第三十六話:陸援隊生活開始

「さて、戻るか」


「はいっ」


 中岡さんに背を押されて、屋敷のほうへときびすを返す。

 もはや人影も見えなくなった寂しい通りから、気持ちのいい風が吹き込んできた。


 緑も多く、広々として、顔を上げればやたらと空が高く見える。


 少し便利の悪い場所だけれど、雑多な喧騒から離れた落ち着ける土地だ。

 天気のいい今日みたいな日は、庭先を歩いているだけでも清々しさを感じる。



 私は好きだな、ここ。

 一緒に生活していく隊士さんたちの顔も、早く覚えていかなきゃ。


 あたりを見回しながら、私はすっきりとした心持ちでいた。

 朝方まで感じていた恐怖と焦りは、いつしか薄まってしまっている。

 なんとなく、ここにいるだけで守られているような気がするからだろうか。




 そうして玄関先まで歩いてくると、草履をぬぎながら中岡さんが傍らでつぶやいた。


「空き部屋はいくつかあるが、天野の部屋はどこにするかな……」


 そっか、お部屋か。

 まずはそういう話からだよね。


 手早く履きものをぬいで屋敷にあがると、奥の廊下を眺めながら、私は口をひらいた。


「私、誰かのお部屋のとなりだと安心です」


「そうだな……俺は留守にしていることが多いから、大橋くんの隣りあたりがいいかもしれないな」


「あれ? 田中さんと香川さんは……」


 私としては、あまり留守にしないでよく部屋にいてくれる人がいいな。


「大橋くんが最も安全だと思うが」


「二人は安全じゃないんですか!?」


「あいつらは本能で生きているようなところがあるからな。正直、いろいろと不安が残る」


 本能って……。

 なんだか分かる気がしないでもないけど、二人とも話しやすくて気さくな人だ。

 私はそんなに嫌だとは思わないけどな。



 ……とは言え、やっぱり中岡さんの判断におまかせするのが一番安心かな。

 そんなわけで、まずは大橋さんに相談してみようという話になった。


 玄関から近い場所にある彼の部屋に向かおうと廊下を歩いていると、おもむろに斜向かいの部屋の障子が開いた。




「天野! 入ってこい!」


 顔を出したのは、田中さんだ。

 私と中岡さんは、とりあえずその部屋へと向かう。



 部屋の中に入ると、そこには陸奥さんや大橋さんの姿もあった。


「今日からここがおめぇの部屋だ! 好きに使ってくれ!」


 田中さんは、にかっと笑って私の肩をたたく。


 八畳ほどの、真新しく風通しのいい一室。

 部屋のすみには文机と小さな箪笥が置いてある。

 そして机の前には、ふわふわとして座り心地が良さそうな座布団が一枚。



「わぁ、ここを使っていいんですか!?」


「おうよ! 隣りはオレの部屋だし、安心だろ?」



 ……え?

 そうなの?


 私はすぐさま振り返って、中岡さんの顔色をうかがう。


 彼はあきれたようにため息をつきながら、壁に背をあずけて腕組みをしている。

 そして、どういうことなのかと説明を求めるように、大橋さんに視線を投げた。



「部屋を決めるのは、天野さんの意見を聞いてからにすべきだと助言はしたのですがねぇ……」


「こいつは全く聞き入れずに、準備をはじめたんです。天野、不満なら断るといい」


 大橋さんと陸奥さんは、やれやれといった表情で首をふる。

 ……なんだか皆納得がいってないようだけど、べつに私はこの部屋に不満はない。


「私は嫌じゃないですけど……広いお部屋で嬉しいです」


 大橋さんの部屋とも近いし、ここなら安心だと思う。


「だろ? やっぱオレの隣がいいよな! 何しろこん中じゃ、一番付き合い長ぇからよ!」


「あ、そう言われればそうかもしれませんね!」


 出会った順番で言えば、たしかに田中さんが一番だ。

 と言っても、付き合いの長さでいえば皆大差はないんだけどね。



「んじゃ、ここに決めていいな?」


「はい! 田中さんがよければ!」


「いいぜ!! 今日からよろしくな!!」


「はいっ! よろしくお願いしますっ!」


「おっしゃ! 決まり!!」


 田中さんにうながされ、お互いの両手を頭上でパチンと打ち付けあう。


 なんだろう、このお祭りのような一体感は。

 やたらと威勢よく言葉を返してくれる田中さんに乗せられて、なんだか妙に陽気な気分になってしまう。


 そんな私たちを、他の三人は三歩くらい引いて真顔で見守っていた。



「天野がいいと言うならここでも構わんが……」


「天野さん、もし何かあったら大声を出すのですよ」


「いざとなれば殴りとばしてもいい」


 どういうことですか、それは……。

 まるで猛獣と同居するかのような扱いだ。



「いや、何もしねぇよ。オレをなんだと思ってんだ!」


 不服そうに田中さんが吠える。

 こういう時の顔は、ちょっとだけ猛獣っぽく見えるかも。


「まぁ、神楽木殿からあずかった大事な娘さんだからな。さすがのケンもわきまえて接するだろう」


「そりゃそうっすよ。わきまえまくりっす!」


「だったら、今日から天野のそばについて必要なことを教えながら、世話をしてやってくれ」


 中岡さんは田中さんのもとへと歩みより、ポンと託すように肩を叩いた。



「もちろん、そのつもりっすよ! なぁ天野、これからは隊の先輩であるオレに何でも聞くんだぞ!」


 得意げに胸を張る田中さん。

 私はそんな彼の言葉にうなずいて声をあげる。


「わかりました、先輩!」


「お、おう……! なんかイイな、その呼び方」


「そうですか? 田中先輩……」


 あ、たしかにいいかも。

 なんだか、陸援隊の仲間入りをした実感がわいてくる。



「イイ……! イイぜそれ!! 今日からそう呼べよ」


「はい! 私もなんだか気に入っちゃいました」


「うっしゃ、そんじゃ改めてよろしくなぁ!後輩ー!!」


「よろしくお願いします、先輩っ!」


 おっしゃー!! と。

 ふたたび私たちは両手を派手に打ち合わせた。

 なんだか、だんだん田中先輩のノリが分かってきた気がする。





 そうこうしながらバタバタと時は過ぎ、気づけば夕方になっていた。

 布団をほしたり、部屋の掃除をしたり、敷地の中を案内してもらったりしているうちに、あっという間に時が経った。



 ざっと屋敷のまわりを歩いて回ったから、簡単な構造は頭に入っている。


 まず門を入って脇に見えるのが、隊士さんたちが住んでいる長屋だ。

 隊長や幹部が住む屋敷とは別になっていて、いくつかの部屋に細かく区切られた中で隊士さんたちが生活している。

 見た目はまさに長屋。共同生活にぴったりだ。


 そこから広い庭を突っ切って歩いていくと、隊長や幹部が住む屋敷につく。

 私の部屋があるのもここだ。

 お客さんを通して話をする時にも、ここを使うらしい。


 さらにその奥には、蔵と田中先輩が作った射場がある。

 ここでは、たまに他の隊士さんも銃の訓練をするそうだ。

 ただし、個人的に武器を持ち出したり練習をしたりする時は隊長か幹部の許可が必要になるとのこと。



 探険したら面白そうな場所だけど、あまり一人でうろちょろと歩き回らないように言われている。

 とはいえ、田中先輩のそばについて生活していたら、きっといろんな場所に連れていってもらえるだろう。





「そろそろ夜だし、布団とりこんどくかー」


「はいっ! そうしましょう」


 あらかた敷地内を歩き終えるころには、沈みかけた夕陽に染められて、あたりはうっすらと紅く色づいていた。

 私は、ぐっと伸びをして歩きだした田中先輩の背中を追いかける。



 玄関付近を通りすぎた時、そこからぬっと現れた陸奥さんとぶつかった。


「わ、ごめんなさい!」


「いや、こちらこそ悪かった。元気だな、お前は」


「はい、来たばかりでやることいっぱいですから!」


 実際は、次から次へと田中先輩に引っ張り回されていただけだけど。

 それでも、こうして体を動かしたあとの疲れは気持ちのいいものだ。


「無理せずに今夜は早く寝ろ。昨夜はあまり寝てないんだろう?」


「あ、そうでした……」


 すっかり忘れてた。

 朝方まで私は、げっそりと弱りきっていたはずなのに。

 ここに来てからは余計なことを考える暇がなかったからかな。




「むっちゃん、もう帰んのか?」


 ふいに離れた場所から田中先輩が大声を投げかけた。


 見れば、干してあった布団一式を抱えてずかずかとこちらに向かってきている。

 早いなぁ、もう回収したんだ。



「ああ、帰る。天野のことは坂本さんと長岡さんにも伝えておく」


「はい! お願いします」


「まだ傷は治っていないんだろう? 明日にでも長岡さんに来てもらうか」


「ええと、それは……もしお暇があれば」


「多分、今日のことを話せばすぐに駆けつけるだろう」


 陸奥さんは、そうに違いないと一人うなずいた。

 私はくすりと笑って小さく頭を下げる。



「でしたら、お願いします。陸奥さんにもまたお会いしたいです」


「おれも、たまに用事でここに来る。またその時にな」


「はいっ! 楽しみにしてますね。今日は、ここまで案内してくださってありがとうございました」


「いや、べつに礼はいらない」


 ……照れているのかな?

 ぷいと顔を背けて、陸奥さんは私の言葉を手のひらで遮った。




「むっちゃん、泊まってってもいいんだぜ。天野もいることだし、夜通し盛り上がる話でもしようや」


「断る。お前とは盛り上がれる気がしないからな」


「あいかわらずつれねぇなー。オレたちダチじゃねぇかよ」


「おれの認識では、ちがう」


 陸奥さんはきっぱりと言い放った。

 なんだかちょっと、田中先輩が気の毒だな。



「……ま、そりゃいいとして。気ぃつけて帰れよ」


 意外にも、田中先輩はさらりと受け流して笑みを作る。

 こんなやりとりは慣れっこといった反応だ。


「ああ。また来る」


「おう! ……ところでよぉむっちゃん」


「何だ?」


 立ち去ろうとして体をひねった陸奥さんが、足を止める。


 重たそうな布団を抱えたまま、田中先輩は真顔になって言葉を吐き出した。



「寝癖スッゲーな」


「…………またな」


 陸奥さんは、あらゆる感情を噛み殺した声でそう告げると、すみやかにきびすを返して門の方へと歩きだす。


 ものすごい速さだ。

 歩いているはずなのに、下手に走るよりもよく進む。



「むつさーーん!! さようならーー!!」


 まるで目があっただけで走り去る小動物のように。

 みるみるうちに陸奥さんの背中は遠ざかっていった。



「田中先輩、陸奥さんは寝癖のこと気にしてるみたいですよ」


「面白ぇからつい、よぉ。しっかし、どうやったら寝癖なんてつくんだ? オレ、寝相は悪ぃけどあんなに寝癖がついたことなんてねぇぞ」


「うそですよね……?」


 私は田中先輩の手から一枚掛け布団を受け取って、玄関へ向かって歩きだす。


「いや、なんでだよ」


「先輩の髪、あちこちハネてますから」


「バカヤロー! こりゃあ毎朝時間かけて作ってんだよ!!」


「ええっ!? そうだったんですか!?」


 わからなかった。

 あまりに自然で……というより、寝癖まみれの髪を無造作に撫で付けたようにしか見えない。

 田中先輩にはとても似合ってるとは思うけど。



「とにかくオレは、どんな体勢で寝ても寝癖つかねぇんだよ。ちょっとした自慢だ!」


「へぇ、そんなにすごいんですかぁ……」


「なんなら今晩あたり一緒に寝てみてもいいぜ」


「大声を出します」


「おい、やめろ! 冗談だ!!」



 ――なんて、すっかり打ち解けて笑いあいながら。

 私たちは、軽い足取りで部屋へと戻って行くのだった。



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