第94話

 そこに、居る。

 立っている。

 それだけで、こんなにも心が奮い立つのか。こんなにも空気が変わるのか。

 これが―――英雄なのか。

 豪華な鎧に身を包んでいるわけでもなく、外に出るうえで寝間着の上に赤いマントを纏わせただけなのに、なんだこの存在感と威圧感は。

 復活、したのか?

 あの、強いテンジンザさんが戻ってきたのか!?

 誰もがそう期待して注目していると、テンジンザさんが大きく息を吸い、口を開いた………!!


「あの、すいません。なんか急に出てきちゃって、こんなよわよわな儂みたいな老人が、ねぇ、すいません本当に」


 ………ネガティブ治ってねぇぇぇぇぇぇぇ!!!!

 大丈夫なの!?出てきちゃって大丈夫なの!?

「きしゃ、きしゃしゃしゃしゃ!まさか、ターゲットの方からのこのこと出て来てくれるとは思わんかったえ?」

 サジャは、釣り上げていたタニーさんをもう要らないとばかりに投げ捨てるとゆっくりテンジンザさんに近づいていく。

 マズイマズイマズイ、テンジンザさんが殺されたら全てが終わりだ。

 なんとか、守らないと……しかし、ガクンと足から力が抜けて膝をつく。

 くそっ、ダメージが……こうなったら…

「イジッテちゃん、こんなこと言うのは気が引けますけど、テンジンザさんのところに行ってください」

「私の所有権をアイツに渡す、そう言う事か?」

「あくまでも一時的にです、今ここで殺されたら終わりですよ」

「―――あいつが、返すのを拒んだらどうする?」

「―――えっ?」

 イジッテちゃんはこちらを向かず、背中を向けたまま話を続ける。

「一度渡してしまったら、本人の意思でしか所有権は動かない。もしあいつが拒否したら、お前は力づくで取り返せるのか?」

「それは―――」

 もし、返さないことを選択するのならその時は、テンジンザさんの心が以前のように戻っている可能性もある。

 そうなったらとても力づくでは無理だ。

「また、盗み出せば……」

「あいつが二度もそんなヘマをすると?」

「………そんな訳無いですよねぇ」

「だったら、簡単に所有権を渡すな。それは肝に銘じておけ」

 僕は、自分の考えの浅はかさを恥じた。

「すいません……けど、このままじゃあテンジンザさんが……」

「まあ落ち着け、たとえ心が多少折れてようが――――あいつを誰だと思ってる?」

 僕はその言葉を受けて、視線をテンジンザさんに戻す。

 タニーさんの時と同じように、椅子に乗ってテンジンザさんの首を掴むサジャ。それが彼女のスタイルなのだろうけど、テンジンザさんが大きすぎて、椅子に乗ってなお手を上に伸ばしてようやく掴める。

 ……そこまでしてやらない方が良いのでは…?

「ああっ、やめてくだされ。儂のような老人に何をなさるのです」

「きしゃきゃ、ただの老人であるものかえ。その名は魔界にまで轟いておるえ。おぬしがもう少し若ければ、勇者として魔界に乗り込んできたであろう、とな」

「いやいや、そんなそんな、儂なんて……」

「ふん、まあいいえ。どちらにしても、ここで死ぬのだからな!」

 会話も早々に、サジャの蹴りがテンジンザさんの胴体に迫る!

「危なっ……!」

 何とかそう声をかけようとした次の瞬間――――サジャの蹴りは、テンジンザさんの左手にガッチリと掴まれていた。

「なっ……に!?」

 あまりにも予想外の出来事に目を丸くするサジャに、テンジンザさんが静かな口調で語り掛ける。

「儂は、大きな失敗をした……国を、王を守れず何が英雄だろうか。本当に情けない……」

 その瞳には、光るものがあった。

 国への忠臣と、それを果たせなかった悔しさが今もテンジンザさんの心を責め付けているのだろう。

「もう儂に出来る事など何もないかもしれん……けど、それでも―――だ」

 空気が、変わった。

 テンジンザさんの全身に、力が込められていくのがわかる。

「目の前で、愛する部下が、大切な仲間が、守るべき国民が死にそうだと言うのに黙っていられるほど……人の心は失っておらんつもりだ!!!!」

 久しぶりに耳にしたテンジンザさんの強い言葉、それと同時に放たれた一発の拳。

 左手でサジャの足を掴みながら、右手で放たれたその拳は、サジャの腹部に炸裂し、身体をくの字に曲げさせる!

 一瞬、本当に一瞬、拳がサジャの身体を貫いたのかと錯覚させるほどの衝撃が視覚だけで伝わってきた…!!

 そして―――

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 吠えながら、その拳をさらに振り切ると―――

「ぐ、ぐぁぁぁぁぁああああぁぁああああ!!」

 ほんの瞬きの間に、サジャの身体は大きく吹き飛び、教会の屋根に近い高い位置の壁を貫き、外まで吹き飛ばされた!!!

「―――――――嘘だろ……」

 なんか、拳から煙出てますよ…?

 どういう仕組みですか!?!?あまりの拳の速さと強さで焦げたんですか!?

「な?あいつは腐っても英雄なんだよ。何の理屈も感情も関係ない、ただ、ひたすらに、んだ。それだけは、数日程度寝込もうと心が弱ろうと変わらない。そういう、特別な人間なんだよ」

 イジッテちゃんが苦々しい顔で、それでもテンジンザさんを絶賛する。

 そりゃあ、認めないわけにはいかない。

 どんなに人間的に好きになれないとしても、この圧倒的な力を見て、認める以外に何が出来るっていうのか。

「大丈夫か、愛する部下たちよ」

 テンジンザさんがオーサさんとタニーさんの顔を見まわすと、オーサさんは涙を流して感激し、タニーさんは倒れたまま手を上げて、拳を握り親指をグッと突き上げた。

「うむ!なによりだ!!」

 は、はははは、なんかもう笑っちゃうな。

 この人、本当に根っからの英雄だよ!!

 テンジンザさんが居れば、ジュラルを取り戻す事も夢物語じゃないと本気で思えてきた。

 僕は、脚を引きずりながら、ゆっくりテンジンザさんに近づいていく。

「おう、少年。感謝するぞ、ここまでオーサを連れて来てくれて」

「………そりゃどーも、もう心はすっかり回復したんですか?」

「―――どうであろうな。まだ以前のように自信満々にはなれんわい。肝心な時に役に立てなかった後悔は、一生儂の心を蝕み続けるだろうさ」

 寝間着の胸元を強く握りしめ、遠くに視線を向けるテンジンザさん。

 その瞳には深い悲しみと後悔が浮かんでいるようだった。

「感傷に浸ってるとこ悪いけどな」

 しんみりした空気をぶち壊すように割って入るイジッテちゃん。

「―――今ので終わったと思うのか?相手は……魔族だぞ?」

「―――!!」

 その言葉に、慌ててサジャの吹き飛んでいった方へと視線を向けると―――壁を突き破って、例の黒い塊!!

 イジッテちゃんで弾くことは出来ると思うけど、方向を考えないと教会の中で大きな被害が出る…!

「ごめんイジッテちゃん!出来れば受け止めて!!!」

「また無茶言いやがるな!!」

 黒い塊を胸で受け止めつつボールのようにキャッチするイジッテちゃん!

「重っ……!!」

 くそっ、押される……!!

 少しずつ、脚が後ろに滑っていく―――が、その足がピタリと止まった。

「手を貸そう、少年よ」

 背中に、テンジンザさんの手が添えられていた。

 何という力強さ。そんなに強く押しているという感じではなく、優しく支えられているような感覚なのに、驚くほどに押される力が軽減されている。

「全ては力の使い方だ。逆らいすぎるな、相手の力を利用して、そのまま流すように押し返すのだ」

 そう言われても……力を、利用……?

 困惑していると、背中に添えられたテンジンザさんの手がわずかに動く。

 そのわずかな動きによって、あんなに重かった黒い塊が少しだけ軽くなる。

 それを何度か繰り返すと、少しずつ黒い塊の「力の流れ」のようなものが感じ取れるようになってきた。

 ――――なんだ、この感覚、すげぇよこの人、なんだよ、ただただ超パワーで強いだけの人じゃないのかよ!!こんな技術まで持ち合わせてんのかよ…!!

「それだ、行け、少年」

 細い糸を手繰り寄せるように、少しずつ感覚を掴み――――ある瞬間に、ふと思った。

 あ―――――今、行ける……!

「行くよイジッテちゃん!!」

「よっしゃ!!」

 テンジンザさんから伝えられたその感覚を、僕がイジッテちゃんに伝え、二人の感覚が繋がったその時、僕らは黒い塊を、横や後ろではなく、前に弾き返した!!

「なっ!?」

 そしてそれは、攻撃を放ってきたサジャに向けてそのまま跳ね返り、当たると同時に爆発!!

 轟音と熱風がこっちにまで伝わってくる。

 これはさすがに決まったか…?

 しかし――――煙が晴れても、まだサジャは立っていた。

 だが、全身ボロボロで、赤い……いや、ほぼ黒に近い赤黒い血のようなものが身体のあちこちから流れている。

 というか、髪の毛からも…?

 あの髪の毛、本当に血が通って生きてるのか…。

「くそっ、くそっ…!わっちがこんな奴らに……人間などに…!」

 息は荒く、かなり大きなダメージを追っているのは明らかだった。

「この髪の毛さえ無事なら、いくらでも回復できたものを…!」

 髪の毛そんな大事な器官だったのか……だとすれば、僕も腕を失う覚悟で攻撃した意味はあったわけだ。

 もしかしたら魔人や魔族にはエネルギーを溜めておく、もしくは作り出す器官が体のどこかにあるのかもしれない。フォズはそれが角で、サジャは髪の毛だった……のかも?

「覚えておくえ、今回は見逃してやる、けれど、次に会った時は容赦しないえ?」

「えっ、そんな完全な負けセリフ残して帰るんですか?」

「はえっ?」

 しまった、黙ってたら良かったのについ。

「お前余計なこと言うなよー、ほっときゃあのまま尻尾巻いて逃げ帰ってくれただろうがよー」

 イジッテちゃんがため息を吐きながら怒ってきたけど、それはそれで煽っているのでは、という気も凄くする。ので、乗ってみる。

「いやだってイジッテちゃん。あんな解りやすい負け犬のセリフあります?どう考えてもピンチなのに、「今回は見逃してやる」って……ダサ過ぎません?」

「まあそう言うなよ、いかに魔族様と言えども、もう勝ち目がないよぅ!ってなったら捨て台詞残して逃げ帰るくらいしか出来ないんだって。そんなもんよ、しょせんそんなもん!」

「ええー、そうなんですか?魔族って、もっと凄い存在かと思ってましたけど、街のチンピラと思考回路は変わらないんですねぇ」

「そりゃそうよ!自分たちより弱いヤツにはイキってグイグイ行くくせに、勝てないとなったら泣きながら逃げるしか出来ないんだからさぁ~。力はあっても、メンタル雑魚だよねぇ」

「じゃあきっと、サジャさんも帰り道は泣きながら帰るんですね。負けて悔しいよぅ、ってえーんえーんって泣いて、もっと上の魔王様とかに「いじめられたよぅ!助けて魔王ちゃまー!」って助けを求めるんですね」

「まあそうだろうなぁ、負け犬にできることなんて、自分より強いヤツに泣きつくことくらいだからなぁ!あっはっは!!」

 正義側とは思えない酷い煽りをしているな?という自覚は物凄く有る。

 有るが――――

「き、きききききき、きさまらぁぁぁぁ」

 めちゃめちゃキレてるので、効果凄く有った。

「殺すえ!!!!」

 怒りに任せて一直線にツッコんでくるのが見えたので、当然イジッテちゃんで止める。

 そして、さっきの感覚を忘れないうちに……上手く相手の力を利用して……くるっと体制を入れ替えつつ、テンジンザさんの方へ向けて受け流す!

「くそが…!」

 背中からテンジンザさんの方へと飛ばされたサジャ、そこへ―――

「後は頼んます!テンジンザさん!」

「心得た!!ぬぅぅぅうぅううぅううぅぅん!!!!」

 テンジンザさんの拳が、今度はサジャの背中にクリーンヒット!!

「ぐがぁ・・・!」

 苦悶の息遣いが口から洩れて、サジャの身体はさっきとは逆の、背中を反ったくの字に曲がる。

 そのまま吹き飛びそうになるサジャの腕を掴んで体を反転させると、その勢いで今度は腹に膝っ!!

 ひいい、エグい…!あんなの僕がくらったら胃袋が破けるぞ。

 もはや目線が定まらなくなっているサジャの顔を右手一本でがっしりと掴むと、テンジンザさんは椅子の上に乗って――――そこからジャンプ!高い!!

 そして、空中から床に向けてサジャの後頭部を勢いよく叩きつける!!

 もうこの時点でサジャの意識は無さそうだけど……倒れてるサジャに、もう一度椅子の上に乗って、そこから背を向けたかと思うと、空中で一回転してサジャの上に全体重を乗せる!!

 床板が割れて弾け飛んだ……恐ろしい…。

「オーサ!カウント!」

 呼びかけられたオーサさんが急いで駆け寄って、床を叩きはじめる。

「ワン!ツー!…スリー!!カンカンカンカーン!テンジンザ様の勝利でーす!!さすがテンジンザ様!引退まで無敗を誇ったジュラルプロレスの絶対王者です!!」

 ……そうだったのか……プロレス王者のテンジンザさんに、立ち技格闘技王者のタニーさんと、総合格闘技王者のオーサさん……この国最強の肉体言語の持ち主3人じゃないか!


 その3人と、あとまあ一応僕の4人がかりで、どうやらなんとかなった……かな?

 うん、サジャは完全に白目を剥いて意識を失っている。


 あーーーーーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・マジで死ぬかと思ったぁぁぁぁぁぁぁーーー!!

 けど、なんとか勝った!!助かったぁぁぁぁぁ!!


 皆で掴んだ大勝利!!

 めでたしめでたし!完!


「いや、終わりじゃないけどな。まだ魔族一人倒しただけだし。たぶん城取り戻そうと思ったら、もっと魔族居るし」


 ………嫌な正論言うなぁイジッテちゃんは!!

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