4:喧嘩するほど仲がいい?
書記官が慌てて持ってきた確認事項を済ませ、一通り午後にやるべき仕事を片付けてからマティアスは机の上で手を組んだ。
「……あの発言はいったいなんだったんだ?」
問いはもちろんヘンリックに向けられたものである。
近頃はこういう、マティアスからの相談事というのが増えてきていて、ヘンリックはそのたびに律儀に答えていた。マティアス本人は相談をしているという自覚はなさそうだが。
「バレたんじゃないんですか? 陛下がシュタルク嬢が城に来たら知らせが来るように命じているって」
ヘンリックの言葉に、ぎくり、とマティアスは身体を強ばらせる。言いようのない後ろめたさが胸の奥からじわりと滲んだ。
「……別に悪いことではないだろう」
「職権乱用……というか、王様がそれやるのはちょっとどうかと思わなくもないですけど」
まして真面目なシュタルク嬢ならなおさらねぇ、とヘンリックが呟くので、マティアスはむむむ、と眉間に皺を寄せた。
婚約者が自分のいる城にやってきたのだから、一目会いたいと思うのはおかしなことではないだろう、と思う。彼女は遠慮がちなところがあるから、予定になくても会いに来てかまわないと言ったところでそれが実行されたことはない。こちらの多忙さを十分すぎるほどに理解しているのだ。
もちろんエミーリアがやってきたとしても、会議中であったり手が空くような暇がなければマティアスも素直に諦める。しかしながら優秀な書記官や近衛騎士たちは、それとなくマティアスが動けるようにと調整してきたりするものだから、今のところエミーリアがやってきたという知らせを受けてマティアスが動かなかった日はほとんどないのだが。
「陛下は今までそんな『お願い』を言い出したことがありませんからね。特に不満の声が聞こえてくるようなことはありませんが」
にこにこと柔和な笑みを浮かべてフォローに入ってきたのは筆頭書記官であるクルト・ダールマンだ。地味で影が薄い、といつも本人が言っているように存在感があまりない。
その存在感のなさを利用して、城内のあちこちから噂話を拾ってくる変わった男でもあるのだが。
「……彼女は嫌がっているのだろうか」
マティアスのやっていることは、エミーリアのプライベートに強引に割り込んでいるようなものだ。
「それはないでしょ」
「それはないですねぇ」
即座に入った二人の否定に、マティアスは目を丸くする。
「シュタルク嬢がどんだけ陛下が好きなのかは見ていればわかりますし」
「おそらく自分のために陛下の時間が割かれることに罪悪感を抱いているんでしょうねぇ」
クルトの予想にマティアスは苦笑する。確かにエミーリアならそう考えていてもおかしくはない。
そしてそれはおそらく、マティアスの口から何を言ってもしばらくはエミーリアも納得しないのではないか。彼女は真面目で、少し頑固なところがあるから。
「今度たぶん会うだろうから、俺のほうで少しはフォローしておきますよ」
気が向けば、という言葉が語尾に隠れているような気がしないでもないが、マティアスはそれよりもなぜ? と首を傾げる。
「どうして会う予定が?」
ヘンリックとエミーリアはそこまで親しい間柄ではないし、約束をしているような言い方でもなかった。しかしヘンリックは確信をもっているらしい。
「シュタルク嬢が行くって言っていた日、俺も育児院に行くんで」
「……ああ、なるほど」
「そういえば非番でしたね」
ヘンリックは近衛騎士という立場上、休日はあまり多くない。その数少ない休日はたいてい育児院に足を運んでいた。このところは以前に増して足繁く通っているようで、まるで恋人にでも会いに行っているみたいだとマティアスは思っていた。
ヘンリック・アドラーといえば、庶民出身でありながら近衛騎士にまで上り詰めた騎士として有名である。そのヘンリックが実は育児院出身であることまでは知られていなかった。
「……そろそろ向こうとも会えそうですしねぇ」
まったく、というように呟かれたヘンリックの言葉を聞きながら、マティアスは執務を再開しようとペンを握るのだった。
ただの独り言らしい言葉は、聞かなかったふりをするのもやさしさのひとつである。
*
エミーリアが育児院に行く日は、見事な快晴だった。
育児院に行くのは子どもたちに本の読み聞かせをするためである。公爵家にあった子ども向けの本をいくつか選び、既に馬車に運んでもらった。
ドレスは派手過ぎず、地味過ぎないものを。髪は邪魔にならないようにまとめて、全体的に動きやすいようにしておいた。エミーリア自身は末っ子なので子どもの相手は得意というわけではないが、苦手というほどでもない。
エミーリアが育児院に着いたときには、既にデリアも到着していた。
しかし。
「……なんであなたがここにいるのかしら、ヘンリック・アドラー?」
「俺がここにいてもなんにも不思議なことはないと思いますけど?」
一触即発といった雰囲気のデリアとヘンリックが育児院の広場で睨み合っていたのである。
(いえ、どちらかというとデリアだけが睨みつけている感じかしら?)
馬車から降りたエミーリアは不思議そうに首を傾げる。
デリアという少女は気が強いところはあるものの、あまり波風を立てることは好まない。気に入らない相手とはそっと距離を置いてやり過ごすタイプなのである。
だから、デリアが真っ向からやってやろうという態度をとるというのは、たいへん珍しいことだ。
「ヘンリック様は、どうしてここに? もしかして陛下もいらっしゃっているんですか?」
じろりとヘンリックと睨むデリアと、それをなんだか楽しそうに受けるヘンリックに歩み寄る。二人はそこでようやくエミーリアの到着に気づいたらしい。
「あ、いえ。今日は非番なので、俺一人ですよ」
「お休みの日に、わざわざ育児院へ?」
言われてみると、今日のヘンリックは騎士服ではなくラフな格好をしている。
しかしエミーリアはわからずにますます首を傾げた。一般的に、男性が用もなく立ち寄る場所ではないと思う。
「俺はこの育児院出身なので。休みの日はよく来ているんです」
男手が必要なこともけっこうありますし、とヘンリックは笑った。
(そうだったんですか……)
エミーリアとヘンリックは個人的なことを話す間柄ではない。当然、エミーリアはヘンリックが育児院出身であることを知らなかった。
そして、あれ? と思う。
「……もしかして、育児院にいた頃からデリアとお知り合いだったんでしょうか?」
デリアが育児院に引き取られていた時期と、ヘンリックが育児院で育った時期。二人は年の差があるけれど、その二つの時期は重なるのではないだろうか。
「そうですね。こいつが育児院に来る前から知ってます」
家が近所でしたから、とヘンリックは小さく零した。エミーリアがちらりとデリアを見ると、なんとも言い難い表情をしている。そんな話をしなくていいとか、そんなこと思い出さなくていいとか、そういった類の顔だ。
(深入りされたくないのかしら……)
エミーリアは「そうですか」と答えて、それ以上の追究はしないでおこうと口を噤む。
「それ、重そうですね? 持ちますよ」
エミーリアが抱えていたのは本が十冊ほど入った紙袋である。どれも子ども向けの本なのでぶ厚くはない。
「このくらいなら平気ですよ」
いつもはぶ厚い専門書を二、三冊抱えて図書館へ足を運ぶエミーリアだ。この程度の重みはどうということはない。しかしヘンリックはまぁまぁと言いながらさらっとエミーリアの手から本を奪っていった。
ちょうど育児院の中からは院長が出てきたところだった。
ヘンリックに対しては「あらまぁおかえりなさい」と微笑み、デリアには「よく来たわね」と抱きしめている。
(……ここはきっと、二人にとってあたたかい場所なのね)
家とか、お気に入りの場所とか、そういうところなのだと思う。それだけ、デリアもヘンリックも穏やかな顔をしていたのだ。
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