、心を引き換えにしたような…。とにかく私は不安でなりませんでした。」
レイモンドは消え入りそうになるジェイクを繋ぎ止めるように彼の肩にそっと手を置いた。
「…ジェイク。」
「本当は従者としてこんな風に主人のことを明かすべきでは無いのは分かっています。ですがお嬢様は私の知らぬうちによくない方向に進み続けているのではという思いがずっとありました。」
ジェイクは疲れたように額に手を当てて、困り果てたようにため息をつく。
「だからあなたにお話したかった。私はこれまでお嬢様の意に反するようなことはしないようにしてきました。それが私の仕事だと。ですがそれが本当によかったのか、最近疑問に感じることが多くなりました。特にメアリーお嬢様が来られてからは…。」
「メアリー嬢が?」
ジェイクは苦笑を漏らす。
「メアリーお嬢様はドルイドお嬢様の意に沿わぬことばかりされます。だがそのおかげでドルイドお嬢様にも変化があらわれました。
よい変化です。
レイも気づいているでしょう?」
レイモンドも思い当たるふしはたくさんあった。メアリーはこの屋敷に今までにない変化をもたらしてきた。メイドを雇い、パーティを開き、屋敷に外の空気を通すようになった。ドルイド自身も不本意そうではあるが村人との交流も増えたし、何より表情が豊かになった。
「私もこれではいけないと思ったのです。だからあなたにお願いしているんです。これ以上お嬢様が遠くへ行かないようにお傍について差し上げて欲しいのです。」
レイモンドはなおも結論を出せずにいると、ジェイクは今までに見せたことのないような鬼気迫る様子でレイモンドの目を捉えた。
「…レイ…。」
ジェイクの言葉にレイモンドはついに降参の両手をあげた。
「…わかったよ。ジェイクに言われると断れない。」
ジェイクはその言葉を聞いてほっと肩のこわばりを解き、安心したように微笑んだ。
「そう言ってくれると思っていましたよ。」
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