86 宝箱はレインベル領を歩く

 論功行賞の二日後。


 俺はアイシャとの野暮用と冒険者ギルドへの指示を一通り済ませ、シオンを連れてレインベル領へ転移してきた。


 レインベル領は人族の領域の北東外縁部に位置する。


 ラ・メイズから移動する場合、迷宮の最短ルートを通っても数日はかかるのだが【迷宮主の紫水晶】を使用すれば一瞬だ。


 ゼベルが俺たちを妨害しようとしても、その指示が届くまでにはまだ余裕がある。


 せっかくラ・メイズから出たのに、前回はレインベル領を見て回らなかった。

 忙しくなる前に、一度観光をしておきたいところだ。


「そういうわけだコレット、レインベル領を案内しろ」


「わ、私にはまだ準備が、他種族と会議前のすり合わせをしないと…」


「問題ない。会議の時にまとめてやれば良い」


「兵站の管理も…」


「全て無限工房に揃っているから問題ない」


「特殊区画は15層ですわ。さらに環境も復活しており、戦力の抽出が…」


「領の端から集めても数日もかからん。いざとなればシオン一人でもボスを倒せる」


「それは、そうなのかもしれません。ですが私には他にも何かできることが、しなければならないことがあるはずですわ」


「実際、お前の仕事はほとんど終わっているはずだ。あとは兵と食料などが集まるのを待つだけだろう。…命令だ、コレット」


「っ、かしこまりました。私はトシゾウ様にすべてを託したのでした。いくらでも案内いたします。トシゾウ様を、信じております。どうか、民を、レインベル領をお救いくださいまし」


 命令と言われ、口を引き結んで項垂れるコレット。


「コレット…」


 シオンが悲し気にコレットを見ているのが印象的だ。


 本当に信じている者は、わざわざ信じていますなどと口に出したりはしない。

 コレットは未だ迷い、自問自答し、領民のため俺の機嫌を損ねないようにと考えている。


 それに、とにかく何かをしていないと落ち着かないのだろう。

 コレットはまた自分で自分を追いつめているらしい。


 コレットは俺の所有物だ。

 所有物を磨き、最善の状態に整えるのも俺の生きがいだ。

 コレットが塞ぎこんでいる現状は良くない。塞ぎこむコレットもそれはそれで魅力的だが、少々度を越している。


 外を歩くことで多少は気がまぎれれば良いのだが。


 【常雨の湿地】へ出発するのは4日後だ。

 ボス討伐の用意はコレットの大事な仕事だが、軽く息抜きをするくらいは問題ないだろう。


 俺は机にかじりついて仕事をしていたコレットを拉致し、レインベル領の観光へ出かけた。



「これがレインベル領か。見事だ。人族の創意工夫はやはり素晴らしい」


「水の上に家が建っています。どうして沈まないのでしょう。それにたくさんの木の箱が泳いでいます」


 目の前に絶景が広がっている。

 前世で例えるなら、アジアの水上都市と雰囲気が似ている。


「家は杭を地面に刺してその上に建築しているようだ。木の箱は船という。ラ・メイズとはまったく雰囲気が違うな。領地の特徴に合わせて工夫をしているのか」


「トシゾウ様のおっしゃる通りですわ。我が、…いえ、レインベル領は【常雨の湿地】を開放して生まれた領域です。領地全体が水に囲まれているんですの。そのため、私たちは水の上に木で生活する場所を作るのですわ」


 コレットがどこか誇らしげに説明する。


 レインベル領は水に囲まれた領地だ。

 【常雨の湿地】を開放して生まれた領域である。


 人族の領域は、迷宮の特殊区画を開放することで拡張する。

 拡張した領地は、元の特殊区画の特徴を引き継ぐことがほとんどだ。


 いま俺たちがいるのはレインベル領の中心地だ。

 巨大な湖の上に建築された水上都市である。


 レインベル領は、陸地よりも湖の面積の方がはるかに多い。


 端の見渡せない広大な湖の上に、人々の生活の場が広がっている。

 湖の上には木でできた建物が点在し、同じく木でできた通路でつながっている。


 街のすべてが、一つの巨大なイカダのようだ。


 建物の間を縫うように船が通り、人と物を運んでいる。

 住民は器用に船を操り、湖の上を移動していく。


 住民には人族だけでなく、獣人やエルフ、ドワーフも多く含まれているようだ。

 彼らは完全に人族に溶け込んでいる。ラ・メイズでは見られない光景だ。


 レインベル領は貴重な薬草や生物の宝庫でもある。

 湖の上に点在する陸地は、いずれも豊かな湿地になっており豊かな生態系が生まれている。


 陸地ごとに、見たことのない花や鳥が目に入る。

 派手な色合いの植物も多く、まるで熱帯のジャングルのようでもある。


 珍しいものを見て回ることも、好奇心が刺激されて良いものだ。

 人族に擬態してからは特にそう感じるようになった。


 【擬態ノ神】による擬態は、擬態対象に精神が引っ張られる。

 人族の好奇心は旺盛であり、俺はそれに影響を受けているのかもしれない。


 ギシ、ギシ…


 水上都市を歩く。木で組まれた足場が歩くたびに軽く揺れる。


「ゆ、揺れています。地面が揺れるなんて、おかしいです」


 シオンがほとんど四つん這いの状態でおっかなびっくり後ろを着いてくる。白い尻尾が情けないほどに垂れている。へたれかわいい。


 とはいえ、これでは普通に歩けないので困る。


「ご、ご主人様!?」


 シオンを抱き上げ、背中に背負う。


「そんな、従者が主人に背負われるなど…」


「忘れたか、シオン。お前の価値観よりも俺の判断の方が優先だ。これは俺がしたいからしていることだ。シオンが気にすることではない」


「は、はい」


 背中で硬くなっていたシオンだったが、やがて観念したように力を抜く。


「み、密着していた方が楽ですよね」


 そう言って体をすりつけてくる。マーキングか。犬か。狼だった。なんとなく良い匂いがしてくる。だが今の俺はスッキリしているので動じないぞ。


「シオンはたくましいな」


「た、たくましい、ですか。嬉しいような、嬉しくないような」


「シオンは本当にトシゾウ様のことを慕っているのですわね」


 コレットがどこか寂し気に呟いた。

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