第五十七話:望月千夜

 それからしばらく歩いた先、賑やかな大通りの真ん中にその店はあった。

 花文堂――このあたりでは名の知れた版元さんで、子供向けの長篇草双紙を多く刊行している。

 父のことも贔屓にしてくれていて、玩具絵などの依頼の大半はここからのものだった。


 新刊の絵草紙や役者絵が華々しく飾り立ててある店先は遠目からでもよく目立ち、ふらりと立ち寄りたくなる魅力がある。

 この店頭特有の紙のにおい、好きだな。心地よくて、ついつい長々と居座ってしまいたくなる。


 私がぼんやり店先で売り物に目を通していると、店内にずかずかと踏み込んでいったミネくんが店主さんらしき男の人をつかまえて話をしている。

 奥まで行ってわざわざ店主に声をかける客は少ないようで、私の目の前に座っていた売り子のお姉さんが何事かとそちらを覗きこんでいる。

 田中先輩から「オレらも行ってみようぜ」とうながされ、私も小走りでミネくんのもとへと駆けつけた。



「そんなわけで、くそたろうの新作はいつごろ出るのか教えていただけませんか?」


「はあ……それが、天野先生に代わる絵師がなかなか決まらんのですわ」


 まだ歳若そうに見える店主さんは、広げていた紙束を桐箱に収納すると、難しい顔をしてこちらを見た。

 代理の絵師、まだ決まってなかったんだ……。

 苦々しいその表情を見るにそうとう難航しているようだ。


「そうですか。やっぱり、望月先生の意向ですか?」


「そうどす。望月先生、天野先生がのうなってえらい落ち込みはって……」


 やれやれと心底困り果てたようにため息をつく店主さんを見ていると、くそたろうの絵師問題がいかに彼の頭を悩ませているのかよく分かる。

 これは思ったよりも深刻な事態みたいだな。私から話をさせてもらってもいいものだろうか。


「……あの、初めまして。私、天野川光の娘の美湖と申します」


 ひとまず手元に残った版下だけでも見てもらおうと、一歩前に踏みだす。

 すると一瞬で店主さんの顔色が変わった。

 彼は身を乗りだして、私の顔を食い入るように見つめている。


「娘さん!? 天野先生の!!」


「そうです。実は父が亡くなる直前まで描いていた、くそたろうの版下がありまして……」


 と、風呂敷包みからそれらを取り出して店主さんに手渡すと、大げさなほどの歓声が上がった。

 覇気の抜けた今までの表情が嘘のように、そのまなざしはきらきらと輝きだす。

 持ってきてみて正解だったかなと隣の二人に目配せをすれば、彼らも満足げに笑みを返してくれた。


「おおお……これはたしかに天野先生の絵どすなぁ。素晴らしい! これぞくそたろうですわ」


「残されたのは、この三枚だけなんです。新作に必要なのは計何枚ですか?」


「ひとまず一冊分に十枚として、あと七枚。残りを引き継いで描いてもらうにしても、なかなか難しそうどすなぁ」


 十項分か。そんなに枚数が足りないのであれば、父の版下を活用するのは諦めて新しい絵師さんに一から描いてもらったほうがいいのかな。


「そうですかぁ……版元さんのほうで良さそうな絵師をあてがって、続刊を出すわけにはいかないんですか?」


 たしか、本づくりに関してはほとんどの権利を版元さんが持っているはずだ。

 絵師の決定も、独断で押し通してしまうことはできるんじゃないかな。


「それが、あかんのですわ。望月先生はもう、他の絵師の挿絵で続きを描くことはないと断言してはって」


「うーん……そこをなんとかできませんかね? よほど頑固な方なんでしょうか?」


「そらもう、見た目も中身もおっかないお方で……せや! ウチではお手上げやから、一度あなたから続刊について話してもらえませんやろか?」


「えええっ!? 私がですか!?」


 あまりに唐突な提案に、思わず肩をびくつかせて及び腰になってしまう。

 話してみてくれと言われても私、望月先生がどこに住んでいるのかも知らないよ……。


「善は急げや! 天野先生の娘さんからの言葉やったら、耳を貸してくれはるかもしれへんし……! さ、奥で詳しいお話を!」


「え!? えっ!? あの、でも、私……!」


「望月先生と天野先生は友人同士やったんですわ! せやからきっと、あなたも歓迎されますよ!」


 そ、そんなものなのかなぁ……?

 頑固でおっかない人だそうだから、不安しかないよ。


 ――そうこうして、あたふたと流されるままに私たちは別室へと案内されるのだった。



 話がついたのは、それから四半刻ちかく経ってからだった。

 望月先生の住まいの場所を詳細に教えてもらい、現在は地図を片手に目印の家へと向かっているところだ。


「土産は万全だな。酒と、ツマミの塩辛も買ったしよ!」


 先輩は、包んでもらった塩辛に目をやってごくりと喉をならしている。

 ……食べたいのかな。さっきからお腹が空腹を訴えてぐうぐうと鳴っているし。


「こんな形で望月先生のお宅訪問ができるなんてね! 最高だよ! みこちゃんと知り合えてよかった!!」


 ミネくんは鼻歌まじりに上機嫌だ。

 うう、心配しているのは私だけなのかなぁ……。

 二人とも私よりもずっと足取りが軽い。ずかずかと数歩先を歩いていく。



 望月先生の家は花文堂さんからそうとうな距離が離れている。

 ひたすら南下して、清水(きよみず)さんの近くまで歩かなければならない。

 シノさんの写場よりもさらに南だ。

 往復には数刻かかるから帰りには日が暮れてしまうことだろう。

 長い道のりだけれど、このあたりはあまり来る機会がないので景色が珍しくもある。

 早足で先行する二人のあとを必死についていくと、やがて視界に清水寺が見えてきた。


「おおっ! 清水の舞台っつうのはアレか! すげえっ、立派だなぁ!」


「ケン兄、物見遊山じゃないんだよ。寺が見たいならまた今度きなよ」


「オレまだ一度も行ったことねぇからよ、清水寺! ハシさんからは何度か薦められたんだがよぉ」


 先輩は興奮した様子で、そう遠くない位置にたたずむそれに見入っている。

 他藩から入京した人からすると京の寺社建築は特別立派に見えるらしい。


「それじゃ先輩、近いうちに二人で行ってみましょうか」


「おうっ! 行こうぜ行こうぜ! 約束な!!」


「はい、約束ですっ!」


 にんまりと満足そうな笑みを浮かべた先輩と、手のひらを打ちつけあう。

 最近は意見が一致した時や嬉しい時、やるぞ! と気合を入れる時なんかにこうして軽く触れ合うことが多くなった。

 昨夜は気まずいところを見られて一瞬ぎくしゃくしてしまったけれど、一晩たてばこのとおりだ。


 先輩には日ごろからお世話になっているから、いろいろと落ち着いたらゆっくり京を案内してあげたいな。

 ……なんて。私もそう名所なんかに詳しいわけではないけど。

 でも二人で散策したらきっと楽しいと思う。



「なんか、みこちゃんとケン兄って仲いいよね」


 あちこちを指しながら談笑をはじめた私たちをまじまじと見つめながら、ミネくんが冷やかしまじりにつぶやいた。


「……そ、そうかな?」


「まぁ、ほとんど一日中つるんでるしなァ」


 先輩はおどけるように肩をすくめてみせると、わしゃわしゃと私の頭を撫で回した。


「わぁっ! やめてくださいよぉ、これから人に会いにいくんですから……!」


「怒んなよ、ホラ、すぐ元通りになんだろ?」


「もう、先輩はいちいち乱暴ですっ」


 先輩は私の頭頂部をぺたぺたと押し付けるようにしてさわる。なんだか、余計乱れてしまった気がする。

 「なおったぜ!」と言い張る先輩に抗議の目を向けて、私は懐から取り出した櫛で丁寧に髪を梳いた。

 地図によると目的の場所は、三年坂から脇道に入って山裾の方にあるらしいから、このまま歩けばもうじき到着するはずだ。


 ……あれ、そういえばいつのまにか緊張がやわらいでいる気がする。

 ついさっきまでは情けなくびくついていたというのに。

 先輩と騒いだのがよかったのかな?




 細長い脇道を抜けた先。山際にひっそりと隠れるようにたたずむ小屋の前で、私たちは足を止めた。

 緑を背景に木組みの質素な垣根がぐるりと四方を囲み、その中央にある小屋は庵と呼ぶにふさわしい外観だ。

 いかにも文人が住んでいそうな雰囲気をかもし出している。


 ここまで来ておいて何だけど、戸をたたいてみるのが怖いなぁ。

 仕事の邪魔をするなと怒鳴り散らされたりしたらどうしよう。


「ごめんくださーーい!! 望月せんせーー!!」


「花文堂から来た者っす! ちょっくら話をさせてください!!」


 垣根の手前で立ちつくしていた私を差し置いて、ミネくんと先輩はドカドカと破壊してしまいそうな勢いで小屋の戸を叩きはじめた。

 この人たち……! ちょっとは遠慮したり躊躇したりする気持ちはないの!?

 冷や汗をたらしながらも、呼んでしまったものは仕方がないと私も戸口に立つ。


 だいじょうぶかなぁ……。

 見た目からしておっかない人のようだから、顔を合わせるのがこわいよ。

 震えながら屋内からの反応を待つ私たち。中に人がいるのであれば、返事はなくとも物音くらいは聞こえそうなものだけど……。


 ――しかし、待てども待てども、呼びかけに対する反応はなかった。



「留守かな?」


「そうかもしんねぇな。それか昼寝でもしてるかだ」


 もともとくそたろうの続きを書くことに乗り気ではないようだから、花文堂の名を聞いて居留守を使っているなんてこともありえるかも。

 うーん、どうしよう。

 望月先生は父とは懇意だったそうだから、イチかバチか父の名前を出してみるか……。


「ごめんくださぁぁい! わたし、天野川光の娘です!! お話したいことがあって伺いました!!」


 格子窓の奥へと投げ入れるように大声で叫べば、小屋の奥から地響きのような音が轟いた。

 何かずしりとしたものが床に落ちたような、そんな音だった。中に誰かがいるのは間違いないようだ。

 耳をすませると、ミシミシと床を踏みしめる音がこちらに近づいてくるのが分かる。

 私たちは顔を見合わせてごくりと生唾を飲み、そして居ずまいを正した。

 先生が顔を見せたら、まずは腰を低くしてご挨拶しようと頭の中で言葉を練る。

 万が一怒っていたら、三人でくそたろうを褒めちぎって逃げるしかない。


 次の瞬間私たちの耳に響いたのは、体の芯までしびれさせるようなすさまじい轟音。

 一瞬、目の前に雷が落ちたのだと思って私はその場に尻餅をついてしまった。

 思わずぽかんと口をあけて正面に目を向ければ、そこには勢いよく開きすぎたせいか半壊した戸がある。

 もしかしてさっきの音は、戸をあけたときの音?



「おおうっ!! なんじゃ、美湖ちゃんか……!!」


 小屋の中から姿を現したその人は、開口一番私の名を口にした。

 え? どうして私のことを知ってるの? 天野川光の娘だと名乗っただけなのに――。

 驚いて、地面にへたりこんだまま視線を上げる。

 戸口に立たずんでいたのは、意外にも見覚えのある顔だった。


「熊おじちゃん!?」


「おう!! 久しぶりじゃのお美湖ちゃん! よう来てくれた!!」


 おじちゃんはその場に屈んで私の顔を食い入るように見つめたあと、うっすらと涙ぐんで分厚い手のひらで頭を撫でてくれた。


 ――懐かしいなぁ。

 熊おじちゃんは父の幼馴染で、私が幼い頃からしょっちゅううちに遊びに来ていたっけ。

 熊のように大きく毛むくじゃらで力も強いので、本名は豪太郎さんだけど、私とゆきちゃんは熊おじちゃんと呼んで慕っていた。

 そんなおじちゃんがここにいるということは……。


「……もしかして、おじちゃんが望月千夜?」


「その通りじゃい! 美湖ちゃんには言っとらんかったか!」


「聞いてなかったよぉ! てっきりおじさんは猟師か何かだとばかり思ってた」


 よく獣肉を持ってうちに呑みにきていたし、山裾の小屋に一人で住んでいるって言ってたから。

 まさかの再会に驚きっぱなしだ。

 けれど、私なんかよりもっと面食らった様子で立ちつくしているのは、先輩とミネくんだった。


「オイオイ、知り合いなのかよ……」


「ふわぁぁ……望月先生、くそたろうそっくりだぁ……」


 先輩は私とおじちゃんの再会劇をあっけにとられたように見守り、ミネくんはおじちゃんの文人らしからぬ相貌に打ち震えていた。


「男連れなのが気になるが、とにかく中で話そうや美湖ちゃん。野郎二人も入れ」


 突然の来訪にも関わらず、おじちゃんは温かく迎え入れてくれるようだ。

 私の背を軽くおして、小屋の中へと案内してくれる。

 先輩とミネくんに向けるうさんくさそうな眼差しは少し気になるけど、きちんと話をすれば分かってくれるだろう。


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