第48話 選択肢
ドルイドは文字通り叩きつけられるように目を覚ました。
気づけばドルイドはレイモンドの腕の中にいて、あまりに突然のことに状況が理解できなかった。
だがパニックになっている彼女をよそに、レイモンドは樫の賢者を固い声で威嚇する。
「樫の賢者殿、これはどういうことですか。」
頭を掴まれているドルイドは視線だけで樫の賢者の姿を探すと少し離れたところに彼はいた。レイモンドの出現で距離をとったのだろう。だが立居振る舞いは落ち着いていて、皮肉な笑みを浮かべる。
「お前がこの女に会いたくなさそうだったのでな。相手をしてやっていたのだよ。」
「それは申し訳ありませんでした。
ですがもう大丈夫です。
話が済めば、彼女を森から追い出します。
あなたの手を煩わせることはないでしょう。そのために私はここにいるのですから。」
賢者は鼻で笑った。
「そうだったな。」
そう言って彼は煙のごとく姿を消した。
ドルイドは話の流れについていけずに一瞬遅れを取ったが、はっとしてレイモンドを見上げると彼の赤い瞳とかち合った。
そこで初めて彼が怒っていることに気がついた。だが何に対してかわからない。
「…レイモンド…?」
「…君は何をしようとしていたか、わかっているのか?」
ドルイドは瞠目した。樫の賢者とのやりとりのことについて言っているのだろう。ドルイドが危険な行為に及んだことに怒っているのだ。だがこちらにも理由はあった。
「わかってるわ!
でもあなたともう二度と会えなくなるかもしれないと思ったのよ!」
それはドルイドの本心だった。
確かに樫の賢者はドルイドを
なぜならあのままレイモンドと会えなければ樫の賢者は二度と彼を森から出さないようにしたに違いないからだ。だからこそ手段は選んでいられなかった。彼に会えるなら魔力を差し出してもいいと思ったのだ。
ドルイドの言葉にレイモンドは苦しそうに顔を歪めると、いっそう彼女を引き寄せて、抱きしめた。
レイモンドはドルイドの肩口に顔を埋め、そんなことになるはずがない、と呟いた。
レイモンドの吐息が首筋に掠め、ドルイドは体を強張らせる。
ここでドルイドはあることに気づいた。
「レイモンド!
あなた、服を着ていないわ!」
すると彼が、顔をあげる。
「今頃気がついたのかい?」
「だって、それどころじゃなかったじゃないの!私のローブを着てちょうだい!」
そう言ってローブを脱ごうとするドルイドをレイモンドはきつく抱きしめて彼女を
「あまり動かないでもらいたいな。
いろいろ不便なことになる。」
ドルイドはレイモンドの言葉にぴたりと動きを止めるとレイモンドは苦笑を浮かべ、いい子だ、と呟いた。
そして次の瞬間、レイモンドは蒸発したように消えた。
「レイモンド…!」
逃げられたと思ったドルイドは、咄嗟に名前を叫んだが、突然強い風がドルイドを包み込みドルイドのローブを剥ぎ取ると、いつのまにか少し離れたところにローブを着たレイモンドが立っていた。
「少し借りるよ。」
そう言って何でもないことのように木の根に腰を下ろした。ますます人間離れしていくレイモンドを見てドルイドは我知らず自分の体を抱いてしまったが、以前彼の変化を受け入れると誓ったのだ。
ドルイドは気持ちを切り替え、彼の傍に行こうと一歩踏み出そうとしたがうまくいかなかった。突然の目眩にその場に
するとさっと立ち上がったレイモンドよりも先にパッツィがドルイドの身体を支えてくれた。
「大丈夫?」
ひとまわり小さいが力は大人以上なのだろう。パッツィはドルイドを導いてレイモンドの前に腰を下ろすように促した。そしてドルイドが自分の動物の背に体を預けやすいように、背もたれのように座ってくれた。
「ありがとう、パッツィ。」
「お安い御用さ。」
これら一連のやり取りを聞いていたレイモンドは少し胡乱な目つきでパッツィを見やる。
「パッツィ、私は君がドリーを連れて来たことを快く思っていないんだがね。」
パッツィはひるむことなく言葉を返した。
「だって君を一生懸命に探そうとするドリーを放って置けなかったんだもん。
僕がここに連れてきてあげなければ、ドリーはきっと今もまだ森を彷徨っていたと思うよ。」
「私がお願いしたのよ。」
すかさずドルイドがパッツィを弁護する。レイモンドはちらりとドルイドに視線を向けたが、すぐにそらされた。先ほどは樫の賢者の登場で2人とも必死だったが、今は冷静になったようだった。レイモンドはエレクトラのことを気に病んでいるに違いない。レイモンドは苦し気に言葉を紡いだ。
「ドリー、本当ならまだ君に会いたくなかった。私はまだ自分のしでかしたことの整理がついていないんだ。」
ドルイドははっとして即座に言葉を返した。
「レイモンド、そのことだけど彼女のことはあなたは何も悪くないのよ。
全部私のせいなの。だからあなたは何も気に病む必要はないわ。
私はそれを伝えたくてここへ来たのよ。」
この言葉にレイモンドは顔を上げ、怪訝な表情を浮かべる。
「…どういうことだい?」
ドルイドはすべてをぶちまけてしまいたかったが、順序だてて説明する必要があった。ドルイドは一呼吸おいて話し出した。
「あなたもエレクトラ嬢も私の魔物にそそのかされたのよ。
あれは彼がさせたことなの。
2人は何も悪くないわ。」
レイモンドの表情が凍てつく。
「…どうして彼はそんなことを…?」
これは核心にせまる質問だった。ドルイドは慎重に言葉を紡いでいく。
「…私には魔力を授かった人間からそれを生み出す力の源を取り出すことができるの。」
レイモンドはゆっくりとうなずいた。
「マクシムでカーライルに話していたことだね。」
「聞いていたのね。」
「私は聞かれてもいいんだろう、と思っていたよ。それにこの話はエレクトラ嬢が私の屋敷に来た時も言っていた。
自分はもうすぐしたら君に魔力を取り去ってもらうんだとね。」
ドルイドは視線を落とした。
「…全て私が悪いのよ。エレクトラ嬢の体調を考えればすぐにでも魔力を取り去る必要があったのに…。彼は何度もそれを指摘していたけれど、私はそれを無視していた。彼女の心の整理がつくまで待ちたかったのよ。」
レイモンドは疲れをにじませたように大きなため息をついた。話の流れが見えたのだろう、次には謝罪を口にしていた。
「すまない、ドリー。
本来なら真っ先に尋ねるべきだったが、エレクトラ嬢は無事なんだろうか。」
ドルイドは即座にうなずいて答えた。
「もちろんよ。
施術も成功したわ。
あなたが去ったあと、発作が起きてすぐに施術を行うことになったの。
無事に魔力の源を取り去ることができて、今はもう話もできるわ。」
カーライルは片手で顔をぬぐい、そうか…と独り言ちた。
「彼はどこの時点で私たちを惑わしたのかがわからない。」
「あなたは黒猫を見たかしら…?
あれが彼だったの…。エレクトラは私たちが気づかないところで猫を手元に置いていたんだと思うわ。彼はエレクトラ嬢のそばで邪な感情で満たし、思うように動かしていたの。彼は魔物だからそういうやり方しか思いつかないのよ。」
「…心当たりはあるな…。」
レイモンドは苦々しい表情で呟いた。彼はおそらくエレクトラが自分の屋敷に訪れた時のことを思い出しているのだろう。
ドルイドは必死で言葉を重ねた。
「だからあなたは何も悪くないの。
全ては私が悪いのよ。
心からお詫びしたいの。
許されるとは思っていないわ。
だけどそれだけは伝えたかったの。」
自分の言葉の嵐が彼の罪悪感を吹き飛ばしてくれるように祈った。だが彼は次に苦笑を浮かべてこう言ったのだ。
「だがドリー、いくら魔物が
ドルイドはここで言葉を失った。レイモンドはやるせない表情で言葉を続ける。
「私は初めてこの牙で人間の皮膚を突き破り、そこから流れる血を
そうしてレイモンドはドルイドの目を捉えた。
「今だって、どうすれば君の首から血が味わえるか、そればかり考えている。」
ドルイドは表情を強張らせたが、しまったと思った時には遅かった。だがレイモンドはドルイドの反応にさして驚きもせず、悲しげに笑った。
「君の魔物は正しいことをしたんだ。
エレクトラを救い、私に本性を突きつけた。
私は人を傷つけることでしか生きられない生き物なんだとね。私の存在は人間にとって悪なんだよ。私はそれに抗ってきたが、その事実は変わらないことに気付かされた。今回のことが無くても、いつかは必ず起こったことだ。彼はそれを私に教えてくれた。」
「…違うわ!
あなたは悪なんかじゃない!
彼はあなたから選択肢を奪って追い詰めたのよ!そうでなければこんなことにならなかったわ!」
「それでも私が抱える危険性に変わりは無いんだよ。」
ドルイドは絶望的な気持ちでレイモンドを見つめた。目の前にいるレイモンドは、頭を抱えたり涙を流したり叫んだりもしていない。
彼は今回の件について整理がついていないと言ったが、そんなことはないのだ。
彼は結論を出してしまっている。
そのことがドルイドを混乱させた。
ドルイドはしばらくの沈黙の後、震える唇で尋ねた。
「…ここを去るの…?」
レイモンドは悲しげにしかし冷静に答えた。
「今その方法を考えているところだ。
だがまずはディギンズ氏に会わなければ…。
この件を君1人に責任を負わせるつもりはないよ。」
ドルイドは何も言えなかった。エレクトラ嬢について全ての責任が自分にあると思っているからこそ、カーライルへの報告の役も彼の怒りもドルイド1人で受けるつもりでいた。
だが、それがレイモンドを少しでもこの場に留める理由になるのなら、それ以上反論することができなかった。
結局ドルイドは口を開くことができず、レイモンドは彼女に屋敷に戻るように促した。
その言葉を受けてパッツィは再びドルイドを森の出口まで案内してくれた。レイモンドも同行したが、彼はまだ森に残るつもりらしかった。だがカーライルが戻ったら必ず風見鴉屋敷を訪ねると誓ってくれた。
ドルイドはついに彼と別れる最後まで、ただ一言「行かないで。」という言葉が言えなかった。
どう考えてもその願いが、彼を幸せにするとは思えなかったからだ。
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