155 トーリ少年はお持ち帰りされる

「た、助けてくれてありがとう。それじゃ俺はこれで…」


 突然の展開に事態が飲み込めないトーリ少年。

 しかし、この機を逃すわけにはいかない。

 そそくさとその場から逃げ出そうとし、


「却下だ、です」


「駄目ですわ」


 しかし回り込まれてしまった。

 勇者からは逃げられないのである。


「放せ、放せよ!見逃してくれ。俺はこんなところで捕まるわけにはいかねーんだよ…!」


 首根っこを掴まれたままジタバタと暴れまわるトーリ。

 トーリを拘束するローブの女は軽々と彼を押さえつける。


「なんてバカ力だ…!」


 自分を拘束しているのは自分とそう背丈の変わらない少女だ。

 だがローブのフードから覗く可愛らしい顔つきとは裏腹に、まるで巨大な岩に挟まれているようにその場から一歩も動くことができない。


 捕まった。逃げられない。

 自分とローブの女たちとの力量差を体感し、逃げることはできないと否応なしに気付かされる。


 ここに至り、トーリの顔は一気に青褪めていく。

 盗みを犯して捕まった者がどういう末路を辿るのか、それがわからないほど子供ではない。


 鞭打ち、強制労働、あるいは…。

 いや、自分が辛い思いをするだけではない。


「今捕まったら、母さんが…」


 トーリが犯罪へ走った原因は家庭にあった。

 たとえどのようなリスクをとってでも守りたい大切な存在のことを頭に浮かべ、少年は必死の抵抗を続けた。


 だがトーリの運命は、その予想とはまったく別の方向に転がることとなる。

 彼を捕まえた二人は無条件に兵士に突き出すことはしなかったのだ。



 白い獣人の綺麗な紫の双眸が少年を見据える。


 トーリは自分の目を覗き込んでくる視線から目を離すことができない。

 単純に頭を押さえつけられているからという理由もあるが、それ以上に体が鉛のように動かないのだ。


 蛇に睨まれた蛙、と言うのも少し違う。

 まるで神に自分の全てを見透かされていくような、そんな得体の知れない感覚に体が抗うことを諦めているようだった。




「この子、なんとなく悪い子じゃない気がします。兵士さんに渡すのは止めましょう」


「そう?どう見ても普通の悪ガキですわ。たしかにただ兵士に突き出すのも後味が悪いですけれど…、まぁシオンがそう言うのなら」


 シオンの勘は勘の域を超えている。

 勘とは、これまでの経験から発生する無意識の判断だ。


 多くの人に出会い、時に虐げられ、それでも【超感覚】の助けも借りて生きてきたシオンの勘は、その年齢に見合わない、一種の特殊能力の域に達している。

 コレットは、親友の人を見る目が飛び抜けて優秀であることを認めている。


 兵士には引き渡さない。

 シオンの判断は正しいものではないかもしれないが、さりとてコレットにそれを否定する気はなかった。


 兵士に引き渡した場合、むち打ち程度で済めば良いほうだ。

 人一人の命など軽いものだ。ましてや身寄りのないコソ泥の末路は悲惨である。


 犯罪者に温情を与え、ゆっくり更生を促すほど余裕のある世界ではない。

 別に兵士が悪いわけではなく、社会を維持するためにはやむを得ないことであるとも言える。

 しかしどれだけ厳しい罰則があろうと、生きていくための盗みがなくなることはない。


 為政者として、元拾い屋として、二人はその辺りの事情をよく理解している。


「ではまずは盗んだものを持ち主に返して謝るところからですわね」


「うん」


 少年は必死に騒いで暴れるが、努力もむなしくズルズルと引きずられていった。




「ちぇ、…すいませんでしたぁー」


 ゴチンッ


「いってぇー!くそ、謝ってるじゃねぇかよ!」


 ゴチンッ


「うぐぐ、す、すいませんでした…」


「…おうクソガキ。勇者様のお顔に免じて許してやるよ。もう同じことしないようにしっかり躾てもらうんだな」


 コレットと店主からゲンコツをもらい、涙目の少年。

 シオンとコレットは、商品を盗まれた店主に事情を説明し、兵士へ引き渡すのを止めてもらうように頼んだ。


 商品を盗まれた恨みは大きいのだろう、トーリを兵士に突き出さないことに難色を示していた店主であったが、二人が捕まえていなければ逃げられていたことは事実であり、さらに盗まれたすべての品を代わりに購入したことにより納得してくれた。


「しかし、勇者様なら勇者様と最初に教えてくれれば良いのによ」


 二人の正体に気付いて恐縮する店主。


「ごめんなさい。しかしそれでは筋が通りませんわ。お願いする以上、まずは誠意をお見せしたかったのです」


 初めから身分を明かせば話は早かったが、身分に任せて事態を解決するのは二人にとって本意ではなかったため、最初は勇者であることは伏せて店主に説明していた。


「さすが勇者様だ。このガキが盗んだのは高い品でな、危うく店を潰すかどうかというところだったんだ。兵士の代わりにキツイ折檻を頼むぜ」


「えぇ、甘い処置はしませんわ。お任せください」


「何が勇者だ!そんなの知ったことかよ!」


 ゴチンッ


「いってぇー!」


 店主同様、二人の正体を知った時のトーリの驚きは相当なものであったが、さりとてそれで態度を変える少年ではなかった。


 いくら勇者であろうと、それがなんだというのか。

 生きるための稼ぎを駄目にされ、危うく兵士に突き出されるところだったのだ。


 勇者なんて何もせずに自分たちを見下す貴族と同じだ。

 ふつふつと湧き上がる怒りを堪えられるほどトーリは大人ではなかった。


「ふんっ、ギゼンシャめ!言っとくけど俺はまた同じことをするぜ」


 怒りに任せて吠える。


 半分は負け惜しみだが、もう半分は決まりきっていることをただ宣言しているだけだ。

 幼く、碌に仕事もないトーリにとって、盗みは生きるための術である。

 誰が何と言おうとも、自分の守りたいものを守る方法が盗みしかないのなら、トーリは同じことを繰り返すだろう。


 自分の置かれている境遇への、やり場のない怒り。

 少年とて盗みが悪いことだということは知っている。

 盗まれた側にも生活があることも知っている。


 衣食足りて礼節を知る。

 それでも、盗まなければ生きていけないから盗むのだ。


 今を反省した素振りでやり過ごすこともできる。

 賢しらな少年はそのことに気付いていないわけではない。


 しかしそれを良しとせずに吠えるのが、いや吠えずにはいられないのがトーリに残された矜持であり、幼さだった。

 自分は悪いことをしている。しかし、好きで落ちぶれたわけではない。


 配られた手札が悪かった。

 それでも必死に生きようとしているだけなのに、なぜこのような目に遭わなければならないのか。

 それも、勇者という、“持っている”人間によって自分は罰されている。

 それを素直に受け入れられるはずがないのだ。


 少年の精いっぱいの虚勢は、情けない己を肯定し奮い立たせるために必要な事であり、何が何でもこの世界を生き抜いてやるという決意の表明。

 一見無謀で愚かな行為にも見えるが、少年は熱くなっていても頭が回る。

 勇者が自分へ無体なことはしないだろうという幼い打算があることも事実ではあるが。




「…さて、ひとまずこれで店の方は問題なしですわ。あとはこの子をどうするかですわね。…どうして盗みをしたのですか?」


「お前には関係ねーよブス!」


「ぶっ、ブス…?」


「ブス、ギゼンシャ、おせっかい勇者!」


「……」


 やむを得ない事情から盗みを働く者は一定数存在する。

 事情があっても犯罪は犯罪。

 それを肯定する気はないが、ここで会ったのも何かの縁である。

 可能ならば少年の抱える困難の解決を手助けしようと考えたコレットであったが…。


 いつまでも反省するフリすらしない少年の態度に、少しお灸をすえることにした。

 決してブスと言われたことに腹を立てたわけではない。決して。

 コレットは大人なのである。


「コレット、ごにょごにょ…」


 空気を読んだシオンが、怒れる相方に素晴らしい提案をする。


「それは名案ですわ。女の子を怒らせたらどうなるかを教えてあげましょう」


「な、なんだよ。殴るのか!?お前ら勇者だろ?それに俺は殴られたくらいで…!」


「乙女はそんな野蛮なことはしませんわ。ただ、少しお話を聞かせてもらうだけですわ」


 コレットはニッコリとほほ笑んだ。


 後悔先に立たず。

 トーリはその言葉の意味を知ることになる。


 たしかに新たな勇者は前の勇者のように残酷ではない。

 それどころか慈悲の心と責任感に溢れている。

 少年の悩みを全て聞き出し、可能なら解決するべく二人の勇者は行動を開始した。

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