What do you see?
ナナシイ
What do you see?
我がクラスには二人の美少女がいる。一人の名は小野田響子といい、もう一人の名は桜庭舞という。
しかし、一重に美少女と言えど、二人の性格は真逆というべきものである。
小野田響子はいうなれば氷のような女である。常に凛とした雰囲気を漂わせ、口数も少なく、媚びるということを一切しない。笑みを見せることもない。それどころかほぼ常に無表情である。故に、彼女の周りにいるということはほとんどない。皆どこかで彼女を恐れ、遠ざけてしまっていた。
一方、桜庭舞はさながら太陽のような女である。彼女は明るい。明るすぎるくらいに明るい。ただひたすらに元気で活動的で、ことあるごとに走り回っている。彼女はよくしゃべり、よく笑う。人当たりもよい。故に彼女の友人は非常に多い。常に彼女の周りには人がいるのである。
このように二人の性格は大きく異なっている。しかし、そうは言っても二人とも美少女なのである。高校に入り、色気づいた男子達に人気があることに変わりはない。我がクラスの男子の人気はこの二人によって二分された状態にある。入学当初から、この二人に突撃し、そして玉砕した者も何人もいるらしい。小野田はやはり冷たくあしらい、桜庭は困り顔でやんわりと断るようである。小野田に関してなど、恐れがあるなら止めておけばいいのに、と私は思っている。
ちなみに私について少し申せば、私はさして器量もよくない。また頭が良いわけでも、特別運動が出来るというわけでもない。故に、冴えない私はこの二人に関する対立を外野から、半ば野次馬根性で眺めていたのである。
さて、高校一年の夏が終わり、清涼なる風が吹き始めた秋の初旬。我がクラスにある噂が立った。岡田慎一郎という男が、小野田に対し、今日の放課後、体育館の裏に来てほしいと伝えたというのである。私が朝学校に来た時クラス内はこの噂で持ち切りであった。
この岡田という男、今まで玉砕してきた平凡な男たちとは異なり、成績優秀、スポーツ万能、おまけに器量まで良いときている。その性格も少しお堅すぎるという事を除けば欠点もない、親切で心優しい好青年の典型とでもいうべきものであった。
私はこの噂を聞き、まずあの岡田が小野田に興味があったということに驚いた。そして次に、この男ならば、あの氷の壁をも砕けるのではないかと幾何かの期待を抱いたのである。
その日は一日中、クラスの皆が浮足立ち、岡田と小野田を除くクラスの誰もが真面目に授業を受けていなかった。耳遠い老人教師の前ではささやきが絶えず、他方、若い教師の背後では小さな手紙が回りに回った。皆、私と同じ気持ちなのである。
しかし、日が暮れ行くにつれ、ある疑惑が頭をもたげた。そもそも、この噂は本当なのかということである。小野田は元より、岡田もまた、平静を保っていたのである。休み時間に無粋な奴が岡田に直接聞きに行こうとも、岡田はうんともすんとも言わない。真剣な顔つきで、ただ首を振るだけなのである。小野田に聞きに行こうという者は、流石に一人もいなかった。
だが疑惑が膨らむにつれ、尚放課後が待ち遠しくなった。気付けば、時計をばかり見ている。しかし、そうなるとまた時が経つのが遅くなる。私の内に、段々と苛立ちが募っていった。
そうは言っても放課後はやってくる。最後の授業終了のチャイムが鳴ると、私はついにこの時がやってきたと、心の中でつぶやいた。
手早く帰り支度を済ませた岡田が教室を出る。次いで小野田も教室を出た。教室の中には、野次馬の群れが残った。その中には、もう一人の美少女たる桜庭もいた。
少しの間、皆がガヤガヤと何かをしゃべっていると、やがて三人の男が元気よく手を挙げた。
「俺たちが見てくる。」
面倒なので、この三人の事は三馬鹿と呼ぶことにする。彼らは普段から人の恋の話となると、いやに張り切る馬鹿者達であるからだ。
三馬鹿はすぐさま走って教室を出て行った。
後に残った者達は、好き勝手な予想を始め、その一部は賭けをまで始めた。また、小野田に振られたことがある男たちは、何やら岡田が勝つと決めつけ、岡田なら仕方ないと勝手に意気消沈している。
その一方で、桜庭は皆の輪からは外れ、一人自分の席に座り続けていた。何時もの様な元気は全く無い。その様子はどこか、不安げであった。
二十分程して、三馬鹿が戻ってきた。三人とも、何やら俯き気味である。出ていく時のような明るさは今、彼らにはない。
誰かがどうだったのかと尋ねると、三人はぽつりぽつりと話し始めた。
三人の話を纏めると次のようなものとなる。
―――――――――――――――――――――――――
俺たちは教室を出てから、急いで体育館の裏に向かった。すると、噂通りそこには小野田と岡田の二人が、向かい合って立っていた。岡田は真剣な眼差しで小野田を見ている。一方、小野田の方はいつもと変わらず無表情である。まだ話は始まっていないらしい。俺たちは二人にばれないよう、二人の近くの草むらに身を潜めた。
口火を切ったのは岡田からである。岡田は一度深呼吸してから、明朗な声で語り始めた。
「響子さん、今日君を呼んだのは他でもない。僕が君に伝えたいことがあったからである。僕は君のことが好きだ。僕は君のその、凛とした美しさに惚れた。他を寄せ付けない、孤高さに惚れた。僕は君のその氷の壁を壊し、その中へと入って行きたいんだ。響子さん、僕と付き合ってくれないか。」
俺達三人は、この岡田らしい正面切っての告白に、少しニヤっとした。
そして小野田が口を開く。
「駄目ね。貴方も所詮ただの男ね。」
それは溜息にも似た、小さな声であった。しかしその言葉は明確な否定の言葉であった。
「何故ですか。」
岡田が声を荒げる。すると、小野田は無表情で説明を始めた。
「貴方は私に惚れたと言った。そして壁を壊してその中に入りたいとも。でも、それは本当? あなたが惚れた私の美しさ、孤高さとやらは、その壁で成り立っているのでは? だとしたら、貴方が好きな私は壁の中にはいない。貴方は、あんな短い告白の中に一種の矛盾を作ったのよ。」
「そ、それは違う。」
「違うの? まあ違うならそれでもいい。それより、貴方は何を見ているの?」
「君に決まっているじゃないか。」
「物理的にはね。でも、私が言った意味においても、貴方は確かに私を見ているでしょう。でも、それが駄目。だって、私を一番見つめてきたのは私でしょ。他人が私を見つめていようとそれが何だというの?」
「……。」
岡田は俯き黙ってしまった。小野田は尚も続ける。
「それに私に憧れ、私に惚れ、私を見続けた貴方は誰になる? 貴方は貴方のまま? いいえ違う。貴方は私に近くなる。貴方は私になっていく。貴方は壁を壊すどころか、その内に取り込まれるのよ。事実、貴方の告白に、貴方はほとんどいなかった。そんな人と一緒になって私に得がある? 全くないわ。」
小野田はいつものように無表情ながらも、どことなく、岡田の事を見下しているようにも見えた。
「所で、貴方夢はある?」
岡田は顔を上げた。
「夢? あ、ああ。あるとも。」
「それは何?」
「僕は将来、弁護士か裁判官になりたいと思っている。そして、法の名の下に、正義を実行する。それが僕の夢だ。」
「それで?」
「悪に苦しむ人々の手助けがしたいんだ。」
「そう。じゃあ聞くけど、法を決めるのは誰?」
「それは、政府だ」
「貴方ではない。それじゃ、その正義とやらを決めるのは誰? 悪とやらを決めるのは誰?」
「……この国は民主主義の国だ。だから、それは民衆が決める。」
「まるで教科書のようね。でも、決めるのは貴方ではない。じゃあ、貴方は何処にいるの? 民衆や政府の言いなり?まるで傀儡ね。」
「……。」
岡田は答えなかった。
小野田は黙り込んだ岡田を見て、最後に、吐き捨てるように言った。
「私が何を見ているのか、それは完全に思慮の外。あまつさえ自分が何を見ているのか、何をしようとしているのか、それすら定まっていない。やっぱり、つまらない男。」
小野田は去って行った。
後に残った岡田は拳を握りしめながら、一人立ち尽くしていた。己の恋心だけではない。己の夢すら否定されたのだ。俺達三人の内には、岡田に同情するとともに、小野田に対する怒りが沸いてきていた。
―――――――――――――――――――――――――
三人が話終えると、教室の中には痛々しい雰囲気が漂っていた。
しかし、それを破るかのように、突然桜庭が声を上げた。
「あんまりだよ!」
皆の視線が桜庭に集まる。桜庭の頬は怒りによって紅潮していた。桜庭は皆の視線を無視して、帰っていった。
「……そういうこと?」
「……多分ね。」
二人の女子がそう言った。
次の日。私が朝早く登校すると、既に、大勢のクラスメイトが登校していた。私を含め、桜庭がどうするか、それが気になっているのである。
当事者たる岡田と桜庭はまだ登校していない。一方、小野田は席に座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
やがて、岡田が登校してきた。目の下に隈を作り、やつれてしまっている。
岡田は教室に入ると、ちらと小野田の方を見た。しかし、そのまま向き直り自分の席に着いた。今日ばかりは、岡田に声を掛けようとするものはいない。
暫くしてから、今度は桜庭が登校してきた。その顔にいつもの笑みはない。どことなくムスっとしていた。
小野田と岡田以外の、衆人の視線が彼女に集中した。しかし、その視線を全く意に介さず、桜庭は小野田に向かって歩いて行った。
小野田の横に桜庭が立った。小野田が桜庭を見る。
「何?」
「何って……昨日のあれ、聞いたわよ!あんな言い方、ないんじゃないの!」
私はふいと、岡田の方を見た。岡田は口を少し開け、驚いていた。合点が行っていないのはこの教室で彼だけのようである。
「昨日のあれ?」
小野田が言った。訂正しよう。小野田と岡田の二人である。
「決まってるでしょ! 貴方が岡田君を振った時のことについてよ!」
そこでわかったらしい。岡田が立ち上がり、二人の方へ向かって歩き始めた。
桜庭がさらに捲し立てる。
「貴方が彼のことが好きじゃないから振った、それはまあいいわ! けどね、貴方に彼の夢まで否定する権利はないでしょう! 彼はね、今も必死に頑張っているのよ! それに自分だって辛いこともある筈なのに、皆に優しくって……。それをあんたは何! あんたに何か成し遂げたことでもあるというの? いつも一人でいる癖に!」
桜庭の顔はみるみる赤くなっていった。しかし、そんな桜庭の肩に、歩み寄ってきた岡田が手を置いた。
「桜庭、いや、舞さん。君が僕を想っていてくれているということはよくわかった。でも、これは僕と彼女の、いや、僕だけの問題なんだ。彼女に当たるのはよしてくれ。」
「で、でも。」
桜庭は納得できないらしい。すると、今度は小野田が口を挟んだ。
「桜庭さん、岡田君の言う通りよ。これは彼の問題。彼が答えなければ意味はない。それとも、貴方は岡田君と全く同じ道を歩むというの?」
「……違うけど……。」
「なら、貴方は出過ぎよ。貴方は自分の領分を守るべき。それに、そうやって人に媚びるのは止めるべきだと思うわ。」
「媚びるって、何よ。」
「他人に好かれるために我を捨て他人に染まること。少なくとも、今の貴方がそう。」
「何よそれ!」
小野田の頬に、平手打ちが飛んだ。パシィンと、軽快な音が響き渡った。
「あんたに、私の気持ちがわかるわけないわ!」
桜庭はそのまま、教室を走って出て行ってしまった。
後に残った岡田が言った。
「響子さん、すまない。」
「それも、貴方が言うことじゃないわ。それに、私も出過ぎね……。」
その日、桜庭は教室には戻ってこなかった。そして、彼女は三日程、学校を休んだ。しかし、四日目になって彼女は何事もなかったかのように学校に戻ってきた。
以来、教室内にも平和が戻ってきた。誰も、三人の事には触れようとしなかった。
その後、冬になって再びある噂が流れた。どうやら桜庭が、岡田に告白したらしいのである。らしい、というのはその前後で二人に全くと言っていいほど変化が見られなかったからである。さて私が聞いた話によれば、岡田はただ、
「今の自分に自信が持てない。」
とだけ言って、彼女を振ったらしい。
一方、小野田の方には何の変化もない。岡田を振って以来、彼女に告白する者も絶えたようである。彼女は常に一人である。一人で、何かを見ているようである。
2016/10/13
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