砦
更級ちか
砦
商用のために恒樹がパスポートを取得した際、行き先を聞いて顔色を変えた祖母は、恒樹に彼の叔父に会いに行くよう頼んできた。
恒樹にとっては、父の弟。
会った記憶はないが、父との兄弟仲は、あまり良くなかったらしい。
それでも実の弟が生きていると知ったとき、父は人目も
恒樹が疎開先で終戦を迎えたのは、四つのときだった。
その時点で
遺骨はなかったが、
だが終戦から二年が経ち、状況が変わった。
叔父の生存が確認されたのだ。
収容所から解放された叔父は、現地の女性と所帯を持っていた。
日本語と英語の機内放送。
シートベルト着用のサインが消えても、恒樹はしばらく手を動かす気にはなれなかった。緊張と興奮で、それどころではなかったからだ。
社会人になって七年目。彼にとって、これは初めてのフライトだった。
乗客の半分が軍服姿なのも珍しかった。おそらく若い彼らは、そう遠くないうちにベトナムへと送られるのだろう。
セーター姿の恒樹は、税関を抜けると、まっすぐにトイレへ向かった。
薄手の服に着替えるために。
ここは常夏の島だった。眼下に見えた海のエメラルドグリーンが、まだしっかりと目に焼き付いている。
売店に入り、物珍しさも手伝って、モーニング・スターという英字新聞を購入した。学生時代と比べて、英語力はだいぶ
支払いに使ったドルは、先週、都内の銀行で両替したものだ。
公衆電話を使い、無事に着いたと母に連絡を入れると、「あなたは帰って来るのよね」と冗談めかして言われてしまった。
後部座席から運転手に告げた行き先は、ホテルではなく空港から北東方向にある叔父の家。
左ハンドルのタクシーは、メーターもマイル表示だった。
ラジオで次々と流れるのは、聞き覚えのないアメリカの最新ヒット曲。
右側通行で進む車の流れに、居心地の悪さというよりは、違和感を覚えてしまう。
窓の外には、ワンピース姿の女性、自転車、そしてサンダル履きの行商。
スーパーマーケット、バー、レストラン。軍人。
道路標識も当然のようにアメリカ式で、大きな通り沿いには星条旗が掲げられている。
しばらく走っているうちに、左手の通りの先にずっと見えている、
「あれは大学です」
運転手の言葉だった。
独特の訛りはあるものの、懸念していたよりはずっと聞き取りやすい。
「開学記念の式典が、リンカーン大統領の誕生日に行われました」
聞いてもいないのに、運転手は続けて言った。
「あそこは
聞いたことがある。日本軍は首里城の下に地下
だからだろうか。
首里城は三日間に渡る砲撃を受けて、焼失したという。
ここで暮らすと決めた叔父の覚悟を思い、恒樹は胸に鈍い痛みを覚えた。そこには息苦しさも混じっていた。
行き先を告げる他は、もう口を開く気にもなれなかった。
タクシーを降りたとき、恒樹はもっと叔父に会いたくなっていた。
砦 更級ちか @SarashinaChika
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます