彼の秘密と依頼

「ここが……スタジオ?」

「おっきいねー……。本当にここに“楽斗”さんがいるのかな」

 必ず正装してくるように、と言われそれぞれ学生服をきっちり着こなした紅太と夜花の二人組は、見上げるほどに大きく近代的な造りの、全面ガラス張りのビルをぽかんと見つめていた。

 ──話は、つい昨夜に遡る。


 葉村陽がもたらした一枚の写真──そこには、ホテルのスイートルーム並に豪華な一室をバックにとある少年の姿がはっきりと映し出されていた。濡れたように輝く黒髪と黒曜石の如き瞳は、たとえどれほどの年月が経とうとも変わらない。見違えるほど美しく成長したが、確かにそれは紅太の大事な親友である“早坂碧はやさかあお”その人だった。伝聞ではなく、彼は本当に生きている。

「葉村さん。碧はどこにいるんですか? 俺、今すぐ向かわないと」

 ギリギリと歯ぎしりしながら問いただす紅太の額をピンと指で弾き、写真の持ち主である葉村はやれやれとため息を吐く。

「馬鹿かお前は。早坂碧の周りには常に手練の護衛が何人も張り付いている。当然さ、彼はこの世界の支配者だからね。……そこへ単身乗り込もうなんざ、イコル争奪戦に勝つより甘い話だ。だから彼に会うには、正攻法でいくしかない。即ち、勝てばいい。──この聖戦に」

 絶対の勝利と永遠の栄光をもたらす神の奇跡を体現する秘宝──イコル。その原液は未だ、前回王者たる早坂碧の手の中にある。つまり全てのライバルを倒し、彼の元へたどり着かなくてはイコルは手に入らない。つまり、争奪戦に勝利しなければ早坂碧に見えることはできない。

 分かっていることだったとはいえ異能者の力がどれほど手強いか思い知った今、紅太には余計にその道のりが険しく感じられた。

 それに、と葉村は写真へ視線を注ぎながらボソッと呟く。

「……もう時間がない。彼には……」

「どういうこと……? 葉村さん、何か知ってるの……!?」

 彼は重々しく頷く。普段、柔和な笑みを湛える瞳には複雑な光がたゆたっていた。

「イコルは副作用があるんだ。強い異能力を授ける代わりに。どうしようもないモノを奪われる。──時間だ」

「時間……?」

 葉村はズボンのポケットから財布を取り出すと、一枚のカードを見せた。なんてことはない、ただの運転免許証だ。青い背景の中で今と全く変わらない容貌の葉村が気難しげな顔つきをしている。だが、名前や住所の欄と同じ所に記載された生年月日が──昭和四十三年、四月二日とある。四十三年生まれなら今、ちょうど五十歳のはずだ。

「……変わらないだろう? 若作りってレベルじゃない。当たり前だ、僕は十八歳の時から全く、歳をとっていない」

 時間を奪われる。その意味をようやく理解した。彼の時間は塞がれたまま流れることはない。年月を積み重ねることを許されず、取り残されたままなのだ。それは一体、どれほどの罰なのだろうか。

「歳をとることができないくせに、時間は無限なんかじゃないんだ。不老ではあるけど不死じゃない。むしろ、寿命は人より短い。イコルは猛毒なんだよ、人間の身体に決して馴染まない。内側からじわじわと食い破る。やがて待ち受けるのは、──惨めな死」

 水や酒と混ぜたところで、その毒性が無くなることはない。取り込んだ者の心と身体を蝕むそれは決して幸せを呼び込む“奇跡”などではなく、むしろ呪物だ。遅かれ早かれ紅太や夜花も同様にイコルに冒される。その先にあるのは、葉村や先の異能者と同じ運命だ。

「僕の異能は大したものじゃない。少なくとも彼──早坂碧に比べれば。彼はどれほど濃いものを取り込んだのかわからない。でも断言できるよ。もう、早坂碧は長くない」

「そんな……。碧が、死ぬ? そんなことがあっていいわけがない! いやだ、認めない、俺はそんなの絶対、認めない……!」

 免許証をしまい、 葉村はゆるゆると首を横に振る。童顔に滲むのは長年のうちに重ねてきた諦観そのものだ。

「残念だけどね。……兆候があるんだ。その年頃の割に、彼は小さすぎると思わないか? 他の被写体と比べてみてよ。彼は君と同じ学生服着てるけど、サイズ見てみな。……思い当たるおかしな点はいくつもあるよな?」

「……! ぐっ……」

 写真の中の早坂碧は、年不相応に大人びた表情を浮かべているものの体格は貧相で、まるで小学生かと思うほど華奢だった。年齢を考えればあまりにも小さすぎる。──時が止まっているかのように。

「既に。既に時が……止まり始めている。アイツと同じように、このままじゃ彼は大人になれないままだ。そうなればもう、陽のあたる場所で生きることはできない。裏の世界で一生を終えるはめになる。聖戦に負けてイコルを失えば今ある環境からも転落する。……その先にある未来は、筆舌に尽くし難いほど陰惨な地獄だ」

 今しかないんだ、と葉村は何度も繰り返した。

「……本当はね。最初から、僕は君たちを止めるつもりなんかなかったよ。もちろん、できれば思いとどまってほしいとも思ったけれど……だが、だからといって早坂碧を見捨てることはできない。彼に僕と同じ道を辿らせる訳にはいかないんだ。……止めなければならない。イコルから掬いださなくてはならない。ゆえに協力を頼みに来たんだ。……どうやら初めからそのつもりだったみたいだけどね」

 ふふっと笑う彼は穏やかな空気をまとっている。

「葉村さん。どうか……こちらからも協力を頼みたいんだ。俺たちじゃまだ力が足りない。だから、一緒に戦ってほしい。俺はどうしても、碧と一緒に生きたいから。これから先、何十年も続く人生にあいつがいないのは嫌だから」

「分かってるよ。何年の付き合いだと思ってんの、君が生まれたばっかりの頃からずっと見てきたんだから。……必ず助ける。そうだろ?」

 ガシッと握手を交わす。そうして、葉村陽は二人の協力者となった。──それが昨夜の顛末だ。

 そしてもう一つ。葉村はある依頼を携えていた。作詞作曲も自ら手掛ける天才アーティストにして、異能者“楽斗がくと”の護衛。彼はイコルを飲んだことで異能を身に付けたが、本人にその自覚は全くない。平時ならそれでよいが今は争奪戦の真っ最中だ。勘違いされて殺されることを防ぐため、彼の身辺を護ってほしいと葉村は頼んできた。

「……僕の能力はあまり戦闘に向いてなくてね。それに全盛期からだいぶ弱体化してもいる。護衛としては心許ない状況だ。だから実力者相手に三勝してる君たちにお願いしたいんだ。頼めるかな? ……あ、もしかしたら何か“良いこと”があるかもしれないよ?」

 なぜその依頼が直接二人に来るのではなく葉村経由なのかはわからないが、参戦者プレイヤーでもないその異能者が争奪戦に巻き込まれて死ぬのは目覚めが悪い、という訳で二人は葉村の依頼を請け負った。

 という経緯があり、指定された場所へと赴いた二人だったのだが。


「ええっと……君たちが私の護衛? 名前は手代木紅太くんに金条夜花さんってなってるね。間違いはない?」

 にこにこと害のない笑顔で書類を手に現れたのは、紫色に染めた髪に何色ものペンキをぶちまけたツナギという奇抜な格好をした青年だった。絶世の美男子という形容がぴったりくる美貌の持ち主だ。見た目の年齢は葉村よりやや年上の二十代前半程度に見える。だが彼は葉村より実年齢が上だと二人は事前に聞かされていた。

「よろしくー。なんかよくわかんないけど、あいつが寄越したっていうから……実力は確かなんだろうね。あー……、せっかくだし、仕事場見てく?」

「あの、はじめまして! その……見た目は頼りないかもしれないけど、頑張ります」

「わ、私も頑張ります……! 同じ芸能界の後輩として、よかったらこれからもよろしくお願いします!」

 ぺこりと頭を下げる少年と少女にぽりぽりと頭を掻きつつ、楽斗はじゃあさっそくとばかりにビル内へ入るよう促した。遅れずに二人が付いてくるのを確認しつつ、最上階にあるレコーディングスタジオまで向かう。

 まだ中学生の紅太は商業ではないオフィスビルに入ったことがなく、スーツ姿の大人達が行き交う様子に目をぱちぱちと瞬かせていた。逆に仕事でオフィスに入り浸りだった夜花の方は慣れたもので堂々とした態度だ。そんな彼らを気にした風もなく楽斗は呟く。

「っていっても、今レコーディングの最中だし別に危ないことなんかないと思うんだけどさー。なーんかよく知らんけど、あいつが護衛付けとけってウルサイんだよねー。しかもフツーの警備員じゃダメってさー。そんでちょうどいいの用意するからって……なんなんだろうねー?」

「はぁ……。もしかして、楽斗さんは葉村さんと友達なんですか? 接点とか無さそうに見えますけど……」

 疑問を呈する紅太の頭をわしゃわしゃしながら彼は言う。

「ま、ねー。アイツとは高校んときから仲良いよー。けど一足飛びに芸能界入った私と定職就いてないアイツじゃ繋がりなんか無さそうだろー? 実際、直に会うのも何年かに一度くらいだしなー。まーでも、気兼ねなく話せる唯一の友人って感じかなー」

 と話しつつも、既に目的の場所には着いていた。広々としたスタジオ内はいくつものブースに分かれ、彼らには全く馴染みのない機械類が整然と並べてある。オレンジの照明がぼんやりと照らす室内はどこか薄暗く、ビル内の清潔感溢れる開放的な雰囲気とは一線をきしていた。

「しばらく仕事してるし、休憩ルームとかで好きなことしてていいよー。まあここはパスワード無いと入れないし、たぶん安全だろうから。あ、でも……夜花さん、歌の経験、ある?」

 役者の夜花とアーティストの楽斗では同じ芸能界でも属するポジションが違うとはいえ、さすがに顔は把握していたのか彼女が“来宮くるみやれな”と気付いていたようだ。

「歌の仕事はしたことないですけど……ボイトレならやってました。前に貰った役が天才歌手だったので」

「ならコーラス混ざってよー。ちょうどあと一人足らなくて、どうしよっかってなってたんだよねー。ちょうどいいや! ぜひお願い」

「それは構いませんけど……クレジットに載せないなら」

「あ、載せなくていいのー? まあいいけどー。じゃ、頼むわー。ほらブース入って入ってー!」

 えっあっ、と慌てふためく夜花を連れてウキウキ顔で仕事場に直行する楽斗。同じコーラス担当や機器の調整を行うスタッフがそんな彼と少女をくすくす笑いながら見守っていた。来宮れなを知っていたと思しきスタッフから握手や会釈をされている。

 自分といるよりよほど自然体で、芸能人らしいキラキラしたオーラを放つ彼女を見て、紅太の胸はずきりと痛くなる。

「ああ、ここが、夜花の“居場所”なんだ……。どうして、それを忘れてたんだろう」



 ──同じ頃。葉村の“懸念”は確かに当たっていた。

 美少女イラストをプリントしたシャツにふくよかな体型の男は、耳に挿したイヤホンから流れる音声にニタニタと嫌な笑みを貼り付ける。

「へぇ……。来宮れな、この街に来てるんじゃん。ならちょうどいいわ。一石二鳥、狙いますか!」

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