第五十話:肩たたき

 夕餉を済ませたあと暇をもてあました私は、久しぶりに葉月ちゃんの顔を見ようと廊下を徘徊していた。

 大橋さんの部屋には戻ってきていないという話だったし、一体どこにいるんだろう。


 探し疲れて、中岡隊長の部屋の前で足を止める。

 そういえば葉月ちゃんは隊長の部屋にいることもあるって聞いたな。

 ちょっと訪ねてみようかな……。


 そわそわしながら障子に耳を近づけて中の様子を窺っていると、背後から突然声をかけられた。



「ノゾキとは趣味わりぃぜ」


「っ!!」


 振り返った先に立っていたのは、田中先輩だった。

 変なところを見られちゃったな。怒られるかなぁ。

 冷や汗まじりに身を固くする私の額をコツンと指ではじき、先輩は無遠慮に障子を開けて部屋の中へと入っていく。



「中岡さーん、天野がやらしー目で部屋覗いてたっすよー」


「わーー! もう、何言ってるんですか先輩のバカぁ!!」


 いちいち誤解をうけるような言い方をしないでほしいよ、もう!

 私は先輩の着物の袖にすがるようにして抗議の意を示した。

 文机の前でこちらを振り向いた隊長が、何事かと眉をひそめている。


「あのですね、隊長! ここに葉月ちゃんが来ていないかなぁと思って……!」


「来てるぞ」


 苦し紛れに言い訳じみた言葉を吐き出すと、隊長はあっさりと頷いてみせた。

 彼が視線を落とす足元を見てみれば、膝の上にかけられた外套の上に丸まって寝息を立てる葉月ちゃんの姿があった。


「あ、本当にいた……! いいなぁ隊長、うらやましいなぁ!」


「だったらお前の部屋に連れて帰ってもいいぞ?」


「でも気持ちよさそうに寝てますし、無理やりはかわいそうです……少しそばで見ててもいいですか?」


「ああ、構わない」


 隊長の許可を得て、満面の笑みでその隣に腰をおろす。

 陸奥さんから相手が嫌がるようなことはするなと注意を受けたことだし、今はそっと見守っていよう。


「なんだよ、葉月ちゃん探し回ってたのか」


「そうです。えへへー、かわいいですねぇ」


「鼻の下のびまくってんぞ。マジで猫好きなんだなァ」


 あきれ半分に茶化しながら、先輩は隊長の背後に膝をつく。

 ……何をやってるんだろう。



「中岡さん、今日はどんくらいいきます?」


「さほどひどくはないからな、軽く叩いてもらえるか?」


「りょーかいっす!」


 何やら注文を受け、先輩はやる気満々といった様子で袖まくりをする。

 続いて静かに隊長の肩に手を置き、凝りをほぐすように指先を動かしはじめた。


「わ、肩たたきですか!?」


「おうよ! 中岡さん肩凝りひでぇからよぉ」


「いつも田中先輩が?」


「まぁな。こう見えてオレ、こういうのうめぇんだよ」


 先輩の口調は自信に満ちている。

 手つきを見るに、その発言は嘘ではないだろう。

 これは幼い頃から体に叩き込まれた手際のよさだ!



「わざわざ幹部のケンに肩を叩いてもらうのも悪いんだが……本当に助かる」


 机の上で動かしていた手を止めて、隊長は安らかに息をついた。

 適度に力が抜けたのか、これまで大して構うこともなかった葉月ちゃんの首もとを撫でながらくつろぎはじめている。



「いやいや、中岡さんは兄貴みてぇなモンすから何だってお安いご用っすよ!」


 お褒めの言葉をいただいて先輩は上機嫌だ。

 前から思っていたけれど、先輩は隊長に対して特に素直で従順な気がするな。

 ご主人のことが大好きな犬みたいで、ちょっとかわいい。


「はは、たまには弟に駄賃でもあげるか」


「お、マジすか!? だったらかぐら屋にメシ食いに行きてぇなぁ!」


「気軽に行ける店じゃないだろ。俺の懐が死ぬ」


「陸援隊割とかねぇかなー! オレらもう仲間なわけだし」


「それは意外とあるかもしれん……いろいろと片がついたら行ってみるか。天野も一緒にな」


「はいっ! 行きたいです!!」


 お客さんとして訪れたことはまだないけれど、かぐら屋のおもてなしはどれをとっても一級品として名高い。

 陸援隊のお仕事が一区切りつけば、堂々とのれんをくぐれるようになるだろう。



「寓居先が襲われちまったのは災難だったけど、中岡さんがこっちに帰ってきてくれるようになって嬉しいっすよ」


「俺もここが落ち着く。肩を叩いてもらえるしな」


「へっへっへ! 中岡さんは、オレやハシさんがいねぇとダメだなぁ」


「そうかもな。お世話になっております、田中先輩」


 恭しく頭を下げてみせる隊長の姿が可笑しかったのか、先輩は愉快そうに声を上げて笑った。

 二人のやりとりを見ていると、なんだか本当に兄弟のように見えてくる。

 いいなぁ、こういう絆の強さって。

 隊長と幹部といっても、上下関係に縛られるような付き合いではないみたいだ。



 ……はぁ。

 それにしても、肩たたきをする先輩を見ていると、なんだかそわそわしてきちゃうな。


 私も子供の頃からつい最近まで父の肩を叩いてきた身だから、こうやって恩人に報いる機会が目の前に転がりこんできたとなると、じっとしてはいられない。

 久しぶりに、肩たたきをしてみたくなってしまった。



「あの、隊長。私もいつも父の肩を叩いてたんですよ」


「そうか、えらいな天野は」


「えへへ、あの、それでですね……良かったら後で私にも肩たたきをさせてくれませんか?」


 先輩が一通り終えてから、少しだけでも構わない。

 私にも隊長の疲れを癒すお手伝いができたら嬉しい。


「おめぇにゃ荷が重いぜ。中岡さんの肩はカッチコチに凝ってっからな」


「うちの父の肩も石みたいでしたから、大丈夫ですよ!」


「いや無理だな! 一瞬で音をあげるに決まってるぜ」


 撥ね付けるように先輩は言ってのける。

 凝りのひどい人の肩は確かにびくともしないほどに固まっているものだけど、彼が言うほどの手強さに到達するには長い年月がかかるはずだ。

 隊長はまだ若いし、一日中描きものを続けていた父ほど悪化してはいないと思う。



「隊長! 私、自分で言うのも何ですけど肩たたきにはすごく自信があります! 一度試してみてください!」


「いやいやいや、オレの方がうめぇから! つーか中岡さんの肩はオレ以外にゃ手に負えねぇから!」


「どうしてそんな言い方するんですか先輩。隊長の意見を聞いてみましょうよぉ」


 先輩はどこまでも私のことをヒヨッ子扱いするつもりのようだ。

 ここは判断を隊長に任せようと、二人して彼の言葉を待った。



「天野がそう言ってくれるのであれば、やってもらおうか」


 すんなり了承! やったぁ!


「わぁっ! 私、頑張りますっ!」


「マジかー……んじゃおめぇ、今からやってみ? ナメてっと指折れっから」


 隊長が快く頷いてくれたことでしぶしぶ納得した様子の先輩は、その場を退いて肩たたきを引き継ぐようこちらに促した。


「いいんですか? それじゃ、失礼します」


 隊長の背後まで移動して軽く袖をまくる。

 久しぶりだなぁ、肩たたき。

 日々父に鍛えられていたので、そこそこ長時間注文に答えられる自信はある。



「頼んだぞ、天野」


「はいっ! おまかせください!」



 まずは軽く両肩に手のひらを乗せて、感触を確かめる。


「ぬぇ……!?」


 思わず変な声が出た。

 両手が何かとてつもなく固いものに触れたからだ。

 このガッチリと密度のある感じは、神楽木家の蔵の壁を彷彿とさせる。

 隊長の体は石造りだったのか……。


「な? もはや人間じゃねぇだろ?」


「石像ですね、これは……」


 ニヤニヤと含みのある笑みを見せる先輩に、思わず弱音を漏らしてしまった。

 けれど、まだまだ。全く手の施しようがないというわけではない。


 ひとまず首筋から背中のあたりまで親指で押してみながら全体の具合を確かめる。

 まずは、背の中心から少し上あたりのこわばった部分をほぐしてみるのがいいかな。

 このあたりが凝っていると腕を上げるのが辛くなるみたいなんだよね。



「……どうですか? 隊長」


 ゆっくりと範囲を広げつつ指圧を続けながら、恐る恐る声をかける。


「上手いな。そのあたりをもう少し頼む」


「……はいっ!」


 よかった!

 まるで効いていないわけではなさそうだ。

 隊長の声色は穏やかで優しいもので、決してお世辞で言っているわけではないということが伝わってくる。



「ふぅん、けっこう下のほうからやるんだな」


「父がよく所望する場所がこのあたりだったんです」


「まぁ確かに、背からくる凝りもあるよなァ」


 興味深そうにこちらを注視していた先輩はもはや突っかかってくるようなこともなく、感心したように私の指先に見入っている。


 背のほうもやはり凝ってはいるものの、肩ほどほぐすのが難しい状態ではないみたいだ。

 下からゆっくりと指圧を施してみよう。




「……楽になった気がするぞ。本当に上手いんだな、天野は」


 背から肩まわり、首筋と一通り終えれば、隊長の顔色は目に見えて変わった。

 肩が軽いと感嘆しながら腕を回している。


「お役に立てて嬉しいです。またいつでもお呼びください」


 長時間指先に力を込めていた私の疲労は相当なもので、二の腕から指先までがずしりと重く感じる。

 肩揉みって、やる方にも体力と根気がいるんだよね。



「毎晩でも呼びたいくらいだ」


 悩みのもとが大きく緩和されたことで機嫌をよくしたのか、隊長はさっぱりと清々しい笑顔をこちらに向けてくれる。


「マジすか中岡さん、公然と浮気宣言っすか!?」


 不満げなのは、田中先輩だ。

 これまで毎日のように隊長の肩を叩いてきたそうだから無理もない気はするけれど……。


「隊長、私はいつでも大丈夫ですけど、先輩のお仕事をとりたくはありません」


「そうだな、では明日から交互に頼めるか?」


 少し考えた後、隊長が私たちの顔を順に見やる。


「いいっすよ、そういうことなら。天野、やれるか?」


「はいっ!」


「んじゃ、決まりな!」


 思わぬ流れで、ひとつ陸援隊での仕事ができた。

 隊長を癒してあげたいのはもちろんだけど、先輩の負担を減らす手助けにもなれば嬉しいな。




「……そういや天野、おめぇいつから中岡さんのこと隊長って呼ぶようになったんだ?」


「ああ、それは俺も気になっていた」


 一息ついたところで、二人はあらためて私の対応の変化に首を傾げた。

 すんなり受け入れられたものだとばかり思っていたら、今頃質問が飛んでくるなんて。


「私も陸援隊のお世話になる身ですから、隊長のことはきちんと敬いたいと思って」


「お前は隊士ではないのだから、これまで通りでも構わないぞ」


「いえ! ここで生活する以上は、隊のみなさんと同じようにしていきたいんです」


 特別扱いはやっぱり好きじゃない。

 隊の一員として何でも言いつけてもらえるような立場でいたい。


「そうか。しかし、あまり畏まらなくてもいいんだぞ。ただでさえ俺は、隊士達から近寄りがたいと言われているようだからな……」


 そのことを気にしているのか、隊長はやれやれといった具合に苦笑しながら額に手をあてた。


 そういえば夕刻話した隊士さん方も、隊長が普段どう過ごしているのか想像しにくいために、難しい人物だという印象を持っているようだった。

 距離を縮めるにはどうするべきか。



「……あ、そういえば」


「どうした?」


 首を傾げた隊長に、私は彼らから託された質問をぶつけてみる。


「隊長はどんな女の人がお好きですか?」


 その言葉を耳にして田中先輩は愉快そうに膝を叩き、隊長は面くらったようにぽかんと口をあけた。


「そんなことを聞いてどうする?」


「隊士さんたちが気になってたみたいです。えーと、人並みに女の人と接しているのか、とか」


「……お前の前でそんなことを?」


 どうしよう、隊長の顔がみるみるうちにげんなりと覇気を失っていく。

 ついさっきまではあんなにも爽やかな笑顔だったのに。

 女の人の話題なんかは、やっぱり気心の知れた仲間うちでしかしたくないかな?


「教えてやりゃいいっすよ、好みの女くらい」


 先輩だけはニヤニヤとこの状況を楽しんでいるようだ。

 この人は、そのあたり物凄くあけっぴろげだからなぁ……。


「好みといえば、余計な詮索をしない女だな」


「……うっ! ごめんなさい」


 ピシャリと言い放たれた。

 思い切り拳骨を打ち付けられるような衝撃だ。


 迷惑だったんだな、やっぱり。

 先輩やゆきちゃんとの会話ですっかり麻痺していたけれど、普通はあまり立ち入った話に首を突っ込んでほしくないよね。気をつけよう。



「気にすんな。陸援隊士のそのテの話なら、オレがいくらでも聞かせてやるからよ」


「ケン、天野の前では絶対にやめてくれよ」


「なんすかー。中岡さん、女の前ではかっこつけなんだよなァ」


「……俺はその手の話は好きじゃないんだ」


 いけない、これ以上隊長を不快にさせる前に話を切り上げよう。


「そういうことでしたら聞いたりはしません。明日は陸奥さん達に、絵のことについて意見をうかがってみますね」


「ああ、酢屋の面々によろしくな」


「はいっ!」


 なんとも複雑な表情で小さく笑ってみせる隊長を見て、わずかに胸が痛んだ。

 いけないな、土足で人の内面に上がり込むような真似をしては。


 男女の話は難しい。

 私だって正直、尋ねられると困ることばかりだ。

 これからは、相手から聞かれないかぎり話題に出すのは控えよう。


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