〈幕間〉ある愛の話。または少年の望み



 異能者達による聖遺物イコルを求めて争う一連の戦いは、次第に終焉へと向かいつつあった。“主催”が日本在住なので今回の争奪戦は日本国内の全域で行われているが、殆どの参戦者プレイヤーは負けて死亡済だった。

 元々異能者は首都圏に集中しており、地方都市に住む参戦エントリーした異能者は大抵が夏休みを利用して都内に遠征、そのまま戦って死ぬパターンが多数を占めている。

 そのためもう地方にも都内にも、参戦者はあまり残っていない。そもそもイコルについて知った上で、なおもそれを得ようと争奪戦に参加する欲深な異能者など、それほど多くないというのが現状なのだった。

 だが、一切の欲や願望を持たず誰かのためにイコルを求める異能者は少ないだけで確実に存在した。──あるいは、何か具体的な目的や理由があってイコルを手に入れんとする者も。


 早坂陽はやさかひなた、またの名を葉村陽はむらよう。前々回の聖戦において勝者となった彼が、争奪戦の歴史における唯一の“例外”として生かした女性──手代木紅音てしろぎあかね、別名を早坂紅音はやさかあかね。二人の間に産み落とされた少年“あお”は前回の争奪戦に勝ち、イコルを手に入れた。

 そして八年の歳月を経てまたも開催されたイコル争奪戦は、間も無く終わりを迎える。セオリー通りに誰かが勝つのか、それとも今までとは全く異なる結末に至るのか──。それはまだ、この時点では誰も知る由もないことだった。


 紅太当人からの要請を受け主催である早坂碧の手引きにより、対象者の怪我や病気をたちどころに治癒するタイプの異能者が紅太の病室へ訪れ、彼が負った怪我を治したのはつい先日のことだ。

 自然治癒では何ヶ月もかかる重傷でも、異能を使えばあっという間に回復してしまう。確実に勝つためプライドや自尊心を押し殺し、碧に依頼して治癒能力を持つ異能者を派遣してもらい、彼は再び戦場へ戻ることができたのだった。

 そしてやって来た異能者は、彼の要請とは別にある任務を携えていた。即ち、紅太と碧を繋ぐメッセンジャーとしての役割である。碧がしたためた手紙を手に訪れた異能者は、逆に紅太が書いた返信を持って碧の元へと帰ってきた。

“手紙”により碧の出生にまつわる事実を知った彼が、このあと葉村を問い詰めるであろうと予測し少年はリターンメールを流し読みしながら、うっそりと笑う。

「ねぇねぇ、このあとどんな面白い展開になるかなぁ? あいつ、僕が全て知ってるってまだ気付いてないんだよウケるよな。翠蓮スイレン、お前ならどうなると思う?」

「さぁ? 私はあんまり頭良くないんで。ていうか肥溜めスラム出身の人間にそれ訊きます? 主はそろそろそのコミュ障治した方がいいっすよ」

 蓮っ葉な口調の混じる奇妙な敬語を使い、翠蓮スイレンと呼ばれた黒髪を一つに束ね、ダークスーツを着込んだ男はポットから湯気のたつミルクを温めたカップに注ぐ。ふうふうと冷ましながら口をつける碧が時間をかけて飲み干したのを見計らい、彼はピルケースに収納された大量の錠剤を用意する。

「さぁ、これ飲んでちゃんと寝てください。あんたまた昨日夜更かししたでしょ。三日も高熱にうなされたこともう忘れたんですか」

「うっさい、翠蓮はなんなの僕のオカンなの。子供扱いやめてくれない?」

「何言ってんですか、並の子供より手のかかるガキのくせに。ほら、ワガママしないでちゃんと飲む! でないとまた注射か、そのうち手術受けないとならなくなりますよ」

 翠蓮の言葉にゲッと顔を引き攣らせると、彼はたくさんの薬を水で一気に流し込む。

「あーあー、やだなぁ。寝たきりのおじいちゃんでもないのに一度に二十包も飲まないとなんないってさ。いくら僕の能力が強いからって、いくらなんでも理不尽だよねぇ」

 もう長いこと外出していない。空調で徹底管理された自室と応接室が彼の居住空間だ。たまには日光を浴びないと身体に悪いから、という理由で時折中庭で日光浴する以外では屋外に出たことはなく、日々狙われまくるため安全上の問題から拠点から離れたこともない。

 つまんないなー、と呟く碧は部屋の姿見に映った、実際の年齢からは程遠い外見の自身に舌を打った。

 本当なら今頃学ランに袖を通しているはずだった。でもこの身体では袖も丈も余ってしまう。それでも学生の身分から遠ざかりたくなくて、無理やりサイズを調整したオリジナルの学ランを仕立ててもらった。だが、それは所詮紛い物だ。

 本物が着たいなら、異能を手放し玉座を降りて、昼の世界に戻らなくてはならない。たとえそれでも、弱りきった身体を元に戻すことは困難だ。大幅に寿命の削られた、成長しない肉体を引きずって生きていかなくてはいけない。

「ねぇ翠蓮、黄江オウコウはどうしてる? あいつ、元気かな。最近姿を見ていないんだけど……」

「えぇ、もちろん元気にやってますよ。ほかでもない私の弟です、アイツは誰にも負けません。今もちゃんとここを護ってくれてます」

「……そっか。なら、いいんだ。ねぇ、翠蓮は居なくならないよね。僕の傍から離れたりしないよね。……母さんみたいに」

 もう、碧は“彼女”の顔を覚えていない。

 ……いや、そもそも彼女に顔なんてなかったのかもしれない。手代木紅音、あるいは早坂紅音というひとはそういう“能力”を持った人間だった。

「黒髪の美しい静かな人だったのか、それとも赤茶色の髪の明るい人だったのか。もう、あやふやだ。どっちが僕の母親“役”だったんだろうね」

 任意の時代を垣間見る能力を持つ異能者の力を借りて、学生時代の母を見たことがある。自分が記憶しているものとはまるで違う、生気に満ちた表情をした少女が見知った青年と並んで歩く様子を彼は視た。

 そうか、本当はこんな風に笑えるひとだったのか。もうずいぶん遠くなってしまった過去に生きていた母は、春の日差しのように暖かい笑顔の似合う可憐な少女だった。

 碧が思い浮かべることの出来る母は、いつだって儚げに微笑している。彼女の瞳には紅音という名前からは程遠い、荒廃した寒々しい光が宿っていた。こどもを見つめる視線は優しかったけれど、それはどこか温度の低いもので。──あぁきっと、本心から望んだ子どもではなかったんだと。

 幼いながらに彼は悟る。

 自分だけに与えられる“愛情”は、たとえイコルを手に入れたとしても得られない。

 イコルにできるのは、ヒトをカミサマに変えることだけ。

 それでも欲しかった。“頂点”に立てば、きっと振り向いてくれると信じたかった。あなたの心を殺した人間と同じ立場に立つことが、どれほど悲惨なことなのか。そのとき自分は分からずに。そして永久に喪うハメになるのだ。

 ──あぁ、自分は報いを受けた。それはきっと、回避できた罰のはずだったのに。

 どうせ愛がもらえないなら力が欲しい。そして神にでもなってやろう。いつか英雄に殺されてしまう邪神だとしても。……どうせなら、自分を打ち倒す勇者は“彼”であるといいけれど。


 眠りについた少年を静かに見つめ、従者を務める青年──翠蓮はそっと音をたてずに主の寝室をあとにする。向かう先は碧に忠誠を誓う腹心の部下が集まる作戦会議室だ。

「いよいよこの聖戦は終わる。そのとき玉座に座るのは誰だ?」

 翠蓮の言葉に、同志である二人は応える。

「我らが唯一絶対の帝王、碧様です」

「あたしにとって全てである碧様よ」

 ほぼ同じタイミングに発されたそのいらえに彼は満足そうに微笑んだ。

「ああ、そうだ。勝つのはただ一人──早坂碧だけ。つまり我々もまた勝たねばならない。……やるぞ。碧様のために!」

 それぞれに服従する理由や経緯は異なるとしても、ここにいるのは早坂碧のために存在する同志なかまであることは変わらない。

 彼の治世が長く続かないことはわかっていても、王を裏切るつもりはなかった。

「主よ、どうかお待ちください。我ら三人、必ずや貴方様に勝利を──」



 ──深夜。

 お盆を過ぎてもなお蒸し暑さの残る首都内の繁華街は、平日の零時を回ってもまだまだ賑わっていた。立ち並ぶ居酒屋にキャバクラ、風俗店からは絶えず酔っ払ったサラリーマンに今どきの若者達、華やかに着飾った女性達が吐き出され街の中をそぞろ歩いている。

 ピカピカとネオンが鮮やかに照らす、昼間のように明るい街は、一歩でも裏道に入れば途端にその雰囲気を一変させる。

 外灯がなく月明かりも差さない細い裏通り、一人の子供がふんふんと鼻歌混じりに軽やかなリズムで歩いていた。

 夏の盛りは過ぎつつあるとはいえ、まだ残暑の厳しい時期にも関わらずモスグリーンのミリタリーコートを羽織り、その下に黒いシャツと細身のボトムを身に付けている。足元は艶消し加工されたショートブーツで、これもまた黒い色だ。

 まだジュニアスクールに通っていると思しき幼い容貌からすると年不相応に大人びた服装だった。首から下げた銀色に輝く薬莢型のネックレスが頼りなげに揺れている。

 子供が見下ろす視線の先、“参加証”を身に付けた中年男性がブルブルと全身を震わせ怯えきった目で彼を見つめている。

 昼間の熱をまだ保持したままの生暖かいコンクリートに無数の刃が散らばっており、子供はその中から手頃な一振りを拾う。

 目深に被ったフードの下、うさぎのように真っ赤な瞳が美しく微笑った。

「──バイバイ、来世でまた会おう」

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