3章 赤い石榴(ざくろ)石 The Bloody Carbuncle

第1話 幽霊の正体


 昨夜からの雨は、朝になってもやまなかった。

 窓を流れ落ちる水滴が、屋敷の床にまだらの縞模様を映し出す。

 応接間には事件の関係者が集まっていた。


「それでは事件の真相をお伝えしよう」


 部屋の中央に歩み出て、リョウは一同をふり返った。艶やかな黒髪がふわりと広がる。白磁のような肌、黒玉のような瞳。男装さえしていなければ抜群の美人だ。

 家具は磨き込まれているし、絨毯はふかふかだ。壁には古い武器やら絵画やらが飾られている。マントルピースに並ぶ調度品の数々は、見るからに高そうだ。暖炉の薪がはぜて、ぱちりと音を鳴らした。


「真相とおっしゃいましたか?」


 ソファから身を乗り出して、ハロルド・オズボーン氏はごくりと唾を飲んだ。今回の事件の依頼人であり、この屋敷の持ち主である二十九歳の紳士だ。こんな状況にもかかわらず、金色の口ひげは綺麗に整えられていた。しかし、ふっくらとした頬はつやを失っている。

 彼は続けた。


「まるで探偵小説の終盤じゃありませんか。今から犯人当てでも始めるおつもりですか?」


 リョウに代わって、ぼくが応えた。


「まさしく〝解決編〟が始まるんですよ。そうだろう、ホームズ?」


「ワトソンくんの言う通りだ。とはいえ、本来の私は会計探偵……。普段はお金にまつわる謎ばかりを追っているし、一ペニーの過不足だって解き明かすことができると自負してきた。こういうタイプの事件は、本当は専門外なんだけどね」


 彼女の本名はリョウ・ランカスター。

 日本人の母を持ち、訳あって単身イギリスに渡ってきた女性だ。今は性別を偽ってロンドンで暮らしている。日本式のそろばんを武器に難事件を解決する彼女を見て、ぼくは「まるで小説の中の探偵のようだ」と評した。彼女はそのあだ名がいたく気に入ったようで、以来、ぼくらはホームズ、ワトソンと呼び合うようになった。


「解決編ですって!?」


 ハロルド氏は蒼白な顔で叫んだ。


「あなただって昨夜のあれをご覧になったでしょう? やはり、この屋敷は呪われていたんです。ここで起きた不可解な出来事の数々は、霊能力者でもないかぎり解決できませんよ!!」


「呪いなんてバカバカし――」


 笑い飛ばそうとするぼくを、リョウは片手を上げて制した。


「呪術や魔法、超能力――。そういうものが本当に存在しているかどうか、私は今でも結論を出しあぐねているよ」


 大真面目な顔で続ける。


「会計士は霊能力者のようなもの。君は以前そう言ったじゃないか、ワトソンくん」


「あれは言葉のあやというやつで……」


「いずれにせよ私は、自らの能力ゆえに、この屋敷の秘密を知ってしまったんだ」


 と、手にしたそろばんに視線を落とす。


「――犯人なんて、最初から分かりきっているじゃないか!」


 出し抜けに叫んだのは、エリー・ステビング。この屋敷の老メイドだ。まだ五十代になったばかりのはずだが、白髪だらけで、実際よりもずっと年老いて見える。彼女は暖炉の近くの安楽椅子に腰を下ろしていた。足元を温めてリウマチの痛みを和らげているらしい。

 ひざ掛けを握りしめて、エリーは続けた。


「〝石榴(ざくろ)の魔女〟だよ! この屋敷は、あの魔女に呪いをかけられちまったんだ!!」


「お、お母さん! やめてください……」


 安楽椅子の横でおろおろしているのは、リック・ステビング、十八歳。

 彼はこの屋敷の若き執事である。ステビングの一族は代々、住み込みの使用人としてオズボーン家に仕えてきたという。そして現在ではリックがその職務を継いでいる。


「すみません……。ここ最近の事件のせいで、母はすっかり気が動転してしまって」


 申し訳なさそうに肩をすぼめる。


「まあ、真相を知る身としては、心中察するに余りあるよ」


 リョウは不敵な笑みを浮かべた。


「――しかし真相と言われても、あっしにはどうもピンと来ませんね」


 そうつぶやいたのは、馬丁のスミス氏。ひょろりとした長身の男で、部屋の入り口近くに所在なげに突っ立っていた。片目を細めて、彼は続けた。


「魔女だの何だのと皆さんは騒いでおいでだが、あっしにはとても信じられません。それにご存じの通り、あっしは普段は厩舎で寝起きしております。屋敷の中でどんな不思議なことが起きようと、あっしには関係ありませんよ」


 面倒ごとに巻き込まないでくれという顔で、彼は頭を掻いていた。


「事件の関係者は、これで全員だね」


 ぼくが言うと、リョウは即答した。


「生き残っているのはね」


 ぞっとするほど冷たい声。


「この事件のいちばんの関係者は――関係者たちは――、残念ながら全員すでにこの世を去っている。このことが真相究明を難しくしただけでなく、だからこそ今回のような事件が起きたとも言える」


 ハロルド氏はぴくぴくと膝を揺すっていた。じれったそうにリョウに訊く。


「もったいぶるのはやめて、さっさと教えてください!」


 金色の口ひげが震えた。


「この屋敷で起きたことは、いったい何だったのですか? たびたび〝幽霊〟が目撃されたのは、どうしてです? 〝石榴の魔女〟の呪いでないとしたら、あの幽霊の正体は――!?」


「どうか落ち着いていただきたい。時間はたっぷりあるんだ、順を追って説明していこうじゃないか。そうだな、まずはミスター・ハロルド・オズボーン。あなたが私たちの事務所にやってきたところから」


「そんなことはどうでもいい! 早く真相を――」


「そうおっしゃらずに。……じつは今朝、電報を一本打ったんだよ。昼ごろには応援が到着するだろう。それまでの間、事件の経緯を辿って時間を潰すのも悪くないだろう?」


「応援……?」


 集まった全員が、怪訝そうな表情を浮かべた。


「そうとも、応援だ」


 すちゃ――。


 リョウはそろばんを握り直した。


「今回の一件は会計事件の範疇を超えている。その道の専門家に助力を頼んだのさ」

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