午前7時のため息


 基本的に純和風の屋敷の中で、唯一洋室なのが紅太の自室である。手代木家を建てるとき洋風の方が何かと便利だろうと紅太父が慮った結果、彼の部屋のみ畳や障子ではなくカーテンとフローリングで構成されている。室内にはソファと小さなテーブル、それとパイプベッドくらいしかなく調度品は必要最低限のみ置かれており殺風景だった。

 差し込む日差しを受けて目を覚ました夜花は、ううーんと伸びをして上体を起こすと布団から這い出た。手ぐしで軽く髪を梳いて整え、借りていた部屋着から自前の服に着替えた。水色を基調とした星柄のセーラーカラーに大きなリボンが特徴的なワンピースは、彼女お気に入りのブランドからの頂きものである。さてこれからどうするかと考えに耽る彼女は、ふとベッドの向かいに設えたソファに横たわる少年を見た。

 彼女が今まで寝ていたベッドの本来の持ち主──手代木紅太である。昨夜、兄の仇と勘違いした夜花に殺されかけた人間だ。加害者(未遂)が同じ部屋にいるというのに、ぐうすか寝ているあたり実は大物なのかも、と夜花は思った。ついでに意外と美形だな、とも。

 おそらく染色したであろう金髪に一筋だけ赤いメッシュが入っており、朝日を反射してきらきら輝いている。涎を垂らした寝顔はみっともないが造形は整っており、年上に好かれそうな中性的な顔だ。白い肌に細く華奢な手足、同年代の女子から憎まれていそうな位スタイルは良い。あと数年経てばかなりの男前になるだろうと予想できる。……が、夜花の好みではなかった。彼女の理想はハリウッド映画に出てくるようなマッチョメンである。

「……手代木くーん、朝ですよー。起きて、起きなさーい。つーかさっさと目を覚ませや」

 ぶん殴りたくなる衝動を抑えややドスを効かせた声で囁くと、びくぅと身体を震わせ紅太は飛び起きた。

「ちょっ……、怖すぎるんだけどもうちょい優しく起こしてくれてもよくない!?」

「はぁ? なんで私があなたを甘やかさないといけないの。そういうのはママにお願いしなさいよ」

「残念でしたー、うちにママはいねーよ。それよりこれからあんた……夜花はどうするの? まさか、ずっとうちにいるわけ?」

「うふふー、そのまさかよ! 安心して、争奪戦期間中の生活費はこっちで出すし暗示かけてお宅のパパにはちゃんと誤魔化すから」

 夜花の言葉に一瞬眉を吊り上げた紅太だが、やがてはぁ……と大きなため息を吐いた。

「もしやと思ってたけど本当にうちに住むつもりなのかよ……でも、その理由は? ちゃんと家があるなら帰った方がいい気がするけど」

「私の家、ちょっとばかり事情がフクザツなの。だから、あんまり巻き込みくないんだよね。身内に迷惑かけたくないからさ」

 眉根を寄せて微苦笑する夜花だが、作ったような表情に対して紅太が指摘することはなかった。身内という他人行儀な言い方と複雑な事情というオブラートに包んだ言葉に引っかかりを覚えたものの、下手に詮索して藪蛇になる事態は避けたかったからだ。

「……さて。朝ごはんにしますか。夜花は料理得意な方?」

「人並みには出来るよ。だからって大したもの作れる訳じゃないけど」

「それで充分。あ、エプロンとかいる?」

「いりません! それよりほら、行こう」

 ぐいぐいと背中を押して部屋の外に彼を追い出し、ひんやりと薄暗い廊下の先にある台所へ二人して向かう。

「食べられないものとかアレルギー、ある?」

「大丈夫よー、嫌いなものは作らないようにしてるの! いつ食レポの仕事くるかわからないしね」

「食レポぉ? そんな芸能人でもあるまいし」

 という呆れたような彼の物言いに憤慨した夜花は、ポケットから取り出したスマートフォンのディスプレイを見せた。

「ほら! これが私のもうひとつの姿よ!」

 画面の中に映し出されているのは、画像や動画の投稿がメインとしたとあるSNSのユーザーマイページである。

「……えっ、フォロワー60万!? うっそ」

 一般人にそんな膨大な数のフォロワーがいるわけがない。芸能人というのは本当なのだと紅太は信じた。

「人気インスタグラマー“よるか☆”で、元子役の“来宮くるみやれな”でーす。よろしく!」

 改めて名乗られたその名前を彼は知っていた。というか、よほどの世間知らずでなければ知らない方がおかしいくらい、「来宮れな」の名は有名だった。キッズモデルとして華々しく芸能界入りした後、超天才子役として出る映画やドラマをことごとく大ヒットに導き、全国の男児にとって初恋の人となった美少女──それが来宮れなだ。

「なんで……そんな有名人がうちにいるんだよ……。ていうか人相変わりすぎじゃないか!?」

 ほとほと困った様子で言う紅太にちっとも悪びれない顔で夜花は言い放つ。

「そりゃもちろん、普通レベルの美少女に整形したからね! ほら、昔と今で全然顔違うでしょー? もー大変だったんだよ、お忍びで韓国までいってこっそり手術受けるの!」

 画面を切り替え子役時代と整形後を比較した写真を映す。そこには直視したら目が潰れそうな天使の如き美少女とごく普通に可愛らしい少女が並んでいた。

「……初めて見たよ……顔面偏差値落とすために整形する人……」

 んふふ、と自慢げに笑う夜花を見て、紅太はもはや笑うしかなかった。


 手代木家の朝食は基本的に和食である。そこに何か理由があるわけではなく、家長である紅太の父がパン嫌いだからである。そして紅太本人もどちらかといえばお米派であった。

「ええーっ、朝からこんなに食べるの? ていうか納豆とかよく食べられるね!?」

「日本人のくせに納豆嫌いなのかよ!」

「だって臭いが気になるんだよー! それに家は朝ごはん食べる人いないもん」

 ぎゃあぎゃあと傍目には口論しているようにしかみえないやり取りをしつつ二人は向かいあって朝食を摂っていた。

 本日のメニューはシーザーサラダと出し巻き玉子に夕飯の残り物の煮付け、それから納豆ご飯に味噌汁である。見た目と栄養バランスに気を使った献立はもはやプロの領域だ。一汁三菜を毎回用意するのは骨が折れるが、紅太当人は嬉々として行っている。

「おいおい、朝食は一日の基本だろー!? 食べないって、そんなんじゃ昼まで持たないだろうが!」

「子役辞めたけど芸能界引退した訳じゃないもん、だからダイエットは欠かさないんですぅー!」

「馬鹿か! いいかダイエットってのは健康的で規則正しい生活習慣をのことを言うんだよアホ! お前のそれはただ飯抜いただけじゃねーか! うちで暮らすならそんな真似は許さねーぞ、わかったか!!」

 唇を尖らす夜花の頭をぺしっと叩き、ひとしきり怒鳴ったあと母親じみた口調でくどくどと説教し始める紅太に彼女はうへぇと露骨に嫌そうな顔をした。

「もー、こんな口煩いのが私の同盟バディとかやんなっちゃう! きみ、オカンみたいって友達に言われたりしない?」

「なっ……なぜそれを……! まさかエスパーなのか!? それとも超能力者!?」

「落ち着きなよぉ、それ意味同じだよ?」

「はっ、ほんまや……! ……で、どうだ? 久々の朝ごはんは」

 打って変わって優しい声音の問いかけに、夜花は何の含みもない素直な笑みを浮かべた。

「おいしい。……すごく、美味しいよ。あなたの言う通り、ご飯抜いたりするの、もうやめる」

「そっか、それはよかった。今度簡単なレシピ教えるよ、いずれ家に戻っても同じものを食べられるように」


 賑やかな食卓のあと、紅太は惰眠を貪る父を叩き起こして朝食を無理やり食べさせ、担当編集から催促されている締切デッドライン間近の原稿をやらせるため書斎に父親を向かわせる。言われないとやらない性分の父に仕事をさせるのはいつの間にか息子の役目になっていた。毎朝の恒例行事である。

「……苦労してるんだねー。起こすのも一苦労じゃない」

「まぁ、二人暮らしするようになってだいぶ経つし、もう慣れたよ。それより能力の使い方を教えてくれ、早く使いこなせるようになりたいんだ」

 意欲に溢れた言葉にくすっと笑った夜花は、それならもっと広い所へ行こうと言い出した。紅太の部屋は決して狭くないが、思いっきり身体を動かすにはいささかスペースが足りない。という訳で二人は連れ立って自宅を出て、近所の公園へやってきた。

「なぁ、でもここじゃ周りから丸見えだぞ? 大丈夫なのか?」

「へーきへーき。能力をフル稼働させても一般人には仲良く遊んでるようにしか見えないよ。イコルはね、あらゆる物理法則を無視して“有り得ない”事象を引き起こしてしまうの。だから、あなたのパパも私がいることに違和感を持たなかった」

 納得できるようでできない話だったが、そういうものなんだと紅太は無理やり割り切ることにした。いちいち気にしても消耗するだけだと思ったのだ。

 まずは能力を発動させてみて、という夜花の台詞に従い、彼はさきほど現れた“手”をイメージする。最初はドットのように不鮮明だった巨大な掌は徐々にはっきりと像を結ぶ。頭上に出現した自分の身長とほぼ変わらないサイズの手を見上げ、おおっと感嘆の声がもれた。

「すっげぇ、これが俺の能力か! でかい、強そう! うわー、これなら勝てるんじゃね!?」

「あっはっは、そんな上手く行く訳ないでしょー。イコル争奪戦は過去何度も繰り返されてるけど、生き残れるのは勝者ただ一人だけ。それ以外は皆死ぬ。どんなに強い能力を授かっても、ふとしたことで簡単にやられちゃうの。……私の兄さんのように」

 湿っぽくなった空気を振り切るように、彼女は明るい声で、まずは自由にコントロールできるようにしてみて、と言った。

「肝心なのは精神力よ、気力が萎えれば力の発動は難しくなり持続時間も落ちる。だから使いこなせて当たり前って意識を持つの。あなたの能力が手を使うものなら話は早い、普段自分の手を動かすのと同じようにやってみればいい」

 アドバイスの通り、紅太はこわごわと半透明に浮いている手を動かしてみた。始めはぎこちない動きだったが、やがて動作はどんどん滑らかなものになっていく。頭の中で思い浮かべた動きがそのままトレースされるので、要するにイメージを詳細にすればそれだけ繊細な挙動が可能なのだと彼は学ぶ。

「楽しいな! これ、日常でも便利じゃないか? 遠くにあるもの取るときとか、すごい使える」

「基本は戦闘向きの能力になるもんだけど、前情報なしに異能を得たからそんな平和な力になったのかなぁ……」

「まぁそうだろうな、でもこれでどうやって戦えばいいんだろう」

 何気なく口にした疑問を聞き逃さなかった夜花は、にやりと不敵な笑みを口元に刻む。


「ねぇ手代木くん。それならさ、いっぺん私とヤってみる?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る