終章
月光1
▽
『能力者保護協会』
初対面の人間からそんな胡散臭い名前を聞いたら、普通の人は不審に思い、関わりを避けるだろう。公園のベンチで朝食を食べ終えたあたしの前に、突然現れた女性。彼女は人の良さそうな笑みを携えて、その名称と彼女の名前が書かれている名刺を見せてきた。
「初めまして、私はこういう者だ。キミが河内蘇芳ちゃんかな? ちょっとウチの待宵支部までご同行願いたいんだけど、良いかい?」
白衣に名刺を仕舞い込むと、あたしに手を差し伸べてきた。あたしが警戒しているからか、彼女は「飴食べる?」とポケットを漁る。飴だけを取り出すつもりだったのだろうが、手を抜いたと同時に何かがポケットから出てきて地面に落ちた。
金属音を鳴らしたのは手錠だ。目の前の、篠崎空という女性に対して警戒心を強める。こう言っては失礼だけれど、外見だけで怪しいのに、持っている物や言動まで怪しいとなると、流石に逃げ出したくなる。
しかしあたしは、能力者保護協会の名前をもう一度唇の裏で呟いてから、問いかけていた。
「あんた、能力者専門の、警察みたいなもの?」
もしそうであれば、逃げてはいけない。あたしがしたことは、罰せられたとしてもおかしくないことだ。招いた能力者達は人兎に傷付けられたり、能力者同士で戦ったりして傷を負っている。その傷を負う原因を作ったのはあたしだ。それに、少なくとも二人以上の人があたしのせいで記憶を失っているのだから、裁かれるとしても受け入れるしかない。
罪を受け入れて、失敗を受け止めて、それでも前に進んで行きたいと思う。もう、無闇に能力を頼らない。あたしは普通に人として、自信を持って前を向いていられるあたしになりたい。兄が目覚めた時に、褒めてもらえるような人でありたい。
覚悟を決めて拳を固めていたら、何故か笑われた。
「あっはは、警察って! まぁ、近いものではあるけどさ! 安心してよ。私達は基本的に能力者の味方だから。ただまぁ、今回は君を拘束しに来たんだけどね?」
「……やっぱり、裁判とかで裁かれるの?」
「そんなことはない。一ヶ月だけ停学、んでその間、支部で暮らしてもらう。期間中に外出する際は私か他の会員がキミに同行する。ただ、一ヶ月ぼうっとしてるだけなのは良くないから、ウチで保護している子供達と遊んでもらったり、勉強を教えてもらったりするかもしれない」
「それだけ……?」
つまり一ヶ月の間あたしは、学校や自宅という、行きたくない、帰りたくない場所に足を向ける必要がないということだ。遊ぶのも勉強を教えるのも、今の日常に比べたら苦痛じゃない。だから今言われたことは、あたしがしてしまった事に対する罰とは思えなかった。
「そう、それだけ。その間能力は使用禁止。キミは『そうぞう』っていうすごい能力の持ち主だから、警戒してさ、能力が使われたことを感知する能力者を本部から呼んだんだ。使ったらすぐに分かるよ」
「大丈夫よ、もう使うつもりなんてないから」
「なら良かった」
「ねぇ、あたし、罰せられないの?」
罰を受けるべき。そう思っているのに、本当は恐れているのか、強がっている声が出てしまった。今までひたすら笑っていた彼女は、疑問符を浮かべるようにきょとんとして首を傾げる。
「キミは裁かれたいのかい?」
反射的に首を縦に振って、自分の膝の上に置いた手をそのまま見つめた。どうしてか、その手は震えている。誤魔化すように握り締めていたら、手の甲に彼女の指先が触れた。
顔を上げると、彼女はあたしと目線を合わせるためか、屈んでいた。目の前にある優しい微笑に息を呑む。幼い子供に向けるような、柔らかく細められた瞳。そんな目で見られるのは、不思議なことに嫌ではなかった。
綺麗な虹彩に吸い込まれるようにして、あたしは黙ったまま、紡がれる穏和な声色に耳を傾ける。
「生憎、私達が大切にしているのは能力者の心なんだ。キミを傷付けるような真似はしない。傷付けられた結果、作られたのがあの逃げ場だろう? そこを消したのは、キミが前に進むことを決意したから、だろう? 前に進み始めたキミを助けないで、その成長を妨げるような真似をする奴がいるなら、それは私達の敵だ」
「……別に、助けてなんて、頼んでないわよ」
「そっかぁ、ごめんね。キミが望んで無くても、私はキミみたいに頑張ってる子供って好きだからさ、助けたいと思っちゃうよ。こんな仕事に就いてなかったとしても、手を差し伸べたと思う」
「……あっそ。余計なお世話」
このまま優しい空気に呑まれていても良かったが、大人に絆されるような感覚が気に食わなくて、彼女の手を払った。
残念そうな顔を浮かべながらも、篠崎さんは伸びをしながら立ち上がった。
「それに、キミを恨んでいる能力者がいたとしても、キミはその能力者にちゃんと頭を下げることが出来るよね。それで充分だよ。謝罪の言葉以上のモノを求められたら、その時は私達が介入するし、キミは何も案じなくて良い」
「ふぅん」
「ってわけで、そろそろ一緒に来てくれるかな? 待宵駅までは私の車で行くつもりだから、車に乗ってくれる?」
彼女の親指が指す方へ目をやってみると、公園の入り口の近くに黒い車が停められていた。座っているベンチの傍にあるゴミ箱に、手に持っていたコンビニの袋を投げ捨て、あたしはすっと立つ。
すると篠崎さんはあたしの手首を掴んで引っ張った。
「さ、乗って――」
「テメェ蘇芳から離れろ!」
聞き覚えのある声が響いたのは、公園から道路に出て、いざ車に乗ろうとした時だ。直後、篠崎さんに掴まれていない方の手を力強く引かれ、転びかける。しかしあたしの体は抱き止められた。気付くと、篠崎さんの手はあたしの手首から離れてしまっている。
顔を上げてみれば、そこには敵意剥き出しの甲斐崎の顔があった。
「ち、近寄んなよ……近寄ったら警察呼ぶからな!」
思うに、甲斐崎は篠崎さんを誘拐犯かなにかと勘違いしているのだろう。女性相手にそこまで怯えなくても、と思ったが、彼女は甲斐崎と同じくらいの身長で、男性に見えなくもない顔立ちをしているから、彼女の性別に関しても勘違いをしていそうだ。
白衣を着た長髪の男が女子中学生を車に連れ込もうとしている図に見えた、のではないかと察せられる。
小心者の甲斐崎が怯えながら取り出したのは、携帯電話ではなく財布だ。それじゃ警察なんて呼べないわよ、と言ってやりたかったが、必死すぎる形相を見たら何も言えなくなった。
「んー、えーっと、キミは蘇芳ちゃんの友人かな? 私は怪しい者じゃないから、安心してその子を引き渡して欲しいんだけど」
「信用出来るわけねぇだろ!」
「あれ、もしかしてこれ誘拐事件とか思われてるパターン? 極悪誘拐犯に立ち向かおうとするなんて……良い友達を持ってるね、蘇芳ちゃん」
「冷静になりなさいよ馬鹿」
溜息混じりに吐き出すと、甲斐崎が「は?」と零しながらあたしを見下ろした。だらしなく口を開けた間抜け面のまま篠崎さんの方を見て、彼女の心の声でも聞いたのかもしれない。唐突に大きな声を出されて耳を塞ぎたくなる。
「なっ、……はぁ!?」
「……え? あ、キミもしかして心が読めたりする? 能力者? なら話は早い。私はね」
「聞こえてたよ! なんだよ『能力者保護協会』って! そんなんあんのかよ!」
甲斐崎の声が五月蝿くて、彼を突き飛ばして離れた。彼に対して篠崎さんは何度も頷いている。誘拐犯疑惑が解けたからか、篠崎さんは車のドアを開けた。
「蘇芳ちゃんも、そこの金髪少年も乗って。聞きたいことがあるなら車の中で聞くからさ」
まだ何かを言いたそうにしている甲斐崎の前を通り過ぎて、あたしは後部座席に乗り込んだ。慌てたような靴音を響かせながら、彼が隣に乗り込んでくる。
あたし達が乗車したのを見てから、篠崎さんは運転席に座ってドアを閉め、アクセルを踏んだ。
ふと疑問が浮かんで、あたしは甲斐崎に聞いてみた。
「あんた、なんでここにいんの?」
甲斐崎は確か、弓張市に住んでいるはずだ。あたしの記憶が正しければ、通っている学校は繊市にある男子校。三日市に来ることなんて無さそうで、しかも学校に向かっていてもおかしくない時間だ。
どうしてだろう、と予想を組み立てようとしていたら、甲斐崎はすぐに答えた。
「お前がいつまでも俺のこと無視しやがるから、探しに来たんだよ」
彼のその台詞を耳にして、暫し固まった。今の一言を咀嚼するように、頭の中で繰り返し再生してから「ふーん」とだけ返し、彼から顔を背ける。
「……蘇芳、お前、その……大丈夫、なのか?」
「は? なにが?」
流れて行く景色を横目で見ながら、あたしは素っ気無く返した。聞いてはみたものの、何について言われているのかくらい自分で分かる。あたしを心配しているような内容のメールは全て無視していたし、甲斐崎と会ったのはあたしが呉羽先輩を殺してしまった時以来だから、あたしの精神状態が大丈夫かと聞いているのだろう。
その心の声が聞こえたからか、甲斐崎は緊張したように伸ばしていた背中を、背もたれに寄りかからせた。
「大丈夫なら、いいんだけどよ」
「昨日、偽物の世界を壊す前に、呉羽先輩と話したの。不思議よね。呉羽先輩はあたしの心の声なんて聞けないのに、あたしが欲しい言葉をくれた」
言ってしまってから、今の言い方は良くなかったと気付いた。甲斐崎に当て付けるように言ったと受け取られてしまうだろう。
そうじゃない。そう伝えたくて、甲斐崎の方を向いた。あたしを見ていたらしい彼と目が合う。彼は、ただ困ったように表情を緩ませていた。
「そっか。良かったな」
「……そうね。おかげで周りのことを考える余裕が少し出来て、あたしの間違いにも気付けたし、見て見ぬフリをしていた優しさにも気付けた」
「へぇ……」
他人事のような顔をして、どこか嬉しそうな息を吐き出す彼に、あたしは呆れて額を押さえる。あたしが心で考えればそれを聞いて気付いてくれるだろう、なんて思った自分を叱咤する代わりに、両手で頬を叩いた。いきなりそんなことをしたものだから、彼は驚いたようで、面白いくらい目を皿のようにしていた。
あたしは彼を直視して、すうっと息を吸い込む。
「ありがとう。それと、ずっと、気付かなくて、誤解してて、ごめんなさい」
「……はっ? ど、どうしたんだよいきなり。ってか誤解って何の話――」
「あんたがあたしを咎めるように見てたの、なんでかやっと分かった。あたしが、死にたいって心で呟いてたの、ずっと聞いてたんでしょ。ずっと、見守っててくれたんでしょ」
甲斐崎は固まったまま、何も言わない。けれど、金魚みたいに口を開閉して、照れ臭そうに耳を赤らめているのは、肯定の証だろう。そんな反応を見ていたらおかしくて笑ってしまう。
「メールのことも、本当にあたしのこと、心配してくれてたのよね。さっきも篠崎さんを誘拐犯と勘違いして、あたしを守ろうとしてくれて……ありがとう」
「べ、べつに、当然のことをしただけだからな。お前は、俺の友達だから、そりゃ、心配するし……助けたくも、なるだろ」
「そ。ありがと」
もう一度礼を言って前に向き直ってみたら、ルームミラーに映っている篠崎さんと目が合った。あたしと甲斐崎のやりとりを微笑ましいとでも思っていそうな目元を睨んでから、もう一度外に視線を投げる。
「お前、呉羽とはどうなったんだ?」
唐突な問いかけに、その言葉だけでは足りない部分を自分で考えて補う。きっと、恋人になったかどうか、ということを聞きたいのだ。あたしはふっと笑った。
「友達になってもらったわ。これ以上は望まない。あたしにとって呉羽先輩は、恋人にしたいとかそういう存在じゃない、って気付けたから」
「それ、本心……なんだな」
「ええ。呉羽先輩は素敵過ぎるのよ。そんな人と並んで歩こうって思える図太さはあたしにはないわ」
初めから、憧憬を恋慕だと思い込んでしまっていたのだと思う。そもそも、兄と重ねて見ていた時点で、それは恋心ではなく憧れなのだと、何故早く気付けなかったのだろう。もしかすると、確かに恋心だった時期があるのかもしれない。今では、紛うことなき憧れだ。
あたしが嘘偽りのない本心を語っているのだと、甲斐崎は気付いているはずだ。だからこそ、どう言葉をかければ良いか悩んでいると思われる。
甲斐崎という、五月蝿いはずの奴と一緒にいるのに、しんと静まっているのがおかしくて笑いが込み上げた。意図せずとも、明るい声があたしの口から発せられる。
「あたしは、彼を後ろから追いかけていたいのよ。というか、あんな素敵な人と並んで歩こうって思える人なんて、宮下センパイくらいでしょ。だからあの二人はお似合いなんでしょうね」
「……そっか」
甲斐崎が宮下センパイに恋をしていたことをすっかり忘れていた。聞いているこっちまで暗くなるような嘆息が漏らされて、慰めるための言葉を案出してみた。
「あんたとなら、並んで歩いてやっても良いけど」
それが明らかに間違った慰め方だったというのは、物凄い速さで後ずさった甲斐崎を見ていれば嫌というほど分かる。車のドアのガラスに頭をぶつけた彼は、先ほどあたしが礼を言った時よりも高速で口を開け閉めしている。
ブレーキがかかった車内が小さく揺れた。その揺れで背もたれに背を叩きつけたからか、ようやく彼の口が声を伴って動く。
「ちょっ、おま……それ、どういう意味だよ!?」
「失恋したあんたを荷物持ちになら、してやるわって意味だけど」
「はぁ!?」
「冗談よ」
「どこまでが冗談だ!?」
動揺しているのがよく分かる騒ぎ方をしている甲斐崎のせいで、口元が緩みっぱなしだ。
こういう騒がしい日常は、なんだか気分が軽くなる。声に出して笑いたいくらい、馬鹿みたいにはしゃぎたいくらい、友達といるのが楽しい。
「甲斐崎」
「……なんだよ」
「今日も絶好調ね、間抜け面が」
「お前の調子の乗り具合も絶好調だな!」
あはは、と声を上げた。自分で聞いた今の笑い声は、あたしのものと思えないくらい、楽しそうだった。
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