第9話 クリスマスパント

 劇は、豆畑農家のある青年が世界を見て回ると両親に宣言し、家を後にする場面から始まる。

確かフランスの物語だったがこれから始まる冒険が今回はいろいろと脚色されているようだ。その冒険が喜劇的で村人の笑いを誘う。子どもたちの必死の演技も手伝って、大人たちは食い入るように見入っていた。

ドルイドはパッツィが満足しているかが気になり何度も彼を横目で確認するが、彼は意外と冷静に劇を眺めていた。あまり劇に入り込んでいる様子もないので、大人たちのはじける様な笑いにじょうじてドルイドは彼に話しかけた。


「パントは楽しめて?」

「まぁね。」


あまり気のない返事にドルイドは焦りを感じた。彼が満足しなければ取り引きは成立しないのだ。ドルイドは彼が関心を示しそうな話題を振ることにした。


「先程の牧師への対応は見事だったわね。

まるで人間のようだったわ。」


ドルイドは妖精を預かることになり内心どうなることかと心配していたが、思っていたよりもパッツィは常識的な行動をとっていた。

レンジの火にイタズラしたくらいで、あとは人間の子どもレベルの騒ぎしか起こしていない。妖精とはもっと破天荒で突拍子がない生き物だと認識していたドルイドは、肩透かしを食らった気分だった。

しかも先程のスタイン牧師への対応など、堂に入ったもので、人間よりも上手に人間らしく対応していたように見える。

彼が何も答える気がないようなので、ドルイドは視線を舞台に戻した。

舞台上では青年が大きなお城に迷い込んでしまったようで、そこでドレスを着た気位の高そうな女性と鉢合わせてしまう。その女性は青年に無理難題を押し付けていた。

レイモンドはおもむろに口を開いた。


「まぁそのようなものだね。」


彼の言葉にさっと視線を戻した。レイモンドの顔がゆっくりとこちに向けられる。


「私は取り替え子チェンジリングだから。」


ドルイドは息を呑み、そして囁くように尋ねた。


「それはいつのこと…」

「…もう覚えていないな。ただ私は君たちが妖精女王ティターニアと呼ぶ存在に捧げられるはずだったんだ。彼女の好みの容姿だったのか、そのために赤ん坊の揺り籠から連れ去られ、彼らの赤子と交換されたのさ。」

「それではあなたは…今は、彼女のものなの…?」


彼は首を横に振った。


「いいや、成長しても彼女に捧げられることはなかった。

噂では他の人間に夢中になっていたとか、なんとかで。

とにかく私の存在は忘れ去られた。

そして現在にいたるわけだ。」

「それで人間こっちの世界に興味があったのね。」


彼は何も答えなかった。

しばらくは劇を見ていると、ピーターが出て来た。ピーターはあの気位の高い女の手下だが、青年をここから逃がそうと奮闘する妖精役だ。

観客からその愛らしい姿に思わずため息が漏れる。

レイモンドはおもむろに口を開いた。


「君の話を聞きたい。」


ドルイドが彼の言葉に反応する前に、彼は耳元でそっと囁いた。


も私と同じようなものだ。彼もまた狭間はざまの子なのだろう?」


ドルイドは話の流れが見えず、舞台に向かって大いに顔をしかめた。だが彼は彼女の反応など気にせず話し続ける。


「かわいそうに。

生きづらくてもこちらに留まるのは君のためなのに。

それを拒否するのは、君のそののせいかい?」


ドルイドははじかれる様に彼に向き直った。

ドルイドは初めて彼が異物だと感じた。

我知らず身体から怒りの魔力が染み出してくるのがわかる。

だが彼はひるむどころか、その瞳は好奇心で輝き、また挑戦的でもあった。

余すところなくドルイドを観察しようする彼の態度に、彼が客人などということは頭の中から消え失せ、冷静さを奪っていく。


「それ以上言えば…」


ドルイドが憎悪の籠った声で告げた時、後ろから悲鳴が起こった。


「まぁ!シーラ!!誰か!シーラが…!」


ドルイドは女性の叫び声に間髪入れずに反応した。すかさず立ち上がり後部座席へと移動する。レイモンドも後に続く気配がした。

観客が立ち上がっているため、奥で何が起こっているのかわからない。駆け付けたドルイドたちに気づいた男性が声を上げた。


「おお!ここにハットフォード氏がいるぞ!ジョシュ!ドクターが来てくれた!

道を開けてくれ!ドクターを通すんだ!」


その言葉に村の人たちは道を開けていく。現場に辿りつくと1人の小さな老女が男性に抱えられるように倒れていた。

シーラと呼ばれる女性は顔が真っ白になっており意識がないようだった。2人に気づくと、老女を抱えていた男性が縋るような目でレイモンドを見上げる。

ドルイドはまずいと思った。

彼はレイモンドではないのだ。

とにかくどこかに彼女を移さなければならない。ドルイドは周囲に向かって言い放った。


「とにかく一度幕を下ろして下さい。

子どもたちが怖がります。そしてそこから出ないように指示して下さい。

ここはどこか部屋がありますか。

彼女をそこへ連れていきます。

ここに寝かしていてはだめだわ。

レイモンド。」


ドルイドがそう言うと、レイモンドはひとつ頷いてジョシュと呼ばれた男性から彼女を引き取る。


「私の母なんです…!助けて下さい!」


彼女を抱えていた男が叫んだ。ドルイドは彼を知っていた。ジョシュ・グラン。ピーター・グランの父親だ。傍には彼女の妻のサラが立っていた。グラン氏は悲痛な叫びをあげる。


「さっきまで元気だったのに…ああ!やはり連れて来るべきじゃなかった…私のせいだ!」


嘆く夫をグラン夫人がなだめた。


「そんなことはないわ。お母様はピーターの舞台を楽しみにしていたんですもの。」

「とにかく部屋に運びます。」


ドルイドがそう言ったところで、スタイン牧師が駆け付けた。事態を把握したらしい彼はドルイドにさっと視線を向ける。


「いっしょに来てください。」


ドルイドはスタイン牧師にそう言うと、夫婦らを連れ立って個室に向かった。待合室のような部屋のカウチに彼女を横たわらせ、具合を見る。


 彼女はもう無理だ。


パッツィの心の声がこちらに伝わってくる。ドルイドはレイモンドと目を合わせ、頷くとドルイドは夫婦に向き直った。


「ピーターをここに。急いで下さい。」


その言葉の意味を理解した夫婦は、さっと色を無くす。

そうしてグラン夫人は、私が…、と言って部屋を出て行った。

グラン氏もスタイン牧師に向き直り、震える声で、準備をお願いできますか、と伝えた。スタイン牧師は頷いて部屋を辞する。

静かになった部屋でグラン氏は静かに膝を折り、彼女の手を取った。


「…母さん、目を開けておくれ…。

頼むから…。」


グラン氏は彼女の手に額を押し当てて懇願する。


「…ここ最近の様子はどうでしたか。」


レイモンドは落ち着いた声音で尋ねた。ドルイドはレイモンドを注視したが、何も言わずに見守ることにした。


「実は…最近はずっと食欲がなくて…粥くらいしか食べていませんでした。

でも今日をとても楽しみにしていて…。

ピーターが出るからと…。」


そんなやりとりをしていると、あ、とグラン氏が声をあげた。

シーラのしわの寄ったまぶたがうっすらと開いたのだ。

グラン氏は老婆の手を握り直し、母さん、と呼びかけた。

シーラはしばらく口を開いたり閉じたりしながら、ついに声を絞り出した。


「…ジョシュ…。…こんなところにいたの。

…早く行かないと…ピーターの舞台に…遅れてしまうね…。」


グラン氏は涙を止められなかった。


「まだ間に合うよ。

さぁ目を覚まして、ピーターの劇を見に行こう。」


シーラに息子の言葉が届いているかは定かではなかった。

しばらく視線をさ迷わせ、ここがどこかと探っているようだった。

そうして最後にグラン氏の後ろに立っていたレイモンドに目を止めた。

そこでわずかだが驚きの表情を浮かべたようだった。


「……パト…ック…。」


シーラの呟きに、グラン氏は驚いて後ろを振り返った。

レイモンドと目が合うと、グラン氏はまた涙ぐんでシーラに向き直る。


「彼は先生だよ。母さん。パトリックはもう何十年も前に亡くなっただろう。」


それを聞いて彼女は少し驚いた表情をしたが、息子に視線を戻し、そうね…と呟いた。そうしてまた辺りを見回した。


「…サラは…?」

「今ここに向かっているよ。ピーターもすぐに来るからね…。

もう少し待ってておくれよ。もうすぐだよ。まだ待っててくおくれよ。」


ドルイドはこの言葉に少し扉を開いて外を確認する。2人が来る様子はまだ無かった。


「…ピーターが…わたしの靴下を…見つけてくれたよ…」

「…そうか。あの子は優しいからね…。」


そう言うとシーラは息子の目を捉え、ゆっくりと頷いた。

意識が混濁しているらしく、行ったり来たりする会話をグラン氏は優しく受け止め、話が途切れないように心砕いていた。

彼が沈黙を恐れているのがわかる。

だがシーラが再び辺りを見渡し天井を仰ぎ見たところで、グラン氏は突然、腰を上げた。


「……母さん…ああ…!!まだだよ!

母さん!!もう少し待ってくれ!!

今、ピーターたちが来るから!」


ドルイドが扉を開け放ったところで2人が駆け込んで来た。


「おばあちゃん!!」


グラン氏は息子を抱え上げ、シーラの傍に引き寄せる。


「母さん!!ピーターが来たよ!!母さんの大好きなピーターが!目を開けてくれ!! 母さん!」

「おばあちゃん!」


ピーターは父親にならってシーラを呼ぶ。

グラン夫人も傍によって彼女を呼び続けたが返事が返ってくる様子はなかった。

レイモンドはそっと近寄り、優しく彼らをおしやって彼女の容態を確認した。

周囲は固唾をのんで見守ったが、レイモンドが脈と鼓動を確認し始めたところで、夫妻は目元を手で覆った。


「お亡くなりです。」


そう告げると、グラン氏はシーラに被さり大いに泣いた。

夫人も静かに涙を流した。

その姿を見ていたピーターも父親に縋りついて涙を流した。


 苦しまずに亡くなったよ。


パッツィの言葉がドルイドの胸に響いた。

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