第六十一話:ゆきちゃん説得

 さて、今日はいよいよゆきちゃん説得の日だ。

 緊張のあまりぎくしゃくとした会話を取り交わしながら、私と先輩は螢静堂に向かっていた。

 さすがに今日の走りこみはお休み。

 持参したくそたろうの版下とお土産のお菓子が崩れてしまっては大変だ。

 今日ばかりはおしとやかに歩こう。



「ゆきちゃんが断ってきたら、とりあえずこの大福を渡すしかねぇな」


 先輩は先ほど甘味処で買い占めた大量の豆大福の包みを大事そうにさすりながら、こちらに視線を向ける。

 

「ゆきちゃんは大福に目がないですからね!」


 特に今日買ったきさらぎ堂の豆大福を見れば、彼女は瞬時に目の色を変える。

 ゆきちゃんに頼みごとをするときは、この大福が必須なのだ。


「モノで釣れっかな?」


「少なくとも私が知ってる八歳のころのゆきちゃんなら、大福ですべて解決できました」


「すげぇ単純さだなオイ! 希望が見えてきたぜ!」


 軽く吹き出したあと、先輩は威勢よく拳を握る。

 そう、ゆきちゃんは単純だった。八歳までは確実に。


 ――けれど、あれから十年の歳月が経っている。

 年月が人を変えるということもあるし、さすがに今はゆきちゃんも大人だ。

 大福の差し入れだけで強固な姿勢を解いてくれるかというと、それは少し厳しいかもしれない。


 ……何はともあれ、私なりに頑張ってやってみるしかないか。

 いざ螢静堂へ!!




 見慣れた門をくぐり診療所へ足を踏み入れると、すぐさまむた兄とゆきちゃんが笑顔で出迎えてくれた。

 優しくてほっとする笑みだ。

 私が患者さんだったら、この明るさに救われることだろう。


「みこちん、今日もお見舞いごくろーさん! そうそう、昨日の晩も殿が見舞いにきてくれはってなぁ」


 なにやらご機嫌そうなゆきちゃんは、満面の笑みで私の手を握り、ぶんぶんとふりまわす。


「雨京さん毎晩来てくれてるよね、かすみさんも喜んでるでしょ?」


「うんうん! そんでねぇ、手製の大福を差し入れてくれたんよー!! しかも豆! 豆大福な!!」


 まさかの大福かぶり。

 一瞬冷や汗をかきながら、私と先輩は「やってしまった」と目線で後悔の気持ちを共有する。


「よかったねぇゆきちゃん……おいしかった?」


「めっちゃうまかったー! みこちんと兄さんの分も残してるから後で食べてってなぁ!」


「あ、うん……!食べたい!」


「料亭の味はやっぱし一味違うんやなぁ。きさらぎ堂さんのはるか上やったわ」


 ぎくりと、思わず肩を浮かせる。

 ……そのきさらぎ堂の豆大福が目の前で山をなしているとは知る由もないゆきちゃん。

 さすがに雨京さんの手作りは分が悪すぎる。別のお土産にすればよかったよ……。



「ほんなら美湖ちゃん、まずはかすみさんに顔見せにいったって」


 豆大福の話題で盛り上がる私たちを見て、むた兄が苦笑まじりに奥の部屋へ進むよう促してくれる。


 ――そうだ。まずはかすみさんのお見舞いに行かなきゃ。

 くそたろうの絵師問題以前に、私がここに来る一番の理由は、かすみさんだもの。

 そこを忘れてしまってはいけないな。


「うん、それじゃ私、かすみさんに会ってくるね。先輩は少し別室で待っていてください」


「おう、待ってるぜ! ゆっくり話してこいよ」


「はいっ!」


 大福ネタから開放されてさっぱりとした顔に戻った先輩は、行ってこいと私の背を叩いて快く送り出してくれる。

 いってらっしゃいと手を振るゆきちゃんとむた兄からも元気を注入してもらい、私はかすみさんの部屋へと歩き出した。




「かすみさん、美湖だよ。入ってもいいかな?」


「ええ。どうぞ」


 よかった、落ち着いた声色だ。

 ほっと一息ついて障子を開け、部屋に足を踏み入れる。


 部屋の中はいつも通りさっぱりと綺麗に整えられているものの、相変わらず物は少ない。

 やえさんは庭に出て掃除をしているようで、外からかすかに箒の音が響いてくる。

 傍で見守ってくれているわけではないけれど、こうして音でその存在を知らせてもらえると、なんだかほっとするな。

 かすみさんも、もう一人でいることを怖がったりはしないようだ。


 今日は珍しく、布団から体を起こして書き物をしている。

 体調がいいのかな。


「何書いてるの?」


 起きて活動できるほどに気持ちが安定してきたかすみさんを見て、胸につかえていた何かが溶けていくような安堵感に包まれる。

 そっと彼女のそばに腰を下ろして、文机を囲む形で向き合った。


「山村先生へのお返事。今日中に書き終わりそう」


 かすみさんは机のすみに重なった紙束をまとめてこちらに差し出した。

 けっこうな厚みがある。

 細く丁寧な字で綴られたそれは、六枚にもおよぶ大作だった。


「たくさん書けたねぇ! すごいっ!」


 内容は自己紹介を兼ねたご挨拶と、お世話になっていることへのお礼、それから体の具合のことなど。

 不安も多いだろうにそれを表に出すことはなく、一日も早く回復して自分の足で歩けるようになりたいという前向きな思いが綴られていた。


「……こんなに長く文をしたためるくらいなら、直接顔を見て話しなさいって怒られてしまわないかな?」


「そんなことは絶対にないよ! たくさん書いてくれて、むた兄喜ぶと思う!」


「そう……? だったら、安心」


 眉を寄せて気弱な笑みを見せるかすみさんは、やっぱりまだ男の人とのやりとりが怖いみたいだ。

 特に、相手を怒らせてしまうことに怯えているようでーーそれはもしかしたら、あの薄暗い屋敷で深門から受けた仕打ちを思い出す引き金になる部分なのかもしれない。



「あとすこしで書き終わるんだよね? 私から渡しておこうか?」


「ううん、やえさんと雪子さんにも見てもらう約束だから、渡すのはその後にする」


「そっか、わかった! きっとそれを読んだら、むた兄もかすみさんの気持ちを分かってくれるよ」


 六枚目の文の終わりには『このまま診察を避け続けていては治るものも治らないと理解しています』と彼女の胸の内が吐露されていた。

 その上で、『もう少し気持ちが落ち着いたら足の怪我を診てほしい』とも書かれている。



「……雪子さんが毎日怪我の手当てをしてくれるんだけどね、たまに傷口を見て不安そうな顔をするの」


 包帯で巻かれた足の傷をそっと撫でながら、かすみさんは目を伏せた。


「具合、よくないの?」


「ううん、悪くはないって。だけどね、やっぱり彼女はお医者さまではないから、これからどう治していけばいいのか一人では判断できないみたいで……」


「そうだよね、ゆきちゃんとしても、むた兄の意見がほしいと思う」


 簡単な傷の手当てくらいは自然に身に付くとしても、怪我や病気をどう治していくのか具体的な計画を立てていくのは、やはり専門的なことを学んだお医者さまの本分だ。

 ゆきちゃん一人で重い怪我人と向き合っていくのも限界があるだろう。


「私も、怖がっていてばかりじゃだめだね。せめて山村先生とはきちんと向き合っていかなきゃ」


 小さく息を吐いて顔を上げたかすみさんの表情は、なにか気持ちに踏ん切りがついたようにさっぱりとしたものだった。

 ここ数日の螢静堂での生活で、少しずつ心の平穏を取り戻しつつあるということなのかな。


「でも無理はしないでね。むた兄も、かすみさんの気持ちを第一に考えてくれてるから」


「うん、ありがとう美湖ちゃん」


 そうしてお互いにねぎらうようにして笑みを交わしながら、この日のお見舞いも無事に終えることができた。


 かすみさんは心身ともに確かな回復を見せている。

 私にとってそれは何よりも嬉しい出来事でーーこのあとに待ち構えている大仕事を乗り切るのに十分な勇気を与えてくれた。


 よし、いよいよゆきちゃんの説得だ! 頑張ろう!!




「ゆきちゃん! ちょっと話があるの!!」


 ありったけの気合いを声に乗せながら勢いよく居間の障子を開け放った私は、部屋の中にゆきちゃんの姿がないことを確認して、がくりとうなだれた。

 部屋の中央に一人座って大福を頬張っていた田中先輩が、顔を上げてこちらに声をかける。


「はふいはん、おーあっあ?」


「先輩、まずお口の中のものをごっくんしてください」


「……かすみさん、どうだった?」


 ありったけ頬張っていた大福をごくりと飲み込んで、先輩はふたたび問う。

 私はそんな彼に促されるまま、大福が詰まったお重の前に腰をおろす。


「すごく順調に回復してます。近いうちにむた兄に会ってみるって言ってくれて!」


「マジか! そりゃ良かったな! 霧太郎さんも喜ぶだろうぜ」


「はいっ! 私も嬉しいです!!」


 にこやかに話を進めながら、お互い満面の笑みで大福に手をのばす。


 一晩たっているというのに、もっちりふわふわ!

 一口頬張れば上品な甘さが口いっぱいに広がり、あまりの美味しさに目の前がぱっと輝きだす。


「ハンパねぇな、高級料亭」


「はんぱないですね、高級料亭」


 庶民の貧相な味覚では、褒め称える言葉すらうまく出てこない。

 けれど素晴らしい。最高だ。最後のひとつまであまさず食べ尽くしてしまいたい……!!


 一心不乱に咀嚼しながらふと目があった私たちは、ぐっとお互いの拳を打ちつけて気持ちを高めあい、自分たちの胃袋の限界に挑むのであったーー。



 その後。


「食いすぎた……もう一歩も動けねぇ」


「あんなにあったのに、食べきっちゃいましたねぇ」


 十数個あった大福を完食した私たちは、膨れきったお腹をさすりながらぐでぐでに脱力していた。

 私が五つほど食べたから、先輩は十前後たいらげたことになる。

 とんでもない胃袋だ。


「先輩、だいじょうぶですか?」


 体力気力ともに常にみなぎった状態の先輩が、こうも萎れているのは珍しいことだ。

 さすがに気がかりで、私はそのお腹を指先でつつきながら彼の顔をのぞきこむ。


「やめろ。上からと下から同時にぶっぱなすぞ……」


「わぁ、もう! 汚いです、やめてください!」


 くそたろう展開、ダメ、絶対!!

 今はこのままそっとしておいたほうがいいのかな。


「オレの腹は死んだが、かぐら屋の大福も消えたぜ……きさらぎ堂の大福持ってゆきちゃんを説得してこい」


 何かをやり遂げたような表情で先輩は握り拳を天に突き上げ、そしてぱたりと力尽きた。

 まさか先輩、ゆきちゃんが雨京さんの大福ときさらぎ堂の大福に明らかな優劣をつけたことを心配して、不安のたねを取り除いてくれたの?

 思いやりの方向性があまりにも彼らしい。思わず笑みが漏れる。

 食べ比べされないように、雨京さんの大福にはここで退散していただくのが一番だよね。


「先輩、無理させちゃってごめんなさい」


「かまわねぇって。うまい大福死ぬほど食えたんだ」


「……ありがとうございます! そのまましばらく寝ててください。私も頑張ってきますから!」


 ぐっと握った私のこぶしに先輩はコツリと手の甲をぶつけて、かすかに笑ってくれた。

 立ち上がる気力もないほどに胃袋で戦ってくれた先輩の誠意を無駄にはできない。

 よし、いよいよ説得だ! いざ出陣!!!




 診察室の前までたどり着くと、中から賑やかな話し声が聞こえてきた。

 どうやら患者さんを診察中のようだ。

 こちらの話は後回しにしたほうがいいかなと足を止め、わずかな障子の隙間から奥をのぞきこむ。


 ――座ってむた兄と向かい合っているのは、藤原さんだった。

 藤原さんとはまた会おうと約束していたから、私が顔を出してもいいかな。

 診察も一区切りついて雑談をはじめている彼らのもとに、私はそっと顔を出して頭を下げる。


「藤原さんこんにちは! 具合はいかがですか?」


「おおっ、みこちん久しぶり! 具合いいよ。最近頑張って薬飲んでるから」


 そう言ってにっこりと笑ってみせる藤原さんは、言葉通りこの間よりも顔色がいいし声にハリがある。

 むた兄とゆきちゃんの表情も穏やかだ。

 この様子からすると、ここ数日は言いつけどおりにきちんと服薬できているのだろう。


「すごいです! ね、ゆきちゃんも褒めてあげて?」


 あの日、甘やかさずにあえて強引な手段で彼の悩みにぶつかったゆきちゃん。

 ここで彼女から優しい言葉をかけられたらきっと藤原さんも喜ぶに違いない。飴と鞭作戦だ。

 ぱたぱたと隣りに駆け寄り袖をつついてみせると、ゆきちゃんは大きくうなずいた。


「ほんまよう頑張りましたねぇ。えらい子やねぇ」


「いや、なんでちびっこ対応なわけ?」


「お薬苦手な子には自然とこうなってしまうんや。ごほうびに飴ちゃんあげよな~」


 お子様用にと買い置きされている飴玉を数個藤原さんに握らせて、にこにこと笑うゆきちゃん。

 薬が飲めるようになってもちびっこ対応は変わらないんだな……。


「なー、みこちんからも言ってやってよ。俺を男として扱ってくれるようにさ」


「それってちょっと、意味合い違ってきません?」


 大人として、が正解かな。

 ゆきちゃんの顔を見れば、きょとんとしてまばたきを繰り返している。


「ほんじゃ、今月いっぱいきちんと薬飲めたら、大人の男として接するわ」


「え、ほんとに!? 言ったな?」


 藤原さんはぱっと明るい表情になってぐっと身を乗り出す。

 こんなに無邪気な表情を見せる人なんだな。どこか陰のある印象だったから意外だ。

 その様子はどう見てもゆきちゃんとの会話を心から楽しんでいるようで――…。


「やくそくやくそく。指きりしましょか?」


「くそぉ……まだ今月いっぱいはこの赤ちゃん口調か。キツイな」


 キツイキツイと言いながらも、ちゃっかりと藤原さんはゆきちゃんの小指に彼の小指をからめて指きりをしている。

 そしてその指きりがなかなか終わらない。

 『嘘ついたら針千本の上市中引き回しで火あぶり、釜茹で、打ち首獄門……』と長ったらしい罰則をつけくわえる藤原さん。

 そんな彼の姿を見てゆきちゃんは吹き出しながら「長いわ!」とお腹をかかえている。


 なんだかおもしろい二人だな。

 見ていてそわそわするというか、むずがゆいというか……。

 脇に座るむた兄にちらりと視線をおくると、彼も同じように思っているようで、温かい微笑みを浮かべてくれた。

 なるほど、やっぱり二人は見たまんまのじれったい関係なのか。



 すっかり見守りの姿勢に入った私は、ほんわかしながら片手にぶら下げていた風呂敷を胸に抱きかかえた。

 すると、ようやく指きりが終わったらしい藤原さんがこちらに目線を向けて、首をかしげる。


「ところでみこちん、大きな風呂敷だね。お姉さんの着替えでも持ってきたの?」


「あ、いえ、違うんです。これはゆきちゃんへのお土産で……」


 と、素直に白状して一瞬言葉に詰まる。

 できれば二人きりでじっくり話し合いたいと思っていただけに、この場で説得の流れになるのは少し予定外だ。


「なになに!? うちにお土産!?」


 しまった、とかすかに表情をこわばらせている私をよそに、ゆきちゃんの興味は大きく膨らんだ風呂敷へ一直線だ。


 ――こうなってしまったからには仕方がない! なるようになれ!



「そうなの、ゆきちゃんにひとつお願いがあって。これはほんの気持ち」


 むた兄の机の上で風呂敷包みを解き、中身を披露する。

 全部で二十個ある大福は、まとめて箱につめてもらった。陸援隊の弁当箱に似た薄い白木の箱だ。

 整然とならぶ豆大福を見てゆきちゃんは目を輝かせる。


「きさらぎ堂さんのやぁ!」


「うん、そうだよ。雨京さんの大福はさっき食べつくしちゃったから、こっちを好きなだけ食べてね」


 食べつくしたの一言にゆきちゃんは思いきり顔をしかめてみせたものの、機嫌をとるように大福をひとつ彼女の手にのせれば、しゃあないなぁと笑みを浮かべてくれた。


 ――よかった。受け取り拒否なんてされたらどうしようかと思ったよ。

 手にした豆大福をまじまじと見つめたあと、ゆきちゃんはぱくりとそれにかぶりついた。

 懐かしの味との再会にご満悦の様子ですぐさまそれをたいらげ、至福の笑みを浮かべる。

 思い切りのいい食べっぷりだ。どんどんどうぞと、彼女の手に箱ごと渡す。


「んんっ! やっぱしここの大福もうまいなぁ!」


「でしょでしょ? 全部食べちゃっていいからね」


「うんうん! ほんで、頼みごとってなんなん?」


 両手に大福を持ち、口の中のものを一旦飲み込むと、ゆきちゃんは可愛らしく小首をかしげる。

 ここで話をしてもいいかとむた兄の顔色をうかがえば、彼は机の上で湯飲みをかたむけながら静かにうなずいてくれた。

 藤原さんも席を立つ様子はなく、興味深そうにこちらの話に耳を傾けている。


 ……よし、言っちゃおう。

 もしかしたらむた兄や藤原さんが味方になってくれるかもしれないし。


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