26人いる!

相沢泉見

26人いる!




「あれれ~、おかしいゾー!」

 ロングホームルームが終わり、放課のチャイムが鳴った途端、教室じゅうに素っ頓狂な声が響き渡った。

 見ると、前の教卓のところで小柄な女子がツインテールを揺らして困り果てた顔をしている。

 とそこへ、同じく小柄な女子が長い黒髪をなびかせながら駆け寄った。

「どうしたのよ、『2』。泣きそうな顔して」

「あ、『7』ちゃ~ん。どうしよう、プリントが一枚足りないんだゾー。おかしいゾー!」

 教卓の前にいる二人のうち、涙を浮かべたツインテールが『2』。彼女に駆け寄った黒髪が『7』。

『2』の方は本日の日直だ。その日直の仕事のことで、何やら困った事態が発生したらしい。

「プリントが一枚足りないってどういうことなの? 落ち着いて話してみて」

『7』は『2』の肩に優しく手を置き、諭すように言った。それだけで『2』はふっと緊張を解き、こくんと頷く。

 聡明で、誰からも慕われる『7』は、クラス委員長のバッジをつけている。困っている級友を見て、手を貸す気なのだろう。

「うーんと、あたし、担任の『ゼロ』先生から、課題のプリントを配るように言われてたんだゾ。それでみんなの机に一枚一枚置いていったら……」

『2』はそこまで言うと、語尾を飲み込むようにして俯いてしまった。が、冷静な『7』はそれで全てを察したようだ。

「そのプリントが、一枚足りなくなったわけね。……それはおかしいわね」

『7』の鋭い視線が、教室の中をひと巡りする。

 最後の方で、僕と目が合った。そこで僕も腰を上げ、彼女たちのもとへ歩み寄る。

「プリントが足りないんだって?」

 僕がそう言うと、『7』は首を横に振った。

「プリントが足りないんじゃないわ。教室にいるクラスメイトの数が多いのよ。二人とも、数えてみて」

 僕と『2』は一瞬顔を見合わせたあと、教室内に目をやった。

 教卓前のやり取りは既に隅々に広がっており、全員が凍り付いたように固まって僕たちを見つめている。

 放課のチャイムが鳴ってから、教室を出て行ったのは担任の『0』先生だけだ。僕はゆっくりと室内にいる者の数を数えた。もちろん、自分自身も含めて。

「26人いる……」

 三度数えて、その結果だった。

 これがどんなに異常なことであるか証明するためには、まず、僕らおよびこのクラスについて話しておくべきだろう。

 僕らは『数字』であり、自然数である。

 素数クラスA。それがこのクラスの名前だ。所属するのは、1から100までの中にある『素数』のみ。

 1から100までの中に、素数は25個存在する。しかし、この教室の中にいるのは26人。ということは、すなわち……。

「一人多いのよ。素数でない『別の数字』が、紛れ込んでいるんだわ」

『7』の言葉に、教室内がざわめいた。

 無理もない。自然数高校の中で、素数クラスは特別な存在だ。

 素数……すなわち、1とおのれ自身でしか割り切れない数。無限に存在するが、その出現はランダムである。そのランダムさ故に、素数は暗号に使われる。銀行の暗証番号や、インターネットのセキュリティなど、素数を利用した暗号により、世界の平和が守られていると言っても過言ではない。

 素数の出現はまた、物理の法則と何らかの関係があると言われている。つまり、素数の謎が解ければこの世のセキュリティを全て突破でき、巨万の富や価値のある情報を一瞬にして手中に収められる。それどころか、この世界を形成する物理法則の全てを把握できる可能性があるのだ。

 その素数の謎を解くと言われているのが『リーマン予想』。数学者ベルンハルト・リーマンが発表した、素数分布の規則性に関する仮説である。

 ゼータ関数のゼロ点について述べたこの予想は、数学史上……いや、人類史上最高にして最強の難題と言われ、いまだに証明はなされていない。数多くの数学者が人生を掛けてリーマン予想……すなわち素数の謎に挑み、儚く散っていった。

 素数はこの世の全てを支配する、神秘の数字なのだ。

 その特別なクラスに、素数でない雑多な存在が紛れ込むなどというのは、許されない。

「紛れ込んでいるのは誰だゾ! 誰が素数じゃないのか、名乗り出て欲しいゾ!」

『2』がツインテールを振り乱しながら叫んだが、当然手を挙げる者などいなかった。

 僕らは『数字』だ。

 一人一人違うのは確かだが、所詮は数を表すための記号に過ぎない。クラスの中に誰かが紛れ込んでいても、言われてみなければ気が付かないのだ。

 手作りの硝子のおはじきを思い浮かべて欲しい。手作業で作られたおはじきは一つ一つ微妙に出来合いが異なるが、混ざってしまえば簡単には区別がつかなくなる。僕らはそんな存在だ。

 従ってこのクラスに紛れ込んだ『異分子』を判別するためには、硝子のおはじきを選別する時のように、『個々の数が素数かどうか』を一つ一つ検証していくしかない。

「一体、誰なんだゾ……?」

『2』は教室じゅうを眺めながら、異分子が自ら名乗り出るのを待っているようだ。しかしみんなは他のクラスメイトの顔を窺いながら押し黙っている。

「あのよー、ちょっといいか?」

 しばらくして、教室の後方から声が上がった。声の主は筋肉質な男子生徒……『83』だ。

「要するに、今からこの教室に紛れ込んだ『素数じゃない奴』を探すってことでいいんだよな」

『83』は教卓の前に並んだ僕らを睨みつけて言った。その迫力に、日直の『2』がガタガタ震えながら頷く。

「そ、そうだゾ。素数じゃない数字さんは、早く自分のクラスに戻って欲しいゾ!」

「その『素数じゃない奴』ってさ、『2』……お前なんじゃねーの?」

「えええぇっ、あたし?!」

『83』に指をさされ、『2』は目を極限まで見開いた。

「ああ。よく考えてみろよ。素数ってのは1と自分自身でしか割れないだろ。割り切れない数ってことはつまり、『奇数』ってことだろ? でもよ、『2』。お前は『偶数』だ。おかしいじゃねーか」

「うぅぅ、『83』くんの言う通り、あたしは偶数だゾ……」

「ほらな。さっきから散々俺らを疑う発言してっけど、お前自身が一番怪しい」

「怪しくないゾ。あたしは、素数だゾー!」

「嘘吐け」

 取り乱す『2』を、『83』をはじめとしたクラスメイトが冷たい目で見つめる。『2』はすっかり怖気づいたのか、涙目で硬直してしまった。そんな『2』の前に、『7』がスッと立ちはだかる。

「待って『83』くん。『2』は素数よ」

「それをどうやって証明すんだよ」

『83』は『7』を睨みつける。体格のいい『83』が厳しい顔つきをすると、それだけで迫力があるが、『7』は少しも怯まずに口を開いた。

「あなた自分で言ったじゃない。素数は『1と自分自身でしか割れない数だ』って。『2』もその条件に当てはまるわ。計算してみて」

 みんなそれぞれ計算を始めたようだ。しばらく教室内が静まり返る。

 沈黙を打ち破ったのは『83』だった。

「……確かに、そうだな。『2』は素数だ」

 そこで『2』はようやく身体の硬直を解いて、笑顔を見せた。

「でしょー。あたしは素数だゾ! そういう『83』くんこそどうなんだゾ? 大きい数だし、誤魔化してるんじゃないかゾ?」

 今度は『2』の反撃だ。しかし『83』は悠然と笑みを浮かべて言った。

「おいおい、よりにもよって俺を疑うとはいい度胸だな。俺は素数だ。しかも、スーパー素数だぜ?」

「ゾっ?!」

「3、5、11、17、31、41、59、67、そして……83。俺たちはスーパー素数だ。忘れてもらっちゃ困る」

 スーパー素数。素数の数列における、『素数番目の素数』のことである。

 素数番目の素数……言い換えるとキングオブ素数。精鋭揃いのこのクラスの中でも、ひときわ輝く存在だ。

 今『83』に名指しされたスーパー素数の面々は、満足げな笑みを浮かべていた。キングオブ素数に隙は無い。彼らへの疑いは、当然霧散する。

 と、その中の一人がスッと手を挙げた。その爪には、真っ赤なネイルが塗られている。

「アタシもちょっといいかしら」

 艶めいた吐息とともに立ち上がったのは、スーパー素数の『5』だ。カールした金髪を弄びながら、僕らにウィンクを送ってくる。

「アタシぃ、スーパー素数でもあるけどぉ、『セクシー素数五つ組』の一員でもあるのよねぇ」

「せくしぃ、素数?」

『2』がキョトンと首を傾げた。

「そうよ。セクシーそ・す・う。つまりね、差が『6(six)』で並ぶ素数のこと。二つ組とか三つ組ならたくさんいるけど、『6の差で五つ並ぶ素数』って、全部の自然数の中でアタシたちしかいないの。しかもね、六つ組以上も存在しないのよ。だからアタシたちは特別セクシーってわけ。ね、そうでしょ、あんたたち」

『5』があたりを見回すと、四人の女子がうんうんと頷いた。

 順に、11、17、23、29。みんな『5』と同じように豊満な身体つきをしていて、どこか艶っぽい。

 ちなみに『5』と同じように『11』と『17』も、スーパー素数とセクシー素数を兼ねている。スーパーでセクシー……何とも末恐ろしい存在だ。

 ともかくこれで、スーパー素数に続いて、セクシー素数五つ組も疑いから外れた。

「今までで素数と証明されたのは、2、3、5、11、17、23、29、31、41、59、67、83ね。逆にまだ疑いが晴れてない数字は……」

 冷静沈着な『7』が今までの話を素早くまとめる。

 すると、『5』がけばけばしい付け睫毛で縁どられた目を『7』へ向けた。

「ねぇ『7』。さっきからなんとなーく話を仕切ってるけどぉ、そもそもあんたって……素数?」

 その問いに、『7』は制服のブレザーの襟元にある委員長バッジを示しながら、『5』をキッと睨み返した。

「何言ってるの? 私はこの素数クラスの委員長なのよ」

「そんなバッジくらい、いくらだって捏造できるわ。あんたが素数じゃないって証明するには、条件不足だと思うけどぉ?」

「いいえ。私はれっきとした素数よ!」

「嘘ばっかり。『7』なんて、スーパーでもセクシーでもなんでもないくせに!」

 嘲笑うような笑みを浮かべた『5』に、『7』はぐっと唇を噛みしめる。

 その細い肩が微かに震えているのを見て、僕は思わず口を挟んでしまった。

「『7』は間違いなく素数だよ。……メルセンヌ素数だ」

「める、せんぬ、素数……?」

 傍らで『2』がぽかんと口を開けた。

 僕はゆっくりと説明を始める。

「『2のn乗マイナス1』で表される自然数がメルセンヌ数。その式で表される素数がメルセンヌ素数だ。十七世紀、修道僧のマラン・メルセンヌが発見した数だよ」

 他の数字と比べてメルセンヌ数がキラリと光るのは、二進法に直した時だろう。『2のn乗マイナス1』という数式で表されるメルセンヌ数を『二進法』に直すと、必ず『1』が並ぶのだ。例えば『2の4乗マイナス1』で表される『31』は、二進法だと『11111』と1が5回並ぶ。

「『2のn乗マイナス1』で表されるメルセンヌ素数は、100までの中に三つしか存在しない。一つはスーパー素数の『3』。もう一つは同じくスーパー素数の『31』。……そして、『7』だ」

「……そうだったわね。アタシとしたことが、メルセンヌ素数のこと忘れてた」

 僕の説明を聞き終わると、『5』はぐっと俯いた。しかしすぐに顔を上げ『7』に向かってぺこりと頭を下げる。

「ごめんね『7』。あんたのこと疑ったりして」

「……別に、分かってくれればいいわよ」

『7』はスッと肩の力を抜いた。そのあと一瞬だけ僕に投げられた視線が柔らかくて、それが彼女なりの礼なのだと察知する。

「これで『7』ちゃんの疑いも晴れたゾ! でも……それじゃあ『素数じゃない』のは誰なんだゾ?」

 二つの髪の束をゆらゆらさせて、『2』は頭を捻った。

 そうだ。まだ問題は解決していない……。

「残った数字を、個別に判定してみたらどうだろう」

 そんな声を上げたのは、教室の真ん中にいた『59』だった。

 銀縁眼鏡を掛けた彼は、先ほど『83』に名指しされたスーパー素数である。その佇まいからは知恵者の風格が漂ってくる。

「素数かどうかの判定なんてできるの? コンピューター解析でも時々エラーが出るっていうのに」

『7』が訝し気な声で言った。

 彼女の言う通り、素数がそうでないかの判定は、現在の技術をもってしても困難を極める。

 結局のところ、素数を判定するには『割れる数字があるかどうか』を試していくしかない。素数の発生がランダムなのもあって、コンピューターでどんな判定プログラムを構築しても、時折間違った判断が下されてしまう。だからこそ、教室内でもこうやって揉めているのだ。

 しかし知恵者『59』は、銀縁眼鏡を指で押し上げてゆうゆうと言った。

「『7』さんの言う通り、素数の判定は困難だ。……数が大きければね。だが幸いなことに、このクラスにいるのは1から100までの数字のみ。100までなら、片っ端から『割れる数があるかどうか』確認してみればいいじゃないか。たいした手間じゃないよ」

『59』の台詞に、教室内が「おおおっ」とどよめいた。そこへさらに勢いをつけたのは『7』だ。

「確かに……それが一番早いわね。残ってる数字も少ないし」

 僕はぐっと息を呑んだ。

 そうだ、100までの数字は案外単純なのだ。素数か否かの判定もしやすい。『59』の言うとおり、恐らくたちどころに『異分子』はあぶり出されるだろう……。

「よし、オレ、計算してみる」

「わたしもー」

 教室内のあちこちで計算が始まった。

 しかし『7』が、よく通る声でそれを制する。

「みんな、申し訳ないけど手を止めて。個人個人で計算しても証明にならないわ。疑いの晴れてない数字を一つ一つ、みんなで確認していきましょう」

『7』はそのまま黒板に向かい、そこにさらさらと数字を書き始めた。

 書かれたのは、2、3、5、7、11、17、23、29、31、41、59、67、83。

「今まで疑いが晴れたのはこの数字たちよ」

 黒板を眺めていた『2』がこくんと頷いた。

「ほよー。じゃあ、まだ書かれてない数字が何かで割り切れるかどうか、確かめていけばいいんだね。そいじゃー、早速計算を始めるゾ。前の席から行くね。えーとまずは『13』ちゃん」

『2』が数字を読み上げると、『7』がすかさず言った。

「13は2から12の数字では割れないわ。だから素数よ」

 教室にいる生徒は、『7』の説明が正しいかどうか確認して、頷く。

「んじゃー次は、『19』くんだゾ」

「19も……1と19以外割り切れる数はない。素数ね」

「えーと、じゃあ次は『37』くん」

「……これも素数。クリアだわ」

「んーと、次はぁ……っと、およよ、ちょっと待つゾ!」

 そこで、『2』はハタと手を打った。何かを思いついたようだ。

「どうせなら数が大きい子から計算したいゾ。数が大きい方が計算が面倒臭いし、あとに行くにつれて楽になった方がいいと思うんだゾ!」

 その提案に『7』は「そうね」と頷いた。

「んじゃー今度は後ろの方から行くゾ。はい、後ろでお饅頭食べてる『97』ちゃん」

 突然名指しされ、『97』は頬張っていた饅頭を取り落としそうになった。『97』はふくよかで大人しい女子生徒だが、常に何かを食べている。

「97は……3では割れないし、7や11でも割れないわね。他も大丈夫。クリアよ」

 さすがは『7』だ。数字が大きくても計算が速い。

「んじゃー次は、『89』くんだね!」

「89は……」

 と、『7』が計算を始めようとしたところで、ずんぐりとした男子生徒が突然立ち上がった。

「ごめん。みんな、ごめんっ……!」

 男子生徒……『89』はそのまま胸の前で両手を合わせ、ぺこぺこ頭を下げ始めた。突然の謝罪に、『2』が慌てふためく。

「急に謝るなんてどうしたんだゾ。……はっ、まさか、『89』くんが『素数じゃない』とか?!」

『2』の一言で、教室内が紛糾した。みんな『89』を指さして、「嘘だろ?!」「あいつが?!」などと顔を顰めている。

 その非難の声を制するように、『7』がパンと一つ手を叩いた。

「待って、みんな。89は1と89でしか割れない。だから彼は素数よ」

「うん。……ぼくは、素数だよ」

『89』は力なく頷いた。

「じゃあ、何で急に謝ったりしたんだゾ?」

 困惑気味の『2』が尋ねると、『89』は机の上から何かを取り上げて見せた。

「ぼく、紙飛行機を飛ばすのが好きなんだ」

「あーそういえば、『89』くんはいつも外に飛行機をピューピュー飛ばしてるゾ」

 確かに、『89』は今日も授業中に先生の目を盗んでは、ノートをちぎって作った飛行機を窓の外に向かって飛ばしていた。彼の机の上は、テイクオフを待っている飛行機たちで溢れている。

「ぼく、身体が重いせいかな。空を飛ぶのに憧れがあって、昔から飛行機が好きだったんだ。いらない紙があるとすぐに折って飛ばしちゃう。それで……さっき『2』ちゃんが配ってた、そのプリントだけどさ。それ、『2』ちゃんが配り始める前は教卓の上にあっただろう?」

『89』の言う通り、『2』が配ったプリントは、ロングホームルームのあと数分間、教卓の上にあった。『0』先生が日直の『2』に配布を命じてから『2』が実際に着手するまで、少しだけタイムロスがあったのだ。

「うんうん。プリントは教卓の上にあったゾ。あたし、配り始める前に後ろの席の『3』くんとちょっとおしゃべりしてたんだゾ。だからその間は……」

 尻すぼみになった『2』の言葉の続きを引き取ったのは『7』だ。

「プリントの束はしばらく、教卓の上に無造作に置かれていたということね」

『89』はこくりと頷いて、話しだした。

「そうなんだ。その数分の間、ぼく、いらない紙が落ちてないかどうか教室内をウロウロしてたんだよね。紙飛行機作ろうと思って。そしたら教卓にぶつかっちゃって。かなり派手に当たってコケそうになったんだ。……で、気が付いたら目の前の床に、少しくしゃくしゃになった紙が落ちてた」

 そこまで聞いて、『2』の顔色が変わった。

「ま、まさか『89』くん……。その紙、拾ったのかゾ?」

「うん。いらない紙だと思って拾って……飛行機にして飛ばしちゃった」

『89』は自分のすぐ横にあった窓を指さした。丁度いいタイミングで、開いた窓から風が吹き込んでくる。

「はえ~!」

『2』は天を仰いだ。

 その傍らでは、『7』が細い指を額に当てて首を横に振っている。

「えーと、つまり……」

 教室の真ん中で、おずおずと声が上がった。銀縁眼鏡の知恵者、『59』だ。

「『2』さんがプリントを配り始める前に、教卓の上から一枚プリントが床に落ちて、それを拾った『89』くんが紙飛行機にして外に飛ばしてしまった。だからプリントが足りなくなった……ということで、いいのかな」

「……そういうことだと思う。多分」

『89』が頷くと、教室のあちこちから「はぁーっ」と溜息が洩れた。

 その波が収まったあと、笑いの渦が沸き起こる。

 みんな安堵の表情を浮かべていた。スーパー素数もセクシー素数も……そして、僕も。

「じゃあ、この教室に『素数じゃない子』が紛れ込んでるわけじゃないんだゾ? ふええぇ、びっくりしたゾ~!」

 力の抜けた笑みを浮かべて『2』が言うと、『89』は再び身体の前で両手を合わせて申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんよ。今度からちゃんと、いらない紙かどうか確かめたあと、飛行機を折る」

「もーう。『89』くんったらややこしいことしないで欲しいゾ。でも、名乗り出てくれてありがとうだゾ!」

「ううん、当たり前のことだから。……みんな、騒がせてごめん。ぼくが先生にちゃんと事情を話して、足りないプリントを貰ってくるよ」

『89』の言葉に、みんなが頷く。

 僕の傍らでは『2』が嬉しそうに飛び跳ねていた。『7』は静かに佇んでいる。

 こうして、素数クラスのちょっとした事件は穏やかに終わりを迎えた。

 ……少なくとも僕は、そう思ったんだ。


   *


「待って」

 昇降口を抜け、校門に差し掛かったところで、後ろから声を掛けられた。

 振り向かなくても、声の主が誰か僕にはすぐ分かる。

「……何だい、『7』」

 名前を呼びながら向かい合うと、『7』は長い髪を抑えながら、僅かに微笑んだ。

「ちょっと話があるの。一緒に来て」

 僕は頷いて、彼女のあとに従う。

『7』が歩みを止めたのは、体育館の裏だった。日陰になっていて、誰もいない。

「どうして、こんなことをしたの?」

 立ち止まってからしばらくして、『7』は僕と向かい合い、そう切りだした。僕が黙っていると、さらに言葉を重ねる。

「どうして私たちのクラスに紛れ込んだりしたの。……のに」

 彼女の細い指が、まっすぐ僕に突きつけられる。

 何か言おうと思ったが、僕の口から出たのは、自重の笑みと溜息が交じり合った微妙な音だった。

「……あなたは『51』。3と17で割り切れるわ。素数じゃない」

『7』が、僕の名を呼ぶ。僕の正体を暴く。

 こうなったらもう、諦めるしかない。

「……ああ、僕は『51』。素数じゃなくて、合成数だ。観念するよ。僕は素数クラスに紛れ込んだ『ニセ素数』さ。うまくやり過ごせたと思ったのに、バレてたみたいだね」

 さっき教室では、『89』のしでかしたことにより、プリントが一枚足りなかったという結論で落ち着いた。

 僕が『素数か素数でないか』の判定を受ける前に、事態は収束したのだ。

 だが、聡明な『7』の目は誤魔化せなかったようだ。

「『89』くんが拾って折って飛ばしたのは、教室に落ちていたいらない紙だったのよ。プリントはきちんと25枚あった。……思い出してみて。『2』が騒ぎ始めた時、私たちは教室内にいるクラスメイトの数を数えたわ。あの時教室には確かに26人いた。プリントが足りなかったんじゃない。どう考えても一人多かったのよ」

 1から100までの中に、素数は25個しかない。

『89』が言いだしたことが少し衝撃的で何となく忘れ去られていたが、始めから人数が一人多いのは分かり切っていたのだ。

 肝心なことを見逃さないあたり、さすがは『7』だと僕は思った。

「……どうして、素数クラスに紛れ込んだりしたの?」

『7』は僕に突きつけていた指を下げ、静かに尋ねてきた。僕は答えない――いや、答えられない。

「素数クラスは特別な数の集まりよ。今まで何人もの数字たちが編入を希望したけど、素数でない限り門前払いされてきた。……あなたも、素数クラスに入りたかったの? 素数のふりをしてまで」

「……まぁ、そんなところだね」

 目を伏せながら言うと、『7』は少し悲しそうな顔をした。

「馬鹿みたい。できっこないのに」

「そうだね。僕は馬鹿だ」

『7』の言う通り、素数クラスに紛れ込むのはとても難しい。

 だが、勝算がないわけじゃなかった。僕こと『51』は、時折素数と間違えられる。普段から、割り切れない数だと思われがちなのだ。

 だからこそ、僕は潜り込んだ。特別な数字が集まる、あの空間に……。

「もう、こんなことしないで」

「分かったよ。明日は自分のクラスに戻る」

 僕が頷くと、『7』はくるりと踵を返した。長くて黒い髪がサッと広がって、ふわりと甘い香りが漂ってくる。

「……馬鹿」

 吐き捨てるように呟くと、『7』はそのまま僕から遠ざかって行った。

「今日一日、とても楽しかったよ、『7』」

 僕の声は、彼女に届くことなく途中でかき消される。

 ……確かに、素数クラスはみんなの憧れだ。そこに加わりたいと願う数字はたくさんいる。

 だけど、憧れだけが理由で忍び込んだんじゃない。

 同じ教室で、すぐ傍で……僕は彼女を見つめていたかった。いつもクールで、だけど誰かが困っていたらすぐに手を差し伸べる、冷静で美しい彼女……『7』の傍にいたかった。たった一日だけでもいいから。

 僕らは一見無個性な数字だけど、僕にとって『7』は、誰よりも特別な存在だったんだ。

 しかし、素数のふりをして忍び込むなんて……こんな卑怯なことをした僕は、もう彼女に顔向けできない。

 ――さようなら、『7』。

 心の中でそう呟いた時、軽やかな足音が近づいてきた。

 伏せていた顔を上げると、去ったはずの、小柄だけどすらりとした彼女がこちらへ駆けてくる。

「言い忘れたことがあったの」

『7』の瞳が、僕をまっすぐ捉えていた。小走りで戻ってきた彼女は、ゆっくりと息を整えてから口角を少し上げる。

「素数であってもそうでなくても、『51』っていう数字、私はステキだと思うわ」

 言葉の意味を噛み締めるまで、数秒かかった。

 黙っている間に、僕たちの間を柔らかい風が吹き抜けていく。

「ありがとう『7』。僕は『7』という数字が、一番……」

 あとに続く言葉は、腕の中に飛び込んできた彼女の耳元で、そっと囁いた。


 素数の謎はいまだに解けない。多分この先も、しばらく解明されないだろう。

 一つだけ確かなのは、腕の中の温もりをいつまでも味わっていたいという、僕の気持ちである。

                (Q.E.D.)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

26人いる! 相沢泉見 @wright_sweet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ