第12話 レイモンドの行方

 そこに辿り着くには少し時間がかかった。雪はもうなくなっていたので地面は歩きやすかったが、僅かな彼の気配を辿るのに苦労したのだ。

それでも何とか気配が濃くなる方に向かって歩き続け、ようやくここだと思われる場所に辿り着いた。

そこは森の中にある少し開けた場所だった。10年の間に、この森を訪ねたことは何度もあるが、こんな場所があるとは知らなかった。

彼を探して辺りを見回すと、少し離れた木の下に何かが横たわっているのが見えた。ドルイドはそっと近づいていくと、それが何かわかったところで思わず悲鳴を上げそうになったが、なんとかその声を飲み込んだ。

人間の男が3人、折り重なるように倒れていたのである。


「これは…」

「密猟者だよ。」


はじかれるように顔を上げると森の奥から影のようにレイモンドが現れた。

ドルイドは思わず両手で口元を覆った。

それは驚きと恐怖が入り混じった感情からの行動だった。

彼はいつもの紳士然とした姿ではなく、獣のようなオーラを放っていた。

身を軽くするためか上半身はあらわで下はトラウザーしか身に着けておらず、髭も髪も乱れるがままになっている。そして薄暗い森の中で瞳孔は開いていた。


「あの方の依頼でね。大丈夫。

殺してはいない。

少し怖い思いをしてもらっただけだ。

二度とここへは来ないだろう。」


ドルイドはレイモンドの言葉を信じられない気持ちで聞いた。

嫌な汗が背中を伝う。ドルイドは絞り出すように言った。


「…ベンバリー卿があなたにそんな依頼をするとは思わなかったわ…。」


レイモンドは乾いた笑い声をあげた。いつもと違う彼の反応にドルイドはますます混乱する。


「ドリー、本当にあの仮初めの主の依頼だと思っているのかい?私が人間の依頼でこんなことをしていると?」


レイモンドの暗い笑いはドルイドの胸に恐怖の痛みを与えた。


「レイモンド、そちらに馴染みすげてはだめよ。戻れなくなってしまうわ。」


次の瞬間、ドルイドは驚きで身を引いた。

いつのまにかレイモンドが目の前に立っていたのだ。

ドルイドは身の危険を感じ、後ずさろうとしたが背に木が当たったところであることに気がついた。

彼からの甘い香りがするのだ。

ドルイドの胸の奥に暗いおりがゆっくりと沈み、折り重なっていく。ドルイドは自身の暗い感情を何とか抑え込んだ。

レイモンドは彼女が動かなくなったところで再び口を開いた。


「では私はどこへ行けばいい?

私には居場所がないんだ。

私は誰にも求められない半端物はんぱもの

そして君も私の居場所にはなりえない。」


ドルイドははっとして顔を上げる。

ドルイドの目に映る彼の瞳は暗く淀んでいた。


「君は私に化けた隣人と出かけたそうじゃないか。」

「…それが彼の望みだったからよ。」


ドルイドはなんとか答えた。レイモンドは苦い笑みを浮かべる。


「君は周囲に私たちがそういう関係だと思われてもかまわないということだ。」


ドルイドは体を強張らせた。

レイモンドがドルイドを強く抱き締め、首筋に顔を寄せてきたのだ。


「君の血はさぞうまかろう。」


レイモンドは恍惚とした声でつぶやいた。

その吐息にぞくりとする。


「レイモンド、だめよ。

あなたは後悔することになる。」


ドルイドは彼の身体を退けようとそっと押したところで、彼が呻いた。

ドルイドは自分の手が彼の胸板に触れてしまったことに気づいて、慌てて手を引こうとしたが逆に彼がドルイドの手を絡めとり、自分の胸に押しあてた。


「もっと触れてくれ。」


そう言って彼は彼女の手を自分の胸にすべらせていく。

ドルイドは羞恥で自分の身体が燃えるかと思った。

何とか手を引き抜こうとしたがだめだった。

ドルイドは顔を上げてレイモンドを睨みつけたが、彼はひるむどころか楽しんでいるように見える。


「嫌なら君の力で止めるといい。

私など赤子の手を捻るように簡単にねじ伏せることができるだろう。」


彼の自分を顧みない言葉にドルイドはショックを受けた。

ついにドルイドの目に熱いものが滲み、それに気づいたレイモンドは大いに動揺して彼女の手を放して自分の両手で彼女の頬を包んだ。


「泣かないで、かわいい人。」


急に優しくなった声音にドルイドは思わずくずおれそうになったが、レイモンドは自身の身体で彼女を支えた。


「泣かせるつもりはなかったんだ。

私はただこの感情をコントロールできないだけなんだ。」


レイモンドは彼女の目を捉え、優しい口調で語り続ける。


「何の感情か君はわからないだろう。

それは嫉妬だと思うかい?

この苛立ちはあの幼い隣人に対してのものだと?

いや、違う。私が憤っているのは自分自身に対してだ。

君が避けているのは外聞ではなく、私自身だということを確信したからこそ絶望しているんだよ。」


ドルイドは彼が言わんとしていることに気づいて青ざめた。彼の瞳には悲しみが湛えられていた。


「私が吸血鬼だから…」

「それは違うわ!」


ドルイドは呻くように叫んだ。


「それは違う。

あなたが吸血鬼だからと言って、あなたを拒絶したりなんかしないわ。

そのためにあなたのさげすんだり、あなたの尊厳を疑ったことなど一度もないわ!」


レイモンドは苦し気な表情を浮かべる。


「ではどうして…。」


ドルイドはここで口を閉ざした。

唇を引き結んで彼の目を見据える。

レイモンドは彼女のこの行動をよく知っていた。

拒絶を意味するその行動に、レイモンドは怒りを再燃させて木を殴りつけた。


「これだ!」


彼はいつの間にかドルイドと距離をとり、頭を抱えて叫んだ。


「君には恐れ入る!

まるで忍耐力を試されているようだ。

そういう意味では君は正真正銘の魔女と呼べる!」


ドルイドはレイモンドの言葉に傷つくまいとした。

そう言われるだけのことをしてきたのだ。

ドルイドは自身の招いた結果から目を反らすまいと彼を見据えていたが、彼が悪態をついて自身の言動を責めると乱れた髪から瞳をのぞかせて、疲れた声で彼女にこう言った。


「ドルイド、わかっているだろう。

私は今、冷静ではないんだ。

だからここを離れて欲しい。

これ以上、君に醜態を晒したくないんだ。」

「…わかったわ。」


ドルイドは何とかそう答えると、自分を奮い立たせて歩き出した。

ドルイドは混乱の極みに達し、ここに何をしに来たのかがわからなくなっていた。

ひとつだけわかるのは、彼をあちらに行かせてしまったことへの後悔の念だ。

彼から発せられる甘い香りはあきらかにあちらのものとの交流を示していた。

そして彼は狭間はざまで保っていた均衡きんこうを崩した。

彼に甘えていたことのが回って来たのだ。

そして全てはドルイドのせいなのだと思えば、どれだけ辛くても涙をこぼすわけにはいかなかった。これからどうすれば彼が救われるのか考えなければならない。

そんなことを考えながら歩いていると、伸びる手が彼女を後ろからそっと抱きしめた。唇が首筋に触れるのを感じドルイドが固まる。

唇だと気づいたのは彼の言葉とともに感じた吐息のせいだ。


「許してくれ。」


そうして彼は去った。後ろを振り向くと彼はもうどこにもいなかった。

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