21 生きる執念

し得る限りの準備を尽くしたと確信すると、賢司は、バルコニーに戻った。


由里は、燃える焚き火のそばで、賢司を待っていた。

「おかえりなさい」


賢司は、由里が板に突き刺して並べた枝を見て、この午後から久しぶりの笑いを漏らした。

「きりたんぽみたいだな」


由里も同意してくすくす笑った。

二人が笑ったのはそれだけだった。


賢司は、由里に近づいた。彼女が立って並んだ。


家の正面がよく見えた。その先の林は真っ暗だ。


海神よりも賢司と由里のほうが、生きようという執念が強ければ、きっと、生き延びられる。もし執念が足りなければ、負けて死ぬ。


生きるか死ぬか。


空に眼をやった。

よく晴れている。流星もきっと見えるだろう。

海神も、必ず現れる。


賢司は、時計を見た。七時を回ったところだった。

「あと八時間ってとこだ」


「きっと、流星が過ぎれば…」

由里はそう言って、口をつぐんだ。


ほんのかすかに波の音がするが、他には、火の燃えるパチパチという音しかしない。

だが、林のどこかに、海神がいるに違いない。


紀雄と妙子もあの林の中にいる。もしかしたら、もう海神に出会って殺されているかもしれない。

裏切って決別したのが彼らのほうだとはいっても、やはりやりきれなかった。


賢司は、彼らを見捨てたのだ。


止めようと思えば止めることが出来たかもしれないのに、そうしなかった。

思えば、辰也のきっかけをつくったのも自分かもしれない。

辰也を叱責なんてしなければよかった。

「みんな、やられたのかな…」


「賢司君。気に病まないで。出来る限りのことをしたじゃない。みんなを止められなかったのはあなたの責任じゃない。私達は、私達に出来る精一杯の選択をしたの。私は、卑怯者と呼ばれても、どう言われてもいいから、生き延びたい。だから、戦うの」


「わかってる。俺だって、生きるつもりだよ。まだ死にたくはない。…ただ、信じられないんだ。昨日おとといまで、みんないたのにな。それが、いまじゃ、俺と由里だけだもんな。きっともう、スナフキンも妙子も殺られたんだろうな。辰也も、もう冷たくなってたし―」


賢司が思わず言葉に詰まったのを、由里は聞き逃さなかった。

「賢司君? 泣くの? 泣きたかったら、泣いても、いいよ」


「いや。俺は泣かない」

賢司は、空を見上げた。

「俺が泣いたら終わりだから、俺は泣かない」


「どうして? 悲しいときに泣くのは人間として当然のことでしょう」

「わかってる。泣くことは恥ずかしいことじゃないと思う。でも、涙を流してもいいときと、涙を流しちゃいけないときがある。いまは、泣いたらいけないときだと思う。だから泣かないよ」


「そう」

由里が近づいたかと思うと、賢司がまったく思ってもいなかった行動に出た。


賢司の肩に掴まり、少し背伸びをして、賢司の頬にキスをした。

キスをするとすぐに唇を離して、また離れたところに立った。


彼女のしっとりした唇の感触は、すぐに消えてしまったが、とてもいい気持ちだった。


「私ね、賢司君が泣くのって、学祭の終わりのときに見たの」

由里が言った。


「そんなことあったかな」

賢司はそらとぼけたが、覚えていた。

忘れるはずがない。


両肩に抱いた辰也と紀雄の身体の重さ、暖かさ。

笑っていた妙子、育枝。

それに、びっくりするほど優しい顔をしていた由里―。


「私、驚いた。賢司君のこと、あの頃でもまだそんなに好きになれなかったけど。でもね、学祭が終わったときに泣いた賢司君を見て、ふぅん、こういうときに泣ける人なんだって思ってね、好きになったの。あれは、賢司君的にいえば、泣いてもいいときだったのね?」


「ん…まあ、ね」

賢司は、ぐしゅぐしゅと鼻をすすった。

頬がかっかと熱い。

暗くてよかった。


「賢司君」

「んー?」


「もし…ううん、もし、じゃないわ。生き延びて、この島から出たら、そのとき、一つお願いしたいことがあるの」


「わかった。オーケーする」

「ちょっと待ってよ、私まだなにも言ってない!」


「言わなくていいよ。片が付いたら、俺から言うから」

「…」


「由里の願い事、かなえてやりたい。それ、俺の願い事でもあるから。だから、俺は生きる。戦って、生き延びる。絶対、生き抜いてやる」

そう言って、賢司は、槍を掴んだ。


そして、真っ暗な林をしっかりと睨みつけた。

負けやしない。

なにがなんでも生き抜いてやる。

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