17 妙子ⅠⅠⅠ
妙子は愕然とした。何をされるのかぐらい、すぐに分かった。
紀雄が狂っていると悟った。
悲鳴を上げようとしたが、喉の奥まで下着を押しこまれているせいで、息もつらいぐらいだ。
紀雄の力は圧倒的で、手足をばたばたさせても平然と笑っている。
身体を起こすことすら出来ない。
妙子の手は紀雄の身体をまさぐり、引っ掻いた。
妙子の手がなにかに引っかかった。
紀雄のポケットだ。
指がその中に入り、堅いコツコツした小さいものに触れた。思わず掴つまんで引っ張り出した。
紀雄の顔はまだ笑っている。
その光景がなんだか現実のものではないようで。
妙子が紀雄のポケットから引っ張り出したのは、彼のギターピックだ。
材質が何なのか、詳しくない妙子には全く分からないが、夢中だった。
必要なのは、その三角形の尖った形が、紀雄の暴力に抗う力を与えてくれるかもしれないという一縷の希望だった。
無我夢中で、眼をきつく閉じて狙いもろくに定めないまま、目をつぶってとにかく力いっぱい突き出した。
普通なら。
人には理性というものがあって。
人に向かって本気で尖ったものを向けてはいけない、とか。
そういう幼い頃からの刷り込みは身に染みついていて、身体が人間としての限界を先に知っている。
しかし目をきつく閉じていたために。
また、紀雄は、目前の快楽への期待に突き動かされていたのだろうか。
それが、普段の妙子からは想像もつかない速度で自分の顔の正面にやってくるまで、気付きもしなかった。
もう手遅れのタイミングになって、ようやく紀雄の顔から笑みが消え、代わりに驚愕が貼りついた。
ピックはその紀雄の右眼に突き刺さった。
紀雄が絶叫した。
妙子は、気味の悪い手応えにぞっとしたが、紀雄の強靭さを見てきているだけに、ためらわずにさらに押した。
うっすらと眼を開けた。
すると、信じられない光景が眼に飛びこんできた。
紀雄は天を仰いで絶叫を続けていた。ピックが刺さった眼窩からぼたぼた滝みたいに血が流れている。
「アアアアアッ! 痛い、イテェェェェェ! 痛てぇよおおおおおぅッ!」
紀雄が、ピックを力任せに引き抜いた。
すると、血が噴水となって噴き出した。
一緒に、なにかが床に落ちた。
びちゃっという音がした。
赤く染まっていて形は崩れているが、元は白くて丸いものだったようだ。
紀雄の眼球だ。
ああ、信じられない、目玉が―。
私のせいでこんなことに―。
ここまでするつもりなんてなかった、ただ、怖くて痛いのがどうしてもガマンできなかっただけなのに―。
「ちくしょう、ちくしょお! 眼が見えねえ! 痛ぇ、くそ野郎、このクソ女、ブッ殺してやる! 犯してやるッ!」
紀雄が、眼に手を当てたままゆらゆらと近づいてきたので、妙子はよろよろと立ちあがった。
口から下着を引っ張り出して投げ捨てた。
「そんなつもりなかったの。ただやめてほしかっただけなの。痛かったからやめて欲しかっただけなの! 目玉を取るつもりなんてなかったのなかったのなかったんだってばなかったのおおおおおっ! あははははは!」
妙子はけたたましく笑い始めた。
するとなんだか楽になったので、もっと笑うことにした。
笑いながら、走って紀雄から逃げ出した。
「待て、ちくしょお、殺してやる!」
紀雄の怒号が後ろから聞こえた。
部屋から出ると、物置部屋から飛び出して来た由里と鉢合わせた。
由里のたまげた顔が妙におかしくて、妙子はさらに高らかに笑った。
そして階段を下った。
階段を降りても、妙子の脚は止まらなかった。下半身を剥き出しのまま、妙子は走った。
廊下の途中で賢司とすれ違った。賢司も眼を剥いていた。
妙子は、玄関を飛び出した。
飛び出したところで、なにかを蹴飛ばした。
人の身体らしかったが、あまり気にしないことにした。
妙子は、林に飛びこんだ。
出来るだけ遠くへ行かないと。
紀雄に見つからないぐらい遠くへ行かないと。
妙子は、笑い声を空に響かせながら、走り続けた。
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