第13話 朝の散歩

 メアリは夜着に着替えるとすぐに眠りについてしまった。

考えれば彼女はこの2日間、気の休まる暇もなかっただろう。

昨日、ウェザークローハウスに来てそのままモーリス邸を訪ね、

そして今日はハートフォードまで5時間に及ぶ長旅をしてきたのだ。

しかも昨日はフィリップに憑依され、心身ともに疲れ切っているはずだ。

それは彼女の手を握っている時でも伝わって来た。

彼女の身体に何か手がかりになるようなものは残っていないかと、彼の思念の残滓ざんしを探ったが、かんばしい成果は得られなかった。

ドルイドが読み取れたのは、メアリの中が嵐の去ったような広漠とした虚無感と

疲弊に満ちていたことだ。

そこには悲しみと孤独が満たされていた。

それがフィリップのものなのか、メアリのものなのかドルイドにはわからなかった。

ドルイドはベッドから起き上がり、そっと窓に近づいた。

外は雨と夜の闇にさえぎられ、明日の朝にどんな景色が広がっているのか想像することも難しい。

だがドルイドは外の景色を見ているわけではなかった。

ドルイドは窓を見ていたのだ。

すると予想していた通り窓のガラスにドルイドが映る。

ガラスに映るドルイドは口を開いたように見えた。

 

  もうすぐときが来る。


「今夜は無理だわ。

どうにかしてちょうだい。」

血潮ちしおのあるドルイドは声に出して答えた。


  今夜は私。


「そうね。そして来週は私に返してちょうだい。」

ガラスのドルイドは静かに頷いたように見えた。

するとガラスのドルイドは、血潮のドルイドに戻った。

振り向いて時計を見ると、針は静かに日付が変わったことを告げていた。



今朝はとてもよい天気で、昨日の夜の間に雨粒は全て地に落ち切ったに違いないと思えた。

2人はメイドに支度を手伝ってもらい、メアリは朝のドレスを、ドルイドは着替えたがわからない地味なドレスを着て1階へ降りた。

するとヘンリーが玄関ホールで2人を待ち構えていて、その顔には得意げな笑みを浮かべていた。


「おはようございます。

昨夜はよく眠れたでしょうか。

雨音が邪魔して、お2人の安らかな眠りを妨げてしまわれたのではないかと心配で仕方がありませんでした。」

「いいえ、そのような心配は全くありませんでしたわ。

よく休ませて頂きました。」


ドルイドが淡々と答える。

ヘンリーは大仰に頭を下げた。


「朝食の準備が整っています。

どうぞ食堂へお越しください。」


2人はヘンリーの後に続いた。

3人が席につくとさっそく彼は今朝の成果について報告を始めた。


「今朝、さっそく馬丁とともに厩へ向かいましたが

やはり栗毛の馬に何も問題はございませんでした。

今朝はたっぷり飼葉を与えたので、もう少し休ませれば明日には問題なく

走るでしょう。

本当は私どもの馬をお貸しできればと思うのですが、あのような立派な馬車をひくほどの馬力のある馬がおりませんで、お恥ずかしいばかりです。」

「そんな滅相もございませんわ。

本当にいろいろとありがとうございます。

もう十分にして頂いております。

これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはまいりませんわ。

わたくしどもは、今すぐにでもお暇致する所存です。」


その言葉を聞いてヘンリーは目を丸くした。


「そんな!

まだ一晩ですよ!

馬にはまだまだ休息が必要です。

確かに先ほどは問題はないとは言いましたが、それは怪我の具合であって

十分に休ませないと、またどこかで立ち往生されます。

そんな危険を奥様とお嬢様に負わせるわけにはまいりません。

どうかあと一晩、この屋敷にお留まりになって下さい。」


ヘンリーはなんとか、この上流階級の奥様と未婚の娘とお近づきになろうと必死であることは伝わった。

伯爵令嬢メアリは叔母の顔色を伺うように、しとやかにそして健気にドルイドに尋ねた。


「ねぇ、ドリー叔母様。

ここまで私たちのために仰って下さっているですもの。

私たちの旅路の安全を考えると、ミスター・エヴァルの言う通りにした方がよろしいのではなくて?」


メアリの演技力に呆れながら、ドルイドも厳格な叔母を演じる。


「そうは言ってもね、メアリ。

今日中にはロンドンに戻らないと、お父様が心配なさるわ。

わたくしたちも大事な用事があったでしょう。」

メアリは目に見えて項垂れる。

「ええ、そうね。」


ドルイドはメアリの意図を察して、愛するに弱いに転じることにした。


「…ですが、ここを11時頃に出ればなんとか明るいうちには間に合うわね。

あと数時間はここにいられるわ。

それ以上はどうにもならないわ。」


メアリの目にわずかばかり光が戻る。


「ええ、そうね。

それは仕方がないわ。

だけど私、どうしてもこちらのお庭が気になっていたの。

今朝、窓から少し見えたのよ。

一度拝見してみたいわ。」


ドルイドはヘンリーに向き直った。


「エヴァルさん、姪がこのように言っているのだけれども。

いかがかしら?

わがままばかりで申し訳ありませんわ。

ですが間近で見られたらどんなにか素敵でしょうね。」


ヘンリーは大喜びでこの申し出を受けた。

こうして3人は朝食後のお庭散策へと出かけることとなった。

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