5:『いばらの姫と聖銀の騎士』

「お越しいただきありがとうございます」

 デリアやヘンリックをあたたかく迎え入れた院長は、エミーリアに丁寧な口調で挨拶をする。ただの貴族の娘としてというよりは、次期王妃としての扱いなのだろうとエミーリアは苦笑した。

「こちらこそ貴重な機会を頂いてありがとうございます。わたくしがお役に立てるといいのですけど」

「子どもたちはとても楽しみにしていたんですよ」

 院長に案内されながら育児院へと入る。

「ヘンリックにーちゃんだー!」

 男の子たちはヘンリックを見るやいなや、飛びかかったり腕にぶら下がったりしていた。両腕に子どもをぶら下げたままヘンリックはくるくると回って見せたりしているので、その光景にエミーリアは唖然とする。

「彼が来るといつもああなんですよ」

「……ヘンリック様はさすがですね」

 くすくすと笑う院長に、エミーリアはどうにか答えた。ああいう光景は、エミーリアにはとても馴染みがないものだ。

「デリアおねーちゃん!」

「今日は知らないおねーちゃんもいるの?」

 デリアのドレスの裾をくいくいと引っ張った女の子が、丸い目でエミーリアを見上げてくる。

「こんにちは」

 にこりと微笑みながら挨拶すると、女の子もにこっと笑って「こんにちは!」と応えてくれた。

「あーコラ暴れんな!外行くぞ外!」

 男の子たちはまだヘンリックに飛びかかっていたらしく、まとめてヘンリックが外へと連れ出す。やんちゃな盛りだ、遊び相手に飢えているのだろう。

「それじゃあ読み聞かせは女の子たちだけで楽しみましょうか?」

 まったく、と呆れたような顔をしながらデリアは部屋の中央におかれたクッションに腰掛ける。あなたもよ、という目で見られたのでエミーリアはデリアの向かいに腰を下ろした。

「何を読みましょうか? いくつか本も持ってきたのよ?」

 エミーリアが取り出した本を女の子たちは覗き込んで楽しそうにあれがいい、これがいいと話し始める。

「あ! これ!」

 一人の女の子が指さしたのは、アイゼンシュタット王国でも有名な物語だった。

「『いばらの姫と聖銀の騎士』かしら?」

 エミーリアがその本を持ち上げると、女の子たちは皆「それがいい!」と声を揃えた。


 『いばらの姫と聖銀の騎士』というのは、茨に覆われた高い塔に捕らわれたお姫様を、騎士が助けに行く王道のストーリーである。

 とある王国の末姫は、十六歳の誕生日に悪い魔法使いに攫われてしまう。魔法使いは姫を騙してこの塔の外に出てはいけないよ、外に出たら国をこの茨で覆い尽くして滅ぼしてしまうよ、と脅し、姫を高い高い塔の上に閉じ込めた。

 塔の外壁は茨に覆われ、登ることはできない。高い塔の最上階にたどり着くためにはあらゆる知恵を駆使し、立ち塞がる敵を倒しながら塔を登らなければならない。

 多くの勇敢な騎士がその塔に挑んだが、誰も最上階にたどり着くことはできなかった。

 しかしただ一人、王より聖なる銀の鎧を授かった騎士がどんなに強い敵でも屈せず、難解な謎かけを解いて最上階にたどり着く。

『いけません。わたしがこの塔の外に出ればきっと、あの魔法使いはこの国を滅ぼしてしまう』

『ならば私があの魔法使いを討ちましょう』

 泣きながら共にいけないと告げる姫に、騎士は力強く誓いを立て、そしてその誓いの通り、塔に帰ってきた魔法使いを見事その剣で打ち倒したのである。

 そして姫と騎士は結ばれて、末永くしあわせに暮らしたそうだ。


 ――めでたしめでたし、とエミーリアが締めの言葉を告げる。エミーリアの周りにお行儀よく座っていた女の子たちはほぅ……とため息を零した。彼女たちの目はすっかり恋する女の子のようだ。

「やっぱりすてきね!」

「騎士さまかっこいいよね!」

 きゃあきゃあと物語について語り合う女の子たちを微笑ましそうに見守りながら、エミーリアはふと浮かない顔のデリアに気づく。

「どうかした?」

「……うん? うーん……私、あのお話好きじゃないのよねぇ」

 女の子たちはこのシーンが好きだったと本を開きながら挿絵を見ている。その子たちに聞こえないように配慮された小さな声で、デリアはぽつりと零した。

「そうなの?」

「そうよ」

 きっぱりとした声でデリアが答える。

「それは――」

 どうして、と問おうとした。

 しかし女の子たちは期待に満ちた目でエミーリアを見上げて「次はこれがいい!」とせがんでくる。

 結局問うタイミングを逃してしまい、エミーリアとデリアは交代で本を読むことになった。


 そのあとは外で存分に遊び終えた男の子たちも戻ってきた。彼らも交えてさらに数冊本を読み、そのあとは簡単に読み書きを教えたりなどをしているうちにあっという間に時間は流れる。

 そろそろ読み聞かせの会のお開きだろうか、という頃になってヘンリックがエミーリアに話しかけてきた。

「そういえばシュタルク嬢、陛下がすっかりしょげてましたよ」

「え?」

「可愛い婚約者に『会うのを控えましょう』なんて言われたら、あの陛下でもしょげますって」

 ヘンリックは苦笑交じりに、しかしどこか楽しんでいる様子で笑っている。

「そ、それは――!」

 陛下のためを思ってのことです!

 と大きな声で言いそうになったけれど、ここは育児院だ。子どもたちの何人かが「どうしたの?」という顔でエミーリアとヘンリックを見てくる。

「へ、陛下があまりわたくしと会うために時間を割いていたら、その、悪い噂が流れたりしませんか……?」

「悪い噂? 国王陛下は婚約者にめろめろで執務を怠っている、とか?」

「そ、そうです! 実際、わたくしと会っている間の執務は滞るわけですし……」

 だから、あまり会ってばかりいては、いけないんじゃないかと。

 エミーリアは小さくそう零した。

 もちろんエミーリアだってもっとマティアスに会いたいし、話がしたいけれど、公人である以上ある程度の不自由さは覚悟しなければならない。

「そんなに気にすることないですよ? もともと陛下は休憩をとらずに執務に没頭するタイプだったので、今がようやく普通……いや、シュタルク嬢絡みじゃないと相変わらずなんで、ちょっとまともになったくらいですかね?」

 今まで仕事人間すぎたのが、ようやく休憩をとるようになったのだとヘンリックは主張してくる。

「結果的に書記官や俺たちも休憩がとれるようになったんで、効率は上がっているんじゃないかな。そこらへん、俺は詳しくないですけど」

「そ、そうなんですか……?」

「気になるなら今度書記官筆頭にでも聞いてみてくださいよ。シュタルク嬢は今まで通り、陛下の癒しになってくだされば」

「わ、わたくしで癒しになるのでしたら、もちろん……?」

 エミーリアが戸惑いつつそう答えると、ヘンリックは笑いながら「お願いします」と念を押してくる。

 そしてヘンリックを見上げると、その目はデリアを見つめていた。

 デリアは視線に気づいたようだったのに、ぱっと目を逸らす。その様子にヘンリックは苦笑しているだけで、わざわざ話しかけに行こうとはしない。

「エミーリア、そろそろお暇しましょう」

 迎えの馬車も来る時間だわ、とデリアが告げる。

「ええ……」

(結局ヘンリック様とデリアはほとんどお話していないみたいだけど、いいのかしら?)

 しかしどこか頑なな様子のデリアに、気安く何か尋ねられるような雰囲気でもない。

 リーグル伯爵家まで送ると言えば馬車の中で時間がとれるだろうかと思ったけれど、ちょうど伯爵家の馬車とシュタルク公爵家の馬車が到着してしまった。

「お気をつけて」

 まだ育児院に残るらしいヘンリックに見送られ、エミーリアを乗せた馬車とデリアと乗せた馬車はそれぞれ動き始める。


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