第4話 あたしメリーさん。いま冒険者の町にいるの……。

 夜も更けてきたので風呂に入ってサッパリした後、パイプベッドに座ってドライヤーで髪を乾かしながら、手持無沙汰のため特に目的もないままTVをつけて、そのまま映った番組をぼんやりと眺める。


 深夜番組ということで、ありがちだけれど心霊番組を放送していた。

 この手の番組も息が長いものである。時代劇とかは専用チャンネルでしか放送していない昨今だけれど、いまだに地上波で放送しているのだから特定のリスナーがいるのだろう。

 まあ、さすがにネタ切れなのか、どれもどこかで聞いたような内容ばかりで、例えば『最新の都市伝説』とかでも、《タクシーの車内で包丁握ってブツブツ恨み言を呟いていた幼女が、目的地に着いた途端、煙のように消えた事件》とか、《深夜に徘徊する二宮金次郎像》とかいう、二番煎じどころかお茶だったら出涸らしの白湯さゆもいいところの話ばかりである。


 ……どうでもいいけど夜中に相撲取りが四股しこでも踏んでいるのだろうか? なんかアパートの前をやたら重量がある足音が行ったり来たりしていて、結構鬱陶しいのだけれど、常識的に考えて相撲取りなわけがないから、おおかた力士級のふくよかな女性が、恥を忍んで人目のつかない時間帯にラ○ザップしている努力のあかしだろう。

 その証拠にアパートの他の部屋の住人も息をひそめて見守っている様子だし、文句を言ったり覗いたりして女性に恥をかかせるわけにはいかないので、ここは大いなる寛容の心で容認するべきだ。


 そうこうするうちに髪も乾いたのでドライヤーを洗面所に置き直す。

 ついでに寝る前に歯を磨いていたところ、ふと天井から水滴のようなものが一滴、目の前に流れてきた。


「――ありゃ?」

 気になって上を向いてみれば、天井のところに薄い染みのようなものが浮かんでいる。

 あんなものあったかな? と思案して思い出した。


 そういえば朝顔を洗って見上げたところ、『悪・退・』とか一部が辛うじて読めた汚い御札みたいなのが貼ってあって、気になったから昼間買ってきた脚立で昇って剥がした場所である。

 もしかしてやっちまったかな……?


 自分の軽率な行いにゾッと背筋が震える。

 同時に染みの辺りが『ギシッ!』と不自然に鳴った。


「うわ~~っ。古い家に特有の雨漏りに家鳴りだよ。あのシールで補修してあったのかぁ……。で、俺が勝手にそれ取ったもんだから……うわ~、最悪。これで敷金礼金がパーだよ」


 歯ブラシを咥えたまま、思わず頭を抱える。

 一瞬だけ、備え付けの四角い鏡の隅に濡れそぼった若い女性の愕然とした顔が映ったような気もしたけれど、退居する際に戻るはずの敷金礼金が吹っ飛んだことで茫然とする俺は軽く無視して、ヤケになって歯磨きを続ける。


 鏡には引き続き女性がうらめし気な表情で(いろいろとバリュエーションを変えて)チラチラ映っているけれど、おおかた金銭問題で苦悩した俺の頭が生んだ錯覚だろう。

 その証拠に気を取り直して歯磨きを終えた頃には、不景気な顔の自分のつらしか鏡に映っていないし。


 敷金礼金の件で意気消沈しながらも、同時に何かに勝ったような微妙な達成感とともに、TVと電気を消してベッドに横になる。


 ――おやすみ、俺。


 目を閉じるといつも聞こえる隣室のすすり泣く女性の声が、嫌に鮮明に聞こえてきた。

 まるで枕もとで誰かが泣いているみたいだけれど、アパートの生活音をいちいち気にしていたら都会暮らしはできない……と、親父も言っていたので、手探りでこんなこともあろうかと買っておいた耳栓をつける俺に死角はない。


〝――え? いや、ちょっ……”


 耳栓をつける間際に慌てた風な女性の声が聞こえた気がしたけれど、昔から万年0点小学生並みに寝入りのいい俺のこと。羊を数える間もなく今度こそ眠りに就いた。


 ◇


 朝である。

 いつものように鶏が鳴く前に(都会にはいないようだが)目を覚ました俺だけれど、鶏の代わりに半透明で全身が濡れそぼった若い女性が、枕もとでシクシク泣いている姿が目に飛び込んできた。


「――ふむ」


 都会暮らし三日目にして早くもストレスが溜まっているようだ。いや、それとももしや、思春期の青いリビドーが暴走して、早朝からこんな幻覚が見えてしまっているのだろうか?

 だったらヤバい。

 大学が始まったらなるべく交友関係を広げなければ。


 どうにか正気を保っているいまのうちならまだ挽回ができるはず。だいたい、都会こっちに来てから、まともに会話している相手がメリーさんというのが一番の問題――。

 と、そこまで考えたところで、はたと思い当たった。


 いま現在、客観的に見て俺ってマトモなんだろうか!?

 少なくともメリーさんに比べれば良識も常識も倫理もあると思うけれど、そもそもアレを基準値にすること自体が間違っている気がする。

 連続猟奇殺人鬼に比べりゃ空き巣狙いは常識の範囲内って言うようなものじゃないだろうか?

 いやまて、だいたいにおいて常識ってなんだ? 都会に来てから出会った人たちの中で常識のある人間って言えば……えーと……管理人さんは普通の人だよな。あとは……。


 指折り数えようとしたが、指を一本倒したところで早くも行き詰まってしまった。


〝え⁉ な、なに……何なの、起きたらいきなり何か数えだして、いきなり床の上を転げ回って……?!”


 思わず身悶えする俺から、怯えたように距離を置く幻覚と幻聴。

 と、そのタイミングを見計らったかのように、スマホが法螺貝の着信音を掻き鳴らした。


 転がったままスマホのところまでいって取る。


『あたしメリーさ……(もぐもぐ)……ん! ごほごほ……(ごっくん)いま……(パクパク)』

「メシ食いながら電話してくんな! つーか、食うか喋るかどっちかにしろ!!」

『(むしゃむしゃ……ずずず~~っ!)』

 食うのに集中しやがったよ、この餓鬼。

『(ごくご)――っはあぁぁぁっ! 美味しくないの、このジュース! すぐに買い直すの! あと、焼きそばパンも追加なのっ!』


 メリーさんの怒号に合わせて、まだ声変わりしたての少年のような声が、「はいっ、すいやせん、姐御あねごっ!」と、パシらされている様子が漏れ聞こえてきた。

 いや、何やってんのメリーさん!? いや、いま何がどうしてどういう立場になっているわけ?


 そう口に出して尋ねると、

『あたしメリーさん。いま冒険者に連れられて冒険者の町にいるの……』

「冒険者……? ああ、盗賊団を討伐に来た冒険者に救助されたのか」

『あたしメリーさん。そう。冒険者の馬車に乗せられて、夜の間にこの辺りの冒険者がたむろする町〈ストロングニートタウン〉に連れてこられたの……』


 そっちの世界での冒険者に対する世間一般の認識が、瞬時に理解できる名の町だな。


『あたしメリーさん。メリーさんは身寄りのない可哀想な美少女という扱いで、いま冒険者の世話になっているの……』

「ほう」

 まあ妥当な身の上話だろう。天涯孤独の孤児設定で冒険者の同情を誘ったか。


『特に「メリーさん、思いついて魔王をぶっ殺しに向かう途中なの」と、当面の目標を口に出したら、「町に着いたらいい病院紹介するよ」「いい子だから頭がスッキリするお薬ポーション飲みましょうね」と、びっくりするほど皆親切なの……』

「可哀想の意味が切実だっ!」

『それと冒険者は実力主義。盗賊団の頭目とゴブリンキングをやっつけたことで、メリーさんに心酔した若い冒険者が率先して世話してくれるの。若い男を手玉に取る、メリーさんは罪な女……』

「あ~~……」


 ナントかに刃物を実践しているもんだから、冒険者の中でも下っ端がババ引いて、メリーさんが機嫌を損ねて暴れないように、餌付けと飼育……と言うか世話係を上から強要されたってところか。気の毒に。


『そういうことで、いま朝ご飯前の軽い軽食を食べたくて、近くのコンビニに走らせたけどこれが使えないの……』

 朝飯前に軽食で、ガッツリ炭水化物×炭水化物×脂分=破壊力カロリーの焼きそばパンを朝から食べてるよねえ!?

『あと特に飲み物とアイスがマズいの。キュウリ風味のコーラとか、シソや小豆や塩スイカ味とか、頭おかしいとしか思えないコーラや、こともあろうにコーンポタージュ味のアイスとか、シチュー味、ナポリタン味、メロンパン味とか、異世界が頭おかし過ぎてついていけないの……!』


 頭おかしい子にキワモノ扱いされる異世界の味覚だけれど、メリーさんの知らない現実世界の残酷さを知る俺は、思わずスマホからそっと視線を逸らせた。

 と、ちょうど視線の先で所在なげにブーたれていた半透明の幻覚女が、これ見よがしにシクシク泣く真似を再開する。

 ウザッ……。

 

 幻覚だか妄想だかわからないけれど、こういう構ってチャンの女は生理的に受け付けない。同じ妄想でも(メリーさんが幻聴か悪戯である可能性をいまだに拭い切れていない)、まだしも脳味噌つるつるてんで御しやすいメリーさんのほうが万倍もマシである。


『あたしメリーさん。そういうことなので、そっちから宅配ピザか宅配寿司に電話して、三十分以内に届けてもらおうと思うの……』

「ピ○ーラや銀○さらに次元を越える技術はない!」

 ないよな? 多分……。

『むう……じゃあワ○ミの宅食なら……? あの会社と社長なら悪魔と取引しても不自然じゃ……』


 いつもの調子で頓珍漢トンチンカンな口論になっているのに気付いて、何となく気が晴れた。

「(はあ~~っ)……メリーさんと喋っているいまが一番落ち着くな(脊髄反射で喋ってもOKだから)」

 なので正直にそう口に出したところ、電話の向こうでメリーさんが息を呑む気配がした。


『あ、あたしメリーしゃん。きゅ、急にデレったってメリーさんの好感度は上がらないのっ! メリーさんはそんな安い女じゃないので――とりあえず、海の見えるチャペルで結婚式を挙げるの……!』

 なんかいきなり好感度がMAXを突破していませんかね!?

 ……ま、カマキリの雌に目をつけられた雄の気分なので、うれしくも何ともないけれど。それにしてもチョロ過ぎる。やっぱりこれも妄想じゃないのか!?!


「――どんだけ俺のリビドーが溜まっているんだ!?」

『なっ――あたしメリーさん。何かあったの……?』


 思わず絶叫した俺の様子に異変を感じ取ったのか、通話の向こうでメリーさんが恐る恐る尋ねてきた。

 別に隠すことでもないので、昨夜からの異変――どうやら都会暮らしのストレスから、いもしない女の幻覚がずっと見えていることを話して聞かせる。


「いや、どう考えても幻覚だし。幻覚だとしても、ぜんぜん好みじゃないし。幻覚にしてももうちょっと――」

 せめてもの意趣返しで、『幻覚』の部分を聞こえよがしに連呼すると、幻覚女は、

〝幻覚じゃないもん……ううううっ……”

 自分の存在に自信を持てなくなったのか、消えかけの蛍光灯のように出たり消えたりと瞬きながら、サメザメと泣くのだった。


 この調子だったら自力で妄想に打ち勝つことができるかも知れない。

 そう密かに希望を見出した俺の耳に、なぜか不機嫌なメリーさんの返事がスマホ越しに聞こえた。


『あたしメリーさん。それもしかしてあなたに取り憑いた悪霊か地縛霊じゃないの……?』

「悪霊、地縛霊……?」

 メリーさんの示唆した言葉を、思わず口に出して繰り返していた。


 途端、精彩を取り戻したびしょ濡れの女が、ものすごい勢いで頷きまくる。


 スマホを当てたまま茫然とする俺。

 なんてこった! 発想が斬新過ぎてその可能性は思いつかなかったっ!!


 ――と、思ったけれど目の前で、その通りとばかりウンウン頷いて調子こいている相手を見ていたら意地でも認めたくなくなった。


「……いや、そんな心霊現象なんて現実にあるわけきゃないだろう。まして朝っぱらから」

『あたしメリーさん。どうでもいいから電話代わってなの! あたしの目の黒いうちは、他の悪霊むしなんて許せない。ヤキ入れるの……!』


 何やら腹に据えかねた様子のメリーさんだけれど、電話を代わるということは間接的に幻覚を認める形になり、妥協したようでそれはそれで腹立たしい。


「あー、んじゃ朝飯の支度でもするかー。その間不注意でスマホの電源を入れっぱなしで、スピーカーにしておくかも知れないけど、俺は気が付かないからなー」


 わざとらしくそう誰もない虚空へ独り言を喋ってキッチンへ立つ。


『あたしメリーさん。ちょっと! どこの泥棒猫だか知らないけれど、勝手に人の獲物おとこを獲ろうっていう躾のなっていない下級霊! いたら返事をするの……!!』


 背後からメリーさんの憤懣ふんまんやるかたない叫びが上がった。

 それに答える形で、

〝もともとこの部屋にいたから先住権が――”

〝怖がられていないのはお互い様で――”

 何やら幻聴が抗議しているようだけれど、常識人である俺には当然聞こえない。


「……飯は炊いてあるから、目玉焼きにでもして。あとは味噌汁にでも挑戦してみるか」


 実家から持ってきた食材の残りを確認しながら、朝食のメニューを考える。

 一応、ひと通り自炊の仕方は習ったけれど、いまだ試行錯誤の段階だから時間が掛かるだろう。


『あたしメリーさん。よろしい、ならば戦争なの……っ!!』


 それまでに口論が終わればいいんだけれど。……なんか無理っぽいなー。

 諦観とともに俺はお湯を沸かすのだった。

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