純白4

「……どこが似てる?」


 答えは出せず、考えることを諦めて萌葱に答えを求めた。言いにくそうに、萌葱の口元がゆっくりと動く。


「友達作るのが下手で、死にたいとか、馬鹿なことを考えるとこ」


 吐き捨てるような声遣いだった。俯くその顔色は窺えない。浅葱が自殺を考えていたことを彼女の妹が知っていた事実に驚いたが、それよりもそれが共通点であることに戸惑いを隠せない。


「蘇芳が……死にたい、って?」

「直接聞いたわけじゃないですけど。あの子、リストカットの痕すごいから」


 リストカット。自傷行為は確か、本当に死にたいのではなく生きている実感を得たいからするのだと聞いたことがある。とはいえそれは人によるだろうし、人それぞれ様々な理由があると思う。

 どうして蘇芳が、と気にはなっても、本人から聞き出す気には全くなれない。触れられたくないかもしれないから、彼女から何かを言ってこなければ何もしないつもりだ。


「もしかして紫苑さんも同じで、同じような人達で集まっていたりするんですか?」

「いや、違う」


 同じような人達、という部分は間違いではないだろう。僕達はみな能力者だ。そこには気付かれていないようで、少しだけほっとした。

 未だ疑っているような目で僕を見る萌葱に、続ける。


「浅葱と僕は屋上で出会って友達になった。蘇芳とは図書館で会って友達になった。それだけだ」


 言っていて、能力以外の僕達の共通点に気が付いてしまった。苦笑いが表に出てくる。萌葱が言っていた、友達が作るのが下手だということは、僕にも枯葉にも共通している。東雲はどうか分からないし紫土は繕うのが得意なため当てはまらず、あちら側に招かれた能力者全員がそうというわけではない。ただ、東雲を除いた協力者は皆、滑稽なことにそこだけ共通していた。

 小さく笑っていると、萌葱が目を細めた。


「……紫苑さんって嘘のにおいが香ってくる人ですよね」

「自分じゃ分からないよ」

「でも、人を騙して楽しむような嘘じゃないので、嫌いじゃないですよ」


 猫みたいな微笑を浮かべた萌葱は、くるりと背中を向け、そのまま顔だけを振り向かせてくる。


「そろそろ姉さんの所に戻ってください。あれでも姉さん、寂しがり屋なんです」

「知ってるよ」


 即答すると、意外だというように眉が持ち上げられた。それからすぐに階段を下り始める萌葱。


「紫苑さん、姉さんをよろしくお願いしますね」


 去り際の一言は、とても優しい響きを伴っていた。少しだけ浅葱を羨ましく思うと、胸が痛んだ。

 何を羨ましく思ったのか、少し考えなければ分からなかった。分かってしまうと、自分自身を嘲笑したくなる。姉妹の仲が良いのが、羨ましかった。そういう関係を見ていると、昔に戻りたくなる。仲が良かった頃に、戻りたくなる。

 ふう、と息を吐いてから、僕は扉を開けた。


「……ごめん、遅くなった」

「いえっ、ぜんぜん大丈夫です!」


 部屋に戻ると、浅葱は僕が渡したカーネーションをひたすら見つめていた。僕が部屋を出てからずっとそうしていたのかと思えば、笑声が漏れる。


「そうしてるくらいなら横になってたらよかったのに」

「紫苑先輩がせっかく来てくださっているのに、寝てしまったら嫌じゃないですか」


 にこにこ笑う浅葱の傍まで寄って、僕は床に座ろうとした。視界に入った浅葱の手が、ベッドの上に座るよう促す。少しだけ遠慮して、ベッドの端の方に座ることにする。両手に持っていた盆は床に置いた。


「あのさ。……確かに僕は東雲や枯葉ほど背が高くないし筋肉もないし、頼りなく見えるかもしれないけどさ」

「な、なぜ唐突に自虐を」

「うるさい黙って聞いて。続けるけど……偽物の世界に行けば遠慮なく能力を使えるから、君一人守るくらい僕の能力なら容易なことなんだ」


 正直、自信はなかった。人兎からは守りきれると思う。他の能力者達から浅葱を守りきれるかと問われると、何も言えなくなる。それでも、浅葱を一人にしておくよりは安全なはずだ。だから、自信を持って守りきれるという風に嘘を吐くしかなかった。

 何が言いたいのか分かったように、浅葱が僕を視界から外した。それを許してやるほど僕は寛大じゃない。


「ひゃっ……!」


 手首を握って引き寄せ、後頭部を掴んで無理やり顔を上げさせる。もちろん加減はしたつもりだ。痛かったら、それは勝手に目を逸らした浅葱の自業自得ということにしておこう。僕は自分勝手で優しくないから、強引にでもその目をこちらに向けさせたいのだ。

 僕の目からだけでなく、僕の訴えからも目を逸らすなんて、認めてやらない。

 吸い込まれそうなほど綺麗な瞳は僅かに潤んでいた。少し強く掴みすぎているのかもしれない。それでも力は緩めずに、僕はその瞳孔を奥の奥まで貫けそうなほどまっすぐ眺め入る。


「浅葱、足手まといになろうが迷惑をかけようが構わない。せめて僕の目の届く所にいて。僕の視界に、絶対にいてよ。僕の目に映らない所で勝手に死んでいるなんて、僕は絶対に許さない」

「紫苑、先輩……」

「目の前にある敵意なら、僕は歪めて折り曲げて潰して、壊してあげられるから」


 口を回さないと固めた自信が砕けてしまいそうだった。彼女が頷くまで、聞き入れてくれるまで、喋り続けなければとさえ思った。


「だから――」


 まだ動いていた唇は動くことをやめる。ごめんなさい、という小さな呟きがやけに響いて聞こえた。

 浅葱が僕を抱きしめる。息が苦しくなるくらい、体が痛むくらい、強く。病み上がりの彼女の体温は、熱く感じた。細い腕が震えるほど、彼女は力を込めていた。


「先輩。じゃあ……私、いいんですよね。先輩の傍に、うざったいくらい傍にいて、いいんですよね」

「あ、さぎ……くるしい……」

「そこまで言われたら、私、傍にいますよ。先輩の前から、いなくなりません。私は、勝手に死んで記憶を失くすことも、しません」


     ◇


 私の目をじっと見て喋る紫苑先輩は、何かに怯えているように見えた。声は鋭くて、強さを感じさせるものなのに、その瞳の色は不安の色に見えた。

 紫苑先輩が気付いて欲しくないであろうことに、私は気付いてしまったのだと思う。途端に、辛くなってきた。男の子にしてはか細いその体を、幻想なのではと思うほど美しい彼を、抱きしめたい。


「ごめんなさい」


 何故か掠れてしまった呟きの後すぐに、彼に飛びついた。強く、強く抱きしめる。

 現実の存在と思えないくらい美しくても、彼はここにいる。強く抱きしめても、彼は消えずにここにいる。私も、ここにいる。


「先輩。じゃあ……私、いいんですよね。先輩の傍に、うざったいくらい傍にいて、いいんですよね」


 気付いて、しまった。紫苑先輩は冷たくて、でも優しくて、強くて、何事にも動じないような人。そう思っていた。だけど違う。

 彼は、目の前にあるものを失うことを、酷く恐れている人。今の私の目には、そんな風に映っている。もう失いたくないのだと言わんばかりに、彼の目が叫んでいた。月の光に照らされた宝石みたいな眼は、潤みはしないものの泣き出しそうに揺れていた。多分、先輩自身は気付いていないと思う。

 先輩が何かを言う。だけど私は、彼を抱きしめることに必死すぎて、彼の声が耳に入ってこなかった。


「そこまで言われたら、私、傍にいますよ。先輩の前から、いなくなりません。私は、勝手に死んで記憶を失くすことも、しません」


 言い終えてから、なんだかとても恥ずかしいことを言っている気分になる。だんだんと顔が赤くなっていくのを感取していた。頬の熱が冷めるまで、紫苑先輩から離れたくなかった。離れたら、情けない顔を見られてしまう。

 それが嫌だと思っていたのに、先輩の手は簡単に私を押しのけた。強い力が込められていたものの、伝わる体温は優しい。


「今の、嘘だったら許さないよ」


 私の真っ赤な顔を見た紫苑先輩は、悪戯っ子のように笑った。自分の心臓の鼓動が早い。大きく聞こえてくる。これが先輩の耳にも届いていたらと思うと、恥ずかしすぎて逃げ出したくなる。

 私の頭にぽんと手を置いてから、紫苑先輩は私の両肩を押してベッドに寝かせた。


「今日は、もう帰る」


 すっと布団をかけてくれると、先輩は私の額に手を当てた。冷たい手が、保冷剤みたいで気持ちよかった。

 先輩は手を離してすぐに、扉の方へ歩き出してしまう。


「夜になったら、迎えに来る。それまで大人しく、風邪と戦ってなよ」


 わざわざ迎えに来なくても、私が行きます。そう言いたかったけれど、今は甘えるべきなのだろう。そうでなくても、なんとなく甘えたかった。風邪で弱っているからそんなことを思うのかもしれない。

 ばたん、と扉が閉まったのを横目で見ていた。紫苑先輩の姿は、すぐに見えなくなってしまった。数秒前まで彼がここにいたことが、嘘みたいだ。

 枕元に置かれた白いカーネーションに目をやって、今の出来事が夢でないことを確認する。


「紫苑先輩、知っていますか……?」


 眠気が、やってきた。布団の中は熱がこもって微かに暑いものの、額には、紫苑先輩の手の冷たさが残っていた。

 そっと、額に触れる。ちゃんと冷たい。それが心地よかった。


「白いカーネーションの花言葉は、『純粋な愛』なんですよ」


 少しだけ、夢を見たかった。こんな馬鹿な自惚れの言葉、決して紫苑先輩には聞かせられない。だから、もうこの部屋にはいない彼に零して、瞼を伏せた。

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