第14話 同じ穴のムジナ


 窓の外を眺めながら、クレアは屈辱に震えていた。

 いつものように、ロンドンに霧が満ちていく。分厚い雲の向こうでは太陽が西に沈もうとしているのだろう。空は青みがかった灰色に染まる。点灯夫たちが足早に歩き回り、ガス灯にはしごを立てては明かりを入れていく。白い霧のなかに、オレンジ色の光が一つ、また一つと浮かび上がる。

 もうすぐ誰もが仕事を終えて、帰路につく時間だ。

 トラファルガー広場の周辺は混雑していた。ずらりと列をなした辻馬車が、客を吐き出しては、すぐに次の客を捕まえて走り去っていく。

 そんな車列から少し離れた場所に、クレアを乗せた馬車が停まっていた。

手荒い扱いを受けたわけではない。綺麗なドレスを着せられて、いつもは簡単に整えるだけの髪にも丁寧に櫛があてられている。黙っていれば良家の子女に見えるだろう。

 こういう服装に憧れたことがないといえば、嘘になる。

 住み込みのメイドだって女なのだ。窓を雑巾がけしているときに、道行くレディをうっとりと眺めたことがある。いつかはあんな可愛いドレスを着てみたいと、何度も思った。古いカーテンをリメイクして、どうにか再現しようと悪戦苦闘したことさえある。

 こんな状況で、着たくなかった。


「――分かっているだろうな?」


 ひげもじゃの男が言った。


「我々を裏切れば、どういうことになるか」


 クレアは低い声で答える。


「何度もしつけーですよ。あたしたちは、もう同じ穴のムジナでしょう。あんたたちの計画に乗った以上、とことん付き合ってやりますよ」


 もちろん本心ではない。時間稼ぎのために、クレアはばくちを打ったのだ。

 人違いだと気付いたとき、男たちは大いに慌てた。一方のクレアも、目が飛び出すほど驚いた。男たちの話を聞くかぎり、オリヴィアは金持ちの娘だったらしい。

 男たちは、彼女の受け取るべき生命保険が未受領になっていることを知り、それを騙し取る計画を立てた。偽造した保険証書と、娘本人が揃っていれば、簡単にボロ儲けできると考えたようだ。ところが捕まえてきたメイドは、オリヴィアとはまったくの別人だった。

 殺されると思った。

 だからクレアは協力を申し出たのだ。もしもオリヴィア本人を捕まえたとして、彼女が大人しく言うことを聞くとは思えない。男たちの手を焼かせるだろうし、舌を噛んで自殺を図るという可能性さえある。だったら、自分がオリヴィアのふりをしたほうがずっと話が早い。大丈夫、彼女とは同い年だし、背格好も似ているから――。

 表面的には男たちに荷担するそぶりを見せつつ、心のなかでは祈り続けていた。

 ホームズさんが異常に気付いて、あたしを助けてくれますように、と。

 くつくつという笑い声が隣から上がった。


「俺は別に裏切ってもらってもかまわないけどね」


 若いほうの男が、いやらしい笑みを浮かべている。ナイフを光にかざして、刃の状態をためつすがめつしていた。


「ヨーロッパ人や黒人はバラしたことがあるけど、アジア人はまだなんだ」


 もしもクレアが裏切れば、あの下宿の連中を皆殺しにしてやる――。

 男たちにはそう脅されていた。

 彼らの犯罪計画を聞くうちに、クレアは死を覚悟した。仮に保険金を騙し取ることに成功したとして、男たちはいつまでも自分を生かしておくだろうか? 警察に通報される危険を残すぐらいなら、重しをつけてテムズ川に沈めてしまったほうがいい。最初の計画ではオリヴィアをそうするつもりだったように。

 死を差し迫ったものに感じるほど、不思議と恐怖は薄れていった。

 たしかに死ぬのは嫌だけど、まあ、自分の人生はこんなもんだったのかなとも思う。十代の女の子が殺されるなんて、この大都会ではさして珍しい話ではない。やりたいことは山ほど残っているけれど、一歳の誕生日を待たずに死んでしまう子供だってたくさんいるんだ。それに比べれば、十四年も生きた自分はそれなりに幸せなのかもしれない。

 だけど――。


「そいつ、日本人だっけ? 最期はやっぱりブッダに助けを求めるのかなぁ」


 楽しげな声に、クレアは吐き気を覚える。ホームズさんを殺すと脅されたら、刃向かう気力がいっぺんに奪われてしまった。それだけはダメだ。ホームズさんが死ぬなんて、ダメ。想像するだけで、クレアは心臓が止まりそうになる。


「いつまで遊んでいるんだ」


 ひげもじゃが言った。


「あー、はいはい。分かってるよ」


 若いほうはナイフを鞘に収めて、コートの下に隠した。ひげの男がドアを開ける。

 三人は霧のなかに降り立ち、保険会社の建物に向かって歩き始める――。

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