28 ダストン・エンテルは胃が痛む

「あのバカ王子が…。面倒ばかり増やしおって」


 王城の執務室に、疲れた声と、グシャリと紙を握りつぶすような音が響く。


 王の居室には及ばないものの、高価な調度品で揃えられた室内。

 部屋の両脇には政治と魔法研究についての書籍が並ぶ。


 部屋の奥にある机には決済を待つ書類がうず高く積まれ、そこに座る小柄な老人はまるで紙に溺れているようだ。


 腰まで届く長い顎髭に、皴の刻まれた皮膚。だが瞳は見る者に確かな知性を感じさせる。


 ダストン・エンテルはラ・メイズの宰相だ。

 人族の領域において、王族に次ぐ権力を持つ人物である。


 【緊急】バカ王子のせいで王家がやばい【魔物】


 昨夜ラザロより届けられ、パニックに陥った担当文官から届けられた報告書に顔をしかめる。


 ふざけた書き出しだが、この鎌と蜘蛛の印は間違いなくラザロのもの。


 であるならば、その重要度は推して知るべしだ。


 トシゾウ来襲。

 その報告書は、先に積まれた書類を押しのけ、人族首脳部に知れ渡ることになった。


 それにしてもラザロのやつ、いくら隠居したとはいえ遊び心がすぎるのではないのか。

 聞けば貴族区画で趣味の宿屋を開いているという。

 齢60を超えて宰相をさせられているダストンにとっては実にうらやましい話だ。

 自分も早く後継を育てて隠居したいものだ。


「王にはワシから伝えておく。お前たちはアズレイ王子の資産目録を作成せよ。それが終われば今日は帰りなさい」


「よろしいのですか!?警戒を促し、防備を固めねば…」


「かまわん。相手は知恵を持つ魔物。“なり立て”ならまだしも、ラザロが匙を投げるくらいじゃ。どうしようもないじゃろう」


「は、はぁ」


「まぁ、ラザロの見立てではそれほど大きな損害は出ないだろうと言うことだからの。あやつの目は確かじゃ。それほど心配する必要はない。ワシは今から王へ報告に向かう。おぬしは軍団長を呼んできてくれ」


「かしこまりました」


 文官たちが退出していく。


「さて、それでは臨時の会議を開くとしようかの」


 ダストンは最近痛みだした腰をほぐしながら、王の居室へ向けて歩いて行った。



 この世界の人間は、多くが種族ごとに生活を営んでいる。

 国というまとまりは存在するが、その概念は薄い。

 人族の国、エルフの国、獣人の集落、という風に、種族ごとに分けて考えるのが普通だ。


 迷宮により瘴気が浄化され、居住可能な空間が人族の全てである。

 あえて言うならそれが人族の唯一の国ということになるだろう。


 その中央に存在するラ・メイズ迷宮都市こそが首都であり、行政の中心。王の住む都だ。

 迷宮を管理し人族全体を繁栄させることが王の職務となる。


 王は魔物を討伐し治安を維持するための軍を組織し、王から任命された軍団長が軍の指揮を執る。


 軍団長は軍を率いて迷宮の魔物を討伐し、荒野から侵入してくる魔物を防ぐことで人族の領域を守護する。


 また極まれにだが、迷宮の特殊区画に陣取る強力な魔物を討伐し、人類の領域を拡張する冒険者が出現することがある。


 近年ではないことだが、そういった冒険者をその地の貴族として叙することも王の職務だ。


 貴族は領地を守護し、迷宮の担当区画を管理する義務を負う代わりに、その地を管理する権利を得る。


 例えばコレット・レインベルのレインベル家だ。

 かつて先祖が迷宮の特殊区画【常雨の湿地】と呼ばれる場所に巣食う魔物を討伐したことにより貴族家の末席に加わった。


 もっとも、現在は魔物を討伐する者の力不足により、その存続が危ぶまれているのだが。


 以上が人族の社会の構造である。



 まったく。人族の力は落ちるばかり。問題も溜まっていく一方だというのに。


 一部の馬鹿どもがつまらん見栄と欲で他種族を迫害しおって。

 なにが人族こそ迷宮に認められた至高の種族、じゃ。


 人族至上主義など、実に馬鹿らしい。


 ドワーフの作る武器やエルフの魔法による援助、獣人の持つ武力を失い、人族は迷宮の深層へ至ることができなくなった。

 ただでさえ少ない味方を自分から減らしてどうするというのか。


 挙句、その馬鹿代表のアズレイ王子がとんでもないトラブルを引き込みおってからに。


 いやまて?これであのバカ王子が没落するなら、これは好機じゃの。あとは王城への被害を最小限にするには…。しかし軍団長も立場上、一当たりもしないわけにはいくまいし…。


 ダストンは廊下を歩きながら思考を巡らせる。


 表向き、人族は魔物や邪神の瘴気から自らの生存領域を守るために団結している。


 しかし人族の中でも考えの違いによる対立は確実に存在する。

 特に他種族を迫害する人族至上主義の考えは根深い。

 軍や冒険者の力を削ぐ一因となっているのであった。

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