22:わたくし、知っているんです
貴族の娘にとって政略結婚は当たり前のことだ。政略結婚であっても、その後良好な夫婦となっている例はいくらでもある。
(でも、オリヴァー様の場合、そううまくいくかしら……?)
ヘンリックが言っていたようにオリヴァーに恋人がいるのなら、デリアと夫婦としてうまくやっていけるのだろうか。やっていけたとしても、それは仮面夫婦というやつではないのだろうか。
愛にはいろいろな形がある。友愛も、夫婦愛も、もちろんどちらも等しく愛情であることには変わりない。
形だけの夫婦に生まれるとしたら、それはいったいどういう愛なんだろうか。
「……ありがとうございます。わたくし、友人ともう一度話してみようと思います」
デリアがどう考えているのかだけでも、しっかり聞いておきたい。彼女が求めているものがエミーリアが願ったような『恋愛結婚』でないことは既にわかりきっている。波風を立てないようにと過ごしてきたデリアだから、エミーリアとは違う考え方もあるだろう。
「え? 今のはあなたの話ではなかったの?」
「友人の話と言いましたよ……ね?」
きょとん、と目を丸くした女性に、もしかしてうっかり言い忘れていただろうか、とエミーリアは首を傾げる。
「相談のときに、最初にそう言うのはたいてい本当は自分のことだと聞いたことがあったから」
「そ、そうなんですか!?」
(そんなこと聞いたことがないのだけど!?)
エミーリアが驚きながら声を上げると、女性は「そうらしいんだけど」と不思議そうに頭をひねる。
「私も、あまり人の相談にのることがないから聞きかじりなの」
「自分のことだと言うのは恥ずかしいときに遠まわしに相談するときの決まりなんでしょうか」
二人の世間知らずがきっとそうなのだろうと勝手に納得した。
エミーリアはどちらかというとよく相談する側なのでよくわからない。お茶会などの席で令嬢たちが悩んでいるフリをすることはよくあるけれど。
(人生相談は夜会に着るドレスの色なんかよりずっとプライベートな悩みだものね……)
そもそも夜会に着るドレスはどうしたらいいかしら、なんて相談は結局のところ令嬢たちの探り合いのひとつなのだ。ドレスのデザインや色が被ってしまうと自分の魅力が半減してしまうので年頃の令嬢にとってはなかなか重要な問題なのである。
「本当に友人の話だったのなら、あなたはあなたの気持ちを素直に伝えればいいんじゃないかしら」
「その……でもそれで、喧嘩してしまったので……」
自分の意見だけをぶつけるのはどうなのだろう、とエミーリアは尻込みしてしまう。
だってエミーリアにとってデリアはかけがえのない友人なのだ。関係の修復が不可能なほどに嫌われてしまったらきっと――いや絶対に立ち直れない。
「お節介が過ぎるのもどうかと、思っているんです……黙って見守れないわたくしが悪いんですけれど」
さじ加減が難しい。エミーリアが苦笑すると、女性は「そんなことないと思う」と微笑んだ。
「私は、友人のお節介を嫌だと思ったことはないわ。まぁ、行き過ぎたときには少し困ったけれど、でもきちんと、私のことを思ってくれての行動や言葉なんだってことは伝わっていたもの」
まるで母親のように慈愛に満ちた眼差しに、エミーリアはなんだかほっとした。大丈夫かもしれない、なんてそんな気持ちになってくる。
「……わたくし、ちょっとがんばってみます!」
ちゃんと気持ちを伝えて、考えを聞いて、その結果デリアがどんな選択をするかはわからないけれど。
ただじっと待つだけというのはエミーリアの性に合わない。待つのも見守るのも、最善を尽くしてからでいいのだ。
庭を離れ、エミーリアは城内に戻る。まだ時刻は昼前だ。とっくにデリアは起きているだろう。
(まずは何より、オリヴァー様のことを確認するべきだわ)
本当に恋人がいるのか。そして、ゼクレス伯爵家側としてはどうしてデリアと婚約しようとしているのか。
貴族同士の政略結婚なのだ。そこには双方にとって何かしらの理由がある。なければおかしい。
「……ハンナ、城下に行ってオリヴァー様のことを確かめて来てくれる?」
「かしこまりました」
空気のように傍に控えていたハンナに声をかけると、多くを言わなくてもすべてを理解したかのようにすぐに返事がある。ヘンリックの言葉を疑うわけではないが、すべてを鵜呑みにするわけにもいかないだろう。少なくとも彼はデリアに関しては平静ではいられないようだから。
「テレーゼ。ギュンターさんにお願いして、資料を持って来て欲しいの」
「資料……ですか?」
「ハインツェルには周辺の領地の報告がまとめられているはずでしょう? ゼクレス伯爵領のものを見てみたくて」
もちろん、わたくしが見ても問題ないものだけで構わないから。エミーリアがそう付け加えると、テレーゼはかしこまりました、とすぐに動き出す。おそらくここ数年のゼクレス伯爵領の状況くらいは掴めるはずだ。
「……何するんですか?」
二人が去ったあとで、ひょっこりと顔を出したのはヘンリックだ。
「わかる範囲でオリヴァー様について調べてみようかと思いまして。ヘンリック様はなぜここに?」
マティアスは朝早くから城を出ている。昨夜のうちに街道の近くで小規模の土砂崩れがあって、それを見に行っているのだそうだ。近衛騎士のヘンリックが城に残っているというのはおかしい。
「……今日は非番になりまして」
「非番に」
エミーリアは目を丸くしながらヘンリックの言葉を繰り返す。騎士にも休みは必要だが、ハインツェルに滞在中に非番というのはなかなか珍しい話ではないだろうか。
「昨日、陛下に酔い潰されたんですよ」
「まぁ。二日酔いですか? お薬はいります?」
「二日酔いってほどじゃないですね、寝過ごしましたけど。……陛下の方が俺の酒の限界をわかってる気がしてます」
苦笑まじりにそう語るヘンリックを、エミーリアはじっと見つめる。二日酔いで参っているという様子はないから、ただ寝過ごしただけというのは本当なのだろう。
(……それなら)
「ヘンリック様は、デリアのことをどうお思いですか」
エミーリアはヘンリックのかすかな表情の変化も見逃さないように、その顔から目を離さない。エミーリアにじっくりと見つめられたヘンリックは困ったように笑っている。
「どう、とは?」
「わたくし、デリアにはしあわせになってほしいと思ってます。デリアをしあわせにしてくれる方と結ばれてほしいと思います。たぶん、ヘンリック様もそうなのではと思うのですけど……」
でもその根底にある感情は、エミーリアとヘンリックでは別の物ではないだろうか。
ヘンリックが抱いているそれは、友愛と呼ぶには重すぎるのではないだろうか。
ずっと、二人はなんだか不思議な関係だなと思っていた。それを聞かずにいたけれど、今はそれを確かなければいけない気がしている。
「もしかして、俺のことも品定めしてます?」
「デリアを傷つけるような方を認める訳にはまいりませんので」
きっぱりとエミーリアは言い切った。
(だって、わたくしはヘンリック様の気持ちを知らないもの)
ヘンリックとは望むものが重なるところもあるが、手放しに協力していいものかエミーリアにはわからない。……ヘンリックを応援していいのかどうかも。
「……俺は、王子様ってのは柄じゃないですし、そもそも王子様には背伸びしたってなれませんけど」
でも、とヘンリックが呟く。真剣な眼差しで、かすかに笑みを浮かべながら。
「騎士になってここまで這い上がってきたのは、たった一人の女の子のためですよ」
その言葉に、エミーリアは何も言えなかった。
*
それから、部屋に戻るというヘンリックを見送って、エミーリアはただ立ち尽くした。
うまくいかない。……どうしてこんなにうまくいかないんだろう。
誰もがしあわせになれる道というものはないのだろうか。デリアだけではなく、ヘンリックやオリヴァーも納得して、満足できる結末。物語のような、ハッピーエンドが。
現実が物語のようにうまくいかないこともあるって、もちろんエミーリアだってわかっているけれど、それでも。
「――エミーリア?」
やさしく甘い声が自分の名前を呼ぶ。
エミーリアは顔を上げて振り返った。笑顔を作る余裕が今はあまりなくて、きっと変な顔になってしまった。
「おかえりなさいませ、陛下」
それでもどうにか笑みを浮かべてマティアスを出迎える。マティアスはエミーリアの顔を見てかすかに眉を寄せた。護衛の騎士たちに指示を出してからそっとエミーリアに歩み寄る。
大きな手がエミーリアの頬に触れてくる。
「どうした?」
たったその一言に、じわじわと胸に沁みこんでいくようなやさしさがあった。
苦しくて苦しくて渇いていた心に静かに水が注がれる。満たされて、潤っていく。
エミーリアはきゅっと唇を引き結ぶ。そうしなければ涙が零れてしまいそうな気がしたのだ。
しかしマティアスはそんなエミーリアを見透かすように、親指で固く引き結ばれた唇を撫でた。エミーリア、と低い声が再び名前を呼ぶ。
甘えてほしい、とねだるように。
話してほしい、と乞うように。
(……ずるい)
こんなことをされたら、そんな風に名前を呼ばれたら、エミーリアは我慢なんてできなくなるのに。
「……デリアと喧嘩してしまいました」
「そうか」
ぽつりと零したエミーリアに、マティアスは相槌を打つ。
「……嫌われてしまったかもしれません」
「それはきっと大丈夫だろう」
否定してほしいところははっきりと否定して、マティアスはエミーリアの頬を撫でる。
いつもならその大きな手にすり寄って甘えるけれど、エミーリアはただマティアスを見上げた。
「……それでもわたくし、放っておけないんです。デリアにはしあわせになってほしい。しあわせになることを諦めてほしくないんです」
うっすらと涙に濡れるペリドットの瞳には確かに強い意志が宿っていた。
人生は物語のようにうまくはいかない。ハッピーエンドは約束されていない。
でもだからこそ、掴みとれた幸福はかけがえのないものなのだ。
「だってわたくし、知っているんです。好きな人が自分のことも好きでいてくれるという、たったそれだけのことが――とても、とても奇跡的なことなんだってことを」
知っているんです、とエミーリアが零す。
マティアスが自分を愛してくれたから、知っている。
たくさんの人がいて、たくさんの出会いがあって、その中には当然結ばれない縁だってあるはずなのに、消えていく繋がりもあるはずなのに。
それでも、互いが互いを大切に思って、いとしいと思える出会いがあることは。
きっと、神様だって覆せないほどの奇跡なのだ。
「――エミーリア」
見上げた先の青い瞳が、静かにエミーリアを見下ろしている。
かすかに顎を持ち上げられたとエミーリアが感じたときには、唇にやわらかなものが重なっていた。
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