第29話 廃れた伝統
長井は思いもよらない再会を果たしていて、目の前に立っていたのは、もう二度と会う事は無い筈の大原だった。
「久し振りね。よくもまぁ、たった一人で新しい部なんか作ってくれちゃって。大事な後輩達迄、引き抜いて雑用係りに使ってくれているそうじゃない?」
それは藍子と千秋が、陸上部から撤退した事を指している、いわば遠回りな皮肉だった。
「自分で好んで入って来たんだから、何とでも言えばいい。先輩方を引き立たせる為に、後輩が出る杭を打たれるなんて、くだらない伝統だったんだ。それが、どんなに馬鹿らしい事かって気が付いたんだろうよ。」
「くだらない?私の先輩も、その先輩も方針を守って来たから、今の陸上部があるのよ。後から入ったアンタなんかに何が分かるっていうの!?」
「だから、そういう人達しか集まって来なかったから、長続きしているって言うだけの話しだろう?俺や彼女達は、まともな考えしか持っていないから、馬鹿げた伝統には従えなかったんだ。悪いけれど先輩の考えは、俺達の代で終わったんだ!」
かつては散々、上級生である立場をフルに悪用しまくった、大原ではあるが入部当初は、かなりの苦労はあったに違いない。
それを別に理解したくはなかったし、この先輩がキャプテンを務めた部の過去や経緯など、聞きたくもなかった。在学中、一度たりとも藍子と千秋とは、勝負をしなかった事にも大きな疑問が残る。そればかりか色々と難癖を付け、走り専門とは言い難い、あえて素人同然の自分に勝負を挑み、怪しげな戦績を残そうとしていたぐらいだった。
理由は言う迄もなく、まともに挑めば即、負けると自覚していたからに違いない。それだけ藍子と千秋の存在とは、彼女にとってみれば、かなり脅威的なものだった。二人が陸上部に入った時点で、先輩達との実力が歴然としていたのは、とっくにお見通しだった。
結局は、直属の後輩との対戦という設定に、一度も巡り合わずに済んだのだが、それにも大きな理由があった。周囲の支援者、つまりは同じ部員達の配慮があってこそで、あくまでもキャプテンは最後迄、キャプテンでなければならない。後輩との敗北などで、つまづく訳には行かないという周囲からの、歪んだ結束で支えられていたのだった。
「みんな分かっていたんじゃないか?口に出さないのをいい事に、何を浮かれていたんだよ?先輩は、部をまとめるキャプテンじゃなかったら、ただの女学生だよ。」
やがては長井の出現により、せっかくの周囲からの支援や配慮は、もろくも崩れる事となった。最終的には専門分野ではなかった、中距離走の決戦の話しを持ち掛けられ、惨敗をもって幕を閉じるという自滅を招いた。
部の後輩に負けたとしても、面目が立たなくなるという範疇なので、仮にも二つも学年が下の、単なる部外者に敵わなかったのだから『恥を知れ』程度の話しでは終われない。男子が相手であった事も、もはや何の言い訳にもならず、余りの凄惨な対戦結果に当時は場が凍り付いていた。日頃から怪しい戦歴ばかりを得ていた、決して良くはない行いが祟った結果だった。
長井の口車に、巧みに乗せられるぐらいなのだから、彼女の間の抜け様は相当、ハンパではないという証明にもなった。それにしても『キャプテン』や『先輩』の立場に頼っていただけの裸の王様が、今頃になって一体、何を言いに来たのだろうかという話しだった。
「どうも感謝の仕方を知らないみたいね?」
「何言ってんだか、さっぱり分かんねぇなぁ。ひょっとして藍子達を引っ張り込んだ事を、感謝しろってでも言いたいの?」
その件なら何度も言って来たので、彼女から恩を着せられる筋合いはなく、ごう慢な態度から勝浦が自作自演をして迄、秘密兵器を用意した理由も容易に理解できた。彼女の意思を継ぐ今の在校生部員達が、自分に協力を示すなど到底、有り得ない事もよく分かった。
感謝を訴えているのは何も、その事ではなく今現在、長井達が使用中の部室の件だと言い、どういう繋がりがあるのかが疑問だった。実は大原は、入学当時から陸上部という訳ではなく元々は、今は存在しない柔道部の所属だった。藍子と千秋には、この話しはしていないらしく、辛うじて熟知していたのは、彼女の同級生の何人かぐらいなものだった。
それも年月の経過と共に、語られる機会も少なくなり、柔道部が存在していた事実すら、闇に葬られる形になって行った。やがて彼女の卒業をもって、今となっては完全に、当時を知る者は存在しなくなった。
「あの時、使っていた部室には色んな思い出が詰まっていたのよ。汗臭いって言われたら、それ迄だけどね。」
冷血非道な印象でしかない彼女の、知られざる意外な過去を何気に聞かされたとはいえ、すっかり長井は情が入ってしまっていた。
「ちゃんと、綺麗に使ってくれている?」
「えっ?それは勿論…。って何の事だ!?」
当時、使用されていた部室こそが今のラグビー部なのであり、当初は根本から宛がわれた、ただの自分専用の更衣室に過ぎなかった。今では立派な新設部の部室に様変わりしているが、では何故、無くなってしまったのかが気になる所で、あまりにも『悲劇に見舞われていた部』であったからだった。
彼女は中学時代から、既に柔道の心得があって、決して強い訳ではなかったものの、趣味程度で続けて行きたいという意思があった。そこで柔道部としては大して知名度が無かった、この学校を選んだという何とも単純な理由からだが、そういう考えの甘さこそが自らを悲劇に導く事となった。
部の門を叩こうとした時点で、部員は三年生の二人しかおらず、自分以外の入部希望者もいなかった。柔道部の内部状況で言えば決して珍しい事ではなく、部員の少なさから毎年、団体戦など組めない状況が続いていた。
彼女が入部を果たした年こそが『よりによって』のタイミングで、新入部員が一人でも入らなかったら即、廃部を言い渡される直前という、要らないオマケ付きだった。『一人でも入らなかったら』という宣告時に『一人しか入らなかった』事になるが、それでも彼女は、部を崖っぷちから少しだけ引き寄せた、救世主の様な存在に変わりはなかった。
一時的に窮地から逃れたに過ぎず存続の為には、それだけでは不十分で大会にも出ない、規定人数にも達していない部を学校や周りの生徒が認める程、生易しいものではなかった。
そこで別に頼んでもいない、勝手に最後のチャンス到来となり、団体戦が組めないのであれば個人戦で、実績を出して貰うとの強制的な指示が出た。一人でも県大会迄、行けたなら活動を認めるとの条件をも、一方的に突き付けられてしまった。言う迄もなく彼女には、まだ大会に出れる程の自信や実力などは、皆無に等しかった。
二人の先輩というのも大学受験を控えており、彼女と同様、趣味感覚で続けていた程度だった。到底、無理だと察しられる学校側からの指示を断わろうにも、断われなかったのは幾つかの理由があった。まず彼女が名も無い新入生に過ぎなかった事と、部員が少ない故の肩身の狭さからで、まさに入学当初の長井と同じ環境だった。
『最後のチャンス』どころか最初で最後の大会になるのは明らかで、新入部員の夢の初舞台などと、綺麗事では済まされない現実でもあった。単なるオマケで柔道部がある様な、学校を選んだつもりという、甘えも言っていられなくなっていた。何かの延長程度でしか存在しない部には、やはり大きなリスクが伴うという、現状を自ら知る結果となった。
大方の予想通り条件は果たせず、彼女達にとって部の存続を左右するにしては、極めて悪条件であったのは言う迄もなかった。三人揃って一回戦に出場するだけで終わったが、特に試合慣れしていない新人には、あまりにも荷が重過ぎた。
『こんな手段を使って迄、廃部に追い込みたかったのか?』
校内からは少なからず同情の意見が飛び交ったので、最終的に年内だけの活動は認められる事にはなったが、大学受験を控えていた二人の三年生は、ちょうどいい機会だと言って自主的に退部して行った。まだまだ猶予期間は与えられていたにも関わらず、自ら活動を切り上げてしまった。結果を出せなかった上、周囲の同情を貰って迄、活動して行く事に、後ろめたさを感じたからに違いなかった。
「カッコ付けないで!じゃあ残った私は、どうすればいいの?一人にしないでよ!」
残された彼女は涙ながらに叫んではみたが、二人の先輩が訴えを受け入れる事はなかった。その後、部長の座は否応無く、彼女にスライドされる事とはなったが、それも一時的なものに過ぎなかった。一人での活動は部として機能せず、最終的には自らの撤退をもって、早々に廃部にせざるを得なくなった。実力も実績も持ち合わせていない、名も無い新人が決断した、必然的な選択だった。
同年の校内マラソン大会で転機は訪れ、廃部後、他に集中できるものが無かったので取り合えずは、走る事だけに夢中になろうとした。これなら、自分を支えてくれる仲間の手など必要無いし、練習する場所も問われない。頼るべきは自分だけだと頑なに信じ日々、狂った様に大会に向けて走り続けた間、不思議と孤独感は襲って来なかった。
全くの未経験で基本やフォームを、誰から学んだ訳でも無いにも関わらず、高順位で終わった結果をもって、当時の陸上部の先輩達に入部を勧められた。『どうしてこんな走りができるのか?』と放置するには、あまりにも勿体無い『原石』だった。
後は努力の積み重ねだけで、みんなをまとめる部長に迄、登りつめた。長井が知っている大原の姿とは、それからだが仮にも、マラソンによって隠れた実力を見い出された一選手である。専門外の中距離走の挑戦を安請け合いして、敗れた失態は、あまりにも間の抜けた話しだった…。
「私はね、いつもリスクを背負っていたのよ。目標を果たせなければ即、廃部って言われ続けていた立場の気持ちが分かる?意思で陸上部に入った訳じゃないっては言っても、特別優遇はされなかったの。男子って理由だけで大会に出れた誰だかとは違うわ!」
彼女が在校時に確立していた地位とは、自身の実力で得た結果そのもので、大会出場枠など当然、始めから保証されていた訳ではなかった。あくまで入部の勧誘を受けたのも将来、ダイアモンドの様に輝く可能性がある、原石であったからに過ぎない。
対照的なのが同じ勧誘という前提で、陸上部で活動していた長井で、枠を競う相手がいなかった為、無条件で大会へは出場を果たしていた。最も、仕掛け人の根本が選手として出場させる目的で、入部させ様と試みたのだから仕方がない。
「柔道部は解散したけれど、いつも復帰できる機会は伺っていたのよ。陸上部では、いいポジションには就いていても、捨てられない思い出が沢山あったから…。」
柔道部での経験というステップがあったからこそ、陸上部では頂点を極められたので、常に後輩達を威圧していたのも、怒力で勝ち取った立場から来ている事に誰も否定はしない。ただ部長と呼ばれるにしては本来、持ち合わせるべき実力を兼ね備えているかどうかに、大きな疑問があった。
そんな居心地のいい椅子に腰掛けながらも、名も無き過去の柔道部の再起を狙っていたという事は、よっぽど思い入れがあったに違いない。ある出来事により予定図が壊滅に追い込まれ、実は根本が『更衣室』と言って宛がったのが要因だった。大切な思い出の場が、男子の着替えの場などにされた事に、憤りを感じずにはいられなかった。
結局は在校時に、柔道部の再起が果たせなかったばかりか、望んでもいない新設部に変貌してしまった。これで完全に思い入れのあった部は、跡形も無く姿を消す事となったが、この話しは彼女自身の個人的な経験談にしか過ぎない。ねたまれる結果とはなったが長井には何等、非が無く苦労やリスクなら、負けないぐらい背負って来ているつもりだった。
第一、何故『わざわざ着替えの場が与えられなければならなかったのか?』という事から話しが始まる。唯一の男子という理由だけで全生徒から爪弾きされた結果、未使用で残っていた部室でも宛がってやる他、術は無い。
対して既に休部状態の、柔道部としては籍が無い彼女が、異議を唱えるのは全くの筋違いなのである。長井は陸上部にいた事で、目の仇にされていた理由が嫌と言う程、理解できた。というよりは彼女が、卒業して去って行こうが在学当時であろうが、もはや憎まれ続ける運命にあるのかも知れない。
ラグビー部を始めた当初、彼女が仕向けた上級生達からの妨害があったのも、過去の因縁が引きずったからこそだった。これ以上は、苦労話し何かには付き合っていられなかったので、とにかく今はグランドに向わなければならず、背を向けて歩き出したのだが…。
「ねぇ…あなたは背負わないの?」
「何を!?もう行ってもいいかな?」
「だからリスクをよ!」
「いい加減にしてくれ!先輩には少し理解するけれど、それは昔の話しで、自分が入学する前の出来事なんか知らないんだ。」
「別に苦労を分かち合ってくれって、頼んでいるんじゃないのよ。ただね、今の陸上部は藍子と千秋が抜けてしまっているの。活動に支障が出ているって相談を受けたから、落とし前だけは付けて貰うわよ?」
今の陸上部の三年生達は未だに、かつての部長の威勢を借りないと、何もできない様だった。そうやって上級生の立場を引き立ててばかりいたから、藍子達は愛想を尽かして出て行ったのは、もはや言う迄も無かった。
「何か自分がいた頃の伝統とかに、こだわっているみたいだけれど、今の在校生は先輩じゃない。過去の卒業生に今更、指図される筋合いなんかないんだ!」
新しいルールは、自分達が作るといった言葉で返したが後々、自らを不利にさせる要因になる事は、まだ気付かなかった。
「勝手な事を言わないで!私の後輩の手を借りておいて何が新しいルールなのよ!何のリスクも背負ってないじゃない?!」
「じゃあ答えてやるよ!去年は散々、俺の事を排斥させ様としていたじゃないか。それが十分、背負っていたリスクだよ!」
本当に、行かなければならない時間なので、その反論を最後に一目散で走り出した。今度、呼び止められたとしても、絶対に振り返らないつもりだった。
「待って!あなた、私の後輩に言ったんでしょう?『逃げも隠れもしないから文句があるのなら本人が直接言ってくれ』って。」
急ぐ足は止まってしまい、部の申請をしに行く日の途中、確かに自分は言っていた。
「もう後半が始まるんだ、行かないと…。だから具体的な話しは後で聞くから、ここで待っててほしい。必ず戻って来るから。」
「終わってからじゃ、ダメなのよ。あなたも背負うべきなのよって、何度も言っているでしょう?もしも今日、負けたら…。」
何となく察しは付いたが要は、部の解散を要求して来たので勿論、道理的に言って従う事も、呑む必要も無いものだった。『それは嘘だったの?!』と言われれば否定はしないが今、追及される事ではなかった。
長井と大原には、ある共通点があって二人共、陸上部への入部のきっかけが、自分の意思ではなかったという事だった。但し長井が即、大会へ出れるという高待遇であったのに対して、大原は、見習いレベルからのスタートを切らざるを得なかった。
それでも部長に就任できても卒業した途端、今度は大事な後継者の後輩達を引っこ抜かれてしまい、あまりにも以降の境遇は違い過ぎるものがあった。彼女にとっては確かに、後味の悪い結果かも知れないし今頃になって、こうして目の前に現れて無理難題を、叩き付けて来るのも分からなくはなかった。
陸上大会への出場を志願した覚えも無いし、藍子と千秋に退部を迫ってマネージャーになる様、説得した訳でも無い。そうさせたのは周囲の展開で、本当に当時は自分の考えに相反して、事が勝手に進んでいただけだった。
単なる妬みの塊りから部の解散を迫る事が、彼女の言う『リスク』なのだろうかと言いたいし、散々熱弁を振るって来た割りには、説得力の無さを感じて失笑さえ浮かんだ。
「そんな条件、呑める訳がないだろう。まず、どういう相手かを先輩は、まるで理解していないじゃないか。」
毎年、決勝進出を当然の様に果たすチームの上、選手全員が三年生だった。おまけにリザーブ迄が三年生で統一という、まさに『鬼に金棒』だと言わんばかりの極め付けである。グランドで開始を待つ仲間達の誰もが、勝てる訳が無いと端から開き直っているぐらいで、胸を借りるつもりで挑むのだから、どうこうできる相手ではない。
『ちゃんと調べてから、もっと現実味のある条件を出せって言うんだ!』
そう叫びたくもなったので、逃げたと思われても結構であり、挑発に乗ってヒートしていたのがバカバカしいとさえ思った。
「まさか、そんなチームならアンタ達を相手に、リザーブは出て来ないと思うけれど…。それなら、キャプテンが責任を取って辞めればいいだけの話しだわ。」
今度は、緩和したかの様な条件を突き付けて来たのだが、どう考えてもフザけて言っているとしか受け取れなかった。
「冗談じゃない!ハッキリ言うと、今日は俺達の負け試合なんだ。次に、弾みを付ける為だけに出るんだよ。」
図々しいにも程があり、謂れのない条件は呑めなかった。笑いたければ笑えと言わんばかりに、今度こそ走り去ろうとしたが、彼女の異論反論が鳴り止む事は無かった。
「じゃあ嘘吐くのね!文句は直接言ってくれって言うから、こうやって来たのよ。さっきルールや伝統は自分達が作るとか、偉そうな事を言っていたけれど無理なんじゃない?ウチの学校の名を背負っておいて、みっともない逃げ試合なんかしないでよ!」
敗れた時点で即、廃部と宣告されていた、彼女が柔道部に在籍していた当時から言えば、今の長井は恵まれた環境にあるのかも知れない。『負ければ後が無い者』と『負けても何かが残る』どころか、その敗戦を次のステップに活かせるという、決定的な違いがあった。この現実に不公平さを感じているのだろうが、今となっては、もはや関係の無い話しだった。
「キャプテンは俺だから、卒業生に指図を受けたり、文句を言われたくなんかない!」
「いい機会だから、ハッキリ言っておくわ。結局は陸上部へ土足で上がり込んで、何度も大会荒らしをやっていただけなのよ。どんな思いで私が選手の座を勝ち取ったか、あなたこそ何も分かってないじゃない?」
正確には出場したのは一度切りで、予定されていた二回目は『同窓会』と銘打って今の後輩達と、昔を懐かしみながら試合をしていた。これは幽霊部員だと発覚した事で、陸上競技に関わる大会への出場が周囲から、認知されなくなった事が大きく響いたものだった。
結果的には鎖が解けた事で、鬼の居ぬ間の洗濯をする必要が無くなった為、気兼ね無く『同窓会』で舞い踊った。キッカケとなった、登録選手のつもりが実は、幽霊部員だと後になって判明したのは、やはり大原の存在が絡んでいたからこそである。
だから尚更『大会荒らし』と言われる程、出場しまくった覚えも無いのだが、追及する機会は与えられなかった。この時、どうしようもない怒りが込み上げてしまい、立ち止まらずにはいられなくなっていた。
彼女には当時、同様に長井に嫌悪感を抱いていた、西尾や川崎といった仲間がいた。陸上部に入ったばかりの頃は同級生でありながら、全く頭が上がらない存在だったらしく、理由は言う迄もなくキャリアも実力の差も、歴然としていたからだった。努力の積み重ねだけで以降、部を取りまとめる立場を得る事は、その時は誰も予測はしていなかった。
聞こえのいい話しではあるが結局『自分は地の底から這い上がった』を、さらけ出しているだけに過ぎず、しかも時間を掛けなければ達成できなかった事であり、決して即興で部の長に就いた訳でもない。そんな彼女が、僅かな練習期間しか与えられていない初出場のチームに『優勝候補を撃破せよ』と、言える立場である筈もなかった。
「じゃあ自分がトライを一回も入れられなかった時は、退部してやるよ。ただ後輩達を巻き込みたくはないから、部の解散とかっていうのは勘弁してほしい。だから、どんなに卑怯者だって言われても、それ以上の条件は呑めない。絶対に…。」
今迄の彼女の主張を無視して、このまま立ち去って行く事は、もはやできなくなっていた。さすがに卒業後に入学して来た後輩達に迄、確執を抱いてはいない筈なので、目障りな存在だった自分一人が不利益を被りさえすれば、それで目的は果たせるに違いなかった。
「別にトライを入れるのは、あなたじゃなくてもいいのよ。それに何でもいいから、得点さえ入れられればいいわ。観ているから、0点で終わらない様に頑張ってね。」
これで妥協して貰うしかないと思った矢先、彼女は少しだけ笑って言い残すと、ようやく目の前から立ち去って行った。かなり条件は緩和されはしたが今から戦う相手に、0点で終わらない様にするだけでも、至難の業に近かった。ましてや自分達相手に、ペナルティキックを打たれる試合展開など、有り得ないと言っていいぐらいで、やらかすのは自分達の方に決まっていた。
どんな強豪を相手にしたとしても、無得点で終わる様であれば本当に、自分にはキャプテンの資格は無いのかも知れない。去り際に言い残した『0点では終わらない様に…。』とは、決して妥協や皮肉などではなかった。
今の自分の体は完全ではない上、何よりは後輩達から、信頼を失っている状態でもあった。チームワークにしても、どうしようもないぐらいバラバラになってはいるが、それらが要因で得点を上げられなかった事が、大目に見られる理由にはならない。
そういう大問題を生み出した原因は自分にあり、もしかしたら今が、その責任を取る状況に立たされているのかも知れない。
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